2 零落した獣たち
中世の狸が怪異・化物としての色が強いごった煮概念であったのはこれまで述べた通りである。
では、何故、狸がそんなごった煮の化物となってしまったのか。
これについても、中村禎里氏がその著書『狸とその世界』や『日本人の動物観』が詳しく述べている。
古代、神は動物の姿をしていた。
これは『古事記』の
猪も、後に春日の神使となる鹿も神であったのである。
しかし、仏教思想が広がり、神仏習合が進むにつれ、そうした動物の姿をする神たちは、「神=仏>人>獣」という六道思想を取り込んだ神仏習合世界のヒエラルキーとの齟齬に直面する。
というのも、六道思想においては輪廻転生をするにあたり、前世の業に従って地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六つの道のどれかに生まれ変わるという。
獣はその内、畜生道の存在とされる。下から三番目。ギリブービーでない程度。
その齟齬の解消として発生したのが、日吉の猿や春日の鹿といった神使の概念だと氏は述べている。
しかし、そうした動物神すべてが神使になったわけではない。
そうして神使になれなかった一部の動物達が零落して妖怪となり、前述したとおり、概念が漠然としていた「狸」という字を中心にまとまった結果、「中世および近世前半のたぬきは、神使化しえなかった動物神のほとんどを包括した観念」となったと氏は述べている。
神仏習合におけるヒエラルキーに神使化という吸収をされなかった動物神。
神仏習合が秩序とされた以上、それはすなわち、まつろわぬ神=秩序に反する化物と同義である。
「神使化しえなかった動物神のほとんどを包括した観念」である狸が、怪異・化物として語られるようになったのは順当なことであるのだ。
ところで、神使化した動物の中でも狐が代表格として扱われる点はなぜか。
それについては、以下の四点が考えられる。
まずは、狐に対する信仰が神仏習合の中で生まれた信仰であること。
これは
二点目は人に大きな害をなさないこと。
狐に化かされるというが、その化かし方も伝承に多くあるように、「狐は最終的には無事に返す」存在とされる以上、狐の化かしは害に入らない。
三点目は、鹿のように食肉に適した動物=狩猟の主だった対象ではないこと。
鹿は春日の神使とされるが、同時に広く山で狩られる食料でもあり、すべての鹿を神使と見なすことはできなかったと考えられる。
四点目は、猿のように人との類似性を持つ獣ではなかったことが考えられる。
「猿真似」とあるように、「猿」は時として人より劣ったものの例えとなる。
猿と人とで類似する点が大きい一方、その分人と比べた場合に劣る点がよりはっきりとわかることがその原因だろう。
また、こうした神からの零落を窺える話の代表格として、『今昔物語集』巻二十六 七「
猿神退治の話と神使としての猿が存在する、その時点で猿は化物と日吉の神使としての二面性を持ってしまっているため、人に害をなすという点を認識されているということもあろう。
こうして、信仰対象としての狐と、怪異・化物としての狸とが今日に至るまで、対立概念のように扱われながら、語り継がれていると思われる。
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参考資料:
『妖異博物館』 柴田宵曲
『日本俗信事典 動物編』 鈴木棠三
『日本動物民俗誌』 中村禎里
『日本人の動物観:変身譚の歴史』 中村禎里
『朝日選書400 狸とその世界』 中村禎里
『ものと人間の文化史124‐2 動物民俗Ⅱ』 長沢武
『自然選書 続日本野生動物記』 小原秀雄
『狐の日本史 古代・中世びとの祈りと呪術』 中村禎里
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