4 その他の狸
これら以外に、中世説話における狸という存在は見つからない。
少なくとも私の観測範囲内では。
……まあ、この辺りまで、卒論に乗っけたものなので、抜けがあったとしても超ド級にマイナーなものだとは思う。
室町時代には『筆結の物語』という、狸の武士が都に登り、八百比丘尼と神仏から食事法にいたるまでの幅広い問答をするという娯楽的読み物であると同時に、武家の故実書の一面を持つものが存在している。が、まあマイナーである。
江戸期になると、随筆や本草学の書で狸の事が語られる。
『本朝食鑑』では狸について、「子と共に穴から出て、腹鼓を打って楽しむ。これを俗に狸の腹鼓という」という説明がされているが、そのあとに続く記述では「年老いたものは妖怪へと変じ、人を食う。人に化けたものは松や杉の葉でいぶせば正体を現す」という。
また、「山中の家に侵入して炉端で人の目を盗んで火に当たり、温かくなるにつれて陰嚢を広げて女子供を包んで化かす」なんて記述もある。たんたんたぬきの……である。
これを八畳敷きとか言うが、『本朝食鑑』の記述では「広長四、五尺」で一尺=約30センチで、四方が5×30センチの1.5メートルで、1.5メートル×1.5メートルで2.25平方メートルで、八畳が14.5924平方メートルぐらいなので、到底及ばない。完全なる余談である。
とまれ、『本朝食鑑』において狸は「人を食う」存在として認識されている。
江戸期の随筆『想山著聞奇集』には、心中を企てた男女の片割れが狸に化かされる話が二話あるという。
この心中で行われるのは、木の枝に掛けた縄の両端で互いに首をくくることで互いの重みによって
その後の展開は分かれるのだが、どっちにしろ化かした側の狸が死ぬ。
そうまでして化かそうとする辺り、カチカチ山のうさぎに騙される点にみられるような、狸という像にまとわりつく愚鈍さにつながるのかもしれない。
一般に有名な狸の昔話としては、茶釜に化けた狸が寺から屑屋に出され、その屑屋で踊りや軽業を披露することで財を成す「分福茶釜」、おじいさんにつかまった狸がおばあさんを殺してその肉でこさえた汁をおじいさんに食わせるが、おじいさんに同情したうさぎに懲らしめられ、殺される「カチカチ山」の二つだろう。
「分福茶釜」は踊りや軽業など狸のユーモラスな部分が光るが、「カチカチ山」では残忍な狸が描かれる。
多くの伝承では、現在同一存在とされる狸とむじなは別物とされたりもする。
「その他の狐」で出した佐渡の伝承について、そもそも「佐渡にはむじながいるから、狸はいない」と言う。
それはむじなと狸を別とするからこそ、そう言われるのである。
また、「狸は坊主に、狐は女に化ける」と言う。やっぱり狐は女ばかりなのである。
他にも「狐は尾の先に人の魂を乗せて化かすが、狸・むじなは舌の先で人を化かす」という。
その心は、狐は人を化かしても自分の気が済めば、その人を正気に返すが、狸・むじなはそのまま死に至らしめるからというところである。
似たような伝承に「狐憑きは長引いても無事に正気に戻るが、むじな憑きはむじなが血をすするため、正気に戻っても死ぬ」というものもある。
今日、なぜかユーモラスで愛らしい狸像が根付いているが(分福茶釜の影響が大きいような気も)、信仰対象として人とかかわってきた狐に対して、狸は怪異として人とかかわってきた動物と言える。
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