6 狸という獣のイメージ――狸概念の変遷

狸の概念の変遷を時代順に追っていこう。


まず、平安期の辞書『和名類聚抄』では「狸」の項に「鳥を捕りて糧とする者(ざっくり訳:鳥捕まえてもぐむしゃする者)」とかいう超絶漠然とした、「結局お前何やねん」という説明が書かれている。

同じく『類聚名義抄』では「狸」の項に紐づく読みとして「たぬき」と「いたち」が並んでいる。

この時点で既に「狸」にタヌキとイタチが紐づいている。全然違わない?


そして時代下って江戸期の百科事典『本草綱目』や『和漢三才図会』では「猫狸」、「虎狸」と何故か分裂した小項目が出てたりする。

曰く「虎狸」の肉は臭みがなく食用に適し、「猫狸」の肉は臭みがなく食用に適さないとのことで、これについては少なくとも「虎狸」が現代でいうアナグマで「猫狸」が現代でいうタヌキではないか、と言われる。

というのも、タヌキの肉は独特の臭みがある一方、よく似たアナグマの肉は風味がよく、ワールドワイドで喜ばれるとされるからだ。

ちなみに『和漢三才図会』には「猫、属を同じくす故にすなわち野猫と名づく(ざっくり訳:猫と分類一緒だから野猫って呼ばれたりするよ)」なんて、記載まである。結局なんやねんお前。

鎌倉・室町・戦国で狸像が確定していれば、江戸でまた狸がごちゃまぜミックスねるねるねされるなんて可能性は低いので、平安から江戸期にかけて「狸」という概念は複数の動物をその語の範疇に抱えたものと考えられる。ミームは意外と強い。


というわけで、「狸」が今現在の「タヌキ」と明確に紐づいたのは時代的に『和漢三才図会』以降、ざん切り頭から文明開化の音がする頃……


――とでも思ったのか?と言いたげな案件がここで浮上する。


たぬき・むじな事件とされる大正期の禁猟法違反裁判である。

法学的には「事実の錯誤」の例としてあげられる場合が多いらしい事件であるが、事の発端としては政府が狸を禁猟法対象とした直後に狸を狩った人が禁猟法違反として捕まった。

ところが、その人は「自分が狩ったのはむじなであって狸ではない。よって禁猟法違反ではない」と主張したのである。

政府の見解としては「狸=むじな」なのだが条文にそれは明記されてなかった上に、「むじな」という言葉の使用は全国区(慣用句「同じ穴のむじな」等による)だったので、事実の錯誤として無罪判決に至った。


というのが事件のあらまし。

ちなみにこの事件が起きたのは栃木県。

ただ、「その他の狸」で記した通り、佐渡でも狸とむじなは別だったのでたぬき禁猟の立て札が出た時には島の人は「いない狸をどうやって獲るなと言うのか」と笑ったとか。

そんな「狸という概念とむじなという概念の中身がイコールとなってなかった」状況。

つまり、狸という語の指す範疇とむじなという語の指す範疇が、ベン図的に言えば多少重なる箇所のある円同士だったとしても完全一致はしていなかったという状況である。

近代に入ったこの時点でも、狸概念はこの通り、輪郭がぼやぼや状態と言えるのである。

むしろ、この事件きっかけに国が「周知しなけりゃ」となった可能性が高いので、そこでようやく輪郭を整えられたのではなかろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る