応援コメント

5 狐という獣のイメージ」への応援コメント

  • 最近、狐狸・妖怪ものが好きで興味深く拝読させていただきました。

    >意味もなく致命的な悪戯を仕掛けようとはしない

    狐というと九尾の狐(玉藻の前)の印象が強いせいか、スケールの大きい悪事を働くというイメージを持っていたので、これは意外でした・・・

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    なんなら、『日本霊異記』巻上の二のお話は、奥さんが狐とバレても「すでに夫婦の契りはした身なのだから、いつでも来て共に寝よう」と旦那さんが言ったとこから「来つ寝」→「きつね」と呼ぶんだよ、なんていう語源説話なので、もともと狐自体はそんなに悪い感じじゃないんですよねえ。晴明のお母さんの葛の葉の話もありますし。
    この後の狸の方の「その他の狸」でも言及する通り、「狐は尾の先に人の魂を乗せて化かすが、狸・むじなは舌の先で人を化かす(狐は気が済むとその人を解放するが、狸・むじなは化かした人間を食う)」なんて言葉があるぐらいなんで、総合的には狸より危険度が低い感じです。

    それでも、確かに玉藻前による印象は大きいと思います。一応日本三大妖怪としてカウントする説あるぐらいですし。
    ただ、実のところ、同じく三大妖怪カウント説のある酒呑童子もそうではあるのですが、玉藻前も通常の説話の範囲には登場しないんですよね。
    どちらも伝説・伝承と説話を踏まえた上で作成されたと思われる絵巻や草子(大体室町期の作成)での登場なので、説話文学最盛期とも言える鎌倉期中に説話文学を記録する人の手元にはその話がなかったということになります。
    また、「そのほかの狐」でも言及した通り、『源平盛衰記』では周の幽王と褒姒の話をあげて、褒姒が「狐であった」としているのに、玉藻前には言及していない(けれど玉藻前伝説上では褒姒も遍歴の一つとされることがある)という点があります。
    これと、『源平盛衰記』も含まれる大枠としての『平家物語』自体が庶民のエンタメとしての意味合いもあってどんどん拡張された物語群(諸本が多すぎる+関連伝説も多すぎる)であることを踏まえると、玉藻前伝説が成立した時点で、すでに『平家物語』には入り込む余地がなかった可能性が高いと見て取れます。
    そうなると、14世紀成立の『神明鏡』がおそらく玉藻前に言及した一番古い記述なので、鎌倉末期~南北朝末期頃に玉藻前伝説が成立したと考えられます。

    と、この流れを見る限り、室町期辺りで玉藻前伝説が生じた段階が狐への印象の一つの転換点であるとも取れますね。
    その一方で、そんな大きい悪事を働いた狐についての純日本製と言える伝説は玉藻前ぐらいしかいない感じではあるのですが……咜祇尼さんはそもそもが有名とはいえ一応邪法だし、祀る限りはセーフだし……