5 伝承の西行と「サイギョウ」

伝承の西行について、西行がこき下ろされる形になる一番の原因と考えられるのは、固有名詞の「西行」ではなく、一般名詞とされた「サイギョウ」である。

西行が旅をする僧であるという認識は『撰集抄』によって広まったとする説があるが、その影響か旅職人や旅の宗教者を「サイギョウ(西行)」と呼ぶ場合がある。

つまりは、前述の戻る/帰る西行はこの旅職人や旅の宗教者としての「サイギョウ」のイメージも含む可能性が高いのだ。

こうした旅職人や旅の宗教者というものは、訪れた先の集団からすれば、その集団のヒエラルキーを適用しえない外の者、中途半端に頂点にもドン底にも該当させることのできる存在と考えられる以上、そうした役目を物語の中で負わされることに何ら不思議はない。


また、西行の戻る場所にも注目したい。

橋、坂。これらが何かと考えるとそれは境の印である。

橋は川の上にかかるもの。川は容易に渡れなければこそ境となる。

坂が境となるのは、『古事記』における黄泉と現世の境とされる黄泉比良坂よもつひらさかに見て取れる。

加えて、松については、一本だけ生えた木というのは往々にして目印となるように人為的に植えられたものと考えられる。それが境の目印だったとしても何ら珍しくはない。

そしてそういう境に丁度いい具合に娘や子供がいて、それは時にその地で祀られた神や仏である。

それであれば、逆説的に、神とも仏とも明記されない場合の娘や子供についても、その実体が神や仏であっても物語上は何ら問題がないし、おそらくそうなったとして人がその物語を受け付けないこともない。


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