4 伝承の西行 人間的な西行
前ページでは超人的な西行の話を取り上げたが、西行の伝承においてはこちらの超人的なイメージよりも、人間的と感じられる西行の方が多い。
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各地
西行戻り松/西行戻り橋/西行帰り松/西行帰り橋
西行がその地の松や橋で出会った人物(子供や娘など)に問いかけると、謎かけのような歌が返ってきた。
あるいは、西行がその地で歌を詠むと思いがけずに子供や娘から当意即妙の秀逸な歌が返って来た。
子供や娘でこれほどの和歌を詠むのだから、この地の大人はどれほどの和歌を詠むのだろうと怖気づいた西行はその場で引き返してしまったという。
場合によっては、この子供/ 娘はその地に祀られた神や仏であるとされる。
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あちこちで帰ったり戻ったりする西行さんである。
橋や松などではなく、坂である場合もある。
歌の内容は細かい語の相違まで見れば多岐にわたるがある程度パターン分けが可能であり、おおまかなバリエーションとしては以下の通りである。
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1 答えが麦となる歌
子供などに西行が「どこへ行くのか」や「この作物は何か」と聞くと大概これ。
どれも「冬に茂って夏には枯れる草(を刈りに行く)」と歌う。
例:夏枯れて冬ほき草を刈りにいく
冬草の
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2 秀逸な掛詞を使った歌
鮎のパターンとイチゴのパターンが存在する。
鮎パターン:とある川のほとりで老女や娘に西行が綿を売ってくれないかと頼むと歌で返される
例:この川を鮎取る川としりながらわたをうるかと染衣の法師
:この川を鮎を取る川と知っていながら「わた」を「うるか」と言う法師よ
わたは「綿」と「
イチゴパターン:何かを食べている子供と行き会った西行が「何を食べているのか」と尋ねると歌で返される。
例:今をだに口にも足らぬ草の実をえちご食うとはおかしそうさん
:一口にも足りやしない草の実(=イチゴ)を越後食うと言うとはおかしいことだ
えちごに「イチゴ」と「越後」がかかっている。
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3 当意即妙の返しや付け句をされる
2に似ているが、まず西行が歌を詠むことから始まる。
なお、例1、例2パターンはほぼ同一の話が複数存在するが例3パターンは大きく歌が変わるパターンが多い。
例1:西行:子供らやわらびつんであつないか
子供:西行やひのきがさ着てあつないか
すると、子供は西行の身に着けた「
例2:西行:
子供:犬のやうなる法師きたれば
木に登っている子供を見て、西行が「まるで猿の子と思えるほどすばやく木に登るものだ」と詠みかけると、その子供が「犬のような法師(=西行)が来たから」と下の句を付ける。
例3:西行:月にそふ桂男のかよひ来てすゝきはらむは誰か子なるらん
子供:雨もふり霞もかゝり霧もふるはらむすゝきは誰か子なるらん
西行が「月に住む桂男が通い来るようなこの場所で、すすきが
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これらの返しに西行はおじけづく。
それはつまり、西行自身が自分の歌の技巧に強い矜持を持つと同時に、都出身故の地方に対する侮りと慢心を抱いていたことになる。
まして、それは往々にして子供や娘など、西行という「都から出た元武士の僧」というある種のステータスを持った存在に対して、地位が低いと見られる立場の存在である。また、場合によっては地蔵や観音などその地域の信仰対象が西行の慢心をいさめるためにそうした存在として登場する場合も多い。
その一方で、そうしたいさめる形でないパターンも存在している。
西行の生きた時代は、それが貴族と武士の転換期による不安定な時期であっても、政治的には貴族の方が上とされていた時期であり、都における西行は比較的弱者であると言える。
それを踏まえると、西行は地方にとって割と安心してこき下ろせる存在でもあり、同時にこれらの地方の矜持を示す話とも捉えられる。
ただ、西行のステータス云々についてはあくまで一因であろう程度であり、一番の原因については後述する。
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