3 伝承の西行 超人的イメージの西行

ここで説話から、伝承へと視線を移す。

その中でも超人的な西行像の描かれた話は以下の通りだ。


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大分県

 豊後富士ぶんごふじとも呼ばれる由布嶽ゆふだけのふもとに西行が逗留していた折、この由布嶽ゆふだけを眺めて一首詠んだ。

   豊国とよくにの 由布の高根は 富士に似て 雲もかすみも わかぬなりけり

   :豊後国の由布嶽ゆふだけは富士山に似て、雲もかすみもわかないなあ

 すると、突然由布嶽ゆふだけが鳴動し、噴火し始めたので、言い方が悪かったことに気づいて、

  駿河なる富士の高根は由布に似て雲も霞かすみもわかぬなりけり

   :駿河にある富士山は由布嶽ゆふだけに似て、雲もかすみもわかないなあ

 と詠み直すと、山の噴火は収まったという。


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長野県千曲市

 西行の杖突桜

  西行が佐野薬師堂の池のほとりについていた桜の杖を突きさすと、それが見事な桜の木となった。


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千葉県東金市

 墨染の桜

  藤原基経ふじわらのもとつねが死んで深草山に埋葬された折、上野岑雄かみつけのみねおは以下の歌を詠んだ。

  深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け

   :深草山の野辺の桜よ、心があるならば今年だけは墨染めに咲け

   (『古今和歌集』収録)

  この歌により桜が墨色に咲いたので、その桜を墨染の桜と言う。

  東大寺が平重衡たいらのしげひらによって焼き討ちされた後、西行は依頼を受けてその再建のために陸奥の藤原秀衡ふじわらのひでひらの許へと砂金勧進の旅をした。

  その旅で使っていた杖がこの墨染の桜の杖であり、通りがかったこの場所に貴船の神を安置した際、西行はその傍らにこの杖をさして歌を詠んだ。

   深草の 野辺の桜木 心あらば 亦この里に すみぞめに咲け

    :深草の野辺の桜木よ、心があるならばふたたびこの里に墨染めに咲け

  するとこの杖は芽吹き、今に伝わる墨染めの桜となった。


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滋賀県米原市醒ヶ井

 西行水・泡子塚

  とある泉のほとりで西行が一休みしていると、茶店の娘が西行に恋をした。

  西行がその場を発った後、娘が西行の飲み残した茶を飲み干すと、不思議と妊娠してしまった。

  娘はその子を産み、育てたが、後に西行が再訪した際にその話を聞くと、西行は「茶の泡から生まれたならば泡に戻れ」と念じながら以下の歌を詠んだ。

  水上は 清き流れの醒井に 浮世の垢を すすぎてやみん

   :上流より清き流れの醒ヶ井であるならば、

    浮世の垢(=子)をすすいでなくしておくれ

  すると、その子は泡と変じて消えてしまった。

  西行はそれを受けて、これは自分の子だと石塔を築いたという。


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大分県の由布嶽ゆふだけの話は崇徳院の墓参りの説話における、「」パターンの西行と同様のイメージをまとっていると思われる。

ただし、言葉選びを間違えたというエピソードになる辺り、『撰集抄』で人を作ったエピソードと同じように、完全なる超人としては描かれていない。

また、長野県の西行の杖突桜と千葉県の墨染の桜は空海の伝説にも近いものであるし、類話が説話集にも収録されている。


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『古事談』 巻三 僧行

二 東大寺華厳会けごんえの事

 東大寺で三月十四日に大規模な華厳会けごんえと題される法会が行われた。

 仏の前に高座を作り、その上で法師に華厳経けごんきょうを講義させたが、法会の中ほどに高座から降りて後ろの戸から逃げ出してしまった。

 古老が伝えて言うには

 「昔、東大寺建立の折には鯖を売る老人がいた。

  天皇がこの老人を召して、大規模な法会で講義をさせると、この老人が経机の上に置いた鯖は八十巻の華厳経となった。老人は講義をしている間はサンスクリット語で話、法会の中ほどで高座の上から突然消え失せてしまった。

  鯖を背負うために使っていた木は大仏殿の東面の老化の前に突き立っていたが、たちまちに木となって、枝葉を生じ、柏槇びゃくしんの木となった」

 今の世の件の法師も法会の中ほどで逃げ出してしまった。

 その柏槇びゃくしんの木は平重衡たいらのしげひらによる焼き討ちの際に燃えてしまった。


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また、茶店の物語については、僧に懸想する娘という設定が清姫伝説を思わせる

その一方で、神話における一夜孕ひとよはらみにも通じそうな異常誕生譚でありながら、その子が成人となることはなく、西行によって消えてしまう。

それは相手が色恋というものを罪とした仏教の僧である西行であったからというのが一つ。

同時に、すでに時代が神代ではなく、中世以降とされたことであることも一因だろう。

西行は神ではなく、仏教の僧でしかない。それはすなわち結局のところ、人の範疇に収まる者ということだ。


※一夜孕み

 異常誕生とまでするほどかというと、微妙ではあるが、一夜を共にしただけで妊娠する場合、物語上その相手は神あるいは神に類するものとされる。『古事記』の邇邇芸ににぎ木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめもそうである(ただし邇邇芸ににぎがこれを信じなかったので木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめは自ら産屋に着火する)

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