第8.5話 堕に至るまで
あれはまだ俺が人間だった頃である。当時の俺は醜い顔した子どもで鏡で見る自分の顔はとてもひどかった。目元は腫れたように膨れ上がり、鼻は潰れ、口の歯並びも、耳も、頭の輪郭でさえ何もかも嫌いで嫌いで仕方なかった。綺麗な顔した子に産まれたかった。その思いにふけるたびに綺麗な顔立ちをした子を見ると自分の奥底にあった羨望の高鳴りが蠢き出てくる。
対照的に俺を見る目は蔑み以外の他になかった。気遣う人間、近寄ってくる人間は、そんな俺を自分の優越感を満たすために使う。馬頭し、貶し、侮り、蔑み、馬鹿にする。実の親はというとただただ謝るだけだった。産んでしまった私が全て悪いと、やっぱり俺のことなど分かっていない。その言葉は俺が一番嫌いだった。まるで産まれてくるべきではなかったと、遠回しに言われているようで苦しかった。
(ああ、いやだいやだいやだ。なんなんだ? この目は、この鼻は、この耳は。全部この顔が悪いのか。でも仕方ないじゃないか。俺だって馬鹿にされてたくて、貶されたくて、こんな顔になったんじゃないのにっ)
涙を堪えようにも止まらなかった。そんな泣き顔も酷くて惨めなのだろう。ああもう、自分がもっと嫌になる。
「お願いだからこれ以上、俺をおかしくさせないでくれ」
いや、もう遅かったんだ。とっくに俺は壊れていたんだ。
(なんだ? その蔑んだ眼差しは。なんだ? その憐れんだような目線は)
次第に自分と他者の卑下を混同させ始め、そして俺の心は他者への憎しみへと徐々に傾き始めた。
(ああ、憎い憎い憎い。なんだその澄ました顔、優越感に浸る表情は。誰がこんな顔になりたいと思って生まれてきたんだっ)
その時から俺は、責める対象者を求めた。全部そいつに非があると預けてしまえば気が楽になると思ったからだ。
(なんでこんな顔で産んだんだ。この顔のせいでどんな思いにさらされたか。誰のせいだ。俺をこんな姿にさせたのは。失敗作の原因は……だぁれ?)
その要因に辿り着いた結果、俺は最大の過ちを犯した。母親を殺めてしまったのだ。手に残った肉を突き刺す感覚を知った頃には遅かった。何かにとらわれていた俺はもはや人間ではなかっただろう。とても酷い顔をしていたに違いない。
我に帰った俺はひたすら喉元から血の気を感じるぐらいまで叫び続けた。
「ああああああああああああああああああああああああ」
そしたらなんだかもうわからなくなってどうでもよくなってきて完全に壊れた。醜い身体と心を纏った俺は、ふと思ってしまった。
「心も身体も汚く汚れてしまった俺には浄化が必要だ。身も心も綺麗になって生まれ変わろう」
すると、幻想じみた欲望を抱いた俺の前にあの方は現れた。あまり覚えていないがその方は叔父の姿をしていて俺に誘惑するように囁いたのだ。
「お主の望み、この儂が叶えてやろう」
「なんで、俺の望みを知っている?」
「いやいやがお主が儂に願いを差し出したではないか」
「そんなことあるのか? お前は一体?」
「儂はお社じゃ。切望する人の願いを叶える存在である」
「本当に、叶えてくれるのか?」
「ああ、その代わり条件がある。願いの代わりにお主は堕人として善良な人間どもを狩るのだ。故にお主には堕人を増やす手助けをしてもらう。どうだね?」
「わかった、だから早く俺を」
返答に迷いは一切なかった。だってもう惨めな思いになるのは厭だったから。そして俺はこの力を得たのだ。
お社という老人は俺に『模倣』という力を与えてくれた。
「お主が羨む人間を喰えば、そいつの身も心も全てお主自身のものになる。さあ、存分にその力に溺れるがよい」
言われる通り堕人となった俺は捕食した。俺が喰う人間は決まっている。性別は関係なかったが、ただ俺は純真無垢な人間を求めた。初めて喰ったときの味はこの上なく不味かった。食感はいいのに生臭さで台無しだ。けれど身体が、醜い顔が、綺麗になっていく。希望と夢に溢れた心によって穢れた心を浄化していく感覚に満たされた。嬉しかった、初めての高揚感に狂おしいほど酔いしれた。そこから俺は貪りつくしたのだ。
しかし、半年近くが経ったある日の黄昏時。俺は教室の窓から部活動をする人間を眺めていた。やっぱりおかしいと思った。心当たりは自分自身にある。欲の頻度が高くなってきている。いや、満たされる時間が短くなってきている。心を満たす優越感や高揚感は、服用し続けた薬みたいに効き目が薄れていた。だから喰ったそいつに代わってそいつ見たく過ごしていると、そいつよりも魅力的な人間にすぐ出会うのだ。嫉妬に芽生えた俺はそれから男の命を頬張った。
そして今までで最高の者に今こうして出会えたのだ。人間しか喰ったことがない俺が、天使を喰ったらどんな感情に満たされるのだろうか? 早く知りたい。感じたい。手に入れたいっ。
「さあ俺に奪わせろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます