第8話 真偽2

 身体が熱くなって動揺している心を、冷たい空気が充満する廊下で切り替え教室に戻る。クラスにいる同級生はというと、呆然としていて動揺していることが伝わってくる。零は自身の机に戻り周囲の様子を伺う。


(物色しているなら、周りを気にする素振りを見せたりしてもいいはずだけど、警戒しているのか?)


 神島に言われた通り、クラスメイトの一挙一動に注意を寄せる。しかし、一人一人の様子を普段から見ているわけでもないため、急にどこか違和感を探せと言われても先入観が邪魔をして難しい。いや、きっとこれはただの言い訳だ。本当は知っている顔が堕人だって認めたくないんだ。でも、それが判断力を鈍らせていることぐらいわかっている。


 そして、一日、二日、三日。決定的な点は見つからず時間は過ぎていく。


 ただこの数日で一つだけ気づいたことはある。普段周りに意識を向けていないからか俯瞰してみる凪は、ぼんやりしていてなんだか眠そうである。それでもたいしたことではない。夜更かしをしていたとか最近忙しかったからとか思いつくことならなんでもある。


「凪、帰ろう」


 いつものように誘う。前席の廊下側に座っている凪は、一点を見つめていた。


「な、ぎ?」


 聞こえなかったのか、近寄り声を掛ける。その声に反応した凪は、虚ろな目に光が灯り返事する。


「ごめん、今日は用事があって」

「っ、放課後、なんの用事があるの?」

「……」


 少しの間の沈黙は体感的にはとても長い沈黙で、疑っていないのに、何故か焦りみたいなものが湧き上がってくる。


「その。今日は穂口さんと一緒に私の家で遊ぶことになったから」

「そう、なんだ。またね」


 安堵の思いが足先から体中をめぐっていく。あの沈黙が怖かった。けれどやっぱり凪はいつもの凪だ。放課後になって、学校の屋上に向かう。屋上には下校する生徒を見渡す神島がいた。風で靡く黒髪は美しく、女の零でも見惚れるくらいの優美さがある。


「神島さん、やっぱりわかりません」


 神島は、呆れたような溜息をする。


「私がお願いしたのは、確定ではなく特定。何か不審な点はなかったの?」

「ないです。そんなこと」

「よくもまあ、そんな簡単に言い切れるわね。貴方には親しい友人はいるかしら?」

「いますけど。なんでそんなこと、聞くんですか?」

「私情に挟まれてはいけないわ。人は、自分に近しくて親しい人ほど懐疑心、警戒心は薄れる。名前を知っている顔見知り程度のクラスメイトよりも、長い間、親交のある子がいるのであれば、貴方はその子を堕人の枠から外すでしょう。仮に疑ったところで真実を受け入れずに、今そこにいるその子が自分が知ってるあの子だと、むやみに認識するかもしれない。だって人間は、自分にとって都合の悪い事実には目を背けたくなるもの」

「そんなことは……ないです。だってあれは紛れもなく本人で。だってそんなの」

「ずっと一緒だった友人なのでしょ? なら一番そばにいた貴方が気づかないはずがないわ。本当は気づいているんでしょう?」

「……」


(確かにこの数日、凪の様子がいつもと変だと思うところはあった。ぼんやりしたままで無表情で、なんだか血が通ってない感じがしたけど。でもそれを認めたらどうなるの? いつもと違うところがあったからって、凪が堕人であると特定にはならない)


「でも疑いはあるのね」

「……」

「なら後は突き止め、化けの皮を剥がせばいい。さあ、急いで一緒に探すわよ」

「……」

「その子、何処にいるかわかるかしら?」

「……穂口さんと遊ぶと言ってました」

「早く探さなければその子も喰われるわよ」

「……」


 最悪な状況を考えて行動することは正しい。けれど、納得できなかった。


(なんで神島さんは凪が堕人と決まったかのような物言いをするの?)


「しっかりしなさい。貴方、堕人を庇う気?」

「庇っていませんっ。私は凪を庇っているんです」


 その後は気が動転していて何も覚えていない。神島さんはというと、すでにその場にはいなかった。


(ああ、そうだ。私、呆れられたんだ)


 彼女に言われたことが蘇って身に染みる。


「もういい。後は私だけで捜す。貴方は、そこで何もせず誰かが喰われるところを見てればいい。最愛の友人がそうじゃないと自分の理想の中で閉じこもっていればいいわ」


 零の身体は未だ動けず踏み込める勇気も未だ整っていなかった。


――――――


 その頃、神島は、脚を動かし懸命に捜していた。しかし、見当たらない。それもそうである。人が密集しているところは限られていて、そこかしこは森で形成された未知の世界なのだから。


(ちっ、事前に訊いておくべきだったわ。彼女たちの容姿を。単純に考えたら、家にたどり着く前に捕食される可能性が高い)


――――――


「…………」


 沈黙が続く。このままじゃいけないことは分かっている。凪が堕人だと決まったわけじゃない。でも命が狙われているのは確かだ。そんな誰かを自身の私情で死なせるわけにはいかない。だからと言って認めるわけではない。確かめるんだ。状況と心境を整えて前に踏み込む勇気を生成する。


「何が事実か突き止める。あれは凪で私が知っている凪だと証明させる」


 一つの区切りをつけ、落ち着きを取り始めた零も神島に続いて凪を捜しに行く。


 ――凪の通学路を駆ける。市街地から離れていることもあって、零以外に歩いている人間はいない。電灯もなく、いかにも見捨てられ整備されていない道である。この先には確か二階建ての木造家屋が並んでいてその一つに凪の家がある。


「久しぶりに来たな」


 凪の家に来たのは、一年ぶりである。早速、ドアを叩くが返事はない。鍵も締まっている。


(いない、帰ってきてない。なんで)


 焦る。疑う。焦る。疑う。違う。疑う。違う。疑う。疑う疑う疑う疑う疑う。


 零は自分の親友が堕人であることを認めたくない自分と、自分の親友がクラスメイトを捕食しているのではないかと疑う自分で葛藤していた。


(一体何処に、凪が行きそうな場所……あそこしかない)


 心当たりのある場所と言えば、昔よく二人で遊んだ廃墟があった。凪の家から廃墟の距離は近い。その廃墟は幼い頃、二人で森を探索した時、見つけたものだった。確か来た道の森を抜ければそれはあったはずだ。記憶を頼りに急いで入り乱れた森を潜る。枝を掻き分けあの場所へと。


「あった。あったけど記憶にあるものと全然違う」


 その廃墟は元々寺院であったが、成長した樹木と同化していて自然が作り出した創作品みたくなっていた。


 大木に呑まれた寺院に足を掛け中に入る。所々見られる風穴から突風が吹き付ける。


(……鉄の匂いと腐臭がする)


 恐る恐る前に進む。木々は寺院の中にものめり込んでいて歩きにくい。この先を抜ければ確か本堂があった。きっとそこに行けば足場は確保できる。前進するにつれ目の前は薄暗くなり、次第に錆びた鉄のような匂いは濃くなっていく。


(私はこの臭いを知っている。知ってしまった。忘れたくても忘れられない鼻を衝く嫌な臭い。ここはあまりにも死に満ちている)


 本堂は、暗くてよく見えない。だが何かがいることは分かる。お香のように漂う血の香りが新鮮で生の実感を強く感じる。まるで匂いに釣られて集る虫のように吸い寄せられ陶酔させられる。ならこの先にいるものは、きっと此処に居てはいけないものだろう。鍛錬で敏感になった感覚が神経を通じてそこにいると知らせてくる。


「一体、誰に化けているっ!」


 暗闇に問いかける。零の思いを受け取った陽の明が存在確認をする。光は、寺院の木の隙間、同化した大木の樹洞から差し込んで……零の疑念は特定という段階を飛び越えて確信へと変わった。


「……っあ」


 その正体を見て絶句する。想像したくもなかったし認めたくもなかった。けれど、そこにいたのは充血した鋭い眼光でこちらを睨めつけ、穂口さんを喰う少女の姿であった。


「な、んで、凪が。嫌だ。凪。やめて、凪」


 四肢がもげ、達磨のようになった同級生。その周りには、人骨と腐りかけの人肉が横たわっている。腐臭がひどくて吐き気がする。愕然としている零に堕人となった凪が、凪の声ではない声で返事をする。若い男の声だった。


「……凪はもう、お前が知っている子じゃない。とっくにその子は俺が捕食し、この身体、魂諸共、全部俺のものになった」

「じゃあ私の知っている凪は、とっくに死んだってこと? いつから私は堕人と」


 突きつけられた事実に呆然とする。


(私は凪の異変に気づきもしなければ、これが本当の凪であると認めてしまった。私は凪の何を見ていたんだ。一番近くにいて一番仲が良かった親友の何を)


 思考が止まった零を置き去りにして、ことごとく堕人は人間を馬鹿にする。


「お前のクラスメイト、いや、この世界にいる人間は間抜けばかりだ。まんまと従う。疑いもしない。たかがクラスメイトぐらいの接点しかない者をここまで信頼するとは。まあ、その人間の甘さ、愚かさに期待してたのもこの俺だ。おかげでこの身体を貰うことができた」


 罵ったその台詞に怒りが込み上げ呆然自失となった身体と心は我に返る。


「ふざけるな。返せ、凪を。凪の姿で人を喰うな。喋るなっ」

「は? うるせえな。おめえも喰ってやるよ。ばれた以上、ここでお前も捕食しねぇとな」


 堕人は凪の口に両手を突っ込んで裂く。深く裂けた口回りから血が垂れる様子は、食事に夢中で唾液を垂らした幼児を連想させる。何で口を裂いたのか全く理解できない。その様子に後退りすると化け物は叫び出した。鼻濁音の叫び声は耳を覆いたくなるほど五月蠅くそれは十秒近く続いた。


「あががががががががががががががががががががががががががががが」

「うるさい。っ!?」


 その叫び声に共鳴するように無残な姿と化した同級生の肉片がピクピク反応し、合わさりあって人間の形へと変化していく。最終的に鋭い爪を要した人間のような人形は、零を標的に一斉に向かってくる。


「なんて酷い。許せない」


 怒りの思いが心臓の鼓動を早くする。


 ――どく、どく、どくどくどくどく――


(朱雀さん、力を貸してください!)


 瞬間、右手から閃光とともに熱を発する。熱が冷めるとそこにあるのは鍛錬で生み出した日本刀。


「ほう、お前、天使か」


 襲ってくる操り人形の数を必死に目で追い、斬り落としにかかる。前から突っ走ってくるものは三体。生気を失った顔は見覚えのあるかつての同級生、木下さんと上本君だ。もう一人は顔が裂けた女性だった。蟷螂カマキリのような鎌は、触れれば一瞬で裂かれるほど鋭く先端は尖っている。生憎今は、制服姿で無防備と何ら変わらない。


「大丈夫、稽古を思い出せ」


 ギリっと唇を噛み、両手で柄を握りしめる。急接近してきた一人の女子同級生が鋭利な鎌を振りかざす。伸びる鎌を紙一重で躱し腕、脚と斬り落とす。剱の切れ味は、動く物体を容赦なく一つの部位にさせる。崩れ落ちる女の身体。その陰から男子同級生の鎌が勢いよく突き刺してくる。一点の光点は一線になって頭部に迫ってくる。目を見開いた零は、身体を捻り軌道を避け、同じく腕と脚を剱で斬り飛ばす。そして、残った最後の女人形も同じく捌いた。結果、計六本の肢体と動けなくなった三つの図体が血だまりに浸かっていた。


「はあ、はあ、はあ」


 死体に耐性のない零は、緊張感と疲労感がどっと溢れる。初めて人を斬った感触。頬を伝うものが汗だと思い、手で拭うが紅い汗が手の甲についた。掠り傷を貰ったことに冷や汗を掻く。

 しかし、先ほど無効化したはずの操り人形の腕や脚は、結合を繰り返し三倍程の大きさになって立ち上がってくる。


(っ。どこを狙えばいいんだ?)


「くくく。そのまま、死ね」


 リベンジと言わんばかりに三人の身体が結合した一体の女人形が、零を目掛けて走ってくる。


(考えろ。四肢や胴体を狙っても回復するのなら……心臓か脳を狙うしかないっ)


 剱を構え、再び対峙する。その時だった。


「嫌だ、消えたくないよ」


 それは、聞き覚えのある木下さんの声だった。動きが止まる。


(だめだ、落ち着くんだ、躊躇ってはいけない)


 戸惑いをかき消し生命の弱点である心臓を目掛けて突き刺した。


―――痛い、痛、い、痛いよ―――


「はあ、はあはあ」

(心臓を刺しても死なない。なら後は……脳)」


―――助けて、やめて、やめて―――


 記憶にある声音は零に必死に訴えかけてくる。


「はあ、はあ、はあ。ごめん。でもこれ以上そいつの思い通りにさせられない」


 助けを求める声は、静かに消えた。そして残りの一人、凪に剱を向ける。


「あいつら、まだ自分の意識が残っていたのか。それもそうか。俺は俺が支配できる肉の割合しか喰わねぇ。人肉は俺には合わないからな。だから、少しばかり本人の意識が残っていたのに……最後はお前が殺したんだ。なんて可哀想な同級生たちだ」

「黙れっ」


 感情を殺し、凪と化した堕人に突き進む。だが、凪は余裕な表情をしていて口角が上がっていた。


「殺すのか。今、俺が主軸にしているのは凪だぞ。凪の魂は、俺の中で生きている。お前がそれでも殺すのであれば、お前は大切な親友も自分の手で殺すことになるんだ。俺に喰われ親友にも殺されるなんて哀れだな」


 零は立ち止まってしまう。張り詰めた殺意は薄れ、それと同時に剱も消え始める。


「どうした、他の同級生はあんな容易く斬り裂いたのに、親友になると殺せないのか? あっけなく殺された同級生たちも哀れだな」

「っ――」


 声にならない悔しさに満ちた表情で、立ち尽くしながら苦悩する。


(殺さないといけない。あれは凪じゃない。堕人だ。けれど殺せない。私は殺せない。凪を殺したくない。戦えないよぅ)


 敵意を失った零の剱は完全に消失してしまう。隙を狙った堕人は、凪の腕を何倍にも伸ばし、首を掴むと天井へと高らかに上げる。


「がっは」

「どうだ。ずっと一緒だった一番親しい人間に、信頼していた人間に、姿、形そのままのあの子に殺され、喰われる運命は。お前も凪も屈辱的だなあ~。さあ、俺にその身体を。天使であるお前は、人間よりも魅力的である」


 凪の手は尋常じゃないほど強くて冷たかった。空気の軌道が狭められ意識を持っていかれる。そんな凪の顔は笑っている。


(ああ思い出す。自分よりも優れた人間を見ているとやはり欲しくなる。ああ、あの時自分を変えてくれたのはやはりあの方のおかげだ)

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