第7話 真偽1
具現化成功から三日が経つ。寒さも本格的になってきた日常に思いもよらないことが起こった。それは、行方不明だったはずの木下さんが教室に帰ってきたことだった。
実に約二か月半ぶりのことであった。
零はその様子を見て驚く。皆の輪の中心にいた木下さんの様子は、至って普通だった。身体は無傷で、表情も明るい。まるで事件の被害者ではないような顔つきである。
だから、疑問を抱いていた。確かに目の前にいる木下さんは顔も声も本人なのだが、何故こんなにも普通な表情をしていられるのか不思議でならなかった。それともう一つ。木下さんは無事なのに上本君の安否が分かっていないことが最大の疑問点であった。零は小さな脳みそを動かして必死に考える。
(どういうこと? 犯人は、一人じゃないの? 神島さんは堕人の仕業だって断言していたけれど、よくわからない)
――帰りの鐘が鳴る。HRが終わってもなお、皆、木下さんとの話に夢中であった。零と凪はというと教室の温もりに別れを告げ、今にも雪が降りそうな配色の雲の下を歩いていた。
相変わらず捜査の手は緩んでいなかった。ということは犯人は捕まっていないということなのだろうか? 考え込んでいる零に凪が話しかける。
「零、木下さんだけど」
「どうしたの?」
――――――
「……そうなんだ」
凪は、昼間、木下さんに勇気を持って何があったのか訊いてみたと言う。だが、本人には記憶がないようで事件の真相は親も警察も分からないとのことだった。
「じゃあ、犯人は捕まってないってこと?」
「……うん」
ただ凪の話を聞いて木下さんに申し訳ないと感じた。おそらくあの時の木下さんの笑顔は過剰なストレスが招いたんだと……。
一つの道が二つに分かれる。自分と凪が分かれる二つの道だ。
「また明日、凪」
「うん。また明日、零」
「……零は、元気だね」
凪は、別れの挨拶を終えてそそくさと市街地に消えていく零を眺めて、そう呟いた。いつも近くにいるからだろう。最近の零は、少し違って見えた。
「零は、何か変わったね。成長して逞しくなったのかな。零からは私がどう見えてる? 私も成長しているといいな。……あ、忘れ物」
溜息をつく。下校途中に思い出すとは、取りに戻りなさいということなのだろうか。幸い此処からなら数分程度で戻れる。
(うーん……仕方ない)
少し考えて凪がとった決断は、急いで忘れ物を取りに引き返すことだった。
――――――
その頃、零は家に帰宅すると真っ先に今朝の出来事を神島に伝えに行った。
「貴方、今その子は何処に」
今朝の話に対して居間に座っていた神島は深刻な顔で問いかける。
「私が教室を出た時にはまだ教室にいましたけど……今頃学校に生徒はいないと思います」
零は時計の針をチラッと確認する。時刻は午後五時過ぎ。未だ学校側は部活動禁止を続行しているため、全生徒は午後四時までには完全下校させられていた。
「きっとそいつ堕人だわ。何故戻ってきたのかは知らないけれど不自然だわ」
「でも本人であることに間違いないはず」
「いや、それがそいつの異能術だわ。捕食した人間に成り代わることができるのよ。当然、見つけられないわけだわ」
「じゃあ、本物の木下さんは……」
「おそらくとうに死んでるわ。男子生徒もそいつに喰われた可能性が高い」
「でも本当に堕人かどうかなんて、もし本人だったら……」
「明日、その子を監視するわ。そして、化けの皮が剥がれたところを確認できたら直ちに討伐する。いいわね、零」
「……はい」
――――――
朝になる。怖い朝だ。クラスメイトの中に堕人がいると思うとゾッとする。でもこのままにしてはおけない。堕人かどうか確かめるためには見極めないといけない。
教室の扉の前に立つ。初めて学校に登校した時を思い出す。今日は、それによく似ている。クラスの雰囲気に馴染めなかったあの感じがぶり返したようだ。それでも隣にはいつもの凪がいる。ふーっと息を吐き覚悟を決める。
肝心の木下さんはというと……その姿は何処にも見当たらなかった。鐘の音がなっても登校してくる気配はない。
「どういうこと?」
考え込む零にまたしても先生から衝撃的なことが告げられる。
「木下だが、昨日から家に帰っておらずまたしても行方不明になった」
(は? 訳が分からない。たった一日で何があったんだ。いや、落ち着いて考えよう。神島さんは、捕食した人間に移り変わることができる異能術と言っていた。なら考えられることは昨日の帰りに誰かが犠牲になったんだ。じゃあ、一体誰に成り代わっているんだ? まずい。また犠牲者が増える。一体誰が、堕人なんだ?)
零は、HRが終わると教室を飛び出す。今は学校どころじゃない。
(早く、神島さんに、伝えないとっ)
と思ったのだが廊下を歩いていた女性を見て立ち止まる。その女性は場違いな服装=袴でこちらに向かってくる。
「神島さんって。早くこっちに」
二人は場を屋上に移した。
「そんな姿でいたら天使だってバレますよ」
「別に、とっくにバレていると思うわ。それより木下って子の様子は?」
「それが……」
――――――
「ちっ、遅かったか。でも教室内に堕人がいる可能性は高いわ。きっと、女子生徒に化けてまで学校に登校してきた理由は、教室にいる人間を物色していたんだわ。一体、いつから教室内に紛れ込んでいたのかしら」
「じゃあ、少なくとも行方不明になる前から木下さんは堕人で、いつの間にか本当の木下さんは、堕人に喰われていたってことですか?」
「そうよ」
「なら、木下さんと上本君、二人とも行方不明になっている時、堕人は……」
「それは堕人が一人に成り代わっているときだけ、誰かがいなくなっていたのよ。つまり、いつかは知らないけれど、木下に成り代わった堕人が上本を喰った。それにより堕人は一時的に上本に化け、木下は行方不明扱いされた。そして、貴方の教室内でその二人が行方不明になった時は、上本に化けた堕人が教室外の人間を捕食したのでしょう。けれど、気に入らなかったのかしら、再び木下に変わってクラスの誰かを標的とし捕食したってとこかしら」
「堕人はなんでそんなことを」
「天使として認めた貴方に言っておくわ。堕人はね、元々何かを抱え込んでいた人間が悪感情に堕ちた人を指す。悪感情を持つことは悪いことではないわ。それは人間だけが持つ唯一の感情だもの。けれど、人間は善と悪を持ち合わせているからこそそこに付け入る者がいる。私たちはそいつを『お社』と呼んでいる。お社は堕人を生み出す元凶で、悪感情を持つ人間を誘惑し、堕人となった人間に、人を殺害、捕食することを命じる」
「お社、そんなものが……」
「まあ、今回の堕人の悪感情はおそらく、自身の容姿と深い関係がありそうね。きっと嫉妬よ」
「でも、誰が堕人なのかどうやって」
「根本的には変わらないわ。特定する作業が出だしに戻っただけよ。貴方のクラスメイトの変わったところ、違和感を探るの。顔や声は同じでも言動や挙動は、必ず堕人自身の特徴が浮き彫りになるはず。そのためには零。貴方が要よ。そして、疑わしい者を特定し堕人と確信できた場合、抹殺する。これ以上、野放しにしていたらまた犠牲者が増えるわ。好き勝手にはさせられない」
「……わかりました」
「頼んだわよ、お願いね」
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