第6話 具現化2
翌朝。行方不明事件は、さらに事態を悪化させていた。またしても零のクラスメイトである
同級生の上本和也という少年は、耳まで伸びたくせ毛の多い髪が特徴的で、前髪の隙間から見えるキリっとした目が特に女子には好評だった。彼もまた木下さん同様クラスの人気者の一人で、スポーツ万能、頭脳明晰、眉目秀麗とまさに三拍子揃った人物である。
警察の捜査も空しく二人の安否も犯人の手掛かりも掴めていない。立て続けに起きた行方不明事件により学校側は、一週間の臨時休校という対応を取った。今日はその報告のみで午前中に帰宅することになった。町には警備にあたる捜査員が以前よりも多く見受けられた。
その様子を見て隣にいる凪がぼそりとつぶやく。
「堕人の仕業だよ」
こんなに捜しても見つからないというのならやはりこの事件には堕人が関わっているとしか思えない。そうである以上、先生も言っていたが人間には手がつけられない。認めたくはないが凪の意見には頷くしかない。
「そうかもしれない。けど天使がきっとなんとかするよ」
その言葉は、自分に向けて言った言葉でもあった。そのためにも剱の具現化をできるようにならなくてはならない。
「そうだといいけど……」
冷静な凪も不安な表情をしている。不安が拭えないというのはなんて生きにくいものなのだろう。早く解決しなければいけない。凪と別れた零は、すぐさま神島のいる屋敷へと向かった。
「神島さん、唐突ですけど例の行方不明事件を知っていますか?」
居間でお茶を飲んでいた神島は、当然と言わんばかりに返事をする。
「血眼になって捜しているようだけど、その事件の犯人は堕人だわ。けれど、今だ堕人の行方を特定できてはいない」
「どうしてですか。私の同級生が二人も被害に遭っているのに」
「被害者は、貴方のクラスメイトでしたか……。とりあえず貴方は剱の具現化に励みなさい。私は巡回にあたるわ」
そういうと神島はどこかへ姿を消した。一人だけになった零は鍛錬に始められる心境ではなかったが、今できることは限られている。零がやるべきことは、この乱れた心を落ち着かせ、鍛錬に取り掛かることだ。
――――――
それからどのぐらい経ったのだろう。淡い障子の表面を照らす陽の光は、穏やかな蜜柑色で、ふと見た時計の針は六時を指していた。神島さんはというといまだ帰ってきておらず、休憩を挟んで何度目の瞑想に入るのだろうか。おかげでだいぶ雑念のない心を維持することができるようになっていた。瞑想を止め目を開く。すると目の前には神島の姿があった。
「っ、いつの間に」
「気づかないぐらい集中していた証拠だわ。その調子で極めなさい」
「はい。その、何か堕人について掴めましたか?」
「いえ、何も。ですがこれほど捜しても見つからないと言うことは、おそらく堕人は何かしらの異能術を用いている」
「異能術?」
「そのままの意味よ。堕人の中には術を使って人間を喰う者もいる。異能術の多くは、堕人になる前の人間性や悪感情と深い関係があるわ」
では一体、人間であった彼らは何を経由して堕人になるのだろう。悪感情を抱くことは自分にだってあるし、負の感情を抱いてしまった時点で堕人になるのなら大変なことだ。他にも疑問に思うことがあったが、神島さんはそれ以上話してはくれなかった。
「貴方が聞きたい情報は、貴方が具現化できるようになって天使として認められてからよ。そうしたら知りたいこと、必要な情報は教えるわ。今日はもう帰って、また明日稽古に励みなさい」
――――――
登校再開日になった。とうに夏の残暑の面影はなくなっていた。結局、一週間の臨時休校は、全て鍛錬に費やされた。しかし、物騒な事件がもたらしてくれた休みは、家で安静に過ごすだけのただただ苦痛な日々だった生徒が殆どだったろう。それに比べれば零の休みの使い道はとても充実していたと言える。だからこうして登校する時でも妄念のない澄み切った呼吸が、零の心に落ち着きを宿してくれる。
教室に入る。現状は変わらず二人は行方不明のままだった。皆、不安は吹っ切れていないようだが、前に進もうと登校してくる。きっとそれは時間とともに安心感に変わっていくのだろう。殊更何もない休み明けの学校は静かに終わりを告げた。
家に着くと否や生活の日課となりつつある鍛錬に勤しむ。具現化までの最終課題を課せられた零は、呼吸の意識を腕に持っていくのみなのだがそれは非常に難しいことであった。ならとその意識の転移ができるまで呼吸の精度を極め続けていった。
その日を境に第三の被害者が生まれることはなかった。
――――――
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:
それから二か月の時が経つ。依然として行方不明事件は解決されていない。だが、世間はいつもの日常を取り始めつつあった。それは、教室内も同じで二人の安否について諦めてはいないものの、やはり時間という時の流れは、心傷の最大の癒しである。そしてその歳月によって、零の努力も報われ始めていた。
十一月二十九日、冬の昼間。地面に沈殿した昨夜の寒さが陽の光で緩和された頃。畳の匂いがほのかに香る道場で零は目を瞑り、自己の世界に入り込んでいた。瞑想の質をさらに高めていった零にはもう意識という概念はなく、あるのは二つの感覚だけであった。それは外側の感覚と内側の心情である。
(風の音に虫の音。遠くの音が鮮明に聞き取れる。身体に触れる空気の感触、動きを感じる)
そして、自分自身の内を見つめ直す。
(私の内にあるもの。これには絶対の確信がある。私の心にあるのは……そう、私と朱雀さんの使命感だっ)
それに応えるようにその努力は開花する。
(何だろう。血液が手先まで駆け巡る感覚がする)
その瞬間、ビリビリと右腕が疼き掌に閃光が灯る。目を見開くとそこには一瞬だけ剱の形状が見え、残像のように消えていった。
「あともう少しでできる! もう一回!」
コツを掴み始め幾度となく繰り返すと剱の具現化はいとも簡単にできるようになった。
「で、できた! できましたっ。神島さん」
遠くでその様子を見ていた神島に、零は興奮した声で伝える。その様子を見ていた神島は、嬉しそうな表情を浮かべていた。零は初めて見る彼女の緩んだ優しい顔を見て何だか嬉しくなった。
「頑張ったわね。これで貴方の疑いは晴れたわ」
「よかったです」
具現化した剱は、光沢の美しい立派な白の日本刀であった。
「貴方の覚悟は認めるわ。けれど剱の具現化は基本中の基本。これからは剱術の修練もしていくわよ」
「頑張りますっ!」
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