第一話 膨らむ期待に応えぬ現実
これはまずい。夏休みが終わり心機一転、今学期から遅刻なんてするものかと決心したはずが、一週間もすればこれである。
急がなければ。
なんとしても間に合わせてみせる。また遅刻かと鼻で笑うクラスメイトの姿が目に浮かぶ。
なんとも言えない悪寒が走る。
そして電車のドアが開いた瞬間、僕も走る。いや、そんなくだらないギャグをやってる場合じゃないのだ。もう時計を見る時間もおしい。「走れ!大空!」…メロスかよ。やはり時間が気になり、足をとめずに腕時計を確認する。
次の瞬間、僕は足を止めた。
学校まであと一キロ。
対して、始業時刻までの時間はあと一分。
それこそメロスでなきゃ間に合わない。
どうせ遅刻するなら走るだけ無駄だ。
先刻までフルスロットルだった、自分の体を労うかのように、それはもうゆっくりと歩き始める。誰一人いない通学路。この不思議な孤独感を味わうのはこれが何度目だろうか。
しかし、今日に限っては少し違った。一向に体が前へ進まないのである。いくら歩いても景色が変わらないのだ。ランニングマシーンの上を歩かされている感覚である。ふと時計を見る。
「8:29」
どうやら時間も進んでいない。いきなりのSF展開に読者と共に戸惑いを隠せずにいると、次第に景色が暗くなり始めた。と同時に、声が聞こえた。
「儂と契約しようぜ」
一人称と語尾があっていないそのセリフは僕の不安をさらに掻き立てた。声から考察するに歳は僕の父より少し年上くらいだろうか。
時間も景色も動かなくなったこの世界で、この声は誰が発しているのだろうか。未知への恐怖で僕の頭は真っ白だった。
「あー、大丈夫。怖くない。うーん、なんて呼ぶんだ?天人か天人だ。儂天人だよ。」
…神様?
「あ、それだ。そっちの方が正しいな神様です儂」
…言葉に出てないはずなのになぜ通じてるんだろうか
「それはお前さん。神通力だよ」
…神にしては、軽いな色々
「なんか言ったか貴様」
…だから言ってないんだよな
「ほー、言うの貴様。いや言ってないか。ともかくそれでだ、契約の内容なんだが聞いてくれるか?」
「ああ、聞かせてくれ」
友好的な神様の態度に、不思議と警戒心が解け、ようやく言葉を発する。これも神の力なのか。
「この通り、神としてやってる訳なんだけど、これ結構退屈でね? 儂も人間やってみたいなーと思ったわけだ。そこで君の人生を今日この瞬間から儂がやるってのはどうかなと。」
「そんな理不尽な話あってたまるか、僕の人生は僕のものだろ。大体なんで僕なんだよ、他に人いなかったのかよ」
「いや、今日あたり誰かに契約申し込もうと思
ってたんだけどな?そういう日に限って、寝坊するんだよ儂。それで慌てて来てみれば、いたのは君だけってことなんだな。」
…要するにこいつも遅刻仲間か
「ん?なんか言ったか?」
「いやだから、声に出してないからー。日本の憲法では思想の自由は認められてるぞ?」
今度は声に出してつっこむ。
「それでさっきの話の続きなんだが、もちろんタダでとは言わない。君の魂はどこへ行くんだーって話だもんな。それ言わないと人殺しみたいなものだもんな。それで、考えたんだが、異世界に転生するとかどうだ?転生させた後のことは構ってやれんが。」
……異世界に転生?
その言葉を聞いた瞬間、僕はもう舞い上がるような気分だった。
「異世界転生できるのか?僕。」
「お、したいか?だったらこの後のきみの人せ…」
「くれてやるよそんなもの!、させてくれ異世界転生!」
僕は、初めて遅刻した自分に感謝した。いや、正確には8:29で時間は止まり、まだ遅刻ではないのだが。
しかし僕もなれるということか。あんな主人公やあんな主人公のように。僕も異世界の住人に…!なんだかんだ備わる特別な能力。そして外せないのが美少女…。どうしよう、ワクワクが抑えられない。
やり残したことが…などという思いは微塵もなかった。そんなことより異世界だった。なにせ小学生の頃から憧れていたのだ。
「それじゃ、異世界転生するぞ。」
サーン
「うお、唐突な上、カウントダウン形式かよ」
ニー
「もう、なんでもいいや。早く異世界に…!」
イーチ
「行ってらっしゃーい」
「行ってきまーす」
あってまもない神様と、親しげな挨拶を交した後、僕は、柔らかいとも硬いとも言えないなにかに頭を強打し、気を失った。
しばらくして、ダイアは目を覚ます。寝起きか気絶後かの朦朧とした頭で状況を把握する。そうだ。僕は異世界に来たはずなんだ。
「異世界に着いたのか!」
独り言とは思えない大きな声を出して、辺りの様子を確認しようとする。
と、ここで重大なことに気づく。身動きが取れないのだ。文字通り四方八方が、壁に覆われている。そういえば先程の大声も不思議な響き方をしていた。
いや、覆われていると言うよりは、僕が中に入っているという方が適切なのかもしれない。なぜなら、その壁に覆われた空間は、ゆっくりと動いていたのだ。
そう、どんぶらこーどんぶらこーと。
足元になにか汁が溜まっているのに気づく。ダイアをそれを右の人差し指につけてそっと顔に近づける。感じたことのある甘い匂いが、鼻を刺激する。その匂いだけで、それがなんの汁か考察がついたダイアは、舌でその汁を舐めとる。その一つの考察は確信のある物へと変わった。
「……桃の中?」
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