第7話 剣聖の、実力?
走ると、待機所までの距離はそこまでかからなかった。
付近にまで辿り着いたルドルフは、足を止め、遠目に状況を確認する。
「あれは!」
「門に馬車が……ハァ、突っ込んでおるようだ、な……」
ハァハァ、と息を切らしながらもついてきたラストが端的に状況を口にする。
おそらく、広場まで聞こえてきた衝突音はこれだろう。
「うぅ、助け……」
半壊した木造の門の隙間から、ふくよかな男が這い出てきた。
ルドルフはその男のもとへ駆け寄る。
「どうした。なにがあった⁉」
「さ、山賊が現れて、馬車を奪われて、それで……ぐぅっ!」
激痛に顔を歪める男。
馬も伏したままの辺り、相当な衝撃だったのだろう。どこかの骨を痛めているかもしれない。
「はぁっ!」
男の介護をしているところ、門の向こう側から裂帛の声と激しい剣戟が響いてくる。
ルドルフとラストは、そちらへ注意を向けた。
「クライ……!」
当然のごとく、その視線の先ではすでにクライと山賊の一味が戦闘を繰り広げていた。
バンダナを巻いた数人の男たちが、寄ってたかって少女に歪な剣を振るう。
それらの攻撃を軽やかなステップで躱し、一本のみあえて受けていなすことで、意図的にひとりの相手の体勢を崩し、懐へ潜り込む。
「せいっ……!」
「ぐ、は……っ!」
その腹部への一撃で、ひとりは見事に意識を断たれ、倒れ伏す。
すでに幾人もの男たちが転がっていることから、同じような戦法で各個撃破を繰り返しているのだろう。
「この人数を相手に、なかなかどうしてやるなぁッ!」
そんなクライの剣戟に男たちがたじろいだところ、ガッハッハと胡坐を掻いて座る山賊の頭領らしき大男が豪快に笑った。
「あなた達、こんな村に何の用ですか」
「アー? おかしなことを聞く嬢ちゃんだなァ」
クライの問いに、大男はつまらなさそうに耳の穴を小指でほじくる。
「いいかァ? 俺たちゃ山賊だ。縄張りにあるモンは全部俺たちのモンだ。だからそこにあったこの村もこれからは俺たちのモンになる。分かるだろうォ?」
「わかりませんね。突然来ては、そんな横暴で幼稚な考えを振りかざされても」
「ガッハッハ、違いねェ! だが、物心ついた時にゃ俺たちはそうしなきゃ生きていけなかったもんでなァ。こーゆー生き方しか知らねェのよ」
「だからよォ」と大男がついに立ち上がる。
その身の丈は、大男なんてものじゃない。まるで山のような男であった。
「潰すぜ? 嬢ちゃん」
「クライ……!」
「まて、戦狼」
詰め寄る大男にルドルフが咄嗟に割って入ろうとしたところを、ラストに止められる。
「なぜ止める?」
「おぬしこそ何を慌てておる。ヤツは剣聖なのだろう? ならば、あの程度の
「そ、そうかもしれんが……」
「それよりも、余はこの目で生の剣聖を見るのは初めてなのだ。どれ、お手並み拝見といこうではないか」
この事態をむしろ好都合と捉えているらしく、ラストは期待感に目を見開いている。
反して、どことない不安感がルドルフのなかで渦巻く。
それは金猪子の時と同じような、あの予知じみた勘に近いもので──
「うおららぁぁぁッ‼」
ルドルフの逡巡など蚊帳の外に、大男が巨大な斧を振り下ろす。
剛力により放たれた一撃を先刻の相手同様、クライは剣の腹で受け流そうとするが。
「ぬうぅおうるあぁぁぁッ‼」
「くっ⁉」
まさしく力ずくというような圧倒的な腕力を前に、踏ん張りきれなくなったクライが懐に入れないまま、後方へ跳ぶ。
すると、振るわれた戦斧は地面を強く叩きつけ、落ちていた小石が飛礫となってクライへ襲い掛かる。
「ぐぅ……!」
「そらそら、まだまだァ!」
巻き上がった砂埃から、再び剛腕の戦斧が縦横無尽に振るわれる。
副次的に目くらましのような効果を発揮しているのだろう。
砂埃によって出所の見えづらくなった攻撃にだんだんとクライの対応は遅れ、防戦一方の展開となる。
「そらァ、もう一丁ォッ!」
「きゃあっ!」
そして遂に、力を受けきれなかったクライが、ガードした剣の上から吹き飛ばされ、派手に砂地を転がる。
そこでようやく、ラストも異変に気付く。
「おい、戦狼。なんか剣聖のヤツ、負けそうなんだが……?」
「言われなくとも、見てれば分かる!」
信じられないといった風のラストの指摘に、ルドルフは歯噛みする。
それは愛弟子が痛めつけられていることへの憤懣というよりは、不甲斐ない弟子に業を煮やすといった心持ちであった。
(なにをしておる、クライ⁉ その程度の相手おぬしであれば何のことはないだろう⁉)
いや、よくよく考えれば、最初からおかしかったのだ。
あの剣聖とも謳われるほどの者が、ここまでの間に山賊一味を制圧できていないこと。
各個撃破などという迂遠も甚だしい戦法で、幾人もの相手を取っていたこと。
何より、ここまでで<闘気>はおろか、魔法や魔力の一切を使用する気配がないこと。
少し考えれば、すぐに気付くことだった。
いや、いまでもその現実を受け入れ難い。
あの剣聖が、あの愛娘が、あの愛弟子が。
あのような怪力だけが持ち味の相手に手も足も出ない、現実を。
「ガッハッハ、噂は本当だったみたいだなぁ」
高笑いをしながら、大男はその噂を口にする。
「あの剣聖が、聖剣の力を失ったっつー噂はよぉ?」
「なっ……⁉」
それは衝撃の事実であった。
聖剣ノルン。
アルタレス聖王国に古くから伝わる、美しい水色の刀身をした、細剣の
かつてウルズの湖に沈んでいたとされるその聖剣は、王国の繁栄を築き上げた象徴として祀られ、【神託の儀式】と称して、十歳を迎えた子どもから【剣聖】という適合者を探す習わしが、遥か昔から受け継がれている。
そうして、数十年ぶりに新たな【剣聖】に選ばれた者が彼女、クライネス・クライノートであった。
「一体、どういうことだ……?」
ルドルフは事実を呑み込めず、困惑する。
聖剣はそれを持つ適合者に『加護』と呼ばれる、大いなる恩寵を与える。
それが、彼女が弱体化している直接的な原因であろうことは推察できるが。
(適合者ではなくなったということか? だが、あの子が手にしている剣は紛れもなく、あの聖剣だ)
「それに、聖剣の力が使えないのと<闘気>が使えないのとでは話は別じゃろうっ……!」
「戦狼、落ち着け。顔が怖いぞ?」
色々と腑に落ちないことだらけでルドルフはガシガシと頭を掻く。
ここで考えていても埒が明かない。いまは──
「じゃあ、そろそろ終わりにするか。それなりに楽しめたぜ、剣聖の嬢ちゃんよ」
「くっ、そ……」
先ほどの一撃が、想像以上に効いているのだろう。
うつ伏せのまま起き上がれないでいるクライは、悔し気にそう漏らす。
「お、おい戦狼! このままでは……って、アレ?」
言われるまでもなかった。
ラストが声を上げた頃には、ルドルフはすでに姿を露わにし、クライに近づこうとする大男の前に、立ち塞がっていた。
「なんだ、あんちゃん?」
「止まれ。それ以上、この子に近づくことは許さん」
その強い言葉が気に食わなかったのか、「あー?」と大男は不愉快に眉を曲げながら、戦斧を担ぎ上げる。
「る、ルディさん……!」
ルドルフを瞳に映して、クライは呻くように偽りの名を呼ぶ。
「ここで帰るなら何もせん。即刻、この場から立ち去れ」
「ぷっ、ぐぅっわはははは! 聞いたか⁉ ここで帰るなら何もしない⁉ 立ち去れ⁉ ガッハハハハ! 最っ高にぶっ飛んだジョークじゃねぇか、あんちゃんよぉ⁉」
ルドルフの忠告を、大男は腹を抱えて、盛大に笑い飛ばした。
「だ、ダメ、ルディさん……逃げて……」
「そうそう、嬢ちゃんの言う通りだぜ? むしろ最高に笑わせてくれた礼だ。ここで下がるなら、あんちゃんも嬢ちゃんも見逃してやらぁ。それで十分、嬢ちゃんの前でも格好がつくってモンだろ?」
「命は大事にしねぇとなぁ、ガッハッハ」と、もう何度目になるかもわからない、うるさすぎる笑い声を無視して。
ルドルフは背後に這いつくばる、かつての愛弟子を一瞥する。
「情けないな、剣聖。それがいまのお前の姿か」
「えっ、なっ……!」
ルドルフの一言に、クライの白く端正な顔が、真っ赤に紅潮した。
失礼な言葉に怒ったのか、事実に羞恥したのか。
──どちらにしても、それはお互い様だ。
「もう一度、教えてやる。よく見ておけ」
「な、にを……」
クライの問いに応えないまま、ルドルフは一歩、また一歩と大男の前までゆったり歩み寄る。
「おいおい本気か、あんちゃん? マジに死ぬぜ?」
「御託はいい。さっさとかかってこい」
そのルドルフの生意気な態度に、ブチリッと大男は初めて激情をあらわにして。
「ハッハァ! 威勢がいいな、あんちゃん! いいぜ、やってやるよ! 死んでも恨むんじゃねぇ、ずぅおぉぉぉッッ‼」
大仰に身体全身を使って振りかぶった、大男の全身全霊の一撃。
ゴオォォォッ、と脳天に降りかかる戦斧の脅威をルドルフは眉ひとつ動かさずに見切り、<闘気>により強化した左手で掴み取ろうとする。
だが、それはルドルフの思うようにはいかなかった。
バッキャァァン、と甲高い音を立てて。
無骨な斧が、ルドルフの手に触れた先から砕け散る。
「ん、な、砕け……ッ⁉⁉⁉」
「ちっ。加減したつもりだったんじゃがのう」
驚愕に目を見開く大男に対し、ルドルフは舌打ちする。
まだこの身体の力加減がわからない。
仕方がない、ここは極力抑えよう。
慎重に。割れ物を扱うように。
注意した上、ルドルフは大男の額に曲げた人差し指を添える。
その構えは、俗に言う、デコピンの要領で。
「死んでも、恨まんでくれよ」
「へっ──?」
ピンッと。
撥ねられた人差し指が、優しく額に触れた瞬間──大男の巨体が、首から後方へ向かって、大きく弾き飛ばされた。
それこそ、全力で投げ飛ばされた人形のように呆気なく、豪快に。
後方にあった木々をへし折りながら、森の茂みへと消えていく。
あまりに非現実的な現象の後、舞い降りたのは、しばらくの沈黙。
その中心にいるのは言うまでもない。
デコピンの構えのまま、困ったような表情を浮かべる、白髪の青年である。
「やはり、力加減が難しいのう」
「えっ、アニキ……えっ?」
「あ、アニキィィ!」
「ば、化け物! うわああぁぁぁぁあっ!」
栓を切ったように騒ぎ始めた山賊の一味が、頭領の大男の後を追って、どんどん森へと消える。
かくして、この場に現れた山賊の一味は皆、退散したのであった。
「あなたは、一体……?」
その張本人である青年を驚愕に見詰めて、クライは小さく呟くのであった。
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