29話 家

 「ハァ、ハァ。なんなんスか、あいつら!?」


 表通りに出たところで振り向くと、奴らは追ってはこなそうだ。既に奴らは車に乗り込み、去って行った。それを見て安心し、お互いに息を切らして膝に手をつく。


 「さあな。とりあえず警察だ」


 駅ビルに向かう大通りを歩いていき、当初の目的地である飲食店街の手前にある交番に立ち寄った。須賀さんが出来事と相手の特徴や車のナンバー等を伝える。一通りの手続きが済むと、案外何事も無かったかのように簡単に解放された。


 「もっとこう、安全が確保されるまで確保ー!って感じかと思ってました」


 「流石にそこまでできないだろう。最低限生活用品も購入できたことだし、今日はここまでだ。家に帰ろう」


 もうお昼には遅いから、という理由でお昼だけ外で食べてさっさと帰るスケジュールに変更になった。偶には良いだろうと意見が一致したラーメン屋。大きな器からはみ出んばかりの麺、野菜、肉の盛り。SNSで一瞬流行った、暴力的な見た目のラーメン。平井さんが見たら先三日間は油と糖質に制限がかかりそうだ。

 

 「それにしても今後どうするッスか? 外出禁止?」


 「外に出るのは最低限にしたほうがいいだろう。買い物も当分、私が行こう」

 

 器の高さの二倍はあろうかというモヤシの山をかき分けている須賀さんは、忙しいから話しかけてくるなと目線を送ってくる。僕のほうも僕のほうで、野菜を全て食べてから麺に到達しようかという目論見に夢中になる。店内に並ぶ物言わぬ人たちにせ急き立てられるままにズルズルと器に向かって麺を啜る。

 食べることに慣れてくると、次第に恐怖が頭の中を巡りだす。周りのお客さんにさっきの奴らはいないか。店の窓から見える表通りにさっきのワンボックスは走ってないか。今までとは一変して、ここは安全な場所ではないという認識が遅れてやってきたのだ。派出所での、警官が前に居る安心感。それに、道中の須賀さんが隣に居る時の虚栄心。それらがふっと消え、早くここから去りたいという気持ちがふつふつと膨れ上がった。

 格闘する事15分。やっとの思いで器を空にした僕は須賀さんを急かし、店外に出る。


 「この歳には堪える闘いだった……。あまり無理をさせないでくれよ。まあ長居も危険か。さっさと帰るとしよう。」


 おなかをさするジェスチャーをする須賀さんの呑気さに、少し苛立つ。そんな気持ちを悟ったのか、僕の手を取ると急ぎ足で帰路を辿った。

 

 家に着くと、真っ先にソファに寝転ぶ。閉じ込められていた感情が爆発して、体中を駆け巡っている。手足をバタつかせて感情の高ぶりを発散させようと試みたが、恐怖という感情は無際限に湧いてくる。

 そんな理性の抵抗もむなしく、悪寒が止まらなくなった。ガタガタと震える僕の頭が、不意に持ち上がる。

 

 「安心しろ。ここにいるうちは安全だ」


 気付けば須賀さんに膝枕をしてもらっている態勢になっている。頭を優しく撫でられることで、震えていた唇が幾分か自由になってくる。


 「でも、外に出ないで生活なんて無理ッス。それに、いつまでもここにいる訳にも行かないでしょ」


 須賀さんの顔を見上げると、目が合う。今まで見た事の無い、慈しむ様な目線に思わず照れてしまい、見上げた顔を直ぐに戻してしまった。


 「あんなことがあったんだ。原因がわかるまで、ここに居ていいに決まっているだろ。買い出しなんかは私に任せて、ゲームは……中止か」


 何でもない事のように放たれた言葉。思えば須賀さん自身も、十分怖い目に合っているのだ。余裕そうな感じを醸し出しているのは、僕の為なのだろうか。なにか申し訳ない気持ちにもなってくる。

 

 「……ごめんなさい。でも、須賀さんだけ危ない目に合わせるっていうのも嫌ッス。二人一緒に外出できれば、さっきみたいに逃げ切れるんじゃ」


 「その保証はないだろう。さっきだって、ギリギリも良いところだ。安心しろ、私は幼いころから空手を習っていたんだ。一人でもなんとかなる」


 ハァ!と叫んで須賀さんの拳が空を切る。思わず笑みが零れる。


 「そんなへなちょこパンチで何言ってるんすか。僕の方が百倍強いッスよ」


 「無駄口叩けるようになったか。なら、大丈夫そうだな」


 頭を撫でる手を止めようとする須賀さん。


 「もうちょっと。もうちょっとだけ、居て欲しいッス」


 これからの事は、後で考えよう。今はもうちょっと、この人の下で目を瞑っていよう。

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