第四章

第四章

そして、友禅展示会の日がやってきた。会場は、田子浦地区の公民館であった。それぞれの与えられたスペースに、着物を並べてお客さんに見てもらうというやり方で行われた。石橋呉服店でも着物を大量に出品して、これでもか!というばかりに、派手な着物を、陳列して、お客さんの来るのを待っていた。

開店時刻になると、待ってましたかとばかりお客さんが入ってきた。ここまでは計算通りだった。麻衣も創介も、着飾った訪問着を着て、お客さんを迎えた。でも、石橋呉服店が持っている「領土」には、お客さんは、なかなか入ってこない。お客さんたちは、ボタンとか、バラなどのありきたりの花柄の友禅を眺めることには眺めるのだが、大体のお客さんは、

「なんだ、今年も、ヤッパリありきたりの柄だなあ。」

「こんな高級なの、私たちには、とても買えないわ。」

何て言って、その場から離れてしまうのである。

一方、石橋呉服店の「領土」から、少し離れた片隅に、増田呉服店の「領土」があった。他の友禅を展示している店に比べると、ずいぶん地味なものばかり置かれていた。まるで、強引に例えて言えば、「島流し」と言えてしまうほど地味なものばかり置かれているその領土であったが、、、。

「ねえ見てみて、ここの着物は、意外にかわいいわよ。」

と、若い女性の声を聞いて、ぼんやりと着物の整理をしていたカールさんは、急いで売り場に顔を出した。

「みんな華やかで、とても手が出ないような着物ばかりだけど、ここの着物なら、気軽にとっつけそうな気がするわね。」

隣にいた、もう一人の女性がそういうことを言う。彼女は中年の女性で、この二人は間違いなく母娘だ、ということが分かった。

「ああ、こんにちは。着物にご興味でもおありですか?」

と、カールさんが尋ねると、

「ええ。まあ、昨年から娘が茶道を習い始めて、着物に興味を持ち始めたんです。それで、着物とはどんなものなのか見せていただきたくて、今日は伺いました。」

と、おかあさんのほうがそう説明した。二人の顔を眺めると、かなり苦労をしたというか、一筋縄の人生ではないという感じの顔つきだなという事がわかった。若しかしたら、学校や会社でいじめられたとか、あるいは近所とうまくいかないとか、そういう事を抱えているような、そんな雰囲気のする顔の人たちだった。こういう人たちにこそ、着物に触れてもらいたいとカールさんは思うのだった。

「そうですか。こちらは、江戸友禅というモノでしてね。よく知られている京友禅に比べますと、地味でおとなしい柄ばかり作っているんですけどね。今は京友禅に押されて、余り人気は無いようですが。」

カールさんは、にこやかに笑ってそう説明をした。

「まあ、今では存在すら忘れられている江戸友禅ですが、逆に、格式高くなく、気軽に着られる友禅なんじゃないかと思っております。」

そう言いながらも、娘さんは、あの鬼百合の着物を真剣な顔をして眺めていた。

「あの、これも江戸友禅というモノなんでしょうか。」

娘さんに聞かれてカールさんは、

「はい、もちろんです。こちらは訪問着になっていますので、礼装に比べると、着用範囲は広いかも知れないですね。」

と答えた。

「それじゃあ、お茶会何かに着用できますでしょうか?」

と聞かれて、カールさんはちょっと判断に迷ったが、

「そうですね。お茶会の流派にもよりますが、訪問着はお茶以外、例えば、コンサートとか、展示会にも着用できますので、意外に持っていて便利という人が多いですよ。」

と、答えておいた。

「そうなんですか。今まで見てきたのは、ちょっとあまりにも派手過ぎて、私には着用できないんじゃないかと思っていましたが、この友禅なら私も着用できそうです。」

娘さんはそういうことを言い出した。確かに他の着物に比べると、江戸友禅は地味で、余り目立たないというのが特徴なので、若い女性が着るとなると結構渋いものになる。ほとんどの呉服屋では、派手にしなければ勿体ないと言って、派手な京友禅などを勧めてくるのだが、カールさんは、それをあえてしなかった。

「では、どうでしょうか。こちらを譲っていただけないでしょうか?うちの子が、こんなに楽しそうな顔をしたのは、本当に久しぶりなので、、、。」

と、お母さんは言い出した。まるで高いものだったらどうしよう、と言う感じの顔つきであったが、カールさんは嫌な顔一つせず、

「はい、持って行ってください。友禅は友禅でも、京友禅などと違って、ずいぶん需要の少ないブランドですから、4000円程度で結構です。」

と言った。しばらくお母さんは、ぽかんとしていたが、カールさんは、その着物を売り代から出して、丁寧にたたんだ。娘さんに促されて、お母さんは、慌ててお財布を出して、4000円を支払った。カールさんはそれを受け取って、領収書を書いて彼女に手渡す。そして、

「はい、こちらがお品物です。」

と、たとう紙ではなく、ビニール袋に訪問着を入れて、娘さんに手渡す。

「ありがとうございます!」

にこやかに笑ってそれを受けとる娘さん。お母さんは、こんな顔をしたのは本当に久しぶりだわ、という驚いた顔で見る。カールさんは、彼女がいつまでもその顔でいてほしいと、願わずには居られないのだった。

「ありがとうございました。」

カールさんは、嬉しそうな顔で帰っていく二人を眺めながら、そう深々と頭を下げたのであった。この有様を、ちょっと離れた領土から、麻衣と創介が憎々しげに眺めていた。


「へえ、江戸友禅がそんなに売れたんですか。まあ、確かに最近は、若い人でも、地味な着物を着たがりますし、売れたのならいい傾向なのでは?」

ジョチさんは、ちょっと興味深そうに言った。隣で杉ちゃんが、焼き鳥特大サイズを食べている。展示会が終了後、カールさんは、ジョチさんの傘下にある焼き鳥屋に立ち会ったところ、偶然杉ちゃんとジョチさんに会って、展示会の顛末を話すことになったのだ。

「そうなんですよ。訳ありの親子さんが買っていってくれてから、江戸友禅というのはどういうモノなのか、教えてくれという人が殺到してしまって。応対が大変でした。」

カールさんは、お茶を飲みながら、そういうことを言った。

「そうですか。時代の流ですかねえ。昔は、江戸友禅何て、地味で中途半端で売れないといわれていましたのに。」

「そうなんですよねえ。技法は素晴らしいのですけど、華やかじゃないし、色も渋くて、余り人気のないブランドだと思ってましたが。最近の子たちはそうでもないんですね。みんなこのくらいのおとなしい柄であれば、私でも着れると言って、喜んで買ってくれました。そういう訳で展示物のほとんどが持っていかれてしまう始末。次は多めに持っていかなきゃ。」

「なるほど。おとなしい柄であれば、私でも着れる、か。最近の若い奴らの世情を示しているかのようだな。最近のやつらはどうも目立つのが苦手というか、自己主張が苦手なんだよね。」

と、杉ちゃんは、カールさんの話に入ってカラカラと笑った。

「それじゃあ、あの、青年ももうちょっと、自己主張が強くなってくれるといいよな。」

不意に杉ちゃんはそういうことを話し出す。

「あの青年って誰の事?」

と、カールさんが聞くと、

「ああ、あの、石橋龍介君の事ですよ。音楽の才能は有るんですが、何だか自信がなくなってしまったみたいで、せっかくコンクールで好演賞貰ったのに、入賞者演奏会への参加を断ってしまったそうです。」

と、ジョチさんがにこやかに言った。

「全くだ。せっかくよ。好演賞取れたのにさ。好演賞しか取れなかったって言って、自信なくしているんだぜ。」

杉ちゃんは、大きな焼き鳥にかみついた。

「そうなんですか。やっぱり目立ちたくないんでしょうかね。若い人には、もうちょっと華やかに自己主張をしてもいいと思うんですけどね。というか、若い人が自己主張しない世の中はつまらない。うちの党の代表がそういうことを言っていました。でも、その友禅の売れ行きを見ると、若い人の自己主張が聞こえるようになるのは、当分無理かなあ。」

ジョチさんが、そういってちょっとため息をついた。

「でもよ。それに嘆いてちゃだめだ。それからどうするかを考えなくちゃ。とにかくさ、展示会で、その若い人たちは、自分にもこの友禅なら着られるといったんだね。」

と、杉ちゃんが、いきなりそういうことを言い出した。杉ちゃんという人は、時折そういう発言をするから、周りの人がびっくりする。

「どういうことですか。」

ジョチさんが聞くと、

「だから、ほかの京友禅みたいな派手な奴なら着られないけど、江戸友禅みたいなおとなしい友禅であれば、着られるという事だ。そういう風にハードルを下げてやれば、着物だって着られるという訳だろ。それを考えれば、あの若い奴も、自信を取り戻すことだってできるんじゃないかな。」

と、杉ちゃんはそういう事を言い出した。ほかの二人は何のことだという顔をしていたが、

「そうですね。ハードルを下げると言っても、具体的にどうするんですか。」

とジョチさんがそう反論した。それに杉ちゃんは、

「そんな事は知らないよ。具体的に何をするかなんて、何をするのかわからないけどね。でも、江戸友禅で、ハードルを下げることができたら、着物を着ることができるようになった。ここに着目すれば、なにかできるような気がするんだけどなあ、、、。」

と、応える。

「杉ちゃん、江戸友禅とピアノの事をなぞらえてはいけませんよ。ピアノと江戸友禅はぜんぜん違うものです。」

ジョチさんは、そういうことを言ったが、

「でも、確かに、そういう節はあるかもしれませんね。音楽にしろ、伝統文化にしろ、深刻な後継者不足でありながら、それを何とかしようとはせず、ただ嘆いているだけのような所はありますよ。そうでなくて、杉ちゃんが言う様に、ハードルを下げるという事は、大事なことかも知れないですよね。」

と、考え直した。

「じゃあ、みんなの意見が一致した所で、具体的なものを考えよう。具体的なものは、みんなの意見が合致しなければ、思いつかない。先ず、どうすれば、龍介君は自信を取り戻してくれるかなあ。」

と、杉ちゃんが、また大きな焼き鳥をガブッとかみついた。

「そうですね。まあ確かに、いきなり広い世の中に出て、結果を残せるなんて、初めての人にはできやしませんからね。しぶとく、何回も挑戦するしかないんじゃないですか。それで何回もやって、自信を取り戻した人間に生まれ変われるのでは?」

ジョチさんが、そう、一般的なことを言った。

「そうだけど、彼は、もう当の昔に三十を越している。ほら、今はやりの言葉で、8050問題というモノもあるだろう。それに、ぶち当たらせたら、本当に彼のほうがかわいそうなきがするから、そうなる前に解決させてやりたいんだ。何か、やれそうなことないかなあ。」

「そうだねえ。よくはやりの、動画サイトのBGMを録音させて、それで報酬を得るとかそういうことはどうでしょうか?」

杉ちゃんの発言にジョチさんが、そういうことを言った。

「そうですね。僕もその路線がいいと思います。ほら、最近SNSをとおしてそういう人を募集している人がいますから、それを探してみるのはどうでしょうか。」

と、カールさんもそういうことを言った。

「二人とも、わかってないなあ。そういう顔の見えない仕事は、僕はやらせたくないね。そういうことやってたら、頭がスカスカになっちゃう。」

杉ちゃんは、そう言って、カラカラという。

「そうですけど、仕事をすぐに見つけなければならないといったのは、杉ちゃんでしょう。それで僕たちが、具体的なことを言ったら、それじゃだめだなのですか?」

カールさんは、杉ちゃんの言葉にそう反論したが、

「だから、人間なんだから、顔の見られるところに居ないとおかしくなるんだよ。顔が見えないところに居るから心が病んでっちゃう。」

と、杉三がいう。確かにそれはそうだが、と、カールさんは考え込んだ。

「でも、年齢も何も考えないで仕事をするのであれば、インターネットというものが一番なんじゃないのでは?」

「いや、一番いいのは、人間のやることだ。機械なんて、そんな物は、おかしなことになっていくんだよ。だって、機械がやる事なんて、みんな長続きしないじゃないか。」

杉ちゃんが、演説するようにそういうと、

「確かに、杉ちゃんの言う通りかもしれませんよ。」

と杉ちゃんの発言に、ジョチさんが言った。

「どっちにしろ、インターネットだって、結局のところ、人と人とをつなぐ道具にすぎません。それなら、人づてのほうが、より確実に情報を伝えることはできます。文字のコミュニケーション何て、伝えられる情報は、会話よりはるかに少ないです。それでは、なにか利用できるものが、あるかもしれないですよね。」

「何か、心当たりあるんですか?」

カールさんは、ジョチさんに対しそう聞いてみた。

「そうですね。僕が先日買収した介護施設で、もしかしたら演奏者でも欲しがっている施設があるかもしれません。すぐにという訳ではないですが、介護施設は、うなぎのぼりに増加していますからね。その中に閉じ込められているお年寄りは、演奏者とかそういう人が来てくれることを、心待ちにしていますから。」

ジョチさんは、一寸思いついたという顔をして言った。

「そうですか。さすが理事長さんですな。そういう顔の広いところは、ヤッパリ理事長さんだけありますね。」

と、カールさんは、感心したという顔をしてそういうことを言ったのであるが、杉ちゃんだけが、にこやかな顔をして、お茶をガブッと飲み干した。


同じころ。石橋呉服店では。

「何なのよ!あれ!」

麻衣が、躍起な顔をして、夫の創介に当たり散らしていた。

「まあ、しょうがないだろう。今回の事は、あきらめるんだな。ああいう友禅が売れたのは、たまたまだったと思えばそれでいいのさ。」

創介は、麻衣の躍起ぶりにそういい返していたが、

「うるさいわね!あんな古着の着物屋がああして売れて、あたしたちが、何も売れなかった何て、どこまで恥をかかせたら気が済むのかしら!」

と、麻衣はテーブルをバンとたたいた。

「そうだけど、恥をかいたなら、何かすればいいだろう。次の展示会で、そういう風にならないように、すればいいんだ。もうああいう店とはかかわりを持たなくてもいいんじゃないのか。人は人、家はうち、割り切った方がいい。」

「そんな事言っても、あの店に邪魔されてうちが、だめになったのは、言うまでもないことじゃない!」

創介があきれてそういうと、麻衣は、もう一回言った。

「まあ確かにそうかもしれないが、邪魔されているとか、そういうことを考えちゃダメじゃないか。そうじゃなくて、じゃあどうするかを考える事。それしかないじゃないか。」

「だから、あの店をつぶすしか方法はないじゃない!他にどうするかを考えるなんて、何があるのよ!あなた他に思いつく?」

麻衣にそういわれて創介は困ってしまった。

「そうだなあ。そう言われても、、、。まあとにかくな、落ち着け。落ち着かなければアイデアもなにも思いつかないじゃないか。先ずは落ち着いて、着物が売れるようにするにはどうするかを考えることだ。」

そう言われて麻衣も、そうねえという顔をする。

「じゃあ、どうやったらいいのかしら。」

「まあ、とにかくな。俺たちは、友禅を売っているんだから、友禅がどんなにいいものであるか、を、アピールすることが大切だよ。安っぽいあそこに売っている、江戸友禅よりも、もっと、いろんな着物があって、それでもっとすごいのがあるってことを、みんなに知らせることが一番なのではないかな。」

創介の顔が、急にりりしい顔になった。そういうことを、いえるようになったなんて、創介も、男だなと麻衣は思った。

「そういう訳だから、友禅というのはどういうモノであってこれだけすごいものであるという事を、しっかり伝えること、それで、頑張ってやっていくしかないだろう。俺たちは、そういう風にやっていくしかないんだから。」

「そうね。今までのことをさらに強化していくしかないのかあ。」

と、麻衣は大きなため息をついた。

「そうだよ。だから、相手をつぶそうとか、そういうことを考える暇があったら、どうやったらうちの店が売れるかどうかを考えなくちゃ。相手の事をつぶそうとかそういうことを言って、ワーワー騒いでいるようじゃだめだよ。あの店にできない事を、家の店がする。それを考えればそれでいいじゃないか。」

と、創介は麻衣を慰めた。

「そうね。あたしたちも、あの店にできないところを考えなくちゃね。そうね、すぐに、考えなきゃいけないわね。」

麻衣は、そういいながら一生懸命考え始めた。あの店にできない事って何だろう。初めのうちは、思いつかなかったが、考えていくと出てくる出てくる。それを、彼女は、一生懸命メモ書きを始めた。

遠くで、龍介が弾いているピアノの音が聞こえてきた。龍介がまた、厳格なる変奏曲を弾いているんだろう。

「兄さんは、すきなピアノをやらせておけばいいさ。どうせ、コンクールに出ても、好演賞をとるだけしかできなかったんだから。」

と、創介がぼそりと呟いた。麻衣は、

「そうね。お兄ちゃんは、こういうことに携わらなくていいんだから、ある意味一番邪魔な人間なのかもしれないわね。」

という。それを言っちゃだめだろう、と、創介が言ったが、麻衣は、あーあと、ため息をつくのである。

それを無視するように、小さなプレハブ棟の中では、龍介が一生懸命厳格なる変奏曲を弾いていた。一羽の、小さな鳥が、まるで聞きに来たように、その屋根の上に止まったのであった。


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