第二章

第二章

寒い日だった。春が間近というのは嘘なんじゃないかと言われるほど、寒い日だった。今は、春と言うべきではないのかもしれないといわれるほど寒かった。まあ、そういう時は、何時の時代もそうなんだけど、おかしな思想が舞い上がってしまって、人間も動物もおかしくなりやすいというのが、通例になるのである。

今日は、展示する予定の、訪問着を、石橋呉服店にもっていく日だった。ジョチさんは、審議官と会食があるという事で、代わりに杉ちゃんが、付き添っていくことになった。

「本当にすみませんね。杉ちゃんまでが、付き添いに来てくれるなんて。」

と、カールさんは、移動するタクシーの中で、そういった。

「いいえ、いいってことよ。気にしないで、のんびり行こうや。」

と、にこやかに杉ちゃんは、言った。

「そうですね、本当は一人で行ってもよかったんですけどね、僕が外国人なので、また馬鹿にされてしまうと困りますのでね。こういう時は、日本人の方に一人でも来てもらった方が、いいと思うんですよ。」

カールさんは、申し訳なさそうに言った。

「へえ、やっぱりバカにされたことあったの?」

杉ちゃんが聞くと、ええ、とカールさんは答えた。

「はい、バカにされましたよ。もうそれでは、どうしようもなくて、困ってしまうほど、バカにされました。外国人は、日本の着物の事がまるで分ってないと、展示会に出させてくれと言っておきながら断られるとか。」

「何!そんなことがあったのか。」

「ええ、仕方ないと言えば仕方ないんですけどね。日本人でないくせになんで、着物の歴史なんか知っているんだとか、こっちは、お客さんのために勉強していただけなんですけどね。それはいけないのかなあ。」

カールさんは、一寸溜息をついた。

「へえ。日本の着物というモノは、どうも排他的だねえ。」

「全くだ、こういう外国人が、着物を販売するとなると、徹底的につぶそうという風になってしまうんです。あーあ、困りますなあ。」

杉ちゃんとカールさんは顔を見合わせた。

「まあ、日本の伝統に外国人が手を突っ込むと、いけないという事になりますなあ。」

カールさんがそういうと、タクシーがとまった。

「お客さんつきましたよ。」

運転手が、そういうと、杉ちゃんが、おう有難う、と言った。随分、大きな建物だなと、二人は周りを見渡した。確かに立派な二階建ての建物で、一階は店になっていて、二階が住宅になっているらしい。店の入り口では、立派な振袖がいくつも飾られていて、カールさんの店とは、偉い違いの店構えだった。

「なんだか、一件さんお断りって感じの店だな。」

杉ちゃんがそうつぶやく。カールさんが急いで、タクシーにお金を払い、杉ちゃんは、運転手に手伝ってもらってタクシーを降りた。

カールさんは、とりあえずその着物屋の前に立って、すみませんと入り口の戸をたたいた。

「すみません。増田です。展示品を持ってきました。」

カールさんがそういうと、ガラッと入り口の戸が開いて、石橋創介が出迎えた。

「ああどうぞ。おあがりください。そちらの方はどなたですかな?」

「ああ、僕の名前は影山杉三だ。杉ちゃんと呼んでくれ杉ちゃんと。カールさんとは大の仲良しの、風来坊です。」

杉三は、にこやかに笑ったが、創介は変な顔をした。

「はあ、あなたは、一体何者ですか。着物関係の方ですかな?」

「ええ、僕は、着物の販売人ではありませんが、その作り手です。まあ、バカな仕立て屋という所でしょうか。」

と、創介の質問に、杉ちゃんは答えた。

「そうですか。あいにくこの店には、バリアーフリーの設備はございませんので、車いすの方は、お帰りになっていただけませんでしょうか。」

杉ちゃんに創介は、嫌そうな顔をして行った。

「何だい。歩けない奴は、入っちゃいけないのかい?それは、人種差別というモノじゃないでしょうか?」

と、杉ちゃんは反発するが、

「ええ、このうちは、昔ながらの作りをしていますから、こういう車いすの方にはちょっと難しいと思われます。」

と、創介は答えた。

「でも、一人だけのこのこ帰るわけにはいかないよ。だって僕、読み書きできないので、カールさんと一緒でなければ、かえれない。」

杉ちゃんが言うと、

「そういう事なら、外で待っていてください。ここは、本当に、昔ながらの作りですから、車いすの方が入ってくるには、手伝いが必要です。今は手伝い人を誰も雇っておりませんので。」

と、創介は、しつこく言った。

「そうか、ほんなら、外で待たせてもらいます。まあ、僕はただの天井をいくら眺めていても飽きない人間なので、心配はいらないよ。ゆっくり話してきてね。」

「ごめんね杉ちゃん。それでは、急いで話をつけてくるから。」

カールさんは、杉ちゃんに言われて、一人だけ建物の中に入っていった。建物は、入り口は確かに、昔ながらの作りをしていて、車いすには難しいのかなと思われたが、それ以降は特に車いすでも問題なく入れそうである。周りには、振袖が大量に置かれていた。振袖だけではなく、訪問着とか、小紋と言った、いわゆる礼装以外の着物も少しばかり置かれている。

「こちらに座ってください。」

と、創介は、カールさんを、店の中に対面式に置かれている椅子に座らせた。

「まあ、ようこそいらしていただきました。私が、石橋家の長女の麻衣でございます。」

と、奥から麻衣が出てきて、とりあえずお茶を出してくれた。カールさんは、渡されたお茶をすすった。

「外国の方には、日本茶というのは、お口に合わないかもしれないですけど、日本の着物ですから、我慢してくださいませ。よろしくお願いしますね。」

と麻衣は、表面上は親切であるが、裏では嫌味をいっているような、そういう感じで言った。

「あ、はい。日本茶には慣れてますから。」

と、カールさんが言うと、

「そうですか。外国の方でありますのに、訛りが少ないんですね。きっと、一生懸命日本語、勉強されたんですわね。それで、日本の伝統の着物を売っているわけですか。」

と、麻衣は、またそういって、創介の隣の席に座った。

「ええ、それでは、早速ですが、今回の友禅展に出していただける着物を拝見できますでしょうか?」

創介が言うと、カールさんは、

「こちらです。」

と、一枚の訪問着を出した。確かに青い色に、鬼百合を江戸友禅で入れた、素晴らしい着物だった。しかし、麻衣は、バカにしたようにカラカラと笑って、

「まあ、こんな着物ですか。確かに江戸友禅ではありますけれども、もうちょっと華やかというか、そういうものを出品してもらえないでしょうか。全く、外国人は、こういうところがあてになりませんね。」

と言った。カールさんはすぐに、

「しかし、江戸友禅と言いますのは、こういう簡素なところが、持ち味ではありませんか?」

と反論した。麻衣はすぐに、

「そうですけれども、こういう展示会何ですから、呉服屋として、豪華なものを持ってくるのではありませんか?あたしたちは、少なくとも江戸友禅であっても、もう少し華やかなもの、それも訪問着ではなく、振袖を持っていくのではありませんの?着物の今一番の目玉は、振袖と言っても過言ではないじゃありませんか。他に、売りにだすものがないのは、御宅も同じでしょう?」

と言った。

「いや、そういうことは在りません。何でも好きな時に、着てくれればそれでいいと思っていますから、様々な着物が売れます。」

カールさんは、そう答えた。

「そんな馬鹿な話がありますか。呉服業界では、売れるのは、振袖と礼装だけって、決まっているじゃありませんか。着物はもはや、そういう人達だけのものですわ。でも、それでいいと思っていますよ。そうなっても、着物が、そういう形で生き残ってくれればいいと思います。それで、着物がつぶれずに、生きてくれるならね。」

麻衣がそういうと、創介が、おい、よしなさいといった。しかし、カールさんの持ってきた友禅の着物も、新品の着物と変わらないくらい、シッカリしたものである。

「それでは、この展示会の恥になります。着物の展示会何ですから、こんな地味なものを持ち出されては困りますわ。もうちょっと、華やかな振袖を持ってきてください。と言っても、そういう着物が、御宅にあるかどうか。このうちには、これくらい華やかなものがありますけれども、御宅はどうせ、古くて、柄の地味な着物しかないんでしょう。ほら、これよりもすごいものがありますか!」

麻衣が、そういって、目の前にある着物を指さした。赤い色で、大きなボタンの花が華やかにはいったものである。

「ありません。」

と、カールさんは正直に答えた。そうすると、麻衣も創介もバカにしたような顔をしたが、

「しかし、うちの店には、日本の華やかなものではなく、苦難克服や、無病息災を願った柄の物がいっぱいあります。例えば、芝生の柄は、単に曲線しか見えないのに、転んでも立ち直るという意味が込められています。そういうことを話すと、着物は面白いと言ってくれて、地味な着物でも買っていってくれます。」

と、カールさんが、着物の解説をすると、

「うるさいわね!そんな無駄な知識を披露したって、今時の女の子に受けるような柄を作らなきゃ、意味ないわよ!」

麻衣はちょっと強く言った。

「はあ、そうですか。確かに、外国人のあなたが、そこまで知識を持っていらっしゃるのは素晴らしいものですな。でも、今回は、こちらの着物は少々地味すぎます。其れではやはり展示会には向いていない。もう一度、もう少し華やかな着物をもって、出直してきてください。」

麻衣に続いて創介もそういうことをいう。カールさんは、一寸困った顔をした。確かに、そういうところはそうなんだけど、この着物に対抗できるものが、何もないのも確かだったからだ。

「わかりました。それでは、その通りにいたします。」

とりあえずそういう。

「よろしくお願いしますね。展示会は来月には開催したいので、一週間以内に持ってきてくれるとありがたいです。」

麻衣がそういうと、カールさんは、わかりましたと言って、軽く頭を下げた。

「では、お暇致しますね。今日は有難うございました。」

とりあえず、カールさんは、そう言って、椅子から立ち上がる。創介と麻衣は、見送る事すらしないで、カールさんが帰っていくのを黙ってみていただけであった。

「きっと、該当する着物が何もないと言って、頭を下げてくるわ。」

と、その背中を見て、麻衣はそっと創介に耳打ちする。創介も、そうだね、と小さく頷いた。


一方、杉ちゃんは。

とりあえず、石橋家の玄関先で、口笛を吹いて待機していたが、ふいに店の建物の近くから、ピアノの音が聞こえてくる。その曲は、杉ちゃんにもすぐわかる曲であった。

「おう!厳格なる変奏曲じゃないか!」

とりあえず、その音がする方へ行ってみる。石橋家の店舗がある建物の隣に、なぜか、プレハブの小さなミニハウスのような建物があって、音はそこから聞こえてくるのであった。杉三が、その小さな窓からのぞいてみると、小さなサイズのグランドピアノがあって、若い男性が、一人で厳格なる変奏曲を弾いていたのである。

とりあえず、第一変奏からコーダ迄すべて聞いてみるが、演奏は、音も正確で、音楽性も優れていた。ただ、一寸ばかり自信がなさそうではあったけど。

コーダが終わると、杉三はまどから拍手をした。男性は、びっくりした顔をして、振り向いた。

「いやあ、ごめんごめん。ただの通りすがりだが、お前さんの厳格なる変奏曲があまりにも上手だったんで、聞き入ってしまった。いい演奏聞かせてくれて、ありがとうよ。」

杉三が、そういうと、彼は、

「あ、ありがとうございます。」

と、小さな声で言った。

「お前さんは、吃音症か?」

杉三が尋ねると、彼は、ちょっと恥ずかしそうに頷いた。

「そうか、それで、今まで表舞台には出なかったのか。何だか、コンクールにでも出れそうな腕前だぞ。その厳格なる変奏曲何て弾けるくらいだから、かなり演奏技術があると思ったのによ。勿体ない話だぜ。」

杉三が言うと、彼は、

「そ、そんな、た、たいしたことありません。こ、こんなに下手な演奏、誰が聞いてもへたくそとしか、答えませんよ。」

と、答えた。杉三は、にこやかに笑って、こういうことを言った。

「いや、そんなことはないぜ。あ、自己紹介忘れていた。僕の名前は、影山杉三。略して、杉ちゃんと言ってくれ。杉ちゃんと。職業は、そうだなあ、万年の風来坊ってところかな。お前さんの名前は何て言うんだ?」

杉ちゃんの言い方は、やくざの親分みたいな言い方だが、どこか人間味のある言い方でもあった。

「そ、そうですか。ぼ、僕の名前は、石橋龍介です。」

と、彼は答えた。

「そうか、職業は、ピアニスト?音楽学校に行ったの?」

「い、いえ、音楽学校には、行ってないので。そ、そんな偉い職業ではありません。」

確かにそうだ。吃音症であれば、音楽学校にはいられない。でも、彼の演奏は、確かにかんどう的である事は間違いなかった。

「そうなのね。でも、お前さんの演奏はな、十分に公に通用すると思うよ。もうちょっと自信もって、堂々と、演奏すれば通用する。お前さんは、こんな真昼間からピアノ弾いているとなると、つまる所の引きこもりだろう。そんなんだったらよ。もっと積極的に外へ出てみろよ。それで、コンクールにでも出て、厳格なる変奏曲を弾いてみろ。絶対に、高順位が狙えること間違いなしだ。最も、それはお前さんが、自信を取り戻すまでの話だがな。」

杉三は、でかい声でそういうことを言った。そんな事を聞いてちょっと驚いた顔をして、

「で、ですが、僕、そんなところで演奏できる資格も何も在りませんよ。」

と、龍介はそういうが、杉三は、カラカラと笑った。

「資格なんてどうでもいいさ。それよりも、お前さんがどう生きたいかが大事じゃないか。お前さんの演奏は、いかにもピアノが好きで、人生のパートナーとしている感じだった。それさえあれば大丈夫。この世では、舞台で演奏するだけのやつらの事を、ピアニストとは言わないからな。そこに気が付けば、お前さんの道も見えてくるはずだよ。」

杉三がそういうと、龍介は、自信がなさそうにこういうことを言った。

「で、でも、もうここにきてから、そとに出なくなって、何年もたつんです。も、もう、世の中もすっかり

変わってしまって、もうどうしていいのかわからないんですよ。な、何をしようとしても、し、失敗ばっかりで、何もできなくて、自信がないんです。」

「バーカ!自信がないのは誰だって同じさ。それに、今は、性別がはっきりしないだとか、障害があっても生きていける時代だよ。吃音何て何の問題にもならんさあ。なあ、一度だけでもいいからさ、コンクール、出てみたらどうなんだ?僕は応援するけどなあ。お前さんの厳格なる変奏曲は、絶対どこか、魅力があって、いい演奏と言えると思うよ。ねえ、どうだろう?」

そういう龍介に、杉三は、そういって励ますが、龍介は、まだ自信がなさそうだった。

「で、で、でも、僕は、このように、学歴も何も在りませんので、コンクールに出るのには、何もできませんよ。」

「人前で演奏したことないの?」

杉三はすぐ口をはさんだ。

「は、はい。あ、ありません。ぶ、舞台に出ることもなかったし、誰かに演奏を聴いてもらうこともなかったんです。」

「そうかあ。」

杉三は、一寸考えこんだが、すぐにてを打った。

「ほんじゃあ、今から聞いてもらいに行こうぜ。僕の相方が、店のやつらとお話をしているから、それが終わったら、お前さんも一緒に、製鉄所に行ってみようぜ。それで、お前さんの演奏を、ある人物に聞いてもらう。そいつは、演奏技術は抜群だ。そいつが、お前さんの演奏を高評価したら、お前さんは、吃音であろうがなかろうが、コンクールに出て、厳格なる変奏曲を弾いてみろ。そいつの演奏の上手さは僕が保証するよ。」

「製鉄所、それ、何ですか?」

杉ちゃんの話に、龍介は心配そうに聞いた。

「ああ、お前さんのような、居場所をなくした奴らが、いっぱいいる所だよ。みんな優しいから、お前さんの事可愛がってくれるよ。保証してあげるさ。」

杉三は、からからと笑った。


丁度その時、カールさんが、杉ちゃん、こんなところにいたのか、と言いながら、そこへやってきた。

杉三が、カールさんに、こいつを今から製鉄所に連れていく、こいつは、厳格なる変奏曲をすごくうまく弾くから、水穂さんに聞かせてやれば、絶対印象も変わるだろう、うまくいけば、レッスンしてくれるかも知れないよ、何て説明すると、カールさんは、そうかわかったよ、杉ちゃんと言った。杉ちゃんの提案は、絶対取り消しできないからね、と、言いながら承諾してくれた。それを見て、龍介も、度胸を据えたらしい。楽譜を鞄の中に入れ、机にかけてあったジャケットを取り、出かける支度を開始した。

「そ、それじゃあ、影山さん、お願いします。」

龍介は、がちゃんと、小屋の戸を開けて外へ出た。それだけでも、かなりの刺激の様だ。外の光が、顔に刺さったような顔をする。

「影山さん何て、言わなくていいよ。杉ちゃんでいいんだ。杉ちゃんで。」

杉三が、にこやかに笑って、右手を差し出した。龍介は、これでやっと、この人が悪い人ではないと思ってくれたようだ。彼も右手を差し出したので、杉ちゃんは、それをしっかりと握りしめる。

「それでは、タクシー会社に連絡するのでちょっと待ってて。」

カールさんが、急いでスマートフォンを出して、タクシー会社に電話した。タクシーは、すぐ来るといった。最近のタクシーは、障害者ようの車もたくさん所持しているので、比較的頼みやすくなっている。そういうところからも、吃音者であっても、コンクールに出られる時代になっているという事なのかも知れなかった。







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