杉ちゃんと江戸友禅

増田朋美

第一章

杉ちゃんと江戸友禅

第一章

今日は暖かくて、のんびりしていて、もうすぐ春がやってくるという事がよくわかる日だった。今日は、もうすぐ桜の開花宣言がやって来ると、テレビで報道されているほど、暖かい日だった。もうすぐお花見ができると言われているけれど、今は流行りの発疹熱のせいで、余りお花見という事は、期待できそうにない今年の桜だった。

唯、気候だけは、暖かくなっているので、普通に着るものを、変えるという行事は行われていた。そういう訳で、洋服屋というモノは、普通に繁盛するようになるのだが、最近その流行りの発疹熱で、政府がイベントの自粛などを求めるので、今はおしゃれな服など流行らなくなり、地味で、余り目立たない色や柄の物が流行していた。華やかな可愛い服というのも、若者を狙って作られていたが、それらは、比較的売れず、質屋や、リサイクルショップに流れていくことがほとんどであった。

「こんにちは!黒大島一枚くださーい!」

と、杉ちゃんが、カールさんの店である、増田呉服店の入り口の戸を開けると、倉庫みたいに着物が山のようにたまっていた店は、きれいに片づけられていて、なぜか、友禅の着物ばかり、ずらっと並んでいたのである。

「あれれ、黒大島は何処へ行ったんだ?いつから、友禅専門になったんだよ?」

杉ちゃんが、そう言うと、カールさんが出てきて、

「ああ、ごめんね。昨日うちへ葉書が来ましてね。来月行われる、友禅作品展に応募してくれないかと、連絡があったんです。それで、今うちで売っている友禅の着物を、ちょっと出してみたんですけどね。」

といった。確かに、友禅の着物がたくさんある。友禅の訪問着に、小紋。さらには、振袖迄置いてあるのであった。一緒に来たジョチさんが、

「すごいですね。友禅というモノは、こんなに綺麗何ですか。友禅と言うと、振袖訪問着を連想しますが、小紋もあるとは知りませんでした。」

と、感心していった。

「ええ、まあ、古いものですからね。昔の友禅は、一人一人の職人が丁寧に作ってあるものですから、一寸やそっとの事で、だめになったりはしないんですよ。まあ、家にあるのは、大体江戸友禅ばかりですけどね。」

「へえ、京友禅なら有名ですが、江戸友禅という物があるんですか。」

と、ジョチさんが相槌を打つ。

「はい、今が東京手描き友禅と言われているんですけどね。江戸幕府が、京都に住んでいた友禅職人を江戸に呼び寄せて、作らせたのが始まり何です。京友禅に比べると、地味で、余り目立たない柄付きが特徴ですね。友禅というのは、26の工程を経て作られているのですが、京友禅では、26人の職人が分業するのに対し、江戸友禅では一人の人間が最初から最後まで作るので、人件費が安く済むから、その分安く買える友禅として、評判なんです。」

カールさんは、にこやかに笑った。

「そうですか、カールさんの説明はすごいですね。日本人以上に着物を知っているんですな。」

ジョチさんがそういうと、カールさんは、

「ええ、まあ、こっちへ来ました時に、勉強させてもらったので、売り上げよりも、知識のほうがあるという訳でして。」

と、言った。

「本当は、日本の着物屋が、そういう風に気さくに答えてくれたら、いいのにね。どうも最近の呉服屋さんというのは、問題があるようで、困ります。」

「そうそう。変な風に押し売りをするとか、無理やり契約書を書かせるとか、年齢が合わないと言って別の着物を無理やり買わされるとか。」

ジョチさんがそういうと、杉ちゃんもそういった。そういうほど、呉服屋という店は、もんだいが多いようである。単に着物を売るのならそれだけにすればいいのに、それに便乗して、いろんなものを売りつけたり、いきなり家におしいって、着物を販売にやってくるとか、そういうことをする。

「そうですねえ。それで、どれを出品しようか迷っているんですよ。友禅と言ってもですね。こういう着物は、うち、買取屋ですから、一杯あるんですよね。一枚出品してくれればそれでいいというのですが。うーん、どれにしようかな。」

「そうですか。みんな買い取ったと言っても、汚れもシミも何もないんですね。」

カールさんの言葉に、ジョチさんは、そういった。確かに、置かれている着物たちは、何も汚れていなかった。それも、まだまだ使えるのではないかと思われる着物ばかりである。

「みんなそれで、使い道がないって、ここに来たんですね。そして、可哀そうな値段で、別の人たちの下へ行くと。」

「そうなんだよね。気軽に着てほしいと考えると、友禅であっても、3000円程度しか値段を付けられなくて、本当は、友禅を作った職人に申し訳ないよ。」

カールさんは、不意に申し訳なさそうに言った。確かに、3000円で友禅が買えるなんて、信じられない値段と言っても、過言ではない。

「しかし、売られないで、処分されてしまうほうが、もっと可哀そうじゃないかって思うから、一応3000円を切り札にして、着物を販売しているんです。」

「まあ、いいんだよ。人間誰でも、うしろめたさをもって生きています。それは、多かれ少なかれ、必ずある。そんな事を気にしてたら、生きていけませんよ。まあ、とりあえず、江戸友禅を展示会に出品することかな。」

カールさんがそういうと、杉ちゃんが友禅の着物を眺めながら、にこやかに言った。

「でも、古着の着物を、展示会に出品するなんて、なにか訳があるんでしょうか?例えば、江戸友禅を作る職人がいないので、古着に目を付けたのでしょうか?」

ジョチさんが口をはさむ。

「そうかもしれませんね、江戸友禅は、職人の高齢化が著しく、廃業する職人が多いと聞きます。それで、新しい着物を作れる人が、少ないかもしれない。」

「なるほど。そうですか。誰か若い職人でもいてくれればいいですけど、京友禅のように有名なブランドではないので、余り興味を持ってくれないのかな。江戸友禅だって、大事な日本の技術ですからね。」

カールさんが答えると、ジョチさんは、ため息をついた。

「はい。日本人は、過去に作ったものを忘れすぎなんですよ。日本の文化は全否定されてばっかりだけど、こういう素晴らしいものを持っていると、ほこりを持ってもらいたいものです。」

「そうだあなあ。それよりも、僕の黒大島は、どこにあるんですか。僕、友禅よりも、黒大島の方が、ほしい。」

と、杉ちゃんがちょっと不服そうに言った。

「ハイハイそうですね。杉ちゃんのすきなものは、黒大島だって事は、ちゃんと知っているよ。」

と、カールさんは、着物の山の中から、麻の葉の着物を取り出した。杉ちゃんは、それを、ありがとうな、といって受け取った。

「はい、杉ちゃん。一枚1000円でいいからね。」

と、カールさんは、杉ちゃんから1000円札を受け取って、領収書をしっかり書いて、杉ちゃんに渡した。ここでの領収書は、1000円とか、3000円という数字ばかりだ。

「おう、ありがとうね。着物はやっぱり、黒大島がいいよ。農民から、武家迄浸透したのは唯一、黒大島だ。」

と、にこやかに笑って、杉ちゃんはいった。

「それでは、展示会にだす着物は、どうしようかなあ。」

と、カールさんは、ズラリと並んだ友禅の着物をもう一回眺めてそういう事を言った。

「ウーン、この、青色の訪問着なんかどうだ?かわいいぞ。」

杉ちゃんがそういって、訪問着を一枚指さした。確かに、青い地色に、オレンジ色で、鬼百合の柄を友禅で入れた、可愛い着物である。

「そうですね、鬼百合というのはちょっと、おかしいのではありませんか?それよりも、古典的な、菊とか松とか、そういうモノを入れたこちらの訪問着はどうでしょう?」

ジョチさんが、モスグリーンの訪問着を指さすと、カールさんは、ああ、そうだねえ、という顔をした。

「いや、こっちの方が絶対良いな。だって、こっちはありきたりだもん、こういう個性的でかわいらしい方が、使えるよ。あんまりありきたりの柄よりもな、それよりも、型破りで可愛い感じの方がいいと思う。」

と、杉ちゃんが口をはさむ。

「型破りですか。日本の伝統文化では、余り型破りというのはどうなんでしょうかね。日本の伝統はまだまだ正統派を主張する人が多いじゃないですか。」

ジョチさんがそういうが、杉ちゃんは、

「ダメダメ。今までと同じというのは、今の時代には絶対にだめなんだ、それよりも、こういう堅破りで、今までないものを持って行った方がいいんだよ。古い着物屋は、やっぱりこういう着物しかないのかって、バカにされるよ。」

と、意思を曲げなかった。

「ウーン、そうですね。確かに杉ちゃんのいう事も一理あります。カールさんたちの着物屋というのはどうしても、古臭いものしか売ってないというジンクスはありますよ。それはどうしてもとれないスティグマというモノですから、型破りなものを出品してもいいかもしれませんね。」

ジョチさんは、杉ちゃんの言う通りにしたほうがいいといった。

「ほら、ジョチさんもそういっているだろう。この堅破りな着物、出品してみろよ。きっといい

結果が得られると思うよ。」

「そうだねえ、、、。」

カールさんは、なるほど、という顔をして、その着物をとってみた。

「それでは、これにしてみようかな。」

と、にこやかに言った。

「おうおう、ぜひやってみてくれ!」

杉ちゃんに言われて、カールさんは、この着物にしよう、とうなずいた。

次の日。富士市屈指の老舗呉服店で、富士市内の呉服屋を統制しているような大規模な着物屋である、着物の石橋の店長室では。

「なんですか、これは。」

と、カールさんから送られてきた写真を見て、石橋家の人たちは、おどろいていた。

「こんな友禅は見たことない。やっぱり外国人ですね。ちゃんと友禅の事をわかってないんでしょう。そういうやつが、友禅を販売するとなると、ヤッパリこうして変なものを売っているんですよ。」

石橋家の次男である、石橋創介が、写真を見て、がっかりした顔をして行った。

「全く、友禅というモノがわかっていないのよ。こんな外国人のやっている店なんて、さっさと潰れればいいのになと思うわ。」

創介の妻、石橋麻衣が冷たい顔してそういうことを言う。

「こんな店、早くつぶしてしまいましょう。こんな友禅でもないものを、販売するとは言語道断と、講義のメールか、葉書を出してしまいましょう。そうすれば、上の呉服屋から文句を言われたという事で、あの店は、人が訪れなくなるでしょう。」

麻衣は、いら立って、そういうことを言った。

「でも、ああいう店は、営業妨害という事は確かですが、何でもつぶそうかという事はないでしょう。勝手にやらせておけばいいんですよ。ああいう店は、洋服屋と同じようなつもりで、何も、私たちには影響しないですよ。」

ちょっとおとなしい創介が、そういうことを言うと、

「いいえ、明らかにあたしたちを冒涜しています!あたし達が、丹精込めて作った着物を、まるで洋服と変わらない、3000円とかそういう風に値段をつけて、気軽に着てみようなんて、本来の着物の着るようなところでないようなところに、着用させている。それでは、着物がかわいそうというか、そういう事は、思わないの?着物は、それ相応に価値があるって、ちゃんと教えてあげないといけないんじゃありませんの!」

麻衣はちょっとヒステリックに言った。

「麻衣さん、そうだけど、それに興味を持って、着物を買う様になってくれる人だっているじゃありませんか。」

創介がそういうと、

「そんなの、ほんの一握りじゃないですか。呉服屋は呉服屋で、着物はそれなりに、着物を買ってくれる人であるからこそ、本当に着物というモノ。日本の文化は、一度アメリカに占領されてから、バカにされるようになっているからこそ、着物は、それなりに、わかる人だけにしていかなきゃいけないんです!」

麻衣は、またきつく言った。

「しかしですよ。これでは着物は、若い人に触れることなく、お年寄りの専用の物になってしまいますよ。」

「いえ、そうならなきゃダメなんです。最近の若い子は、着物ばかりではなく、伝統文化を変な風に解釈してしまっています。沢井忠夫なんか、その典型例でしょう。着物がちゃんとした状態で生き残っていくためには、そうするしかないんです。着物を、寸法の合わないまま平気で着たり、洋服に合わせて無理やり着たりなど、そういうおかしな着方をする。これではまるで、お箏を、電気楽器と同じように扱う、沢井のやり方とまるで変わりません!」

「沢井忠夫ねえ、、、。確かに彼がデビューした時、常軌を逸する演奏法だとは思いましたけどね。でも、彼のおかげでお箏教室に通いだす若者が倍増したじゃないですか。」

「いいえ、私、お箏を教えている方に聞きましたが、その奏法を矯正するのに、かなりの時間がかかったと聞きます。あたし達は、少なくとも、そういうことはやってはいけないと思いませんか。そのような失敗は、二度としてはなりませんよ。」

二人が、こういう風に、口論していると、いきなり奥のふすまが開いて、この店の当主である、石橋藤六が入ってきた。

「お父さん。何をやっているんですか?」

すでに隠居しているとはいえ、藤六はまだ貫禄があり、年を取っても、ものすごい威厳を示していた。

「部屋へ戻ってくださいよ。もう店の事には手を出さないって、約束したでしょう?」

麻衣がそういうと、

「いや、お前たちが、そういうことを言っているから、まるで役に立たんのだ。お前達は、まだまだ店を明け渡すのは修業が足りん。いいか、今回は、この友禅を、展示会にださせろ。」

と、藤六はでかい声で言った。

「何を言うんですか。お父さん。こんな酷い柄の友禅を出させる分けにはいきませんよ。こんな柄の着物を出したら、私たち呉服屋も面目丸つぶれです。」

創介がそういって止めると、

「いいや、わしらは、何食わぬ顔をしてみて入ればいいのさ。古着物屋に出来る事は、こういう事しかないんだなという事を、知らしめてやればいい。わしらは、もっと、すごくきれいな着物を出して、着物というものは本来こういうモノであると、思わせることに成功させれば、それでこちらの勝ちだ。そういう風にして、ああおい営業妨害をする店を、つぶしていけばいい。」

と、藤六はそういう事を言った。まるでその態度は、新宗教の教祖みたいに、威厳がある態度だった。

「そうですか。そういうことは、ヤッパリ年上のお父さんでないとひらめきませんね。」

創介が、急いでそういうことを言う。全く、家の亭主はどうして、こうしてお父さんばかり頼るのだろうか。と、思いながら麻衣は、がっかりと肩を落とした。

「まあ、お父さんは、お兄ちゃんのほうが好きだったもんね。創介さんに、いくら家督を譲ってあたしたちが店をやろうとしても、すぐにてを出すし。あたしの意見なんて聞かないで、自分で決めちゃうんだから。」

そう言うと、創介の目が少し動いた。

「君は、そういう風にやっぱりお兄さんの事を言うんだな。」

「うるさいわね!あたしだって、愚痴を言いたいのよ!」

すぐに、麻衣はそう言って、創介と反対の方を向いた。

「麻衣!仕事と、プライベートの区別をしなさい!仕事では、お前たちはまだまだ半人前だから、まだまだ決定する余地はない!龍介の話は、口にしないように!」

藤六に言われて、麻衣は、そうねと言って黙った。

「よし、それでは、展示会の日程は、一か月後だ。展示会までに、お前たちは展示物を集めることが先決だ。そして、なるべく高級な、立派なものを出すように!」

去年にも、私たちに決めさせてくれと懇願したはずだ。それなのに、また今年も、麻衣たちは決めさせてもらえず、結局のところ、藤六にすべてを任せていることになる。

「わかりました。一か月後には、開催できるようにしますから。」

「よし、創介君。そうしたら、すぐに、開催場所を探してきてくれ。そして、手ばやく展示する着物を、調達しろ。麻衣は、その展示物のカタログを、すぐに、パソコンで作るんだ!解説には、友禅の歴史や、文化などを、出来るだけ詳しく載せるんだ!誤字脱字は一切許さん!」

創介がそういうと、藤六はすぐに指示を出した。どうして毎年毎年、こういう風にお父さんの指示で、展示会だったり、着付け教室だったり、何でも何でも決まってしまうんだろうか。創介さんは、それを待っているような節があるし。あたしたちが、着物の販売をしたいと思っても、こうしてお父さんのやり方で終わってしまう。なんでそうなってしまうんだろうかな。

「それでは、お父さんの言う通りにするわ。」

結局、そういうことに終わってしまうのである。

不意に、頭上から、ピアノの音が聞こえてきた。防音の部屋にして貰ったはずなのに、またお兄ちゃん扉を開けっぱなしなのかしら?あんな重たい扉、お兄ちゃんには開ける体力がないとお医者さんに言われてしまった事もあったっけな、、、。

「お兄ちゃんは、気楽でいいわ、家の店の事、何一つしないでいいんだから。」

と、麻衣は、そういうことを、ぼそっと言った。

「仕方ないじゃないか。お兄さんは、そういうことはできなかったんだから。無理なものには手を出さないで、そのままにしておこうよ。」

創介が言ったが、かといって、お父さんに、すべてをゆだねてしまう事も、もうしたくないなと思う、麻衣なのであった。

一方、杉ちゃんたちは、カールさんの店で、展示会にだすためのきものを眺めながら、きっとこれを出品したら、面白びっくりになるぞ、なんて言いあっていた。今までの友禅とはちょっと違うものだから、みんな楽しんでくれるといいな、なんてことも話していた。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る