第4話

「エレナ……? エレナなのか?」

 森の中にポツンとある自然にできた広場。少女はその広場の真ん中で、少年に背を向けて立っていた。

「全く……、心配したんだぞ? 皆の所に戻ろう。ドロテアさんやヤーコプさん達が待ってる」

 少年は少女に向かって歩み寄る。しかし少女は振り向かない。

「どうしたんだ? ボクだ。--だぞ?」

 何かがおかしい。声が聞こえていないはずがないという距離まで近づいても、少女はこちらに気付く素振りをみせない。少女はただ、空の月を見上げている。

「エレナ!」

 少年の手が少女の肩にかかろうとしたその時、ようやく少女が振り向いた。

「っーーー!?」

「あなたは……。あぁ、あなたが私”たち”の『兄さん』なのね」

 そう言ってエレナは薄く笑う。紅く染まった瞳を少年に向けながら。

「エレナ……? 違う、お前はエレナじゃない……」

 冷ややかな風が二人の間を吹き抜ける。

「酷いこと言うのね、兄さん。私”たち”は兄さんの妹よ?」

 エレナが微笑む。普段の無邪気な笑顔ではない。まるで全知の神が何も知らない人間を見るようなーーそんな嘲りを含む顔だった。

「違う! 本物のエレナはどこだ!!」

「信じられないというのなら、エレナの思い出を語ってあげましょうか? 兄さんが誕生日の時にはしゃぎすぎてジュースをこぼした話でもする? あの時はルイスがビショビショになって大変だったわね。アラジンの想区で砂漠に埋まっていた宝物を見つけた時の話でもいいわ。あの時の兄さん、純金の王冠か宝石のついたブレスレットのどちらをもらうかで一晩中悩んでたっけ。それとも……兄さんが私”たち”に物語を作ってくれるって言った時の話の方がいいかしら?」

 少年はフラフラと数歩後ずさる。

「本当に、本当にエレナなのか……」

「そう言っているじゃない。エレナは私”たち”を受け入れた。だからエレナは私”たち”であり、私”たち”はエレナなの」

「受け入れた……?」

「えぇ、そうよ。エレナはグリム兄弟やシャルル、ルイスやシェイクスピアのようになりたがっていた。でも同時に自分の無力さにも気付いていて、憧れと諦め、二つの感情の間で苦しんでいた。だから私”たち”がその願いを叶えてあげることにしたの。心と体をもらう代わりにね」

 ほら見て、とエレナは少年の方に手を出す。手のひらの上で、黒く小さな何かが動いていた。

「今はまだ不格好で弱弱しいけど……、皆と同じようにイマジンを生み出せるようになったのよ。もう少し練習すればもっとうまくなるわ」

 エレナはくすくすと笑う。少年はそれに言葉を返す事が出来なかった。

 エレナは既に少年と同じ所まで来ていたのだ。高みの存在に憧れ、無情な現実に諦める。その葛藤をエレナが迎えるのはまだ先だと思っていた。しかし妹は彼が考えているよりずっと大人になっていたのだ。その驚きが少年の言葉を詰まらせていた原因の一つだ。だが、少年が何も言えなかった最大の原因は……。

「私”たち”の事はヤーコプ達には内緒にしておいてね。もし不用意な事をすれば、兄さんの大事な『エレナ』が傷つく事に……」

「……てくれ」

「……? どうかしたの?」

「ボクにもその力を与えてくれ! イマジンを生み出せる力を! 創造主達のようになれる力を! お前ならできるんだろ!?」

 少年はずっと苦しんでいた。どんなに憧れても、どんなに努力しても創造主達のようにはなれないという現実に。いつしかそんな苦しみから逃れるために、少年は抱いていた憧れを心の奥深くに封印した。

 そして今、その封印が解かれかけている。自分と同じ存在だと思っていたエレナが「何か」によって創造主と同等の存在になった姿を見た事で。

 エレナが首を傾げる。

「えーっと。それは私”たち”を受け入れるという事なの?」

「そうだ! だから早く……!」

 少年の頭の中にはもはや、「何か」が与えてくれるものに対する期待しかなかった。もし「何か」が望むなら、少年はどんな醜態でも晒して見せただろう。

「うーん……。たしかにあなたの体の方が動くのには都合が良さそうね。エレナもいざという時のために連れていけばいいだけだし……。そうね、そうしましょう」

「だったら……!」

「えぇ。あなたの願いを叶えてあげる。さぁ、目を瞑って……」

 少年は言われるがままに目を閉じる。ついにこの時が来たのだ。ずっと憧れて来た彼らと肩を並べることが出来る。少年の胸は早鐘を打ち、その時を待つ。

「………………」

 ………………………。

 ……しかし、いくら待ってもその瞬間は訪れない。少年はほんの少し目を開けた。

「なっ……!?」

 エレナは少年の方を見ていなかった。少し離れた所で、少年に背を向けて首や肩を回している。次に足元に落ちていた石を拾うと、森の方向に思いっきり投げる。石は森の中に入ることなく、広場の端に落ちた。

「ふぅ……。まぁ子供の体だしこんなものかしらね。力仕事が少し厳しそうだけど、そこはヴィランに任せればいいかしら……」

「お、おい! 何やってるんだ! ボクの体と心が欲しかったんじゃないのか!?」

 少年は怒鳴る。それを聞いてエレナが、少年の事などすっかり忘れていたという風で振り向いた。

「あぁ、まだいたのね」

「まだいたのね、じゃないだろ! いいから早くボクに力を……」

「あなたでは無理よ」

 興味のない相手をあしらうように、極めて無造作に放たれたその言葉に少年は絶句する。

「言ってなかったかしら。私”たち”の器になるには高い感受性と共感性が必要なの。あなたにはそれがない。兄妹なんだしあなたもエレナと同じだと思ったんだけど……。とんだ期待外れね。やっぱりそこまで都合よくはいかないという事かしら」

 「何か」は冷淡に、そして機械的に少年の傷口を抉る。そこに侮蔑や嘲笑の感情は一切ない。ただただ淡々と紙に書かれた事項を読むかのように、少年の体に、心に穴を穿つ。

「っーー!!」

 少年は否定しようとする。否定しなければ「自分」が崩れてしまいそうになるから。

 だが否定できない。なぜなら、その言葉は少年の言葉でもあるからだ。「何か」は少年が見ないふりを、気付かないふりをしていた事実を取り出してきているだけだからだ。だから少年は「自分」が目の前で刻まれ、砕かれるのを見る事しか出来ない。

「あなたは私”たち”を受け入れられる器じゃないの。自分でも分かっているんでしょう?」

 少年の目にはエレナが、否、「何か」が巨大な鎌を振り上げたように見えた。

「ヤーコプ達と同じになりたい、そう言っていたわね。でもダメね、ダメよ。あなたには創造主になるために必要な物が欠けている。どんなに頑張っても、何かにすがっても、創造主にはーー」

 残酷な神は言う。

「決してなれない」




 そして時間はその数日後に飛ぶ。ヤーコプの判断で、エレナが見つかった後、沈黙の霧が出次第、森の想区(結局そこが何の物語をベースにした想区なのかは最後まで分からなかった)を抜ける事にした「グリムノーツ」だったが、沈黙の霧を抜けるとそこはまたしても森の中だった。だが幸いな事にその森はそこまで巨大なものではないようで、パックの情報によれば歩いて一日もかからない所に街があるらしい。大人たち(+シャルル)がエレナ探索で疲労がたまっている事を考慮して、近くにある湖の畔で一日野営してから街を目指すという事になったのだが……。

「……そんな事があるわけがないだろ……! ボクがエレナより劣っている? そんなわけが無い!」

 鏡に映る自分を睨みながら少年は呟く。その手には奇妙な形をした栞が握られていた。

 「魔法の鏡」。その鏡面にストーリーテラーの力の残滓と言われている詩晶石を投げ込む事で、映した人の心の深層からヒーローの魂を召喚する事が出来る魔法のアイテムである。そしてその魂を「空白の書」の持ち主の体に宿す、つまりコネクトするための媒介となるのが、少年が握りしめている「導きの栞」だ。

 本来ヤーコプが認めていない子供が魔法の鏡を使う事は許されていない。理由はいくつかあるが、「幼い子がヒーローとコネクトすると自分を見失ってしまうから」というのが最も大きな理由としてあげられる。

 まだ自分を確立できていないうちに、強大な力や確固たる自信、曲げる事のない信念を持ったヒーローとコネクトすると、それらがまるで自分自身の物であるかのように錯覚する事がある。そうすると、コネクトを解除した時の何もない自分に嫌悪感を抱くようになり、それから逃れるようにコネクトを繰り返したり長期に渡ってコネクトを続けるようになる。

「ずっとコネクトしてるとどうなるの?」

 昔、少年がこう尋ねた時、ドロテアはただ悲しい顔をして少年の頭を撫でた。

「全部……消えちゃうの。自分が誰だったかも分からなくなって……」

 少年はその言葉を忘れてはいなかった。だが、少年はどうしても今、この鏡を使いたかったのだ。

 野営の話を聞いた時、少年はあの計画を実行に移すには今しかないと思った。あの夜からずっと考えていた計画。森の想区では単独行動が出来ず、魔法の鏡を持ち出す事は叶わなかった。街についてしまえば、魔法の鏡は宿に置かれ、誰にも見られないように魔法の鏡を持ち出すのは不可能になるだろう。この機会を逃したら、次はいつになるか分からない。

 前の想区での反省を踏まえ、子供たちが遊ぶときには必ず大人が一緒にいるようにはしていたが、少年はすでに付き添われる側ではなく、付き添う側になっていた。案外ヤーコプに魔法の鏡を使わせて欲しいと頼めば、そう時間を置かずに許可が下りたかもしれない。だが今の少年にとってはその時間すら惜しかったのだ。

 湖が思ったよりも大きく、子供たちがあちこちで遊んでいた事も幸運だった。そのおかげで少年は誰にも見られる事無く魔法の鏡と導きの栞を持ち出して森の中に隠れ、そして今に至る。

「ふぅ……」

 深く息を吐き、高ぶる気持ちを抑える。使える時間はさほど多くない。トイレだと言って抜けてきたのはいいものの、あまり時間がかかると怪しまれるだろう。魔法の鏡を戻さないといけない事も考えると、時間は十分もないと思った方がいい。

 少年は栞を握ったのと反対の手に、詩晶石を握る。

「これでボクが創造主になれる事を証明してやるんだ……!」

 少年の計画、それは自身の心の深層から創造主の魂を召喚する事で、自分には創造主になる資質があるのだと示すというものだった。

 ……もしルイスがこの計画を聞いたなら、こう言うだろう。「ナンセンスだ」--と。

 魔法の鏡を使って創造主の魂を呼びだす事自体は可能だ。事実、「グリムノーツ」の創造主達は魔法の鏡から呼びだされた存在であり、「空白のホムンクルス」にその魂を定着させる事で、普通の人間と同じように活動している。

 だが、武人がアーサー王の魂を呼べるとは限らないように、音楽家がモーツァルトの魂を呼べるとは限らないように、創造主になれる資質があったとして、必ず創造主の魂が呼びだせるかと言えば、否と言わざるを得ない。魔法の鏡はそんなに単純な仕組みではないのだ。所詮資質など表面の話に過ぎず、魔法の鏡は心のさらに奥を覗いているのだが、少年には知る由もない事だった。

 少年は詩晶石を鏡面に向かって投げる。虹色に輝く石が鏡に吸い込まれた瞬間、鏡全体が淡い輝きを放ち、そしてーーーーー

「ラァァァァブ!」

 


 




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