第3話
少年がエレナを探して走り回っていたのと時を同じくして、創造主シャルル・ペローもまた、森の中を疾走していた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「あまり無理をするな。すっかりへばっているじゃないか」
シャルルに追走する長靴をはいた猫が言う。
「なんのこれしき……! エレナを見つけるまで吾輩は止まれんのだ……!」
しかし彼の言葉に反して、少しずつ走る速度は落ちていく。
「全く……」
猫はすっと前に出るとシャルルの進路をふさぐ。
「なにをする!」
「何十分走っていると思っているんだ。もうとっくに限界なんだろ?」
「ぐぬぬ……」
猫の言うように、シャルルの体はあちこちが悲鳴を上げていた。大声でエレナを呼び続けたせいで喉もカラカラだ。
「それでも吾輩は……」
「まったく、頑固な男だ。……レディ達、出てきてくれ」
するとシャルルの周りに四人の女性が音も無く現れる。赤い頭巾を被った少女にドレスに身を包んだ二人のプリンセス、そして輝くローブを身にまとった美しい妖精。いずれもシャルルが語った物語の登場人物だ。
「フェアリーゴッドマザー、悪いがこいつに付き添ってやってくれ」
「はぁい!」
フェアリーゴッドマザーが杖をふるうと、癒しの光がシャルルの体を包む。
「こら、何勝手な事を……」
「お前に倒れられるとこっちも困るんだよ。戻れとは言わない。しばらくそこで息を整えろ」
「猫さん、私達は……?」
「すまないがレディ達もエレナ嬢の捜索に参加してくれないか。今は猫の手も借りたい時でね。人手は多い方がいいんだ」
「わかったよ!」
「エレナさんを見つけたらすぐにお知らせします!」
「りょうかいですー」
猫はシャルルの方を向く。
「そういうわけだからお前はここで大人しくしていろ。エレナ嬢は、この長靴をはいた猫の名にかけて必ず見つけてやるさ」
そう言い残し、猫と少女達は闇の中へ消えていった。それを見送るシャルルは歯ぎしりしながら言う。
「ぐぬぬ……。今日ほどこの子供の体を恨んだ事はない……!」
そして同時刻、「グリムノーツ」の野営地にて。
「旦那ー! 俺はいつまで子供のおもりをやってりゃいいんだよ!」
大人たちはほとんどがエレナの捜索に出ており、現在野営地には十数人の子供と三人の男しかいない。そしてその三人のうちの一人であるロバ耳の青年が叫ぶ。
「もう少しだ。役者なら耐える事を覚えろ」
髭を生やした壮年の男がそれに答える。
「それ言うの三回目だからな!?」
「そうだったか? あぁ、あとな」
男はわずかに笑みを浮かべる。
「……なかなか似合っているぞ、ニックよ」
「うがぁー!」
ニックが吠える。
「ねぇねぇニックお兄ちゃん! 今度は犬の真似して!」
「いぬぅ!? あぁもう、やってやるよやればいいんだろ!」
役者魂のなせるわざなのか、投げやりになりながらもきちんと犬を「演じる」ニックを横目に見ながら、髭の男ーシェイクスピアは子供達を観察していた。
(ふむ、エレナと親しい者は到底遊ぶ気にはなれないようだな。はしゃいでいる子共も、普段と同じように振舞う事で不安を打ち消している、あるいはそうする事でエレナが帰ってくると信じているといったところか。いずれにしても……)
「シェイクスピアさまー! 捕まえてきましたよー!」
シェイクスピアの思索を断ち切るように、騒がしい声が森の中から近づいてくる。
木々の間から飛び出してきたのは、一匹の猫を抱えた小さな妖精パック。その顔にはいくつものひっかき傷があり、憮然とした表情でパックの腕におさまっている猫との間でかなり激しい争いがあった事がうかがえる。
「戻ってきたか。……出ろ、ティタニア」
シェイクスピアがイマジンを召喚する。
「もう一度『取り替えっ子』を試す。準備はいいな」
えぇ、とティタニアはパックが押さえている猫に向かって手をかざす。
ティタニアの手が淡く光った次の瞬間、乾いた音と共にティタニアの手が弾かれた。猫は依然として不機嫌な顔でパックに押さえられている。
「やはり……か」
「申し訳ありません……」
「気にするな。お前は一度戻れ」
ティタニアは目を伏せたまま虚空に消える。
「あ、おいこらー!」
見れば、パックの意識が逸れた一瞬を狙って拘束から抜け出した猫が、一目散に森の中へと逃げていく所だった。それを追おうとしたパックをシェイクスピアは手で制する。
「お前も戻って休め。今一度、作戦を考え直す必要が出てきた」
パックを己が内に戻し、シェイクスピアは三人目の男の方を向く。
細身のその男は、先程から白いくせ毛をかきながら同じところを行ったり来たりしている。普段は笑顔を絶やさない彼だが、今は焦燥の色を強く顔に浮かべていた。
「そっちの方はどうだ」
「今最後のトランプ兵を出発させたところだよ……。エレナを見つけたという知らせはまだ入ってこない」
男の名はルイス・キャロル。マッドティークラブやチェシャ猫の創造主だ。
「不思議」と「鏡」。二つの国を有する彼のイマジンの数は文字通り桁が違うが、今のルイスはそのほとんどを放出していた。
「無茶な事をする。すぐにイマジンを戻せ。塩の柱になる前にな」
「それでも構わないさ。彼女が無事ならそれで……うっ!?」
ルイスが胸を押さえて呻く。
「無駄だ。今のままでは、例え我らのイマジンを全て出したとしてもエレナは見つからないだろう」
「どうしてそんな事が……!」
「ティタニアの『取り替えっ子』が失敗した」
語気を強めるルイスを遮るようにシェイクスピアはそう告げる。
「それも一度ならず二度もだ。そしてお前のイマジンの力も機能していない」
「……」
ルイスのイマジンであるチェシャ猫は「どこにでもいてどこにもいない」存在だ。
その特性、加えて自分の概念を他者に拡張させる事で、自分やそれ以外の生き物をあたかも瞬間移動のように想区内の好きな場所に出現させることが出来る。だからチェシャ猫がいれば迷子を見つけることなど造作もない。初めは皆、そう思っていた。
しかし、チェシャ猫が消えて十分が経つと、一部の人間の心に不安の影がよぎるようになった。ヤーコプは森に詳しいツヴェルクを呼びだし万が一の事態に備え、シャルルとエレナの兄はヴィルヘルムの制止も聞かず森の中へ駆け出していった。それでも大多数の人間はまだ事態を重く受け止めてはいなかった。
結局、ヤーコプの判断が杞憂でなかったと分かったのはさらに十分後、チェシャ猫が歩いて戻ってきた時だった。
チェシャ猫いわく、どこに出現するかが分からない、自分でも制御が出来ないと。そしてティタニアの「取り替えっ子」が失敗に終わった事で、ようやく全員がこの異常な事態に気付いたのだ。
「……何かに妨害されている、という事かい?」
「私はそう考えている。おそらくあの長兄も同じ考えだろうな。だから自ら捜索に動く事にしたのだろう」
シェイクスピアが星の見えない空を指さす。
「あの雲も、私達がエレナの不在に気づいた瞬間に現れた。まるで星や月の明かりを遮るように。何者かがエレナの捜索を妨害していると考えると、そのタイミングにも説明がつくのではないか?
「この仮説が正しいとすれば、天候を操りイマジンの能力を阻害する相手に人海戦術は無意味だ。それに比べれば姿を消すことなど容易いだろうからな。そしてこれだけ大掛かりな事をするなら、単にエレナに危害を加える事が目的ではないだろう。皮肉な話だが、エレナの安否が分からない事が彼女の安全を保障する材料になっている」
だからイマジンを戻せ、お前の体が壊れないうちに。
「……分かった。ウィリアム、君を信じるよ」
「まったく。世話のかかる恥さらしだ」
そう言ってシェイクスピアは息を吐いた。
帽子屋達と別れてどれほど経っただろうか。少年は森の中をとぼとぼと歩いていた。顔や腕には数えきれない程の擦り傷を作り、足を引きずるようにして歩いている。そんな状態でも少年が歩みを止めないのは、足を止めた瞬間に不吉なヴィジョンに飲まれるであろうことを予感しているからだ。もしかしたらエレナはもう帰ってこないかもしれない。そんな考えを振り切るように少年は足を動かす。
エレナは少年の唯一の肉親だ。少年にとってはただ一人の守るべき存在であり、「グリムノーツ」に入ってからもその思いは変わらなかった。彼女もまた、少年と同じように創造主に憧れていた。今はただの憧れだが、いつか彼らのようになろうと手を伸ばし、残酷な現実を知るのだろう。かつてその道をたどった少年は、無邪気に憧れを語る妹に待ち受ける運命を知りながらも、彼女と同じ、純粋に物語を楽しんでいた頃に戻りたいと夢想するのだった。
「……?」
少年の耳がかすかな音を捉える。それは誰かの話し声。とても小さく掠れた声だったが、少年はその声を覚えていた。一番長く、そして一番近くで聞いてきた声だったから。
「……あっ」
黒雲のベールが剥がれる。黒の衣装を脱ぎ捨て姿を現した満月が、少年と少女を照らし出した。
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