第七話 ぐずとへぼ

 すかり、と指先が空を切る。

「かさご!」

 天井から声が降ってきた。

「かさごは拾わぬ」

「誰が盗ったんじゃ」

 みぎわは、肩のあたりにむらと怒りが溜まるのを感じる。

「言わんでも心当たりはあるじゃろう」

「何故、止めんかった」

 闇が震えた。

 笑っている。

「怒るな怒るな。かさごは店番はせぬと言うたじゃろ。それに、かさごにはどちらでも良いもの。石の事も、戦の事も、人死にの事も。楽しければええ」

「あの甲賀のたあけ」

「そうそう」

 かさごが噴き出した。

 棚があちこちでからからと揺れる。

「さて賭けがある。甲賀のごいさぎが明日の朝いちばんに主へ提出するまでに、うみなりやのみぎわは取り返すや否や」

「賭けたのか」

「賭けたとも」

「どっちにじゃ」

 さあて、とかさごは闇をこねくり回すように囁く。


 ×


 黒々した夜の中で、白い城壁が夜風を吸い込んでほんのりと月色に光っていた。

 等間隔に並んだ松明が闇を追い払おうと堀の上で仁王立ちしている。

 名古屋城三の丸。

 光を縫ってふたつの影がぶつかる。

 鋼の音が、高く響いた。

 みぎわは一撃でじんと痺れた右手を引き、左足を軸に反転。

 そこに真っすぐな突きが入る。

 辛うじて避けたみぎわの忍び装束の端を削って、刃がちりりと擦過音を立てた。

「ぐず」

 相手がせせら笑ったので、みぎわは言い返す。

「へぼ」

 ついでに砂利を蹴り上げた。

 その勢いで飛び退たが、それは陽動。

 間合いを開けたと見せかけて上体をぐんと突き出す。

 猛進していた敵手が怯んだところに、掬い上げてはなった苦無を叩き込んだ。

 と、相手の姿が掻き消える。

 みぎわはほとんど反射的に刀を背後に振り切った。

 金属の衝突音が火花を散らす。

 次――。

 振り返ろうとして、がくんとつんのめる。

 足に紐が絡んでいた。

「ち」

 黒い影がみぎわの肩を地面に引き倒す。

「ふふん、ざまあない」

 うつぶせに転んだみぎわは、背中を思い切り踏みつけられたが黙っていた。

「半蔵様もさぞかし悔やんでらっしゃるじゃろうな。こんなぼんくらが今や伊賀衆の大事な生き残りとあらば」

「追い出されたのはお主がしくじったからだがや」

「これで帳消し。虎の爪を失くしたお主は店主の座を追われる」

「……ごいさぎ」

「何だ」

 踵にぐいと力がこもる。

 その一瞬の挙動を見逃さず、みぎわは倒される時ひそかに口にくわえていた針を吹いた。

 てっ、とごいさぎが短く悲鳴を上げ、微かに足が動いたところで背中を跳ね上げる。

「てめえ」

 ごいさぎは足首を捻って針を抜く。

 目だけを露出した忍者頭巾の奥で、苦々しいかたちに頬が歪むのが感じられた。

 みぎわは言う。

「団栗の背比べ。目くそ鼻くそ。どっこいどっこい」

「くそ、口の良く回る」

 刀を構える代わりに、ごいさぎは懐から手のひら大の石を取り出した。

 灰色で、表には三筋の爪痕らしき溝が刻まれている。

 虎の爪。

 ごいさぎは、手のひらの上でもてあそぶ。

「この石を奪わん限り意味は無いんだぞ、みぎわ」

 みぎわ、無言。

 夜の虫が沈黙を埋めようと鳴き始める。

 喉の奥に引っかかるような笑いを漏らして、ごいさぎが言った。

「悔しかろ。あの、何だったか松竹梅みたいな青二才」

「梅太郎」

「ふん、そう言うところが甘いんだよ。俺がかまをかける。梅が食いつく。お前はほいほい出かける。かさごは守らない。盗み放題だろうが」

 これ見よがしに虎の爪を月光にかざしてから、ごいさぎはうやうやしく懐に戻した。

「さてどうする? みぎわ」

 みぎわは刀をすとんと鞘に戻す。

 そして一言。

「いらん」

 ごいさぎがあからさまに狼狽えた。

「いらんちゅうたろが」

「……狂ったのか?」

「好きにしたらええて。儂は、知らん。知りたかったのはお前がやったのかどうかっちゅうところだけじゃったから」

 みぎわは、くるりと踵を返した。

「……おい!」

 追ってくる声には構わず、名古屋の町に駆け出していく。

 町は静かに眠りについている。

 みぎわの横で夜が揺れた。

 その気配に向けて苦無を投げる。

 と、苦無は空中で止まり、闇の中にぬるりと消えた。

「かさご。儲かったんじゃろ」

「たーんと、のう!」

 童のような無邪気な声が、晩夏の夜風に良く似合う。

「儂がしくじるほうに賭けたな?」

「ほほほ」

「嫌な奴。儲けさせてやったついでに、ひとつ働け」

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