第六話 名古屋という理想
梅太郎は最初の見立て通り、三男坊だった。
かさごが調べてきたことによれば、実家は尾張中村の羽振りの良い農家で、名古屋城築城に際して同郷の加藤肥後守のもとへ挨拶に伺い、父親はそこから色々と重宝されて、礼の代わりにと姓を賜ったのだという。
加藤肥後守はほんの幼き頃、農作業が終わった夕暮れごろに小さな森へ母者と連れ立っていき、そこで夏はひとときの涼を求めていた。
その森の横に住んでいたから、涼森。
悪くない、とみぎわは思い、安直だな、とかさごは笑った。
今の涼森家は勇躍、田畑を小作人に任せて大須の町人街に引っ越している。
父と兄二人おまけに姉三人は加藤肥後守様へのご恩に報いるべく、商売を始めて金子を貯め、いつか尾張に戻られた折にはさらに精進したところを見せようとしているらしい。
で、三男坊は。
「嫌われとるそうな」
と、かさごは言った。
「涼森一家が肥後守に相まみえたとき、肥後守はふと梅太郎を見て笑ったと」
「にこにこ呆けた三男坊だと?」
「いいや。呆けとるのはおみゃあの顔じゃろが。骨柄が良いと言うたらしい」
「兄貴連中には」
「一言もない」
しかも梅太郎は、涼森家に来た後妻の連れ子だという。
先妻が病死し喪が明けた直後に婚儀をした、という風評である。
ならばまあ嫌われるであろう。
唯一、血のつながらぬ兄弟というのは。
煙たがられの梅太郎は、しかし煙たがられているのを知ってか知らずか、屈託なく、ただ加藤肥後守にすっかり心酔してしまった。
それで、虎の爪を探し出したいという夢が取りついたのだろう。
哀れで凡。
「おお、ここじゃ」
梅太郎はぴたりと足を止めた。
ぐいと上を見ている梅太郎の視線の先には、豪快な(そして胡散臭い)筆跡で「雲額寺」と書かれた木板の掲げられた門構え。
いつの間にか猫背になっていたのを慌てて伸ばし、みぎわは感心したふりを装った。
そして、いつぞやのように馬鹿でかい声で、
「頼もう!」
と叫んだ梅太郎に、少々うんざりした顔をする。
してその日、雲額寺で出された石は、虎どころか猫の仔が引っ掻いたような代物だった。
×
「精の出ることだ」
と、夕暮れの中で、堀川にかかった橋に寄りかかってうじうじとしていると声がした。
「かさご」
周りを見回したが、声の主は見つからない。
「お前、今度はどこから喋ってるんだ」
「まあいいじゃないか」
その返事に、どこぞの遊郭の女みたいなまろやかな響きを織り込みながら、かさごは言う。
これで何人もの男を仕留めてきたのだろう。
かさごについてのあれこれを考えるのを止めたくなって、みぎわは視線を空に向けた。
名古屋では夕方になると、星よりも早く名古屋城天守の金鯱が輝き始める。
「坊主の禅問答に付き合う忍び。まことに結構」
「馬鹿にしとるだろ」
「どたあけ。何を二刻もやっとるんだか、わけわからん。かさごは店番などせぬぞ」
若い商人風の男たちがやいやいと話しながら近づいてくる。
みぎわとかさごは、口をつぐんだ。
見たところ清州からの引っ越し組ではなくて、新興勢力の集いである。
徳川家康公は大胆にも、城が出来るまでただの荒れ地だった名古屋という土地を碁盤状に区切り、そこに尾張の首都である清州の町そのものを、寺社仏閣はおろか橋や町名まで丸ごと移転した。
これを俗に清州越しと言う。
ただ、尾張名古屋に移転してきたのは清州の人間だけではなかった。
一旗揚げようという野心家が全国津々浦々から集まってきたのである。
「おや」
通り過ぎようとした若い商人がひとり、不意に振り向いてみぎわの顔を見た。
「うみなり屋さん。虎の爪は見つかったきゃあ」
「とんと。何かあったら教えてちょおでゃあよ」
声を掛けた商人は軽く手を振って、仲間の方に向き直る。
風に乗ってきた会話は、みぎわと梅太郎と虎の爪の話題で持ちきりだった。
「みぎわは、忍びじゃろ」
「わかったわかった。怒らんといてちょう」
「くそたあけ。商人に顔を売る忍びがいるか」
「これも商売じゃろ。商売の好機ちゅうたのはお主じゃろ」
鼻にツンとくるような不機嫌な沈黙が落ちた。
しばらくそうして風に吹かれていたが、やがて辛抱できなくなって、
「のう、かさご」
みぎわは少し投げやりに言った。
「儂がな、耐えられんのはな、戦になると、梅太郎みたいなお人よしが真っ先に死ぬってことじゃ」
瞼を閉じれば夕日の赤が戦場の赤に転じて目の奥に映る。
そこで事切れている梅太郎がどんな顔をしているのかも、みぎわは容易に想像することができた。
知っているから。
人が死ぬときどんな顔をしているのかを。
腐っても、下っ端でも、みぎわは戦場を生き抜いた忍びである。
肥後守のために真っ先に槍を抱えて飛び出していき、永遠に戻らなくなるであろう梅太郎の命がいかに簡単に散るものかをよく知っているのだ。
「だから?」
「かさご、儂がずっと梅太郎を泳がせとったのは――泳がせとったんじゃぞ、あいつが知ってるのか知らんのかを探りたかったからじゃ。もし、あいつが全部こっちの正体込みでわかっとるんじゃったら、首を取るつもりでおった。でも知らんよ、何も。あの僕ちゃんは」
かさごは少々思案したようだった。
このくのいちには珍しいことである。
だいたいは、考えるより口が先に動いているような
「まだ信じているのじゃな」
神妙にかさごは言った。
「何を」
「この名古屋が、戦乱の世を終わらせると。そのための町であると」
「信じとるさ。戦が終わって忍びの仕事なんぞ無くなってまえばええんじゃ。儂はどじょう鍋の店をやるよ」
かさこそと影の動く音がした。
何処かでかさごが足の位置でも変えたのだろう。
相変わらず居場所は分からないが。
「捨ててまえ」
「かさご?」
「そんな石など捨ててまえと言うんじゃ。本当に無いものにすればお主の気だって晴れるじゃろうに」
「できん」
「何故」
みぎわは、欄干にもたせ掛けていた背中を動かした。
骨が鳴る。
「あの石はうみなりやの要じゃ。あれが無くば儂は名古屋におれんじゃろ。それに、捨てたものを拾われてはかなわん」
誰に、とはかさごは問わない。
忍びの足元をすくおうとするのは忍びと相場が決まっている。
「かさごは拾わぬ。失敬な」
出し抜けに、かさごの気配が消える。
面食らってみぎわは周囲を見渡したが、虫の声の他は、もう何も聞こえなかった。
嫌な予感がしてうみなり屋に戻る。
久しぶりの全力疾走だが、息は切れなかった。
まだなんとか、とみぎわは奥歯を噛みしめる。
まだ、忍びではあるようだ。
虎の爪の隠し場所に手を伸ばす。
そこにはただ、ぽっかり闇があった。
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