第四幕 城の中庭にて

三月後。空気が日に日に張りつめ、吐く息も白くなっている頃。

 「いやぁーっ!」

 「はぁーっ!」

 「とぉーっ!」

 様々な氣合が入り混じり、狭い空間でひしめき合っている。男達からは、湯気が立ち上っている。

 「刀を振るときは、腕で振ってはならん、腹から振る。動くときは、呼吸に合わせ、身体たいで動け。」

 「おおう。」

 源右衛が、門下生に激を飛ばすと、気迫の入った返事が返ってくる。自宅道場にて早朝稽古をつけているところである。源右衛門は、門下生の手を取り、時には自ら打ってこさせて熱心に指導している。その覇気は、まだまだ現役のそれである。対峙した者は、汗が冷たくなる。何度、対峙しても慣れるものでは無いなと一人の門下生は、自分へ木刀を構えている源右衛門に対して心に思う。打ち込んだ門下生が吹き飛ばされる事もある。

 

 「ようし、今日はここまでにしようか。」

 汗を拭い源右衛門は声を掛ける。門下生たちは、その声に直ちに稽古の手を止め、源右衛門を正面に整列し正座をする。源右衛門は、門下生に背を向けて座り、道場正面の鏡、御神刀を拝んでいる。

 「正面に礼。」

 師範代が声を掛けると、一斉に頭を下げる。着物の擦れる音が、静かに道場に響く。暫くすると、源右衛門は、門下生の方に向く。この時間が源右衛門は好きだ。

 「御師様に礼。」

 「有難うございました。」

 門下生たちは、一糸乱れず声が揃っている。それに応えるように、源右衛門も深々と頭を下げる。源右衛門がゆっくり頭を上げるまで門下生達は、頭を決して上げない。音の無い時間が流れる。


 「今日は、御前仕合に出るものもいよう。しかし勝った・負けたなぞは、時の運。忘れてはならぬのは、勝ち方、負け方である。如何に勝って、負けるか、自分に恥じるような事はしてくれるな。

潔くいこうではないか。」

 柔らかい物言いにて、門下生に説く源右衛門。その表情は、好々爺そのもので先程の覇気は嘘のようである。

 その言を門下生は真剣に聴いている。皆良い顔をしている。

 「まぁ、これが戦に出るのであれば、何をしても生きて帰って来いと言うがの。」

 門下生から笑い声が起きる。

 「しかし、仕合も何が起こるかは誰にも分からん、やはり生きて帰って来いと言おう。」

 「はいっ、有難うございました。」

 一斉に頭を下げる門下生。それを満足気に源右衛門は、眺めていた。


 稽古後門下生達が、おのおの道場を掃除している中で、門下生の一人権兵衛が拭き掃除をしている源右衛門に声を掛けた。

 「御師様。今日の御前仕合、御師様も見に来られるのですか?」

 「ああ、前武術指南として御館に呼ばれておる。それに、可愛い孫の婿殿の姿も拝見したいしのう。」

 「正木殿ですか・・。」

 「さては、不安か権兵衛?正木が居ては、勝ち抜いて、御館に小春を嫁に貰うことを頼むのが難しいと考えておるな。」

 「あっ、いや・・。はい。実はそうなんです・・。」

 「はっはっはっはっ!ほんにお前は、正直者じゃのう。はてさて、小春だけが女子じゃないぞい。」

 「そ、そんな・・。」

 「はっはっはっ、悪かったわ。少しからかっただけじゃ。お前は、からかい甲斐があるからのう。」

 「ひ、ひどい・・。」

 思わず、頭を垂れ、床に手を着く権兵衛。

 「悪かった、悪かった。お前のその真っ直ぐな所が儂は好きだ。それに惚れる女子は多いと思うぞ。もっと視野を拡げてみるのも良いのではないかと思っての。」

 「はあ、視野を拡げる・・。居ますかねェ?そんな物好き。」

 「おる、おる。もっと自信を持て。」

 「・・という事は、やっぱり今回は、やはり勝ち抜けないと・・。御師様もお思いですか・・。」

 「・・うむ。正直言おう。正木は、強い。天賦の才がある。

 十年、いや百年に一度の才かもしれん。しかしそれに溺れず日々良く稽古しておる。自分が強い事を鼻に掛ける事もなく常に謙虚で、懸命に事に当たる。どの相手に当たっても、見くびることはまずない。つまり心身共に備わっておる。故に百年に一度の才という事じゃな。」

 「・・・つまり正木に死角はないと・・。御師様がそこまでおっしゃるとは・・。そんな人間が居るんですね・・。完璧すぎる。」

 「居るんじゃな。儂としたら、面白みはないがな。お前や新之助の方がよっぽど面白い人間じゃと思うがな。剣の腕はともかく人間としての強さは、お前たちの方が上かもしれんぞ。」

 「・・そうは思えませんが・・。大体人間としての強さってなんじゃ?剣で勝てないなら意味がないわい・・。」

落ち込みが激しい権兵衛は小声でぶつぶつ言っている。

 「・・ごほん。まぁ、勝負というのはやってみなけりゃ分からんからな。それに正木に当たる前に負けては話にならん。まずは一つ一つ大事にしなさい。」

見かねた源右衛門は優しく諭す。

 「・・確かに、一つ一つ、か。はい、有難うございます。」

 権兵衛は、まだ落ち込んではいるものの、少し気持ちは落ち着いた様子で頭を下げ掃除に戻る。

 「ほんに、弱みが無い人間はそれが弱みじゃよ。それに対抗出来るのは、お前たち弱みだらけの人間じゃ。それを抱えて目をつぶらずに雑草のようにしぶとく明るく生きているお前たちこそ真の強者なのだよ・・。もしかしたらとは、思うんだがなぁ。」権兵衛の背中を見ながら、源右衛門は独りつぶやく。


 新之助は、御前仕合に出る為、城に向かっている。城に向かう途中、釣りをした橋を渡る。その橋は、今日は人の往来が珍しく多い。皆、城に向かい御前試合を見に行くつもりらしい。弁当をこさえて、お座敷、日笠を用意するものも多い。皆、お祭り気分である。何もないこの里では、御前仕合なぞの催しものは大変めずらしく、里中浮き足立っている。橋の先の城の正門に通じる通りには露店まで出ている。さながら、縁日である。

 賑わいを見せている橋の上で小春がしゃがんで川を眺めているのを見つける。

 「そんなとこにおったら、人の往来の邪魔だぞ。」

 言いながら小春の頭をこつんと小突く。

 「い、痛っ。何すんのよ。驚かさないでよ。」

 頭をさすりながら、新之助を見上げる。

 「何を、ぼーっとしとるんじゃ?今日は人通りが多い。そんなとこにじっとしてたら踏みつぶされるぞ。」

 新之助は、小春の隣にしゃがむ。

 「うーん、ちょっとね。それにしても本当に今日は、人が多いね。こんなにこの橋が、賑わっているの見たことない。皆、御前仕合を見に行くのね。」

 多少興奮して、周りの人を眺める。

 「まったく、お祭り騒ぎだのぅ。呑気な里じゃな。」

 「そうそう新、仕合に出るんだよね?まさか出るとは思わなかった。そういうの興味ないのかと思った。何で出る気になったの?」

 「・・別に良いじゃろ。」

 「何それ。確か勝ち抜いた人は何でも御館様が願いを聞いて下さるんだよね。何か、お願いしたいことがあるの?ねえ?何で?」

 「うるせいなぁ。そんなものねえ。あってもお前には関係ないじゃろ。」

 「やっぱり何かあるんだ。なあに?ねえ何さ?」

 「しつこいわ!何もないわ!お前の許嫁が物凄く強いいうんで手合せしたいと興味が湧いただけじゃ。」

 「ふ~ん。それだけ?まあいいわ。そういう事にしといてやるか。」

 「おう、そういう事だ。・・何がしといてやるかだ。偉そうに・・。」

 小春は、微笑みながらまた黙って、川の方を眺めだした。

 人の往来のざわめきがひっきりなしに聞こえる。

 

 「ねえ、新。彼岸花って知ってる?」

 「んあ、何だ急に。そりゃ知ってるわ。川原に赤い花付ける奴じゃろう?」

 「そう。その花なんだけど。あそこにあるんだよ。」

 小春の指を差した先に青々とした線形の葉を付けた植物がある。他の植物は、師走のこの時期、弱弱しいのに対し、彼岸花の緑は、どの植物より青く、真冬とは思えないくらいである。

 

 「花を付けてねェと分からねえな。雑草かと思ったわ。しっかし良く見ると、冬だってのに葉っぱがやけに元気だのう。・・で急に彼岸花って何なんじゃ?」

 「うん、彼岸花ってさ、秋に花を付けている時には、決して葉は付けないの。冬に向かって花が落ちて初めて、葉が付き始めるんだよ。だから、真冬の時期でもあんなに青々としてるんだね。」

 新之助は黙って小春の言葉を聴いている。

 「彼岸花は、葉見ず花見ずとも言われていて花と葉が同時に見えることは無い。海を渡った国では、花は葉を想い、葉は花を想う、相思華って言われてるんだって。花と葉は決して逢わないけど逢えないからこそお互いが、お互いを想い合う・・。哀しいけどそんな健気な彼岸花が私は大好きなの。」

 涙ぐむ、小春。

 「ふ~ん。変わってるの。」

 小春には、視線を向けず。

 「変わってるかな。」

 瞳に溜まった涙を気づかれまいと拭う。

 「ああ、変わってるわ。普通はもっと明るい花が好きになるもんじゃないか。桜とか向日葵とか。まあ、小春っぽいちゃ小春っぽいか。」

相変わらず、小春を視線に入れずに。

 「そうかもね。変わってるかも。」

 微笑む小春。

 いつの間にか二人の間には、周りの喧騒は消えていた。

 小春は、パッと立ち上がり。

 「そろそろ行かないと。新も遅れるよ。後で、母上と見に行くから。しょうがないから応援してあげるから、怪我すんなよ。」

 言って、手を振りながら人混みに消えていく。

 「余計なお世話じゃ。お前は、許嫁の応援でもしてろ!」

 新之助は、小春の背中に向かい叫ぶ。

 「花は葉を想い、葉は花を想う・・か。」

 川原の彼岸花に視線を落としつぶやく。


 少しの間の後、「よしっ。」と立ち上がり。城に向かって歩き出す。その瞳は、光に満ちている。


 城内の中庭、城主の家紋入りの幕が四方に張ってある。大太鼓を叩く音が、否応なしに仕合の雰囲気を作り出している。

 陣幕の内側では、参加者だけでなく人がひしめき合っており、にぎやかに沸いている。城内の中庭がここまで人が溢れる事は、平時平和なこの里では、今だかつて無い。

 主催側の城勤めの者は、この賑わいに驚きと興奮を覚え、皆頷き合っている。

 

 参加者は、中庭の中部分において、想い想いにその時に備えており、鼻息荒く素振りをするもの、道場仲間と打合稽古をするもの、静かに瞑想するもの、様々である。

 

 その様子を中庭の外側で、参加者を囲むように見学者は興味津々にて各参加者を品定めしてお互いの予想をぶつけ合っていた。

その声で多いのは、

 「正木団十郎の立ち姿の何と見事なことか、隙を感じられない、ありゃぁ、ホンモノだ。正木で間違いねえ。」

 「いやいや、赤鬼様んとこの、長岡と益岡のどちらかであろう、の長岡、力の益岡ちゅうて、『赤鬼の二岡』と隣の里にも名を轟かせておる。」

 また嫁入り前の娘たちの

 「正木様は、本当に凛々しいわぁ・・・、他の猪侍と比べると輝いて見えるもの。はあ、ホンに良いオトコ・・。どこぞの下級武士の娘を嫁に貰うって噂だけど、私の方が絶対正木様にふさわしいと思うのに」


 「アンタとも釣り合わんわ。・・でもホンにずっと、眺めてても飽きないわぁ・・。」

 「こっちむいてくれないかしら。」等の黄色い声である。


 噂の正木団十郎といえば、独りで腕を組んで静かに目を瞑り、直立している。まるで、外の雑音と自分とを隔離しているようである。その立ち姿は、確かに綺麗というに相応しくそこだけ静かな波がさざめいているような、冷たい刃が立っているかのような雰囲気で、正木の周りには、静かな空間が用意されている。


 「もし、赤鬼殿では?源右衛門殿ではござらんか?」

 見学者に紛れていた源右衛門は何者かに懐かしい呼び名で呼ばれ声のする方へ振り返る。

 声の主は、小柄ではあるが、体躯はがっしりしており黒々の口髭と顎髭を蓄えて、顔は赤みが強く、目が大きく異様な眼力をはなっている。その声も大きく遠くにおいても良く届き、この喧騒にあって他の声をかき消し、皆振り返った程である。

 「おおっ、正木殿。相変わらずのようじゃの。ご子息の噂で皆持ちきりじゃな。」

 「はっはっはっはっ、いやあ、お恥ずかしい、まだまだあ奴は若輩者、源右衛門殿のお弟子さんに勉強させていただきますよっ。せいぜい小春殿に愛想をつかされないように励んで欲しいですな!」

 声の主、正木小五郎は、まんざらでもない様子である。

小五郎は、今は家老職に就いているが、若かりし頃は、源右衛門と共に戦場を最前線で駆け抜け、数々の武功を上げた強者である。

この強者をして源右衛門の戦いぶりは、現在も赤鬼と呼んでしまうほど、畏怖の念が染みついている。


 小五郎は、目の前の好々爺然としている源右衛門に違和感を覚えると同時に多少気圧されている自分を悟られまいと、さらに大声で続ける。

 「時に、珍しいことですな、赤鬼殿が城に顔を出すなど。やはり、自分の道場生が気になりますかな?それとも、孫娘の婿候補の値踏みにでも?」


 実際、源右衛門は城勤めをしている時にも城に上がるのをたいそう嫌い、余程の事がないとき以外は、自宅の道場や畑にて汗を流していた。戦働き以外にはに関わらずに自分の好きなことをして生きたいとの気持ちからである。

御舘始め重臣の面々もそういった、源右衛門の我儘を黙認していた。それ程、源右衛門の戦働きはこの里にとって、際立っていた。隣国に対する、防衛力の要とも言えた。

 源右衛門は、顎髭をなでながら僅かに笑い、

 「御館に、本日の見届け役を頼まれてしもうての。要は、各剣士の目利きの手伝い役よ。まあ、現御館の威厳も見てみたいしのぅ。あの若君がどれ程立派な御館になっておるのか気にもなってのう。」

 「なるほどっ!値踏み役ですな。そいつは良いっ!しかし若君・・・ごほんっ!御館様は今や、先代に並ぶとも、越えるとも言われておる、今回の御前仕合の目的もご存じであろう?また、愚息も参加した赤鯱狩りも御館様が指揮を取られたのですぞ。この里はほんに安泰じゃ。存分に御館様も値踏みしてくだされ。」

小五郎は、悪戯っ子のような目で、源右衛門を眺めて言った。


 小五郎の愛嬌は、嫌味も嫌味に聞こえない不思議なものを持っていた。その能力は主に外交場面で発揮され、数々の場面にてこの小さな里を戦禍から救った。

小五郎は、以外にも戦働きよりも外交手腕に於いて家老に上りつめた。現時点でも源右衛門とは、違った形での防衛の要であった。

 又、家老になった今でも、里の者からの人気は絶大で、年寄りから子供まで、小五郎に頼み事をしに行くものは多い。

息子の異例の出世にも、父小五郎のこうした経歴や人気は、過分に影響していた。息子自身もその事は十二分に感じており、払拭しようと勤めを励むことが、団十郎の才覚の覚醒を加速させていた。

 「ふふっ、そうさせてもらおうかの。」

 源右衛門は、嫌味を軽く流し、陣幕の内に消えていった。


 城門前にある受付を終えて中庭に着いた新之助は、不思議な胸の昂揚感に包まれていた。周りには、腕に覚えが有りそうな男たちが自らの士気を高めている。その独特の雰囲気に新之助の士気も高まっていた。純粋に自分がどれくらい強いのか?果たして弱いのか?漫然と胸に秘めていた想いの答えが目の前にあるからである。その昂ぶりに、新之助自体も驚いていた、自分がこんなにもその想いに興味があった事に。

 今まで権兵衛や、時折源右衛門の道場生の相手をしている限りにおいて自分の腕が試されている感覚に乏しかった。いや、皆無であったといえる。

人間は、不思議なもので、簡単に出来てしまうことに楽しさを感じない。新之助も例外では無く、相手が剣術に必死で有ればあるほどその感覚は強くなった。全てに於いていつも、己というものに触れる前に物事が済んでしまう。物事の理、所謂コツが何をしてもすぐに見えてしまう。その時点において、その物事は、やってもやらなくても良いモノになってしまう。

 「こんなものか・・。」

 そこには、変化がないから、創意工夫がないから、必死になって己と触れる必要がない。その体験を重ねるうちに、己を己として、感じる事が出来なくなっていた。


 新之助は、唯一興味があると思っていた剣術にすら必死に成れない自分がずっと寂しくあった。己には、何も無いのかと・・。

 

 しかしここでなら初めて本気でぶつかっていける。まだ見ぬ己に触れることが出来るのかもしれない。己がどれ程の者なのかを。この人生初めての昂揚感にようやく自分は、ずっと渇いていたのだと気付いた。新之助は、ここに居る元々の目的を忘れつつあった。

そんな想いで、周りを眺めていると、一人の男に目が釘付けになった。

一人だけ周りの空気が違う。


 肌が粟立った、初めての感覚であった。

身近な強者といえば、源右衛門が居るが、源右衛門自身がみだりに殺気を放つことはしておらず、まして新之助に対しては、慈愛の想いの方が強く、新之助も『化け物ジジイ』とは思っているが、そこまで感じえなかった。


 「この男と当たりてェ」

 同時に何かが、この男とだけはやらない方が良いとも言っていた。

初めての感覚尽くしに新之助は、胸の鼓動が収まらなかった。

来てよかった。心の底からそう感じていた。



 「やっぱ、おまえも来たんか・・。」

 新之助は聞き慣れた声とともに、周りの喧騒を取り戻した。

振り返ると、権兵衛が青ざめた顔をして立っていた。

 「なんじゃ、お前、きゅうりみたいな顔して大丈夫か?」

 そのナリを見るにつけ新之助は吹き出しそうになった。

 「おえっぷ」

 権兵衛は更にえずいていた。完全に雰囲気に呑み込まれている。見慣れた顔に新之助は、先刻までの鋭気がすっかりと抜けてしまった。

 「お前、出れるんか?無理しないほうがええぞ、別にお前に誰も期待してへんぞ?」


 「バ、馬鹿言えっ!平気じゃ、武者震いが止まらんだけじゃ。

 お前こそ、落ち着いて見えるが、本当は縮み上がってるのと違うか?」

 権兵衛の悲しい強がりに、新之助は「プッ」と吹き出した。

 「何を笑いおるか!儂は、本当に平気じゃぞ!い、今もどのように勝鬨をあげようかと思案しとったんじゃぞ!」

さっきとは打って変わり、顔を真っ赤にして、鼻息が荒くなり息巻いている。

 「悪かった、悪かった、馬鹿にしてなんぞおらん。お前は、普段のままで十分なんじゃないか?いつものように、暴れればいいじゃろ。」

 意外な新之助の言葉に、キョトンとした様子の権兵衛は、

 「お、おおう。そうじゃな。普段通りでええんやな、大暴れしてやるか。」

 すっかり怒気も消え失せ、気負いもなく落ち着いてしまっていた。

 ドン、ドドン・・。太鼓の音が急に大きくなり、皆そちらに振り返る。


 「御館様の御成り~。」

 近習のものが声高に叫ぶ。


 「お、始まるようじゃぞ。新、もし当たっても加減はせんぞ」

 「おう、もちろんじゃ、お前もそれまでに負けるなよ」

 

 互いの拳と拳をコツンと合わせて整列に向かう二人。その表情は、共に精悍であり覇気に満ちていた。

その様子を、後ろから小春が微笑みながら見守っていた。

 

 皆一様に平伏している。

鳥の鳴き声だけが、中庭に響き渡る。

やがて、木板の軋む音が鳴り、御館がみえる。

スっと、座敷の中程に座る。そのさまは、軽やかである。

 「面をあげよ。」


 皆一斉に、頭を上げる。この里には、珍しい光景に中庭で楽しそうに会話をしていた鳥達が驚き、一斉に飛び立っていく。

「おおっ、何とも立派に・・。」


 御館を目にした観衆から感嘆の声が上がる。

先代御舘が亡くなってから数年、急逝であった為、急遽継ぐことになった現御館は、主に外交面で多忙を極めており、城勤めの者でもお目にかかることは滅多になかった。

 それ以前は、よく里に遊びに降りて、若君、若君と皆に愛されて、可愛がられていた。里の後継者としての威厳とは程遠く、愛嬌があり、奔放、大らかで、戦国の世の小さな里の厳しい現実には、似つかわしくない若君であった。それを心配するものも多くいたが、この愛する若君の代になったら、皆でこのやんちゃ者を支えようと心から言い合っていた。この男は、生まれついての人たらしなのである。

 その若君を久々に見た民からの感嘆の声であった。

もともと女子のような顔つきで美少年であった顔立ちをしていたが、今は、美丈夫にて静かな威厳をたたえる表情を浮かべて、その姿勢からは、人を従わせる戦国大名のそれが漂っている。若君は、『御館』に成っていた。涙を浮かべて、拝んでいるものさえ居る。

 源右衛門も久々に会う若君の飛翔ぶりに、先代御館が、亡くなられてからの時間がこの若者の全てを磨き上げるほどの相当な密度があったのだと感じ入り、素直に「御館様」と頭を下げ礼を尽くした。


 静かに御館が口を開く。

 「本日は、かように大勢の強者の参加、嬉しく思う。仕合の内容いかんでは、この中から、即馬廻り衆、武術指南役に抜擢することも厭わない故、皆、存分に励んでほしい。」

 馬廻り衆、武術指南役抜擢、御館直々の言葉に、参加者たちは色めき立つ。

 「出自を問わないとの由は、本当らしい。」

 「在野にて、ひたすらに腕を磨いてきた甲斐があったわい。」

 「これは、是が非でも腕を示さねばならんのう」

 参加者の士気が一気に沸点に達し、中庭が熱気を帯びている。


 戦国の世において、己の腕にて名を上げる事は、男子に生まれたからには、皆一様に胸に帰するところである。

 しかし実際のところは、家柄、血筋、いわゆる出自にて判断されることが多く、腕の立つものであっても出自がはっきりしないものは、足軽で最前線に立たされ使い捨てにされるのが常で、

 「腕があれば、立身出世できる。」

 今回の御館の申し出は、これを実現できるまたとない好機であった。

くすぶっていた者たちの目の色が変わって当然である。


 「すげえ・・本当だったのか。」

 権兵衛は、周りを眺めながら、この雰囲気に酔っているかのように、身体が熱くなった。

 新之助が、視界にふと入った。新之助は、静かに座っているような、顔が紅潮しているように見えるが、その様子からは窺い知れない。

 「全く、何を考えているのか分からんな、あいつだけは。」

 権兵衛が独り呟く。


 御館は、ざわつく参加者に向って、片手を大きく開き、突き出し制した。

一斉に静まる参加者。

 再び中庭を静寂が包む。


 一息置き、御館が再び口を開く。


 「我が里は、四方を山に囲まれており、通りの便も非常に悪い。それに加え、余りに小さい里故に今まで、大国に囲まれていながら蹂躙されずにすんでおった。

しかし、織田の台頭に伴い世は急速に荒れてきておる。今や、今日の常が、明日の常とは、限らん。この里も、これまで皆の尽力により平穏を保ってきたが、いつ戦火に巻き込まれてもおかしゅうない。又、赤鯱もほぼ壊滅したとはいえ、残党は健在で、山に潜んでおり、里の者を怯えさせておる。加えて、近隣豪族とも小競り合いは続いており、先代お舘より、国境くにざかいは定まらん有様。」

 聞いていたもの皆、先までのお祭り騒ぎが嘘のように静まり返っていた。厳しい里の現状を聞き、息を呑んでいる。不安な表情のものが多く、鳥までも鳴き止んだ。


 御館は、表情を変えず続ける。

 「・・この厳しい時を乗り越え、次代に里を引き継いで行くために里の強化が急務である。まず里に強者、戦上手が増える事で近隣への評判を得る。その流れで、戦請負人として、近隣大名に人員を派遣し、どこの勢力にも与せず、傭兵集団として、各大名に里の利用価値をすり込む。この小さき里が生き残る道は、これしかないと思っておる。」


 「戦請負人?」

 「戦で、商売するっていうんか・・。」


 途端に、ざわつき始める、里の衆。動揺が明らかに広がっている。

 その様子が、想定内であったかのように御館は、平然と続ける。

 「今回の仕合会では、その候補を選抜する趣が強い。故に選抜されたものは、各地に派遣され戦を請け負ってもらい、命を賭けて貰うものも居る。もちろん、馬廻りとし里の守りに付いてもらうものも居る。この事が、不満であるものは、このまま立ち去り辞退しても構わん。辞退したものを決して、臆病者と罵ることは無い。又そうするものを絶対に許さぬ。・・すまぬ、これから、全力で仕合する者たちにはどうしても正直に話しておきたかったのだ。」

 頭を下げ目を落とす御館。

 また、中庭に静寂が戻る。


 どのくらい時が経ったか、皆、時の感覚をなくしていた。

参加者の中で、この場を立ち去るものは一人も居なかった。


 名誉、オトコ特有の感覚、それもあるかもしれないが、この正直な御館に皆魅かれ始めていたのも事実である。

 この御館が作ろうとしている新しい里の形に己を注いでも惜しくないとも思い始めていた。


 頭を上げた、御館の眼に写ったものは、精悍な顔つきの漢達であり、皆の眼が活き活きと自分に注がれている。その景色に御舘は満足気に頷き続ける。

 「参加者、皆の心意気に言葉もない、礼を言う。とは言え、先の儂の言はまだまだ先のこと、まずは、当面の脅威である赤鯱残党の駆逐、近隣豪族との小競り合いを制することで里の強さを見せつけなくてはならぬ。」


 御館の将来をはっきりと見据えた、力強い言葉に参加者を始め、先程まで、青ざめていた里の者たちの顔も血の気が戻り紅潮していた。

新しい御館が、里の道を示してくれる。そう確信し始めていた。


 その様子を感じたのか、満足気な顔をしながら、御館はパンッと膝を叩き、片膝を立てて両腕を広げ、大声を上げる。

「さあっ!皆の衆! 固い話はここまでじゃ!

今日出ている、出店のお代は、全て!里で持つ。皆、好きなだけ喰って、呑んで、強者達の名勝負を心ゆくまで堪能してくれぃ!

さあ、始めようぞ!」

 「おおうっ。」

参加者達が、呼応する。

 里の者たちもドッと湧く。

 「よっ、若様っ!日本一!」

 と叫ぶものに対し

 「馬鹿、今は若じゃねえ、御館様だ。」

 とたしなめる者が叫ぶ。

 皆、そのやり取りに、大声で笑う。

 「良い、良い若で構わんよ」

 と笑顔で応える御館。

 皆の笑い声が、中庭に響き、里中にこだまするかのように広がる。陽気な太鼓の音やらお囃子が始まる。

 それに合わせ、踊るものも多い。 

 「なんとも良い、御館になられたのう。そして良い里じゃ」

 と源右衛門はその様子を、満足気に眺めていた。

第四幕【了】

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