第五幕 雫

第五幕                   

 権兵衛は、木刀を中段に構え、汗だくになっている。

肩が大きく早く上下に動くほど息が上がっている。


 権兵衛の向かいには、同門の先輩、益岡長治が同じく中段で涼しい顔で構えている。益岡は、長岡次郎と共に源右衛門の道場の師範代を任されており、『赤鬼の二岡』として、近隣の里にまで名が知れていた。

 益岡は、力の益岡と呼ばれてもおり、体躯は六尺二寸、腹は氣が充満したように出張っており、手足も千年杉の如き太さである。

さながら動く大木といったところか。

 

 その体躯から打ち下ろされる一撃は、岩が降ってきたかのような重さがある。それは、『甲羅割り』と言われ、稽古では相手の木刀を砕くほどの威力であり、真剣では刀を叩き落とす。

どんな防御をも崩す、力の益岡必勝の型である。


 権兵衛は、その甲羅割りを、五打十打と凌いでいた。

さすがに、木刀を持つ手は、痺れ、握る力が如実に失われている。

腕も、鉛の如く重たい。汗が次から次へと吹き出して、地面にひっきりなしに滴り落ちて、権兵衛の周りを縁どって居る。

 しかし意外にも、動揺しているのは、益岡の方であった。

あれだけ、必勝の型を打ち据えているのに、権兵衛が折れる様子がない。今まで、自分の自慢の打ち下ろしをここまで凌いだものは、記憶にない。


 「権兵衛、いつのまにか、強うなっているんだのう・・。」

 益岡は、ただでさえ細い目を更に細めて感心している。この男、『力の益岡』と言われてはいるが、気性は至極温厚であり、口調は穏やか、いつも微笑んでおり、だれも怒ったところを見た事がない。又その顔も大福のようにふっくらとしており目も線のように細いとあって、『大仏さま』と親しみを込めて里のものに呼ばれていた。



 益岡は、権兵衛の腕を馬鹿にしていたわけではないが、格下である弟弟子に怪我をさせまいと、力を若干抜いて打っていた。その認識を権兵衛の想定外の成長で改めることにした。敬意を評しての事である。

 「あやつ、基本稽古を怠らなかったと見える。受ける瞬間、木刀を僅かに逸らして、芯を外し木刀が折れるのを防いでおる。受けの基本が身についておるではないか。」

 御館の隣に座している源右衛門が嬉しそうに感心している。

それに対し、御館も納得したように頷いている。


 「しかし、益岡の打ち込みの速さは、道場でも一二を争う。

それに上手く反応しているが、いつの間にあの速さについてこれるようになったのかのう?何か特別の訓練でもしたのか・・?」

 源右衛門は、一人首をかしげる。それ程、益岡の打ち込みの速さは優れている。それに、ここまで権兵衛が対応できていることが不思議でならない。成長といえば、そうなのだが、益岡の打ち込みを捌くほどの強さを権兵衛はいつの間に身につけていたのか、自分が道場で見ている限りでは、思い当たらない。


 実は、権兵衛の反応の良さには、新之助が過分に影響していた。遊びの中や、打込み稽古を新之助と日頃行っている中で、尋常ならざる速さの打ち込みをしてくる新之助に散々打たれ、自ずとそれに対応する術と、反射速度を身につけていた。

それは、権兵衛自身も気付かない、緩やかな成長であった。

 「どれ一丁、本気で打ち込んでみようかの。」

 益岡は柔和な表情から、頬を膨らませ、次いで口からふぅーと息を吐き出し、両足をずずっとゆっくり開き腰を落とす。木刀を握る手をぎゅうと絞り、ただでさえ太い腕が、筋肉の隆起で更に盛り上がる。

 「おぉっ・・。」

 「すげえ、あんなの受けきれるんか?まともに受けたら腕ごと叩き折られちまうぞ・・。」

 その様を見て、観衆から思わず歓声が上がる。


 権兵衛は、半ば絶望的な面持ちで木刀を必死で握っている。

 『ここまで、なんとか持ちこたえたけんども、いよいよ終いか?

師範代がとうとう本気になってしもうた・・。到底受けきれん。

儂もここまでか・・。』


 心の中で呟き、諦め半分で益岡に目をやる。

すると、益岡の左後方に、腕を組んで見ている、新之助の姿が目に入った。


 『ちっくしょう。あいつの目の前で負けたかねえ・・。あいつの見てる前だけでは絶対嫌だ。でも、どうしたら良え?今までだって、やっとこさ受けてきたっていうに・・。全身が疲れで震えておるし・・本気の師範代の打込みなんぞ到底受けきれん・・。』


 身体が小刻みに震えながら、葛藤する権兵衛。

その間に、益岡は、木刀を上段に大きく構え、ゆっくりと間合いを詰めはじめてる。


 権兵衛は、ここにおいても、益岡と共に新之助の視線が気になって仕方なかった。其のさまを黙って見つめる新之助が居る。


 その時、権兵衛の目に光が戻った。

 『そうじゃ!何もまともに受けることなんてないんじゃ!

いっつも、新のやろうは、俺の打ち込みを受けもせんで、ひょいひょい躱しよるじゃないか。そんで、打ち込みの隙を付いてバシバシ打ち込んで来やがる。それだっ!それを儂もやれば良えんじゃ。あいつのくっそ速え打ち込みを相手してきたんだ。避ける事に専念すりゃ何とかなるんじゃないか?・・いや。もうこれしかないわい。やってやる!』


 益岡を見据え、構え直す権兵衛。


 「ほう、権兵衛の奴、胆を決めたな。こりゃどうなるか、楽しみじゃのう。」

 楽しそうな、源右衛門。愛弟子たちの成長も嬉しいが、根っからの剣術好きなのである。

 「如何にみる?この勝負。赤鬼殿」

 御館が尋ねる。


 御館が源右衛門の事を呼び捨てにしないのには理由がある。

幼少期に指南役であった、源右衛門に手ほどきを受けたことや、数々の武功で里の窮地を救ってきた話を父である先代から何度も聞かされ、尊敬の念を深く抱いていた。


 「さて・・。普通に見れば、益岡の圧勝でしょうが、先程から風が変わりましたな。権兵衛が、変えたというべきか・・。戦場においても良くありましてな、一つの風向きの変化で、勝ち戦が気づいたら負け戦になる。

しかし、益岡はそう甘くは無い。・・某にも分りかねますわい。

まずは見守りましょうぞ。」

 顎鬚を摩りながら、源右衛門は楽しそうに応える。

 「そうか、そうか。赤鬼殿にも分からんか!儂も始めは、益岡が貫禄勝ちをするのかと思うた。しかし、先刻からの太田の氣の充実を感じ、勝負が分からなくなったのう。黙って、見守るか。」

 御館は、目を子供のように輝かせて、源右衛門を見て直ぐ、二人の武士に目を向ける。


 ジリッジリッと益岡は、大きく構えたまま前に詰め寄る。

その圧力たるや、巨大な熊が殺気を放って襲いかかる様を連想させる。


 負けじと、益岡を見据え続ける権兵衛、汗が噴き出している。

観衆は、固唾を呑んで見守っている。

だれも口を開こうとしない、そして目を離せない。


ついに、お互いの木刀が身体に届く距離まで間合いを詰めた。


 「ごくんっ」

 誰かの、生唾を飲みこむ音が響く。

それ程、試合場は、静まり返っている。


 同じ間合いのまま、微動だにしない二人。

刻が止まっているかの様である。

 

 中庭の柿の木にとまっていた鳥が飛び出した。

同時に益岡が、カッと眼を見開き、上段から真っ直ぐ木刀を振り下ろし、甲羅割を放つ。

 その刹那、権兵衛は体を低くし左斜めに踏み込む。同時に木刀を甲羅割りの軌道に合わせて、滑らかに切先を地に、柄を天に、向ける。


 『チッ』

 木刀同士が僅かに触れる音がする。

甲羅割りが振り切られ、その風圧にて地に埃が舞う。

木刀からの振動に権兵衛は、柄から手を離しそうになるのをグッと堪え手指に力を込める。

 そして、見事に甲羅割りを逸らした権兵衛はもう半歩踏み込み、木刀の切先を足元から、益岡の喉元に向ける。


 「勝負ありっ!」

 仕合立ち会い係の城勤めの者が、両手を挙げ声を張り上げる。


 「うおお」

 その瞬間、観衆から歓声が上がる。

止まっていた刻が動きだしたようだ。

 

 「勝者、益岡長治!」

 勝ち名乗りを上げる立ち会い人。

又、歓声が起こる。拍手喝采である。

 一方、折れた木刀の切先を益岡の喉元に向けたまま微動だにしない権兵衛。

足元には、木刀の半分が転がっている。


 権兵衛の一刀は、届かなかった。


 今まで、益岡の刀打を受けて傷んでいた事で、最後の甲羅割りの威力に権兵衛の木刀は耐え切れなかったのである。


 自分の喉元に向けられている木刀を優しく右手で包み、益岡は、木刀を下に降ろさせた。

 権兵衛の頭に大きな手を触れて声を掛ける。

 「強うなったのう、ゴン。たまげたぞい。儂ぁ、負けたと思うたわ。ほんに良うやった。」


 それを聞いた瞬間、呆けていた権兵衛の眼から涙が溢れてくる。

 「泣くな、にいちゃん。良うやったぞ。」

 「そうじゃ、あの益岡相手に大したもんじゃ。」

 「ほんに、のっけからええもん見せてもらったわ。」

 涙が止まらない権兵衛に観衆からの励ましと温かい拍手が送られる。その様子に益岡は、権兵衛に背を向け満足そうに仕合場を後にする。

 それと入れ替わるように権兵衛に近づく者がいた。


 其の者の顔を見るにつけ権兵衛は、一層涙を流す。

 「新、・・グスッ・・儂ぁ、・・ヒック・・負けてしもうた・・

お前の前だけでは、・・・エック、負けたくながっだのに・・」


 新之助は権兵衛の肩に手を置いてグッと力を込める。

 「分かってる。でも見てみい周りを。みんなお前に向けられてる歓声じゃぞ。」


 その時、始めて、周りの歓声に気づく権兵衛。


 「こ、これが儂に?」

周りを見渡しながら、驚きを隠せない。

 「そうじゃ、お前は、それだけの勝負をしたんじゃ。何も恥じる事はないんじゃ。お前は、凄いことをしたんじゃ。」

いつになく、熱く語りかける新之助の様子に驚いた権兵衛は、

新之助に眼を向ける。新之助は、頷いた。


 「強くなりてえなぁ、もっともっと、強くなりてえよ儂は。」

 涙を拭いながら権兵衛は呟く。

 「ああ、そうだな。」

 新之助は、権兵衛に寄り添い歩きながら、同意する。

 「新、おメエは負けるなよ。お前は。」

 権兵衛は、真っ直ぐ向いたまま、強く発する。

 意外な言葉に、新之助は一瞬、権兵衛を見るが、直ぐに真っ直ぐ向き。

 「ああ。」と返事を返す。

二人は、陣幕の外に消えていった。


                           第五幕【了】

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