第六幕 雷

第六幕

 しばらくは、場内のざわつきが収まらなかった。それ程、権兵衛の仕合は観衆の印象に残った。

 そのあとの仕合は続いたが、ある仕合の番が周ると明らかに場内の雰囲気が変わった。


 「きゃー、正木様。こっちを向いてくださいませ。」

 「仕合前の凛々しいお姿の何と素敵な事。。」

 「相手の芋侍、正木様のお顔に傷を付けたら承知しないわよ。」

 いつの間にか、今まで後ろで観ていた娘達が前列に踊り出て、中庭を囲む。先刻までの、仕合場の熱気とは、異質な熱気で満たされていた。

 その熱気とは、遠く離れた所に居るかのように静かに佇んでいる正木。薄手の藍の上着に真っ白な、たすき掛けをして真っ直ぐ立っている。その姿が、正木の精悍さをより一層際立たせている。

正木は決して、筋骨隆々では無く、どちらかといえば細身である。しかし細身といっても、非力な印象では決してなく、無駄なものを削ぎ落としてこの躰つきに辿り着いた物で、一つ一つの筋肉が引き締まっている。


 正木とは対照的に顔を真っ赤にして、木刀をブンブンと何度も素振りをしているのは、対戦相手の上丘重政。その姿からは湯気が立ち上っている。

 その様を観ていた観衆から声が上がる。

 「正木の相手の上丘、娘どもには、知られていねえが、ありゃバケモンだで。芋侍なんてもんじゃねえ。」

 「んだな、確か赤鬼殿のとこの玄武流『二岡』でも一度も勝てなかったらしいな。   

 赤鯱狩りにも出陣した折、刀一本で先陣切って

 切った人数は、二十、三十じゃきかんらしいな。上丘の通ったところには、死体の径が出来たとか・・。真っことバケモンだで。」

 「こりゃ、正木でも敵わんかもしれんな。もしかすっと、これに勝った方が、一番 じゃなかろうか?」

 「おお、ちげえねえ、こりゃ一つ目から見ものじゃ。」

 男衆は、女衆とは違った、興味をこの仕合に向ける。

観衆の注目が一気にこの二人に集中する。

仕合場は、ある種、異様な熱気に包まれ始めた。


 正木は、ここまで、自分に注目が集まっている中、相も変わらず、静かに佇んでいる。

 まるで、この空間には、自分のみが存在しているかの様、これから仕合をすることが、他人事に感じさせるように仕合場の雰囲気とかけ離れている。

一方、上丘は素振りも最高潮の様子で、鼻息荒く木刀を振り続けている。その勢いは、鼻から、湯気が出ているかのようである。


 「両者、前へ。」

 立ち会い人が両者に声を掛ける。


 「・・・この勝負、どう観る、赤鬼殿?」

 御館は、視線を仕合場に向けたまま、やや興奮気味に源右衛門に尋ねる。

 「さて・・、どうなりますかな。」

 源右衛門は、思案を巡らし、静かに応える。

 「赤鬼殿にも分からんか・・。」

 御館は多少、がっかりした様子で呟く。

 「ただ・・。」

 源右衛門は静かに続ける。

 「ただっ?」

 無邪気に源右衛門に視線を向け、続きをねだる、御館。

 「二人共、氣の充実が尋常では無い・・。この様な時には、勝負が長引くにしろ、決するときは刹那に訪れるでしょう。決して、眼をお離しなさらぬよう。」

 「おお、おお、離さぬとも。正に真剣勝負じゃな。」

 ますます、御館の表情は無邪気な子供のように活き活きと輝いている。


 「両者、構え。」

 両者、同時に木刀を構える。

 正木、上丘共に中段に木刀を構えた。

同じ中段の構えであるが、正木は足幅を肩幅程に開いており、重心はやや高めに位置している。普段の立ち姿勢に木刀を構えたように殺気を感じない。

一方、上丘は、肩幅より広く足幅を開き、両膝を軽く曲げ重心を低くしている。大地に根を張り、一度、地を蹴り出せば爆発的に突進する事が容易に想像できる。

 「始め。」

 声と同時に開始の太鼓が鳴る。


 「はああ・・。」

 上丘は、口から氣合を凝縮させ吐き出した。もはや殺気の塊と化している。


 「うわっ、おっかねえ。粟肌が立ちやがった。」

 「ああっ、上丘は殺す気だ。正木は、あんなのが相手で、良く平気でいられる。」

 「全くだ、なんて涼しい眼をしてやがる。何を考えてやがるのかさっぱりわからねえ。」

 「そう考えると、正木もやっぱり、只者じゃねえな。」

 「一体、どうなっちまうんだ?この勝負は・・。」

 『ゴクリッ。』

 男衆は、思わず同時に生唾を飲み込む。

 緊迫した静寂が、仕合場を包む。

 そこに居る者にとってこの静寂は、時の感覚を失わせる程に、空気が張り詰めて感じられた。

 仕合場に吹く冷たい風に舞う枯葉の音、陣幕のたなびく音、それ以外の音が消えた。

 先刻まで、黄色い声を上げていた娘たちも声を忘れたかのように止まっている。

ただ、観ている者達の鼓動は誰しも激しく脈打っている。


 突如、両者が交錯する。

木刀がぶつかる乾いた音が短く響き、一本の木刀が地に落ちた。

 「ま、まいった。」

 首先に切先を突きつけられ、僅かに後ろに仰け反りながら、上丘は発した。

 上丘の手には、木刀は握られていなかった。

 「しょ、勝負あり。」

 刹那の出来事に立ち会い人にも何が起こったか分からず動揺の中、声を発した。


 その声を聞き、正木は上丘の喉元に突き付けた木刀を収め、静かに礼を上丘と御館に向けた。そして踵を返し、陣幕の外に消えていった。


 「な、何が起こったんじゃ?ワケが分からねえ内に、勝負が決まっちまったぞ。」

 「ああ、気付いたら上丘が木刀を落としておったぞ。手でも滑らしたんじゃろか?」

 「アホか。僅かに木刀のぶつかる音がしたでねえか。ありゃ、正木が上丘の木刀を叩き落としたのよ。」

 「あの、一瞬でか?そりゃあすげえ。真っこと正木は強ええな。」

 「こうもあっさり上丘が負けちまうなんて、誰が思った?いんや思うまい。それ程、正木が際立ってるわ。」

 「おうよ、こりゃあ勝ち抜きは正木で決まりだな。」

 観衆は、驚愕しその後、感嘆の声を挙げる。一気に中庭が騒々しくなる。皆口々に、正木の勝ち抜きを発していた。

娘共の甲高い声はより一層増して戻っている。


 「赤鬼殿、どうなって居る?先程の仕合において、正木の剣筋に上丘は抗おうともせずに木刀を叩き落とされおった。まるで、正木の剣に吸い込まれるが如く、自分から 木刀を叩き落とされに行った様に見えたが?」

 源右衛門は、存外御館の眼が良いことに驚き、思わず御館に顔を一瞬向ける。良い鍛錬を続けておられる。元剣術指南役として、御舘の横顔を見ながら武士もののふとしての成長を嬉しく思った。

 「そのように見えても仕方ありますまい。実際、上丘が正木の剣筋に抗えない格好になっておりました故。」

 「というと?」もったいぶらずに、早く教えてほしいと顔を源右衛門に向ける御館。

 「先ず初手において、実は上丘が先に動き申した。間合いを詰めようと躰を前方へほんの僅かに移動した刹那でございます。」

ふむふむと子供のように眼を輝せて聞き入る御館。

 「正木が一気に間合いを詰め、上丘の木刀を叩き落としました。上丘は、既に身体たいを前方に移動し始めており、しかも木刀を振り上げようと腕を上げ始めた所であった故、正木の剣筋に逆らえず自ら叩き落されに行ったように視えたのです。所謂、後の先というものですな。しかし見事な腕前。稽古ならまだしも、実戦にて中々あそこまで綺麗に合わせられるものではありませぬ。天賦の才それに加え、並々ならぬ修練のなせる業ですかな。いやはや、恐れいりますな。さぞや、小五郎殿は鼻が高いでしょう。」

 「そうであったか・・。そちがそれ程、褒めちぎる事があるとはな。先達の赤鯱狩りの時と言い、団十郎は本物じゃな。奴には、大いに才覚を振るえるしかるべき役に付かせねばなるまいな。」

 眼をキラキラした子供の様であった御館は、今度は眼を光らせ思案を始めた。その眼は紛れもなく、戦国大名のそれである。

 その様子に源右衛門は、又感心すると共に、久方ぶりの登城に大いに満足していた。

                               第六幕【了】

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