第七幕 幕間
第七幕
仕合場では、次の仕合が始まっているが、話題は団十郎の強さで持ち切りである。
「新っ。」
陣幕の外を歩いていた新之助は、聞き慣れた声に振り返る。
小春が、小走りで新之助に近づいてくる。
「緊張してる?もしかして?」
小春は、新之助の顔を覗き込むように首を傾げる。
「いんや。残念じゃったの。」
新之助は、普段の表情、そのままに応える。
「何だ。珍しいものが見れると思って、楽しみにしてたのに。」
若干、ふくれて言ったが新之助の様子が、あまりに平時のままであった為、笑がこぼれる。その笑顔は、弾けるような若さと共に、女の色香を確かに含んで美しく輝いている。中庭の光が、小春の純白の顔に当たり、より一層笑顔を光輝くものにしている。
その笑顔をただ見つめる新之助。言葉は無かった。
「失礼。」
二人の空気を割って入る、言葉があった。
「小春殿では、ございませんか?」
小春は、声の主の問に戸惑いながらうなずく。
「やはりそうでしたか。申し遅れました。某、正木団十郎と申します。」
「ええ、良く知っています。」
正木の先の仕合の様子も観ていたこともあるが、今や里一番の名高い男である、小春も顔はよく知っている。先ほどの、笑顔とは打って変わり、表情は固い。
「お話中に失礼かと思いましたが、小春殿をお見かけし、是非ご挨拶したくお声かけしてしまいました。」
小春の刺々しい言葉を気にすることなく、正木は爽やかに話続ける。
「失礼ですが、そちらの御仁は?見たところ小春殿とは、とても仲がよろしい様子ですが。」
正木は、新之助に手を向けて問う。
「坂田新之助。」
新之助は、めんどくさそうに名乗る。
「幼馴染なんです。小さい時からずっと一緒だから、家族みたいなものです。」
小春が間髪いれずに続ける。
「おおっ。そうでしたか。てっきりお二人の雰囲気から好き合って居るのかと思いました。そのような方が小春殿に居るのなら、婚礼を申し込んだ手前どうしたものかと内心ヒヤヒヤしました。
小春殿には、是非某の内助になってもらいたいと思っております故。ホッとしました。」
小春は、新之助の顔を思わず見やり、鬼灯の様に顔を朱に染め直ぐに顔を逸らした。
新之助は、『思ったことを随分ベラベラ喋る男じゃのう』と正木に対しての印象を思っていた。正木の見た目の雰囲気との相違に面白味を感じていた。
「しかし小春殿と幼馴染とは、羨ましい。某にも、居りますが、中々気が強い者でして小春殿を見習ってほしい位です。」
『ホントに一人でよく喋る男じゃ。』相槌を打つわけでもなく新之助は、正木の様子を眺めている。
「時に坂田殿、そなたも仕合に出られているのですか?」
正木の急な質問に戸惑いながら、黙って頷く新之助。
「おおやはりそうでしたか。何となしに居住まいが、剣を修めている方のものでしたのでな。これも何かの縁。坂田殿とは当たりたくありませんな。お互い、怪我をせぬよう励みましょう。」
『ホンによう喋る』小春もそう思いながら、正木を黙って観ている。
「やや、これは失礼しました。某どうやら小春殿の前で舞い上がっていた様子。一人で喋ってしまいました。この様なものに慣れていないもので、好いている女子の前での振る舞い方がわからないものですから・・。」
正木は、申し訳なさそうに、頭を掻きながら小さくなる。
その様子は仕合場の姿は、微塵も感じられない。
「ぷっ、はははっ。」
小春と新之助は顔を見合わせ思わず噴き出した。
新之助は、正木の不器用な真っ直ぐさに段々と好感を持ち始めていた。
二人の笑い顔を一通り眺めた後、正木は真顔にて発する。
「しかし、笑う時も息が合っているとは、おふたりは仲がよろしいようで。まるで兄妹。正に家族ですな。益々羨ましい。」
その言葉に、多少ムッとした小春は、笑うのを止めた。
「確かに、家族みたいなものですけど、兄妹とはちょっと違うと思います。私は、新を兄妹と思ったことは一度もありませんから。」
「おお、それは失礼しました。」
小春の言に正木は、直ぐに頭を下げる。
「お前は、何をそんなにムキになって、否定しておるんじゃ?」
「別に、新には関係ない。本当に兄妹だと思ったことなんか無いから言っただけ。」
新之助は、小春の膨れた表情に、頭を掻き無言になる。
「まあまあ、お二人共。某が失言した故の事。真に相すみませぬ。」
正木の謝罪の言葉に小春は驚き、また笑ってしまった。
家老職の家柄で馬廻り頭の正木は、小春、新之助共に本来であれば平伏してしかるべき存在である。それがこのように、簡単に謝罪を述べる事は、考えられないことであった。
他の武士とは違い、柔和で実直な人柄に小春は若干の好感を抱いた。祖父、源右衛門に似ていると感じた。
小春の笑顔を見た正木は、満足したと共にその笑顔の美しさに見とれてしまった。それから真剣な表情を新之助に向ける。
「坂田殿。折り入ってお願いしたき事があります。」
「なんです?」
その雰囲気に少し気圧された新之助は、多少間の抜けた返事をしてしまう。
「どうか、小春殿と二人で話をさせていただけませぬか?。」
その言葉に、小春は思わず、正木の顔を見る。その後、直ぐに新之助に顔を向ける。小春は期待と不安が同居した表情をしている。
「別に、俺は・・。構いません。小春が良ければ。」
それを聞いた正木は、嬉しそうに返事をする。
「おお、そうですか。かたじけない。小春殿如何でしょう?」
正木の問に小春は、黙って頷く。頷いたまま、俯いて居る。
「真にかたじけない。では、こちらへ。」
正木は満面の笑みにて、小春を促す。
その後、振り返り新之助に頭を下げる。
「坂田殿失礼いたす。」
黙って会釈をする新之助。
新之助に背中を見せ離れていく正木。その背中を追う小春は、何度か新之助の方へ振り返る。
しかし、新之助はその視線には応えず、踵を返した。
小春は、それを見届けると俯きながら正木の後を追った。
その顔に先程の輝きは見られない。
新之助は、少し歩くと足を止め周りに人が居ないことを確かめると腰に差した木刀を握り素振りをしようと正面に構える。
その握りは、いつにも増して力が入っていることに新之助自身も感じた。肩に必要以上に力が入っている。
「ふーっ。」
大きく息を吐き出し、静かに瞼を閉じる。
身体の感覚を握った木刀に集中していく。
木刀を握った手の平が脈打つのを感じる。その鼓動が木刀全体に行き渡り、握った手の感覚が消える。木刀が自らの腕と同化していると感じた時、静かに眼を開く。
「ふーっ。」
もう一度息を吐き出し、木刀を振り始める。
その動きは、ゆったりとしていて型というものは無く、上下左右、又は前後に木刀が動き足運びも片足立になるかと思えば、飛び跳ねる時もある。素振りというより、舞を舞っているように見える。しかし、木刀の動きは鋭く、空気を切り裂く音が新之助の周りを包む。新之助の頭の雑念は消えて行き、身体の木刀の赴くままに動いていく。そのうちに頭の中に骨や筋の音、体液が巡る音が響く。この感覚を味わえる時間が新之助は何より好きであった。普段感じることのない疑うことなき根っこの自分に触れて、一体となる事が出来るから。
「新っ。」
急に呼びかけられ、新之助は動きを止め声のする方へ視線を向ける。
「なんじゃ、権兵衛。」
「なんじゃ、じゃないわい。小春が妙な色男と話し込んでいるんじゃぞ。」
「あぁ。その色男は、許嫁の正木団十郎じゃぞ。」
「あ、あれが、正木!?ほうか、あれが・・。」
権兵衛は、大層驚き身を乗り出し色男を凝視する。
「なんじゃ、お前知らんかったのか。俺に正木の事を教えたのはおまえじゃぞ。先の仕合を見てなかったんか。」
「それがのう。負けたのが悔しゅうて、今まで頭を冷やしに川までいっとったんじゃ。だから見とらんのじゃ。」
バツが悪いのか頭を掻きながら応える。
「ほうか。」
新之助は、それだけ言うと小春と正木の方へ視線を向ける。
正木と話す小春は、手で口を押さえ楽しそうに笑っている。
「随分、小春は楽しそうじゃのう。良え雰囲気じゃないか。」
苦々しく、二人の様子を評する、権兵衛。
「ええじゃないか。」
新之助は、口の両端を優しく上げ、その場を後にしようと歩を進める。
何がええんじゃ?って、お前どこに行くんじゃ?」
「そろそろ、出番じゃ。」
「おぉ、ほうか。いよいよお前の出番か。したら、しゃあないから応援しちゃる。負けんなよ!」
「応っ。」新之助は、権兵衛の声に背中越しに応える。その手には、木刀がしっかりと握られていた。
第七幕【了】
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