第八幕 熱帯

第八幕

 ドッと崩れる男。肚を突かれ、苦しそうに呻いている。

 「勝者。赤間善助。」

 突いた男、赤間善助は勝ち名乗りを受け木刀を腰に収め、呻いている相手に向って深々と礼をする。続いて、御館に向かい又、深々と礼をした後するりと陣幕の外に消えた。

突かれた男は、抱えられ呻きながら陣幕の外へ消えた。

同門の男達に、「惜しかった。」「際どい仕合であった。」と慰められて居る。そこの横を新之助は通り抜け仕合場の入口の陣幕へ近づく。


 「次、白、長岡次郎。赤、坂田新之助。」

 「応。」

 長田次郎は、立会人の号令に応えながら、悠然と仕合場に向かう。

 「待ってましたっ!技の長岡。益岡に続けよ。」

 観衆からの呼び声に、長岡は応えず仕合場に立つ。

長岡次郎は、益岡長治の力の益岡に対して技の長岡として、名を馳せていた。源右衛門の道場で二岡と言われているが、実力は長岡が優っており益岡は一度も勝ったことがない。二人はほぼ同時期に入門したが、そのときから長岡は一本たりとも益岡から取られた事がない。そのことが優しい益岡の原動力になり剣術を続けている理由になっている。

 とはいえこの二人は、普段は兄弟かと思うほど仲がとても良い。

長岡は、実直に努力する益岡を認めているし、益岡は、実力がありながら決して偉ぶらない長岡を尊敬していた。

道場での、この二人の人望は篤く、皆の目標になっている。今や、二岡が玄武流の顔であり柱なのである。


 「坂田新之助?誰じゃ?あの野郎は?」

 「見たこともねえ奴だな。どこぞの野伏だろ。」

 「誰でもええじゃろ。長岡の勝ちに変わりはないんじゃ。」

 仕合場に進み出る新之助を野次る観衆達は、勝敗よりも長岡がどのように勝つかに興味があった。無名の新之助の存在など意に介する者は無かった。御館以外では。


 「坂田?はて?どこかで?坂田新之助・・?。」

 「御館、この仕合面白いものがきっと見れますぞ。眼を離しなさるな。」

 「ほう。面白いとな。赤鬼殿が言うのであれば何か起こるのであろうな。しかし坂田と言う名、どこかで聞いたことがあるのじゃが・・。どうにも思い出せん。」

 「御館、それはこの仕合を見ればわかるやも知れませぬぞ。」

 不敵に源右衛門は笑う。

 「うむ。どのみちこの仕合、眼を離さぬが肝要ということじゃな。」御館は無邪気に返事をする。


 「そう言や新の奴が、俺以外の相手と仕合うの見たことねえな。どうなるんじゃ?まして相手が師範代ときてる。こりゃ、面白ェ。」

 権兵衛は、胸が高鳴るまま独り呟いた。どんなに自分が稽古に励んでも、新之助から一本取れた事が一度も無いばかりか、一方的に打ち据えられていた。新之助の実力を嫌というほど肌で感じているが、眼で見ることは無かった事に今更ながら気付き、どこまでのモノを新之助が持っているのか、想像だに出来ない。権兵衛の胸は高まるばかりであった。


 「ほう、いい表情かおをされておる。坂田殿に気負いは見られませぬな。」

正木は、隣の小春に伝える。しかし、その言には応えず、小春は、仕合場に視線を一心に向ける。その様子は、先程まで弾けるような笑顔を向けて話していた時とは大きく離れていた。

 「心配なさるな。坂田殿なら無事に仕合を終えられますよ。」

小春の様子に、正木は再び声を掛ける。その励ましに、ようやく小春は、正木に顔を向けて頷いた。正木に向けられた小春の視線は、真剣そのものであった。正木は、その顔に笑顔を返した。しかし、胸には小さな嫉妬心が湧き上がっていた。


 「構えて。」

立会人が声を掛ける。

それに合わせ両者共、木刀を構える。

長岡は、正眼に構えるが足幅は狭く、重心も高く見える。

一方、新之助は、同じ正眼に構えるが、やや前重心である。


 「始め。」

同時に、合図の太鼓が打ち鳴らされる。


 刹那、新之助が踏み込む。そのまま、喉元に突きを放つ。

長岡は、身体を僅かに左にずらし避ける。新之助の剣は避けた喉元を追い刃先を向けて横薙に来る。長岡は、木刀を立てて受けつつ左に飛ぶ。木刀がぶつかる乾いた音が響いた。


 「おおっ。」観衆がどよめく。長岡に対して臆することなく踏み込む度胸と新之助の尋常ならざる動きに対してである。


 『疾いっ。』

 長岡は、心の中で呟く。木刀を握る手が若干痺れている。

受けた手が痺れたことは、いつ以来か記憶に無い。そればかりか、相手の攻撃を木刀で受けた事も久方ぶりであった事に気付く。

 「全く、権の字と言い、お主ら元気が良いのう。全く骨が折れるわ。」

 言って長岡は踏み込み、喉元を突きにいく。新之助は左に躱す。

避けた喉元に長岡の木刀が襲い掛かる。新之助は、後方に大きく飛び退く。そこへ、もう一度鋭く踏み込こんだ長岡の突きが鳩尾めがけて飛んでくる。新之助は、上半身のみ僅かに半身を切り突きを捌く。長岡の突きが、着物を擦って行く。同時に上段に構えている新之助は、長岡の突き戻る前に頭部に一刀を振り下ろす。


カンッ。

 

 またも、木刀のぶつかる乾いた音が仕合場に響いた。

長岡は、新之助の上段を木刀で防いでいた。先程より手の痺れが増している。

 『疾さに加えて、打ち込みの強さも尋常ではないな。』

長岡は自分の汗が、冷たい物に変わっているのに気付いた。

その後、フッと笑い、構えを緩める。その様子に、新之助は気付き、驚いたものの構えを崩すことは無かった。

それには、構わず長岡は、新之助に声を掛ける。

 「お主、昔はよう道場に遊びに来て御師様に揉まれたり、儂も随分相手をしたもんだが、このところとんと顔を出さなくなったと思ったが、いつの間にこんなに強くなったんだ?まあ、お主は、昔から剣の筋は光るものが有ったからのう。」

 新之助は、それには応えず尚も構えは崩さない。いや崩せないと言った方が正しい。長岡が、何を考えて話しているのか謀りかねて居り、自分から仕掛ける事も出来ない状態なのである。

 長岡は、尚も続ける。

 「お主、自己流でここまで強くなったので有ろう?ホンに大した奴じゃ。じゃが、それだけに勿体無い。」

ここで、始めて新之助の眉が僅かに動いた。

 『何が勿体ないんじゃ?』


 長岡は、その僅かな相手の変化を見逃さなかった。一気に畳掛ける。

 「どうじゃ、お主。一つ儂と賭けをせんか?」

 「賭け?」

 遂に、新之助が長岡の言葉に応える。

 「そうじゃ、賭けじゃ。儂がこの勝負に勝ったら、お主、我が玄武流の門下生になれ。お主には、剣の才能が有る。それを自己流でみすみす終わらせるのは、甚だ勿体無い。自己流では、その内伸びる事が無くなる。それよりも、今のうちから剣術の基本をしっかりと叩き込んでおけば、いずれお主は一廉のモノに成るであろう。どうじゃ、悪くない話だと思わんか?」

 「なるほど、話は分かった。じゃが、俺が勝ったらどうするんじゃ?それによっちゃ、やったる。」

 新之助は、尚も構えは崩さず質問を返す。負ける気など微塵も無いのである。そればかりか、道場剣術がさも優れているかの様な口ぶりに、自分の行っている剣を馬鹿にされている感を受け、絶対に負けてやらんと心に誓っている。要は、腹を立てているのである。

 「おぉ、そうじゃった。そうじゃった。すまんのぅ。お主が勝った時の条件を出さにゃ賭けにならんの。そうじゃの・・。お主が欲しいもの何でもくれてやるっていうのは、どうじゃ?ウチの娘でも構わんぞ。」

これには、観衆からドッと笑いが起きる。

 「娘なんぞ、要らんわ!」

これまた、観衆が沸く。

 「娘を要らんと!?何とっ!?あんな器量よし早々居らんぞ。何が不満なんじゃ!?事と次第にによっちゃ・・。」

 長岡は、愛娘の事となると人が変わるのか興奮しまくし立てる。その様子を観衆はすっかりと楽しんでいる様子である。

 「いよいよ、あの二人は何の話をしておるんかのう。」

 「全くのう。じゃが、面白れえからええじゃろ。」

 「ほいだ。ほいだ。」


 「お鈴の事じゃろ!?不満も何も・・お鈴は、権兵衛に惚れとるんじゃぞ。」

 新之助は、観衆の中に居る長岡の愛娘お鈴を指して返す。

 当のお鈴は、頬を染めて俯いてしまう。

 「えっ。」

 権兵衛は、口に運ぼうとした握り飯を落としてしまう。落とした握り飯は、権兵衛のはだけた上前と下前の間に入り下腹に収まる。それには気づかずに、握り飯を頬張るために空けた口そのままに、お鈴の方を見やる。同時にお鈴も顔を少し上げ権兵衛に視線を申し訳なさげに向ける。互いの視線が交わる。権兵衛は、顔を鬼灯の如く赤く染めてそのまま固まり、お鈴は、また俯いて頬を桃色に染める。

 「ええっ!」

 長岡は、自分の娘と権兵衛を交互に見やり思わず叫ぶ。

 「いつの間に・・。権兵衛の奴・・。」

 長岡は、苦々しく吐き捨てる。その様は、隙だらけであり仕合場の剣士のそれでは無くなっている。新之助は、それでも打ち込もうとはせず、更に続ける。

 「全く、そんな事も気付かんかったのか、見てれば誰でも分かるじゃろ!?そういう訳でお鈴は要らん。」

 「ほうか。ほうじゃったのか・・。全く気づかなんだ。父親としてまだまだじゃのう。許せお鈴。」

 長岡は、取り直した面持ちで、お鈴に侘びを入れる。

お鈴は、それに黙って、首を横に振る。その顔はまだ茜色である。

 

 大きく胸に息を送り込み、長岡は新之助に改めて問う。

 「お鈴は、やれんが、お主は勝ったら何を望む?」

 「そうじゃのう・・。」

 元々、何かにつけても欲の無い新之助は考え込む。

 「何でも良いぞ、申してみい。」

 「・・刀。」

 考え込んでいた、新之助がポツリと呟く。

 「ん!?刀?おお刀が欲しいのか?」

 「どんな刀でもええんじゃ。本物の刀が欲しい。」

 「ほうか。どんな刀でも・・。よしっ、家に有るお師様から賜った刀を譲ろう。もしもお主が儂に勝ったら。あれは、儂が師範代になった折に祝いの品として頂いた物じゃ。名刀中の名刀で流れている水をも切れると言われて居り、『水切り』と呼ばれる代物じゃ。どうじゃ?」

それを聞いた観衆がどよめく。

 「水切りを・・。名刀と名高い代物をあの小僧にくれてやってええのか?」

 「馬鹿。おめえ。長岡は、負ける気がさらさらねぇから出したんだで。」

 「んだな。じゃねえとあんな代物、おいそれと出せるもんじゃあんめえ。」


 「それで良え。いや、それが良え。」

 新之助は、納得した様子で返事を返した。興奮しているのか若干声が上ずった。

 「良しっ、決まりじゃ!儂が勝ったら、お主は我が道場に入門する。お主が勝ったら、水切りをお主にやる。良いな?」

 長岡の問に新之助は大きく頷く。

 「御師様、よろしいでしょうか?」

 長岡は、師匠源右衛門の方に向き直り大きな声で伺い立てる。

 「好きにせい。」

 源右衛門は、微笑みつつ張りのある声で長岡に返す。

 長岡は、源右衛門に軽く頭を下げ、勢いよく新之助に向き合い中段構えを取り直す。

 「さあ、やろうか。」

 構えを取った、長岡が放つ。

それに応えて新之助も構えを取る。


 「流石に、長岡は戦巧者ですな。新之助に流れが傾いていたものを先刻の会話にて流れを己の方に引き戻しましたな。武士もののふとしては、小賢しいとも言えますかな。」

 源右衛門は、長岡の仕合運びを御舘に伝える。

 「そうか、しかし長岡も心を乱した所が有る様に見えたが?」

 御舘は、素直な感想を述べる。

 「はっはっはっ。確かに。長岡も人の親と言う事ですな。しかし、とにもかくにもこれで仕合は仕切り直し、いよいよ分からなくなりましたな。・・ごほっ。」

 愉快な様子で、源右衛門が返す。

 「そうじゃのう。赤鬼殿大事無いか?身体が冷えたか?」

御館は、咳をした源右衛門を気遣う。隣に居る、覇気に満ち満ちている里の伝説の武士から咳が出たことが驚きであった。共に、源右衛門の年齢としを思い出させた。

 「心配には、及びませぬ。若者達の奮闘ぶりに年甲斐も無くはしゃいでおった故。ちとむせ込みました。歳は取りたくないものですな。ささっ、そんな事よりも眼を離しなさるな。仕合は、いつ動くか分かりませぬぞ。」

 源右衛門は、御館の気遣いに感銘を受けながら、朗らかに応える。

 「ほうか。それならええんじゃ。」

 御館は、また少し咳き込んでいる源右衛門を心配しながらも、本人がそう言うならとそれ以上詮索するのをやめて源右衛門の言葉通りに仕合に意識を戻す事にした。

 

 両者は、再び無言で対峙していた。新之助は、変わらず中段の構えを敷いている。一方、長岡は下段に構えを変え、切先を右下に向けている。


 風が地の落ち葉を巻き上げると同時に、またも新之助から仕掛る。長岡の空いている胸元へ突きを放つ。長岡は待っていたかのように、踏み込んできた新之助の脚を下段の構えから横に薙に掛かる。

新之助は即座に反応し、踏み込むのをやめ、右半身にて右腕のみで木刀を突く。長岡は、脚を薙ぎにいった軌道を止めずに左中段まで木刀を跳ね上げる。同時に上半身を左に切り胸に辿り着いた突きを避ける。跳ね上げた木刀の刃をくるっと新之助の方へと向け、半身になっているがら空きの右胴へ襲い掛かる。

 新之助は、急激に体幹を右に切りながら後方へ下がる。僅かに着物を掠る長岡の木刀が次に目標にしたのは、またも脚であった。

先程からの長岡の攻めを何とか凌いでいた新之助であったが、体勢は大きく崩れており、木刀を右手のみで持ったまま左半身にて大きく後方重心であった。その前脚つまり左脚を長岡の木刀が袈裟切りにて迫る。長岡の木刀が新之助の左脚を捉えたと思われたがその感触が無い。

 新之助は、咄嗟に右脚を軸にして長岡の木刀の軌道に逆らわず左脚を僅かに宙に浮かせ、右に身体を電光石火に回転させる。回転が終わった新之助は、右半身の上段に構えを取っていた。長岡の猛攻はそこで一息ついたようで、構えをゆっくり中段に取る。

 

 新之助の身体から一気に汗が噴き出していた。息も多少上がっている。

 「すっげえな。あんな攻めがあんのか。躱すんが一杯やったぞ。流石技の長岡、言うところか。」

 新之助は、あれだけの攻めをされ追い詰められたにも関わらず、興奮した面持ちで思わず気持ちを口にする。

 「不用意に踏み込むと、ああなるぞ。まだまだ、お前の知らぬ技があるんじゃぞ。どうじゃ、ウチの道場に入る気になったか?」

 長岡は、応えるが内心では『やはり、この小僧は恐ろしい。あの攻めを凌ぐとは思いもよらなんだ。』と驚きを隠すのに必死であった。

 

 「・・あの小僧。あの長岡の攻めを凌いだぞ。いよいよ唯もんじゃねえぞ。」

 「ああ、真っ事たまげた。一体何じゃあの小僧は。」

 「坂田新之助・・。坂田、さかた・・。どこかで聞いたことあるんじゃがなあ。」

 観衆達がいよいよ新之助の異常さに気付き始め声を上げ始めていた。


 『やっぱりすっげえな、新の奴は。あの師範代の技を凌ぎ切るなんぞ。俺にはできんぞ・・。』

 観衆に混じり仕合を観ている権兵衛は、心の中で呟く。自分とは、毛色が何となく違うとは傍に居て痛いほど分かっていた。いや、ようやく認められるようになってきたと言ったほうが正しいだろう。自分と一緒に成長してきた、幼な馴染みの新之助が自分とは、持っているものが違うと認めたくなかった。認めなかった。だからこそ、新之助に食らいつこうと必死に剣の稽古をしてきた。    

 しかしそれでも差が縮むばかりか、開いていく一方であった。最近になりその才の差を権兵衛は、ようやく受け入れられるようになってきた矢先のこの仕合なのである。

とはいえ、権兵衛は、自分自身が弱いままで良いかという訳では毛頭なく、拳を固め奥歯を食いしばり『もっと強くなりてえ、ならねば』という想いは、根強く抱えている。そこには、新之助の傍にいるものとして、アイツが出来るなら俺も出来るだろうという楽観も含まれている。決して、自分の才を諦めているわけではない。まさに、権兵衛も伸び盛りなのである。


 「さあ、そろそろ決着をつけようか。」

 長岡は、攻めているとはいえ、流れが新之助に傾いている事と気圧されている事を払拭するかのように吐いた。

 「俺もそう思っていた。」

 新之助は、言い終わるか終わらないうちに踏み込み、打ち込む。


 「ああ!馬鹿が。また不用意に踏み込みおって。」

 権兵衛が思わず、口走る。

 『こやつ、馬鹿か。』

 踏み込まれた長岡は、反撃の用意を直ちに起こしながら思う。

案の定新之助の攻めは、やすやすと長岡に返され、たちまち体勢を崩され防戦一方になった。


 何度打たれたか、新之助は長岡の攻めを木刀で受けて凌いでいる。仕合場には、長岡が新之助に打ち込む音が鳴り止まず響いていた。


 「しっかし、良く凌いでるのう。」

 「ほいだな、長岡の攻めは、相手の体勢を崩すように打っておるのに崩しながらも良く受けておるわ。」

 「大した奴だのう。だが、そういつまでも受けきれるもんでも無いじゃろ。」

 「ほいだなあ。」

 観衆達は、新之助の受けに関心しながらも、長岡の勝利を疑っては居なかった。

 

 カンッ、カッ。木刀のぶつかる音が途切れず流れる。

新之助は、終わらない長岡の攻めを崩される体勢の中淡々と受け続けている。しかし、その表情には薄らと笑が見える。

 「あいつ笑っていやがる。」

 それに気付いた権兵衛が呟く。この期に及んで、楽しんでやがるのか?訳の分からん奴とも思うが、それが新之助らしいとも思っていた。自分の理解の外に居るのが、権兵衛の傍にいる新之助なのである。


 「赤鬼どの?」

 両者の攻防を黙って見ていた御館は、源右衛門に解説を求める。

 「さて、一見新之助のやった事は、無謀に思えますが、最良であったと言えるでしょう。」

 源右衛門は、白髪の混じった顎鬚を摩りながら応える。

 「と言うと?」

 「あのまま、新之助が待ちに転じていたらそれこそ長岡の攻めに飲み込まれていたでしょうな。そうせず己から、不用意とも取れる突っ込みをしたのは、長岡の技を一度は、凌ぎ切った自信からと取れます。一度同じ形にて凌いだものなれば、怖くはない、寧ろ突破口は作り安いですからな。・・まぁ、あやつがそこまで考えてのことかは謀りかねますがな。」

 源右衛門は、微笑を浮かべる。

 「ほうか。しかし、何故坂田は笑っておるのだ?先程から、受けてばかりでひとっつも自分から打ち込めておらんのに。何が、楽しいのかのう?」

 「さあて、儂にもあれの真意は、分かりかねますが。長岡程の強者との仕合が嬉しいのでは無いでしょうか。あやつは何時も己の力を持て余して全力でぶつかるという事が無かったですからな。

随分燻っておる感があったので、儂の道場で発散するよう誘ったのですが型が嫌だと生意気言いおって・・。」

 「はっはっは。面白い奴じゃのう。赤鬼源右衛門の手ほどきを断りおったのか?型が嫌だ。赤鬼どのの剣術をそう評したのか?

何とも面白い奴じゃ!」

 御舘は、俄然新之助に興味が湧いたのか大笑いをする。

 「笑い事ではございませぬぞ。長岡が負けてしまえば、我が剣術が型剣術と言われた事を認める事になりますからな。」

 源右衛門は反論しながらも、楽しそうである。


 長岡の攻めを黙って受けていた新之助は、長岡の振りが多少大きくなった瞬間に後方に大きく飛び間合いを離す。それを、長岡は追うことはしなかった。

新之助の肩は大きく上下に動いていた。顔には、汗が光っており、身体からは湯気が立ち上っている。

大きく一度息を胸に蓄え、ふうっと吐き出し、直ぐに長岡に突っ込んでいく。

 「ああ又!一体何を考えておるんじゃ!。あの馬鹿はっ。」

 権兵衛は、またも突っ込んでいく新之助に思わず声が出る。

同時に観衆からも同様の声が上がる。


 長岡は、新之助の突っ込みに合わせ事もなげに反撃を始める。

再び防戦一方の新之助は、かろうじて木刀にて防いでいた。

何合打ちこんだか、流石に攻めつかれた、長岡の攻撃が緩くなったところで、新之助は後方に飛び退き間合いを取る。

 長岡の肩が上下に動いている。一方新之助は、汗こそかいているものの、呼吸に乱れは無い。


 新之助は、間を空けずに再度長岡に突っ込みを仕掛ける。

長岡は、呼吸を整える間も無く、反撃に備える。その表情には、多少の陰りが見える。新之助の突っ込みをいなし反撃を再び始める長岡。新之助は、再び防戦に回る。木刀のぶつかる音が鳴り続く。


 「・・しっかし、本当に良く凌ぐのう。」

 「ほんに。あの若いの大したもんだなあ。始めは、身体たいが崩されて、いつ打たれてもおかしく無かったが、今はしっかりと長岡の打ち込みを受けておる。さながら型稽古のようにのう。」

 観衆は、いよいよ新之助の評価を改めざるを得なかった。

 「稽古。そうか稽古か。あやつめ、生意気に稽古をしておるちゅうことか。こりゃ長岡が気付いたらさぞかし激昂するのう。」

 突然、源右衛門が、自分の膝を勢いよくパンッと叩き独り言つ。

 「稽古?稽古とな?坂田は、長岡を相手に仕合にて稽古をしておると申すか?まさか。」

 御館は、まさかと言う面持ちで源右衛門に返す。

 「左様。そのまさかでございますぞ!あやつめは、長岡を相手に実戦にて稽古を行っているようで。長岡の綺麗な攻めが、あやつめには、さながら型稽古に見立てられ愉快なのでしょうな。」

 「愉快とな・・。確かに、先程から、坂田の表情には笑がこぼれておるが・・。それが、真ならとんでもない奴じゃのう。」

ただただ感心する御館であった。

 「あやつは、剣術をまともに修めた事が無い故、ここまで打ち込まれる事が有り申さぬ。まあ、あやつの天然の強さでは、まともに打ち合えるものも少ないというのもありますが・・。とにかく初めて、打ち込まれて、攻めにも数々ある事、それをどう 防ぐかという事を今、学んでいるところでしょうな。」

 源右衛門は、最早確信したように御舘に伝える。

 御館は、源右衛門の顔をただ見る。

 カンッ!

 木刀の音が一際大きく響く。御館は視線を思わず、仕合場の二人に戻す。

そこには、長岡に打ち込んでいる新之助の姿があった。

長岡は、新之助の一撃をいなすことなく、木刀にて止めていた。

観衆からどよめきが起こる。

 「遂に、長岡に一太刀返し寄った・・。」

 「こりゃあ、ひょっとすると、ひょっとするぞい。」

 「ああ、かも知んねえな・・!。」

 観衆の期待は、新之助が長岡に勝利する方に傾き初めていた。


 長岡は、新之助の木刀を止めると自ら後ろに飛び退き、間合いを計る。長岡の肩は更に激しく上下に動いている。

 「すぅ・・はあぁ・・。」

 長岡は、大きく深呼吸を行い、肩の上下の動きを少しでも整えようとする。

 「全く、若い奴の相手は、骨が折れるわい。先まで取っておこと思うたが、そうも言ってられんか・・。」

 そう言うと、長岡は、木刀の握る手を僅かに緩めた。


 「んっ?長岡め、あれを早々に出す気じゃな。」

 源右衛門は何かに気付き独り放つ。

 「あれ。とは、なんじゃ?」

 御館は、源右衛門の独り言に返す。

 「まあ、見てなされ。面白いものが見れますぞ。」

 源右衛門は、それには応えず楽しそうに仕合場に視線を注ぐ。


 新之助は、長岡の空気の変化を察し、木刀を握り直す。

長岡は、中段の構えのままゆっくりと新之助へ歩を進め始める。


 「なんじゃ。長岡は、何を仕掛けようと言うんじゃ?」

 「何かさっきまでとは、違うのう。何かやりおるの。」

 観衆も何かを感じている。

 「これは、面白そうなものが見えそうだな。」

 正木も興味深げに仕合場を見つめる。

皆の視線が、興奮しているところで、独り小春だけが、不安げな色の視線を注いでいた。小春は思わず、ぎゅっと両手を握り締める。


 長岡と新之助の距離は、徐々に詰まって居る。新之助は、動かない。いや動けないと言った方が正しい。長岡の纏う空気に、うかつに動いたらやられると、本能で感じていた。


 いよいよ間合いが、両者共に打ち込める距離に詰まる。

僅かに、長岡の手元が動く。ヒュッっと空気を切る音が鳴る。それに瞬時に反応を示す新之助。

中段の突きを放つと見た新之助は、それを木刀で払おうと迎え打つ。が、木刀に手応えがない。

矢先、首元に長岡の木刀が襲い掛かる。新之助は、左に身体を僅かに捻り躱す。首を襲った木刀は、新之助の左首筋を抉る。その部分から、血を噴き出しながら、新之助は構わず、踏み込み胴を薙ぎに行く。

ドウッ

鈍い音が響き。決着が着く。

 「天晴れ・・。」

 長岡は、そう放つとその場から崩れ落ちる。胴を薙いだ新之助は、汗が吹き出して居り、呆然と肩で息をしている。その様子がこの刹那の攻防の激しさを物語っていた。その首筋からは血が、流れ落ちている。


 「勝者、坂田新之助。」

 勝ち名乗りが上がるとドッと、中庭が湧く。

 「いやあ、お見事!」

 「まっこと、良いもんが見れたわ!」

 「坂田新之助。大したもんじゃ!」

 新之助への賞賛が次から次へと止まない。皆、口々に新之助への仕合ぶりを賛えている。中庭全体が新之助の話題でざわついている。ただ二人を除いては。

 一人は、うつ向き、口を噤んでいる。しかし握り締めた拳は震えが出るほど力が込められている。

 『何て奴なんじゃ、新。まさか、師範代を倒しちまうとは、お前はどれだけ・・。』

 権兵衛は、悔しさ、羨望、興奮・・様々な感情が一気に渦まいており、表現ができないでいた。ただ、胸は熱い。

もう一人は、安堵の溜息を大きく付く。先程まで握り締めた両手には、大汗をかいており、爪の後がくっきりと残って居る。

小春は、緊張の糸が切れて、その場にへたり込んでしまいそうな自分を必死に保っていた。ただただ安堵している。その瞳には光る物が薄らと浮かんでいた。


 「・・大した奴じゃ、初見であの技を破るとは・・。ここまでやるとはのう・・。」

 源右衛門は髭をさすりながら、驚きを隠せない様子でつぶやく。

 「確かにのう・・。あの刹那に見事なもんじゃった。・・しかし、長岡は、坂田を殺すつもりで、突いたのではなかろうか?もし坂田が喉の突きを見切れなんだら如何したのかのう・・。」

 御館は、首筋から血を流し動かない新之助を見やり源右衛門に問う。

 「さあ、それは、如何でしょうな。儂にも分かりかねますわい。

ただ、長岡は、新之助の腕を認めてあの技を放っております。ただでは、受けないだろうと踏んで、本息で放ったのでは、ないですかな。ゴフッ、ゴフッ。」

 源右衛門は、髭をさする手を先程ゆっくりと動かし、御館の問に応える。その後、しこたま咳き込んでいる。

 「成る程のう。長岡は坂田を強者として認めたという事か・・。

 両者共天晴れじゃのう。それより、赤鬼殿、先程より咳込が酷くなっておるが・・?」

 御館は、納得した表情をしたと同時に源右衛門の身体を心配した様子をみせる。

 「心配ありませぬ。寒風に当たり、ちと身体が冷えたのかと。火に当たって参りますかな。」

 源右衛門は、事も無げに席を立ち、火鉢に向かう。

その堂々たる動きに、御館はフッと微笑み、心配するだけ無駄だったかと心に思う。


 そんな喧騒の中、新之助は勝ち名乗りを受けてもその場を動こうとしなかった。左の首筋からは、相変わらず血が流れており、着物を伝い地面に赤い点をつけている。若干下を向き一点を凝視し呆然としている。その身体は、僅かに震えていた。

 「どうした、坂田。仕合は終わったぞ、早々に立ち去れい。」

 立会人に肩を叩かれ、我に返る。新之助は、立会人に一礼をし、仕合場を後にする為、歩き出した。歩き出したところでようやく首の痛みに気付いたようで首を手で押さえた。手には、ぬるっとした感触が有りそこで自分が出血してる事を知る。新之助はそのまま首を押さえて、俯きながら歩を進める。

他方では、長岡が道場生達に介抱され、眼を覚ます。道場生が肩を貸そうとするのを制し、自分の脚でゆっくりと仕合場を後にした。

 

 「これより、一刻程昼休憩と致す。」

 二人の背中に立会人の大きな声が響き、それを聞いた観衆が皆思い思いの場所へ散り散りになり、昼休憩となった。

                                第八幕【了】

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