第九幕 昼の思惑
第九幕
「新っ!」
仕合場を後にして首を押さえて歩く、新之助を鋭く呼び止める声がある。新之助はゆっくりとその方に向き直る。
「新っ。首の傷を見せて。」
小春は、新之助が自分の向いた途端にそう声を掛ける。
「こんなの押さえていたらすぐ止まるわ。」
「馬鹿。そんだけ血を流して、地に紅い筋をつけて何が止まるだ。いいから見せな。」
小春は、新之助の強がりを撥ね付け、首を押さえている手を強引に退ける。首筋からは、固まらない血が吹き出して居る。小春は、帯に掛かっている小さい印籠から軟膏を取り出し、傷に塗っていく。
新之助は、染みるのか顔をしかめているが、おとなしく薬を塗られている。ほのかに小春から、香りが運ばれてくる。空を覆っていた雲が微かに割れ、城の中庭に日が降り注ぐ。日に照らされる二人の身体を優しく暖める。
小春は、軟膏を塗り終えると、着物の袖口を口で押さえ引き裂き新之助の首に巻いていく。それを巻き終えると胸元から、手ぬぐいを出し、新之助の肩口等に付いた血を拭き取って行く。
「血が染みついてしまってる。後で出しな、洗っちゃるから。」
そう言いながら、まじまじ新之助を見回すと、着物に無数のほつれや破れが有る。袖口から出ている前腕部や手の甲に細く赤い腫れが縦横にいくつも走っていた。長岡との仕合の激しさを小春は、感じ胸に不安がつのる。
「ねえ新。まだ仕合続けるん?こないに傷だらけやのに。首だって・・。ウチの師範代に勝ったのに満足せんの?」
小春は、無駄を承知で新之助に問う。問わずにいられなかった。
「当たり前じゃろ。」
新之助は、小春の心配を一蹴する。
「でも、これじゃ身体がいくつあっても足んないよ!?これからもっと強い人たちが相手になんだよ!?」
小春は負けじと、食い下がる。
「だからじゃ。剣はやっぱし、おもしれえ。こないに己をぶつけられるモノ、他には無ぇし。こんだけ強者が集まる事もないじゃろ!?それで、どうにかなったら、なったじゃ。」
眼をキラキラさせながら、新之助は小春に返す。その様を見せつけられ、小春は、大きくため息を付き諦めた。
「ほんに、しょうの無い奴じゃ。せめて、畑仕事が出来る姿で帰ってくるんじゃぞ。でないと新の父上が困ってしまうぞ。」
「そうじゃなあ。それは、そうするわ。」
小春は、その返事に少し安心し、真結びされた小さな包みを渡す。
「にぎり飯。昼、どうせ何も用意してないじゃろ!?権兵衛の分も有るから、二人で食べ。」
「おお。ちょうど、腹が減ったところじゃ。有難い。」
「したら行くね。応援しちゃるから、変な負け方すんなよ。」
「お前は、許嫁の応援でもしてろ。」
「新の応援、誰もしてくれんから私がしてやるって言ってんの。」
「勝手にせい。」
小春は、笑顔でこの場を後にする。冬の寒さを感じ無いほど、身体が暖かい。それは、新之助も同様であった。
城の中庭は、先刻までの仕合場の雰囲気とはガラリと変わり、観衆、仕合に出た者、城の者、皆思い思いに
新之助と権兵衛は、城の近くの川原で小春の握り飯を頬張っている。川の水は、曇天の空を写して冷たい色をして流れている。
小春の握り飯も冷めてはいたが、二人には冷たさを感じなかった。
「新。」
無言で握り飯を頬張っていた権兵衛は、一つ飲み込み、もう一つに手を伸ばしながら、新之助に声を掛ける。
「なんじゃ。」
新之助はまだ一つ目を食べながら応える。
「うちの師範代は、どうじゃった・・?」
恐る恐る尋ねる権兵衛。自分の通っている剣術道場の目標であった、長岡を目の前で撃破され、自分のはるか先に行っている新之助がどのように自分の目標を評するのかが気になると共に怖かった。自分の目標をつまらんと言われてしまったら、今までの自分が取り組んでいた物が足場から崩れる気がしたからである。
「そうじゃな・・。強かったし、怖かった。こっちが攻めとんのにあっちゅう間に返されてこっちが一方的に攻められよる。今まで、道場剣術を型だけで実戦にゃ向かんと思っとたが、型も大事じゃのう、色々考えられて作られとる。最後の突きも、たまたま身体が反応したお陰で躱せたが、少しでもずれれば、ここにこうしておらん気がする。ずっと身体が震えてたわ。お前んとこの師範代に色々学ばせてもらった気がする。」
「ほ、ほうか。強かったか。そうじゃろ、そうじゃろ、我が玄武流の師範代じゃからな・・。」
権兵衛は、予想外の答えに驚いたのと同時に、いつになく饒舌な新之助に圧倒された。
『こいつがこないに色々と考えとるとは・・剣には、真剣ちゅうことか・・。』
権兵衛は、新之助の強さの理由を少し垣間見た気がした。
風が僅かに二人の頬を通過する。僅かであるが、身体の熱を奪うには十分な冷たさをそなている。
「ううっそれにしても、今日は寒いのう。早う、火に当たり行こうや。」
二つ目の握り飯を平らげた権兵衛は、震えながら新之助に促す。
「それが、俺はそないに寒くないじゃ。お前んとこの師範代にやられた所があちこち痛くて火照っていてのう。」
微かに笑いながら、新之助は返す。その姿を権兵衛は、改めて見直すと、首はもとより、肌が見えている所に紅く盛り上がった線がいくつも眼に付いた。先程の激闘を新之助の身体が物語っていた。権兵衛は、先の問が愚問であったかもしれんと思った。
まだ、握り飯を食べ終わらない新之助を、震えながら権兵衛は待つ。川の音、時折吹く冷風の音、城から流れてくる、人の声が耳に入ってくる。
「・・お前、お鈴の事、どこで知ったんじゃ。」
手持ち無沙汰であった、権兵衛が思い出したように問う。
「・・どこで・・。見てりゃわかるじゃろ!?」
新之助は、。何故そんな事を聞かれているのか分からないと言った様子で返す。
「ほ、ほうか。」
権兵衛は、それ以上聞けなかった。新之助の偶にみせる鋭さに都度、驚かされる。周りに興味がないようで、人の核心に触れるところが有る新之助の観察眼がどこから来るのか不思議であった。
「お前、お鈴の事、どうするつもりじゃ?」
新之助がおもむろに投げかける。
「えっ!?ど、どうって・・・。良く分からん。そりゃあ、お鈴は、小春に比べりゃちぃと見劣りするものの、十分に器量良しやし、何より気持ちがええ。・・・じゃが、あの師範代の娘っちゅうのがのう・・。」
権兵衛は、まさか新之助からそのような問いがなされるとは思いもよらず、動揺しつつ応える。
「なんぞ、ゴチャゴチャ考えとるが、どうしたいんじゃ結局、お前は?お鈴の事どう思っとんじゃ?」
「・・・そりゃあ、悪い気はせん。が、何分急な事で、まだ良く分からん・・・。」
権兵衛はまたも新之助の鋭い指摘に、肝を冷やしたが、悟られないよう何とか繕う。
「ほうか・・・。のんびりし過ぎて、誰ぞに取られんようにな。」
「なっ・・余計な世話じゃ!」
言いつつ、権兵衛は新之助の一連の発言に違和感を覚える。いつもなら、このような事を自ら言ってくるような男では無い。権兵衛は、新之助の表情を伺おうと、顔を覗き見る。新之助は、真っ直ぐ一点を見つめて居る様な、視点を定めず、ぼうっと眺めている様な視線を川に向けている。相変わらず権兵衛には、新之助が何を考えているか読むことが出来なかった。あきらめた権兵衛も川に視線を写す。ただ川の水が何も言わず、流れ続けている。
「団十郎、許嫁に会っとったようじゃが、鼻の下を伸ばして仕合の方は障り無いか!?全くお前という奴は、さる大名家の姫君からも申し込みがあったものを、どうしても、赤鬼殿の孫娘、小春殿が良いと言って聞かん。これで、仕合をコケたら唯ではおかんぞ。」
「父上、大事ありませぬ。それはそれ、これはこれでございます。剣において抜かりはございませぬ。まして小春殿の手前、無様に負けることはありません。」
家老、正木小五郎が息子団十郎に持ち前の大声にて激を飛ばす。
二人は、城に有る小五郎の部屋にて火鉢を囲み昼食を取っていた。
この里の城は城と言っても、平城で本丸も平屋敷である。その周りは白塗りの塀で囲まれてはいるものの堀らしい堀は無く、城を囲うように流れている川が堀の役目をしている。しかし門構えは立派に黒塗りの二丈近くの高さが有るもので、開閉に大の男を五人程必要とする程である。その城門から入ると、三の丸、二の丸と階段状に登って行き、最後に仕合場に成っている中庭に出る。その中庭に面しているのが、本丸である。
二の丸、三の丸においても平屋敷になって居り、背の高い建物といえば、城の四方に有る櫓位である。
最も、この里は、北方は峯を東西に囲うように山があり、東西も北方の山の峰に当たる深い森が、南をその山から里の南へ流れる川がそれぞれ天然の要害としてこの里に外敵の侵入を許したことは一度も無い。故に、里の中心に構える城は平城でも十分に事足りるのである。
家老、小五郎の部屋は、本丸の中に有り、それだけでも小五郎がどれだけこの里においての重要人物かが伺える。
「しっかし、惜しい事をしたのう。あの国の姫君からの婚姻の申し込みを受け入れておらば、お前は今頃、儂を超えての大出世じゃったのに。それにこの里にも何れ程の恩恵が・・。断りを入れるのにどれだけ労を要したか。」
小五郎は、真面目とも冗談とも取れる物言いで、団十郎に放つ。
「・・・。」
団十郎は、その事には何も応えず、昼食の焼き魚の白身を口に運ぶ。
「まあ、赤鬼殿の道場と縁故になれるのは、役得かもしれんな。今まで、赤鬼殿が眼を光らせておったから里の
「また、そのような事を・・。その為に小春殿と
「団十郎、お前はいつまで青臭いことを申しておる。この乱世に武士として、漢として産まれたからには、立身出世の志を持って、お家の為、主君の為、武だけでなく、政略に通じ他者を出し抜かんといかんぞ?」
「・・・。」
団十郎は、以前より父小五郎の出世の為、利用できるものは何でも利用する生き方には違和感を覚えており、その点においては、従えなかった。最も、その姿勢がこの里の防衛に役立っている事も理解はしており、自分は自分なりの力で里を守りたいと、剣術を磨き、兵法を学んでいき、馬廻り頭まで昇った。
「しっかし、玄武流との繋がりはともかくとして、あの家の当主、一ノ瀬寛治。あれはダメじゃ・・。当家との縁談にて出世の足がかりを得たと思っておろうが、赤鬼殿の息子とは思えん位に剣術は出来ん。変わりに覚えた兵法も書物兵法を出ておらず合戦にては使えん。そもそも、あやつ、人を使うことが分かっておらん故、だれもあれには、仕えようとは思わんじゃろ。出世の野望は結構だが、己を知らんことには出世なんぞ・・。」
「父上。其の辺にしておきませんと。」
小五郎の饒舌な毒舌をたしなめる団十郎。小五郎の手には、朱の盃が有り、傍に有る徳利にて手酌で昼酒をたのしんでいた。
小五郎の赤ら顔が更に赤くなっているのはそのせいである。
「おお、ツイな。酔が回ったか。はっはっは。」
小五郎は、団十郎のたしなめを気にする様子も無く、高らかに笑う。そしてグイっと盃を口に運び、喉を鳴らす。その様を団十郎は、溜息混じりに眺める。
小五郎の言う事も最もである。人が出世するには、小五郎の様に、利用できる者は、何でも利用し、のし上がる者、団十郎の様に出世に興味が無くとも、輝く才能にて、気付いたら出世している者等が居る。一方、上の者に阿る事で、気に入られ大した力も無いものも出世したりする。しかしこれらの者達の共通点は、どんな形においても『結果』を出して居ることではないであろうか?
上に阿った者も、上に気に入られた点においては、気に入られて無い者に比べ結果は出している。
だが、寛治の様に、出世欲は人一倍強く、努力はしても決して出世に結びつかない者も居る。そういった者の多くは、己を正しく見れず、己を過信し他者を見下す傾向にある。結果、人から疎んじられ、結果を出す場面から自動的に遠のくので有る。こういった者は、何でこんなに自分は他者より努力をしているのにしていないものが、出世するのか?と妬みに走ることが多い。努力は、他者と比べるものでも無ければ、努力する事に酔う事では無い。努力とは、己を冷静に分析し、至るべき道に何が必要かを常に向き合い、結果に向かうようにやるべき事を行い続けることである。
寛治は、己を分析する能力が極端に欠けており、他者にどう己が写っているかの想像に乏しい。その点を小五郎が、酷評しているのである。故に寛治の出世の道は限りなく遠い。
ドンドン
仕合再開を告げる太鼓が鳴り響く。
それまで、中庭にて昼食を愉しんでいた者たちが一様に片付けを始め、再度張られた陣幕の直ぐ内側に移動する。
第九幕【了】
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