第十幕 ケモノ棲むモノ

第十幕 

 午後から益々日が差さなくなり、仄かに暗くなった事と一層冷え始めた為、仕合場の四隅と御館が座する座敷外の左右に篝火が灯された。

立会人が所定の位置に着き、御館、源右衛門両名も座敷に着く。

一同、御舘に平伏する。皆の服が擦れる音が、中庭に鳴る。その後の一瞬の静寂の後、皆、頭を挙げるため又一斉に服が擦れる音が鳴った。この一連に御館は、表情を変えずに臨んだ。その様は、午前中と違い、里が御館を御館として認め、結束が強くなった事を告げていた。


 立会人が再度、御館に礼をした後、高らかに発する。

 「これより、仕合を再開する。」

ドンドンドドン

 陣太鼓が、追って仕合再開を知らせる。


 何組かの仕合が終わり、午前中勝ち抜いた者達が立ち会うという事だけあって、仕合場は熱を帯びていた。


 「白、正木団十郎。赤、益岡長治。」

 両者共に、仕合場の中央に着き、御館に一礼する。

 「よっ、待ってました!」

 「団十郎さま~。」

 「こりゃ、おもしれぇ仕合だぞ。」

 流石に、知名度の高い二人の立ち会い、仕合場の熱が加速する。


 「両者、構え。」

 立会人の声掛けに、正木は、正眼で足幅は狭めて構え、益岡は、大上段に木刀を掲げて構える。

 「おおっ。」

 二人の構えに自然と歓声が起こる。

 「益岡は、やはり甲羅割りで勝負するつもりじゃな。」

 「前の仕合で、弟弟子の小僧に後一歩で破られそうな技で大丈夫じゃろか?相手は、正木じゃぞ。直ぐに決まりそうじゃな。」

 「そうじゃのう。玄武流もここまでか・・。赤鬼殿は、さぞ悔しかろうて。」

 観衆は、益岡が直ぐに敗れる者として話を進めている。

 

 「始め。」

 立会人の掛け声に合わせ、太鼓が二つ鳴る。

両者共構えはそのままに、じりじりと間合いを詰めていく。

剣筋が、届く処まで間合いが詰まった刹那、益岡が先に剣を振る。

益岡は、甲羅割を放つが先の仕合とは違い、剣を真っ直ぐ降ろすのでは無く、袈裟斬りの軌道にて振り降ろす。正木は、先の甲羅割りはとうに軌道を見切っており、真っ直ぐ降りる剣筋を斜めにいなして踏み込もうとするが、軌道が袈裟斬りに変化をしており、身体を斜めに踏み込む事が出来ない。強力な振りをまともに受けるは下手を打つとして、間合いを外す為に下がる事を選んだ。

正木の鼻先を空気を切り裂く音が聞こえる。

次に、正木には益岡が僅かに大きく見えた。これは、益岡が踏み込んできていると刹那に判断し、対応に備える。自分の着物の腹辺りに何かが触れる感覚が走る。その瞬間、木刀を右に払い、身体を右に捻る。益岡の腹を狙った突きが、外れる。

 益岡は甲羅割りを最後まで振り降ろさず、突きに変化させたのである。益岡は、踏み込みを止めずそのまま前進し、なんと頭を振り降ろす。

正木は、先に身体を右に捻っており、後方に下がれない。よって、益岡の頭突きを踏ん張ることで受けた。頭部と頭部がぶつかる鈍い音が響く。

 「ひっ・・。」

 正木に黄色い声援を送っていた娘たちがその様に悲鳴を上げ、こぞって眼を逸らす。

正木は、ただ頭突きを受けただけでなく、木刀の柄で益岡の踏み込んだ脚の柔らかい内腿を打ち据える。

 「ぐっ。」と顔を歪め益岡は、そのまま下がり間合いを取る。

 一方、その場に留まる正木の足元に血が落ちる。正木の額は割れていた。正木の視界が歪む、手足に力が入らない。正木は、そのことを悟られまいと構えを崩さず、益岡がいると思われる所に視線を送り続ける。

 「おぉ、あの正木に剣ではないとはいえ、一撃を当て寄った。」

 「しかも、流血のおまけ付きじゃあ。流石に玄武の二岡かそこいらの道場剣術とは一味違うのう。」

 先程まで、早々に益岡が敗北すると豪語していた観衆達が、一転手のひらを返して、益岡を褒める。

 「いやぁ、団十郎さまぁ」

 「あの熊侍許せない。団十郎さまのお顔に傷を。」

 娘たちの悲鳴が響く。

中庭は、騒然としている。

 「どうじゃ、正木?玄武流は?戦場で磨かれた剣術を、吾が師赤鬼源右衛門が、数多の死地を乗り越えて昇華させたんじゃ。そこらの剣術と一緒にするなよ。」

 益岡は、言いながら動きの取れない正木に踏み込む。未だ動きの取れない正木は、その場で迎え打つ構えを敷く。

 益岡は、踏み込みながら、木刀の切先を地面に付け、そのまま跳ね上げる。土埃が正木の顔面に舞い視界を奪う。

 益岡は、更に踏み込み、跳ね上げた木刀を真っ直ぐ振り降ろす。

正木は、己の頭上に届く既のところで、木刀でひらりと軌道を逸らす。益岡の木刀は、地面近くで止まり、そのままもう一歩踏み込み、再度、頭突きを狙う。正木はこれも、くるりと身体を右回転させて躱す。益岡は、右に避けた正木を逃すまいと木刀を右に薙ぐ。正木は、益岡の動きに合わせて、益岡の後方にくるりと位置を置く。

 「柳か。孫娘の婿殿も相当の修羅場をくぐっているようじゃの。」

 源右衛門は、益岡が捉えられない正木の動きを観て感心した。

 「ほう、柳とな。・・しかし何故、朦朧としてしかも土埃で眼が見えない正木が益岡の攻めをああも綺麗に躱せるのじゃ!?」

 御館は、単純な疑問を源右衛門にぶつける。

 「ふむ。風でしょうな。」

源右衛門は、顎鬚をさすり、御館の問に応える。

 「風、とな?」

 「左様。益岡が動く折に生じる僅かな息遣いを聴き、動きを予測。身体から発する風を感じ、攻めを読み取るという訳ですな。」

 「そのような事で・・。眼の前で起きて居るものを観ても俄かに信じられん。が起きているのも真の事・・。」

 御館は、源右衛門の解説に納得しかねるといった様子であるが、

眼前で起きた事は、それで有り納得せざるを得ない。

 「信じられんのも尤もですな。これを実戦にてしかも、剛の者相手にやるのは至難の業。相当の修練、修羅場、天稟を要しまする。」

 あくまで、源右衛門は坦々と返す。

 「ほうか。恐ろしい男じゃな、正木は。いや、我が里にとってみれば頼もしい限りじゃな。」

 御館は、驚愕しつつも冷静に、里の利を考える。後を取られた益岡は、背筋から冷えた汗が吹き出るのを感じて、

前方に大きく移動し、くるりと正木の方へ身体を向ける。

 「柳かよ。全く、ホンに近頃の若いのは粋が良くて骨が折れるわ。」

 益岡は、思わず吐露する。その額からは、多量の汗が滴り落ちている。

 「きゃあ。正木様~。」

 黄色い声援が再び盛り返す。

他の観衆も目の前で起きたことが、信じられず騒然としている。

 「なんなんじゃ、あれは?正木には、目ん玉が別のとこに付いてんのか?」

 「おおう。とんでも無いものを見たんじゃなかろうか?」

 『正木、恐るべし。』中庭にその感覚が蔓延し始めていた。

 先程までとは、打って変わって、静かに対峙している両者。その様は、額から血を流し、眼が塞がって居る正木の方が益岡を追い詰めている様に映る。

現に、益岡は攻めあぐねていた。どんな手を使っても、この男を追い詰める事が出来ないばかりか、ともすれば自分が窮地に立たされる恐れがあることを感じていた。

 正木は、口をすぼめ長く「ふう」と息を吐く。息を吐き切ったところで、眼を静かに開いた。益岡のためらいが、正木の眼に再び景色をしっかりと映す時間を与えてしまったのである。

 益岡は、木刀を上段に構え、腰を落とし覚悟を決める。

正木は、この仕合はじめて、自分から間合いを詰める。間合いを詰める正木を益岡は、大きく感じている自分に気付く。明らかに先程までの正木と放つ空気が違っており、気圧されているのが分かる。

 『なんじゃぁ?こりゃぁ、えらいもんを起こしてしまったのかもしれん。』と心の中で独り呟く。

 観衆も正木から放つものに圧迫され、皆一様に黙って見守っている。黄色い声援ですら、今は聞こえない。


 ゆるりと間合いを詰める正木。いつでも甲羅割で迎撃する構えの益岡。徐々に二人の間が詰まっていく。

と思った瞬間、正木を見ていた者たちから正木がゆらっとぼやける。次の刹那、正木は、一気に間合いを詰め、先程打ち据えた内腿を横に薙ぐ。そしてそのまま右に胴を薙ぎ、最後に崩れ落ちる益岡の顎を下から突き上げる。この一連を見えた者は居ない。

 顎を突き上げられた益岡の巨体が、宙に浮き背中から後方に倒れる。一連の打ち込みが疾風の如く、誰の眼にも捉えられていない。打たれた益岡も反応が出来ず、構えが上段のままで地に背を着いている。

 「しょ、勝負あり。」

 立会人が、倒れている益岡を確認し、慌てて勝ち名乗りを告げる。

 直ぐに益岡に駆け寄る弟弟子達。そのまま介抱を行い、仕合場の外に担いで運んでいく。

 正木は、何事も無かったかのように、木刀を腰に納め、御舘に深々と礼をして仕合場を後にする。

 仕合場を後にした正木の眼前の人だかりが割れる。人々の正木を見つめる眼には、畏怖の念が浮かんでいる。正木はその事が視界に入ってない様子で坦々と歩を進め、その場を後にする。その顔には額から流れた血の道が出来ており、眼の焦点はどこを捉えているのか、空を見つめている。正木と距離を置きつつ見送る観衆は、皆無言である。


 「驚いたのう・・。正木の動きは、正に神速じゃ。それにあの瞬間の変わりようは何じゃ?」

 御館は、益岡を破った、正木の様子に驚きを顕にする。

 「確かに。先の赤鯱狩りで三十近くの首級を挙げただけの事はありますな。しかし・・。」

 源右衛門も正木に対して素直に実力を認めた。

 「しかし?なんじゃ?」

 「至極、綺麗な剣を振るう男かと思っておりました故。付け込まれるとしたらそこであろうと思っておりました。」

 「おう。儂もそう思うとった。型にはまらない動きには対応出来んのではないかと。」

 「左様。現に益岡もそう思って、仕掛けておりましたからな。それに動ぜず捌いてみせた。しかも、最後には儂にも捉えることの出来ない動きを見せての勝利。」

 「何と!赤鬼殿にも見えなんだか!?あの動きは?」

 「ははっ。もう老骨の身。眼もしょぼくれております。ただ、眼で捉えられずとも、身体で捉えればやりようはありますがな・・。」

 「おおぅ。そうなのか!?流石は、赤鬼源右衛門じゃな。」

 「これは、年甲斐も無く。ちとムキになり申した。忘れてくだされ。それより、正木の疾さよりも儂は、奴の氣の質が気に掛かります。あれは、身の内にケモノを飼っている者の氣ですな。」

 「ケモノ・・。神速の動きをする前に放った氣の変わりようは、それなのか?」

 「ごく希に現れるのです。身の内に異形なものを飼っているものが。鬼なのか・・、獣なのか・・、憑かれたのか、生まれつきなのか・・。兎に角、それを持つ者は、およそ人では無い氣を放ち、動きも人外そのもの。相手を殲滅するまで止まりません。正にケモノですな。あやつが、それを自覚していないのか、隠しておるのかは解りかねますが、あれを見るに付け正木を止められる者は、果たして居ないのでは無いかと。」

 「ケモノが棲むもの・・。あの正木に・・。確かに正木に敵うものは居なさそうじゃの。」

 御館は、信頼している家臣である正木の闇を見た気がして、何とも言えない気持ちになっていた。

 

 「そういえば・・。希にと申したが、赤鬼殿は、ケモノが棲んでいる者に対峙した事が以前にあったようじゃの?して勝敗は?」

御館は、直ぐに気持ちを切り替えて、無邪気な質問をする。

この切り替えの速さ、いわば物事に執着しない気持ちの良さがこの御館の大きさを顕しており、人気の要因でも有る。

 「幾度か、戦場にて。ここにこうして居りますから、破ってはきました。ケモノに成った者は、どちらかが、倒れるまで止まりませぬ故。命を絶つしかありませぬ。尋常では無い強さを持っております。逃げ出したい衝動を抑えて戦っておりましたぞ。」

 御館は、サラッと冗談混じりに答えを返す源右衛門に改めて畏怖を覚えた。先に見た正木の様な化物を、討ち果たして来たこの男こそ化物だと。『鬼とは、良く言ったもんじゃ』と隣で、好好爺と顎鬚を触っている源右衛門の横顔を眺めながら思った。

 仕合が進む。空は依然、灰色の幕に覆われて、人の頬に当たる風は、針のように痛い。里の冷え込みが益々強くなる一方、城の中庭、すなわち仕合場に居る者には、その寒さを感じる者は居なかった。それほど、熱い仕合が続いている。

 

 「勝負あり。勝者白、坂田新之助。」

 新之助は、木刀を腰に納め、御舘に軽く一礼し仕合場を後にする。

 「新っ。」

 新之助が振り返ると権兵衛であった。

 「また勝ってしまったのう!しかも、打ち負かした相手は隣里の猛者、鎌谷文之進ときてる。まあ、ウチの師範代程では無いがの・・。兎に角すげえぞ、あと二つ勝てば、おめえ勝ち抜きだぞ。」

 権兵衛は、興奮して新之助に捲し立てる。権兵衛の唾が、新之助の顔に飛び散る。

 「簡単に言うのう。さっきの相手だって、怖かったんぞ。あと二つがどんなに難しいか・・。」

 新之助は、顔を拭いながら応える。

 「んなこと分かっておるわ!でも、ウチの師範代を破り、隣里の猛者を破って来ている今のお前なら、ひょっとしたら、ひょっとするぞい。」権兵衛の唾が更に、新之助の顔に降り注ぐ。

 「その猛者をおそらく超えとる者が、あと二つの相手に成ると思うんじゃが。」

 顔を袖で拭きながら、あくまで冷静に返す、新之助。

 「正木か・・。ありゃぁ、バケモンだな。んでも、お前の強さも中々のもんじゃと思う。何せ、ウチの師範代を破っておるんだからのう。それに、正木とは、最後の仕合でないと当たらん。そこで敗けてもお前は、二番目の男に成るんじゃぞ。」

 どこまでも、楽天的、能天気な権兵衛である。新之助は、権兵衛の無垢な発想に思わず笑いそうになるのを堪えながら返す。

 「正木もそうじゃが、先ずは、目の前の相手じゃろう。」

 「硬いのう。お前は。」

 新之助の終始変わらない温度に、権兵衛も冷めてきてしまった。


 ドウッ!と人が倒れる音がする。

その音に新之助、権兵衛は仕合場に眼を移す。 

 「勝負あり。勝者、赤間善助。」

 赤間は、深々と御館に礼をして、静かに仕合場を後にする。

 「どうやら、先ず、一の相手が決まったようじゃぞ。赤間・・。はて、知らん名じゃのう。こりゃ、次もいただきじゃろ。」

 権兵衛は、次の新之助の仕合の相手が、赤間善助という自分も知らない無名な者という事でまた皮算用を始めた。

 「いや、分からんぞ。あの男、前の仕合にても確か相手の胴を薙いで倒しておる。相手を倒すほど木刀を深く腹に打ち込むのは、中々出来るこっちゃないぞ。只者では無いかもしれん。」

 新之助は、赤間の実力を冷静に分析している。

 「また、お前は・・。変なとこで真面目じゃのう。大方、仕合慣れしていない奴で力の加減が分かっとらんのじゃ。仕合であっこまで、相手に木刀を打ち込む奴は居らん。舞い上がっとんのよ赤間は。」

 権兵衛の言い分も一理有る。仕合は木刀を使用しているとは言え、あくまで真剣の斬り合いを模して行われる。よって、木刀で激しく打ち据えなくても、相手が切られたと思える位置に木刀をかざせば、寸止めにても勝敗は決する。剣術を修めているものとして自分が切られたかどうかの判断は、生死に関わる重要な感覚であり、そこを誤魔化す者は、早々に剣に命を奪われるであろう。

故に、「参った。」という相手からの告知にて勝敗が決する事が仕合では、大半であり、わざわざ打ち据える事は必要無いのである。

その必要の無いことを行う、赤間に対して権兵衛は素人だと言いたいのである。

 「まあ、やってみれば分かるじゃろ。」

 新之助は、言いながらどこか微笑んでいるように見えた。

権兵衛は、そのさまを見て、何を考えているのかやっぱりわからん奴じゃと又思った。

                                第十幕【了】

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