第三幕 燻る火

第三幕

 「た、大変だ~。」

 明くる日、権兵衛が慌てて新之助に息を切らし駆けていく。新之助は、家の裏手で薪割に黙々と汗を流していた。新之助の家は、農家の小作人のそれと変わらず、塀は無く部屋も囲炉裏場と寝室の二部屋のみの質素なものとなっている。町はずれの街道沿いにあり、裏手には父が耕した畑が、十畝程ある。


 新之助は父、坂田一心と二人暮らしである。母、綾は、新之助が十になる年に流行り病で亡くなっている。それについて、綾の親戚筋からは、一心に非難が相次いだ。なぜ、武士で有りながら城勤めをせず、ろくに食い扶持も稼げない農家まがいの畑仕事をして綾に薬を買ってやらぬのだと。

 実際、一心は、城勤めを全くせず、戦時の招集にも応じなかった為、俸禄を払い下げられ自分の畑で育てた野菜を売って僅かばかりの食い扶持を得て家族三人を養っていた。しかし綾の薬は代々坂田家に伝わる家宝の甲冑を売り払い、高い薬を飲ませていた。だが綾は、生まれつき身体が弱く、病に打ち克つ体力は元々なかった。そんな綾が新之助という大層丈夫な男子を産んだことは奇跡的なことであった。

 綾は常に畑仕事が手伝えなく自分が足手まといになっていることを夫に詫びていた。又、息子には、父は城勤めなどしなくても立派に家族を守っている、決して祖父や祖母が言うような人では無いと事あるごとに説いた。


 最愛の妻の葬式の日に、親戚一同に、先入観による誤解たっぷりの非難を甘んじて無言で受けている父の姿が新之助の頭から離れることはなかった。新之助は父の言い付けだけは、良く守っていた。


 乾いた音を出しながら気持ち良く薪が割れていく。

「た、大変だって。」息切れしている権兵衛は、新之助に今にも食って掛かりそうな勢いで捲し立てる。

 新之助は、特に取り合う様子も無く、額の汗を拭い

 「で?何が大変なんじゃ?」

 「こ、小春が輿入れするらしいんじゃ!しかも、あ、相手は、馬廻り頭のあの正木団十郎なんじゃぞ!」

 「知っとるよ。」

 薪割の手を休めず応える。

 「し、知っとるってそれだけか?」

 「ああ。」

 薪割の乾いた音が響く。

 「お前、小春が輿入れじゃぞ。何もないんか!」

 「目出度いじゃないか。」

 尚も手を休めない新之助。

 その様子に面喰い

 「もうええわ!お前には本当に呆れる。」

 権兵衛はドカッとそばの切り株に腰を降ろす。ぷぅっと一息付く。

 「じゃがな、話はそれだけじゃないんじゃ。」

 「そうか、なら早よ話せ。」

 ようやく新之助は、薪割の手を止め一息付こうと薪割に使っていた切り株に腰掛ける。

 「うむ。それなんだが、小春の輿入れが行われるのは、六月後らしいんじゃが、、」

 もったい付ける権兵衛。

 「それがどうした。」

 面倒そうに新之助は返す。

 「それがどうやら、正木の奴がそうして欲しいと言ってきたらしい。」

 身を乗り出す権兵衛。

 「いちいち勿体つけんで早よ話せ。」

 「まあまあ、落ち着け。・・その理由というのが、三月後に行われる御前刀術仕合の後にして欲しいとの事なんじゃ。」

 「御前刀術仕合?」

 新之助も身を乗り出す。

 「そうじゃ、何でも御館様が、最近の近隣の国々との状況を鑑みて、里の強化が必要とお考えになり、里にいる強者を探す為に開くらしい。確かに、最近隣の国では、うつけと言われていた織田の跡取りが、東海一の弓取り今川義元を桶狭間で破りそこから破竹の勢いにて美濃を治めてしまった。ああいう一人の強者が現れると周囲も引っ張られ大概荒れるもんじゃ。この小さな里も最近までは、近くの豪族共との境界線を巡る戦が大半で、里自体が戦火にまみれたことはない。だが、この状況ではいずれどこぞの大名に併呑され里も蹂躙される。しかれば、里の自治を保つには、里自体を強くし、大名家に取り入り、その大名家の庇護の許自治を保つ。有事の際には戦の手助けを出来る軍団を擁していれば早々にこの小さな里なぞ滅ぼしまい。むしろこの里には強者が多いと思わせていきたいとのお考えなのじゃろうな。だから、そこでお目に掛かった者が居れば、出自に関係なしに取り立ててくれるそうじゃ。しかも、それだけじゃないぞ、仕合で勝ち抜いた者には、褒美として御館様が何でも望みを聞いて下さるそうなんじゃ。」

 何故か、権兵衛は言いながら得意気である。

 「・・権兵衛、随分難しい言葉も話せるんじゃのう。」

 大層、新之助は感心している。

 「そうだろう・・中々こう見えて学があるんじゃ・・ってそこっ?感心するとこ、そこっ??じゃないじゃろ!何でも願いをお聞き届けてくださるんじゃぞ。オレは出ようかと考えている。そしてもし勝ち抜いたら小春を・・。」

独り妄想の世界へ旅立つ権兵衛、にやにやにやけている。それを、黙って見つめる新之助。

 「ぶほっ!うんっ!・・とにかく出るからには、勝ち抜きたいんじゃが、それは難しい。」

 視線に気づきむせ込みながら権兵衛は続ける。 

 「誰ぞ、強いやつでもいるんか?」

 「馬鹿っ!おまえ知らんのか!正木団十郎に決まってる!」

 「正木殿とやらは、そんなに強いんか?」

 「お前ェは、ほんに何にも知らんのじゃなぁ・・。こんな狭い里の事なのに・・。   

 一体何に興味があるんだか・・?いつまでたっても解らん奴だで。・・まあ聞け。正木は、あの山賊狩りに出張っているんじゃ。」

 「一昨年にあった、『赤鯱』を壊滅させる為のあの大きな山狩りの事か?」

 「流石にその事は、知っておったか。そうそれだ、それに正木も出陣していた。そこで、長年この里の不倶戴天の敵『赤鯱』の幹部を始め、首級を挙げる事なんと二十数人。ほぼ一人で賊どもを震え上がらせて、勝利の呼び水を上げた程。」

 「それは、凄いのう。『赤鯱』といえば、俺らが生まれる前からある山賊で、元々どこぞの国の謀反を企てた連中が失敗しそのまま野に下り、賊になったやつらじゃろ。首領になったやつの強さもさることながら、その下の連中もみな元は違う賊で首領をやっていた者ばかりで構成されていたそうじゃないか。ほとんどこの近くの国の賊は呑み込んでしまっていて賊の数は千か万を越えるって聞いたことがある。それをそんなに斬るとは、尋常じゃないな。」

 「そこで、首領を打ち取ることは、出来なかったものの捕えるか、打ち取った賊は五百に上った。逃げた賊は散り散りになり、ほぼ壊滅。残党も三十に満たずに、今は山に大人しく引き籠っている。噂じゃ、残党が大人しくしてるのも、正木を恐れているからだという話もあるぐらいじゃ。とにかく、それで正木は、若輩にして馬廻り頭に抜擢されたというわけじゃな。」

 「正木団十郎か・・。」

 「うむ・・。」

 二人共黙って考え込む。新之助は、真直ぐ遠くを見つめ。権兵衛は、下を向いている。


 権兵衛は暫しの沈黙の後、パンっと膝を叩き。

 「まっ、考えても仕方ない。とにかくオレは出る。勝負は、やってみなくちゃ解らねえ。何より、あの正木に勝ったとあれば俺の名も一気に上る。願いも想いのままだしな。お前も出るなら覚悟しとけよっ!」

言い放ち、立ち去る権兵衛。何事にも、前を向き進んでいく、権兵衛の素直さは、この時代には稀有なものである。事実、権兵衛のこの性格に救われているものは多い。新之助も権兵衛の事は、嫌いではない。


 「正木団十郎・・。何でも願いを・・。」

 権兵衛が立ち去った後も新之助は、遠くを見つめている。そのつぶやきを、後ろで一心は農作業をしながら背中で聴いていた。


 その日の鈴虫鳴く夜。坂田家囲炉裏場。

 「出るのか。」

 一心が火箸で炭を突きながら新之助に問う。

 「・・はい。出てみようかと思っています。」

 新之助も一心の火箸の先を見つめ応える。

 「別に、反対はせぬよ。」

 声色を一切変えず、静かに言い放つ。

 「えっ、よろしいのですか?」

 新之助は、一心の想いもよらない返事に驚きを隠せなかった。戦う力を持ちながら武士の生き方を全否定して家族を守って来た一心にとって、刀術仕合なぞ、到底理解してもらえぬものと覚悟していた。新之助は、思わず父の方に眼をやる。父の横顔は、驚くほど静かである。

 「殺し合いに行くのではない。誰かと争いに行くわけでも・・。それに、ものがあるのだろう?・・止める理由はないわい。」

 「有難うございます。」

 頭を深々下げる新之助。

 「但し、怪我はしてくれるなよ。大事な働き手が欠けては、年が越せぬからな。」

言った、父の横顔は、優しさに満ちていた。

 新之助は、静かにまた頭を下げた。               第三幕【了】

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