第二十二幕 藪の中
第二十二幕
藪にしゃがみ息を潜ませる新之助、権兵衛。権兵衛の肩は激しく上下して、口から白い息が大きく何度も吐き出される。何より身体の震えが止まらない。権兵衛は、自分の身体を抱きしめるように腕を交差し肩を押さえている。首に手をやるとぬめっとしたものが纏わり付く。その手に付いた血を見ながら、人は、いや自分は何とも簡単に死ぬものだと、また震えが来る。新之助が援けに入らなければ確実に自分は死んでいた。権兵衛は、ここに来てしまった事を深く後悔していた。
一方の新之助は、顔を上げて四方に気を張り、静かに呼吸をしている。
「権兵衛、だいじか?」
新之助が小声で権兵衛に尋ねる。
「・・・。」
「おい。権兵衛。」
「お、おぅ。」
ようやく我に返った権兵衛が返事を返す。すると首から流れる熱いものが襟元に流れ落ちてるのを感じる。
「権。お前やっぱり帰れ。」
「な、何を!ここまできて帰れるか。このままで・・。」
権兵衛は、着物の袖をちぎり、首に巻きながら応える。直ぐに首に巻いた着物が血で染まっていく。首が熱を帯びている事が権兵衛に自分はまだ生きているとの実感をもたらす。
「にしても、新っ。殺ったな。お前・・。」
「あ?ああ。」
「ああって。人を斬ってそれだけか?」
権兵衛は、新之助の顔を見上げるが、その表情からは、何も伺えない。いつもの新之助である。相変わらず、何を考えているか分からん奴だと呆れ、眼を落すと新之助が鞘を握る手が目に入る。その手は、真っ赤にうっ血し、震える程力が入っている。
「新っ・・。すまねえ。」
権兵衛は、思わず謝る。自分の所為で新之助に余計に人を斬らせた。そのことを詫びたのである。そして、決して新之助も当たり前の様に人を斬って居なかった、必死に戦っていると思いを感じ、謝らずにはいられなかった。この命を懸ける状況において権兵衛は、新之助に気づかいを見せる。黒田権兵衛とはそういう男である。
「朔兵衛達を呼んで来い。」
目の前で起きた奇襲に刀を手入れしていた男が、火で暖を取っていた男に指示を出す。指示を受けた男は、化け物の顎の様な洞窟に走っていく。
間もなくして朔兵衛と槍を持った男が顎から出て来た。
朔兵衛は、木の根元で絶命している男とその先でしゃがんだまま動かない男を目にすると大きく白い溜息を吐く。
「何があった?」
静かにゆっくりと重く低い声で、呼んできた男に朔兵衛は尋ねる。その眼は、奥で鈍く光っている。
「あっ・・。」
尋ねられた男は、朔兵衛の圧に言葉が詰まる。
「何があったって聞いてんだ。んっ?」
「き、急に藪から男が出てきて門司とがんまくを斬りつけて、あっちゅう間に藪に消えてったんだ。」
「ほう。どんな男だ?」
「戦も知らねえ様な、若造だ。」
「一人か?」
「いや、若造二人だ。」
「二人?まさかあいつらじゃ?」
「いやいや、それはねえ。見たこともねえ奴らだった。」
「ふん。そいつらは、藪に入ったきり出てこねえか?」
「ああ。出てこねえ。もしかしたら二人だけじゃねえかも知れねえから迂闊に追いかけ・・。」
朔兵衛は、話している男に手をかざし遮る。そして今一度、周りを見渡すと
「おい、散らばってねえで、固まるぞ。弓も持ってこい。」
男たちに指示を伝える。その指示に直ぐに朔兵衛の周りを囲む。
「よしっ。したらお前は、ここから八方に矢を放て。良えか?遠くに放つな、藪に向かって放て。一周りしたら、ずらしてまた八方放て。それを奴らが出て来るまで繰り返せ。」
朔兵衛は、弓矢を持って来た男に口早に指示を出す。弓矢を持った男は、黙って頷く。
「して、奴らが出てきたら、お前らは、四方に広がり、奴らを誘いこみ、俺らの中に囲い入れろ。」
「おうよ。」
「よしっ。」
指示を聞いた男達は、眼をぎらつかせ、武器を構える。そして弓矢を構えた男が、藪に向かい八方に矢を放っていく。
「おいっ。新。奴等、固まりだしたぞ。残りの二人も出て来たみてえだしよ。どうするよ?」
藪に潜んでいる新之助、権兵衛は、葉の隙間から、山賊達の様子を目にしている。
新之助は、黙って山賊達を見ている。
「おいっ。新。どうすんだよっ!?」
返事の無い、新之助に権兵衛が詰め寄る。
ヒュッ
「ひっ!」
風切り音がした刹那、権兵衛の足元一寸に矢が刺さる。思わず悲鳴がもれる権兵衛は慌てて自分の口を手で押さえる。
「こりゃ、まじいな。」
権兵衛の足元に刺さる矢に目を落としながら新之助がつぶやく。新之助は、直ぐに顔を上げ再び山賊達に目をやる。いや、一人の男、朔兵衛から目を離せなかった。明らかにこの男が出てきてから、山賊達の気配、動きが変わって居る事を感じていた。
「権兵衛。このままじゃと、俺ら身動き取れないまま、矢の餌食になるかもしれねえ。」
「なっ!?」
「奴等、俺等がしびれを切らして動くまで、矢を四方八方に放っていやがる。それだけじゃねえ、矢を放つ毎にずらしてやがる。このままじゃ直に俺等に当たる。」
「じゃあ、どうすんだよ!?ここは、退いて体勢立て直すか?」
「馬鹿っ。んなことしたら、藪の動きで俺等の場所がバレる。したら、それこそ良い的になる。それより・・。」
「それより?」
「ここは、もう腹決めて出て行くしかねえ。」
新之助の言に生唾を飲み込み、権兵衛の喉が鳴る。
「それしかねえのか・・?」
「誘いこまれてるのは、間違いねえが、他に手がねえ。明らかに奴等の動きが違う。」
「じゃったら、出ていかねえ方がええじゃろ!?それよりも二手に分かれて退く方が良えんじゃねえかっ!?」
「んなことしたら、奴等の思う壺じゃ。ここは奴等の庭じゃぞ、一人一人追い込まれて、討ち取られる。」
ビュン
「ひっ!」
二人の言い合いに矢が割って入る。矢は、新之助の頬をかすめそこから血がじんわり滲む。
「新っ!」
「良えか。こうしてる間にも追い詰められてんだ。もう出て行くしかねえ。」
新之助が権兵衛を見据える。権兵衛は、血が滲んでいる新之助の頬を見て、頷くしかなかった。
「分かった。」
「良しっ。出て行くいってもやることは変わらねえ。俺が先に出るから直ぐ後にお前は出ろ。したら、俺が戦っている奴にお前も斬りかかれ。絶対に動きを止めるな。仕損じたら直ぐに近くの藪に飛び込め。留まれば、あっちゅう間に囲まれる。」
権兵衛は、大きく眼を見開き頷く。それを見て新之助も頷き、顔を山賊の方へ向ける。
「権兵衛。」
山賊から目を離さず、新之助が声を掛ける。
「何じゃ?」
「躊躇うな。躊躇えば、死ぬぞ。」
「おう。」
権兵衛の返事を待たず、新之助が動く。権兵衛は、刀の柄、鞘を握りしめ、地面を蹴り、新之助の後に続く。
里を起こした陽光は、その高さを増し、光を強めていた。小春を先頭に花嫁行列は、一ノ瀬家の菩提寺である善通寺に差し掛かっていた。寺の門の前には、和尚の渓泉が出迎えている。
「これは、これは、あのお転婆がのう・・。」
渓泉は、花嫁姿の小春をまじまじと見やり、眼を細める。
小春や新之助、権兵衛は子ども時分に善通寺に通い、渓泉から読み書きや学問を教えられた。渓泉は、身分に関わらず、広く門戸を開き近隣の子ども達に読み書きや学問を教えて来た。そうした渓泉の取り組みのお蔭か、里の若い世代の識字率は、高い。
「もう。和尚様、お転婆はやめてください。」
小春は、微笑みながらも頬を膨らます。
「はっはっはっ。こりゃ失敬。里一番の名家正木家に嫁ぐ花嫁殿にお転婆は無かったの。それにしても、綺麗じゃ。」
「馬子にも衣装ですよ。」
「いやいや、良き女子になられた。お妙殿、立派に育てられましたな。」
「ありがとうございます。」
お妙は、深々と頭を下げる。渓泉はうんうんと頷いている。
小春は、お妙の頭を下げる姿に美しさと母親としての偉大さを感じ、込み上げるものがあった。
「正木家の方々が今かとお待ちです。ささっ、中にお入りくだされ。」
渓泉に促され、花嫁達は門の奥に消えていく。細田兄弟は、その差を見るにつけ、安堵の溜息を吐く。
「権のアニキ達、やったんやな。」
「ああ。すげえな。」
二人は、肩を叩き合い、涙と鼻水を流す。
そこに、近づく一人の侍があった。男は、二人に声を掛ける。
「すまんが、権兵衛殿は、今日はおいでではないのか?」
二人は、声のする方へ振り返るとそこには、かつて黒田家に今日の婚礼の段取りを伝えに来た、正木家組頭の宇藤徳右衛門であった。
「へ、へいっ。権兵衛様は、今日はお家の用事でどうしてもこれなくなってしまいました・・。」
咄嗟に、彦兵衛が返すが、多少声が上ずってしまう。嘘がばれていやしないかと恐る恐る宇藤の顔を覗き込む。
「ほうか。それは残念じゃのう・・。会うのを楽しみにしておったのじゃが。なれど仕方ない。お主等、宇藤徳右衛門がよろしく申しておったと権兵衛殿に伝えておいてくれぬか?」
「へ、へい。それはもう。確かに申し伝えておきます。」
細田兄弟は、安堵の息をもらしつつ頭を下げる。
「うむ。頼んだぞ。ところで、お主たちは、権兵衛殿に仕えておるのか。」
「へ、へい。」
細田兄弟は、合わせて返事を返す。
「なれば、しっかり励め。権兵衛殿は、気持ちの良い男じゃ、この時世には珍しい程に。ああいう男なら命を賭しても仕える価値はある。それにあの男は、励めば、必ず報いてくれる。良いな、しっかり支えるのだ。」
「へい。それはもう。なあ」
彦兵衛が保次郎に促す。
「へい。何があっても着いていく覚悟です。」
保次郎が力強く返すと、二人合わせて宇藤を見やる。
「うむ。いらぬ世話だったみたいだの。」
宇藤が満足気に去っていくのを見送りながら、二人は権兵衛に想いを馳せていた。
第二十二幕【了】
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