第十七幕 仕方がねえ

第十七幕

 雪深くなった山道を、息を切らし細田彦兵衛・保次郎が登っていく。

 「ヤス、良かったの。オメエが、床下で盗み聞きしたお蔭だで。」

 「ほいだろう。バレそうになった時きゃあ、肝を冷やしたが、猫真似が上手くいったんじゃ。」

 「いつも、暇つぶしでやってたもんな、色んな生き物の鳴き真似を。こんな時に役に立つと思わなんだ。」

 「ほいだな。」

 保次郎は、息を切らしながら、空に舞うトンビの鳴き真似をする。それにトンビが応える。保次郎は、満足気にトンビを眺める。

 「・・・でもな。」

 彦兵衛が、俯き、低い声を出す。

 「・・・これで、小春が・・・。」

 彦兵衛の言に空を眺めていた保次郎も俯き

 「・・・ああ。」

 溜息交じりの声を返す。

 「・・・でもな。」

 彦兵衛がまた返す。

 「・・・ああ。仕方ねえ。」

 「・・・ああ、仕方ねえ。」

 「・・・俺らにゃ如何することも・・。」

 「・・・ああ、そうしなきゃ、俺らが・・。」

 二人は、交互に傷を舐め合う。

 しばらく二人の雪を踏み分ける音だけが、響く。

 「・・・俺らは、どうしょもねえ、屑だな。」

 「・・・ああ。屑だ。それでも生きてえと思ってんだからな。」

 また、雪の啼く音だけが山に響く。

 

 「・・・なあ。」

 彦兵衛は、急に足を止め、足元の雪を見つめながら、

 「どうした?」

 保次郎が、不安げに声を掛ける。

 

 「・・・本当に、これで良いんかな?」

 「そりゃ、オメエ・・。良くはないが・・?」

 「・・・だったらよう、だったら・・・。」

 「だったら、何じゃ!?まさかオメエ?」

 「今ならまだ間に合うんじゃねえかっ!?」

 「間に合うって、どうするんじゃっ!?ここで引き返して、誰かに言うんか?誰にっ?バレたら俺らただじゃ済まなねえんだぞ!?」

 「じゃあ、オメエはこのまま小春が、どうなってもエエんかっ!?このままじゃあ、ホントに小春は・・!」

 「分かっとるよっ、んなこたあ!でもどうしょうもねえだろが!俺らじゃ、止められねえんだよっ!」

 「そだけども、俺は、俺は・・・。もそっと考えればどうにかなるかも知れんべ!?」

 「どうにかってっ!?どうにも成んねえから、こうしてここに来てんだろ!?俺は、死にたくねえっ!どうにも成んねえんだよっ!」

 「俺だって、死にたくねえっ!」

 二人は、胸倉を掴み合い、眼と鼻から水を流している。


 「お前ら、変な事しようとするなよ。」

 二人は、背後から聞こえる声に、固まる。

 背後から重たい足音が二人に近づいてくる。二人は、恐る恐る振り返る。

 朔兵衛が静かな表情で歩いてくる。その気配は、重苦しく二人の周りを覆い被せてくる。

 二人は、一気に汗が吹き出し、生唾を飲み込む。膝は、生まれたての小鹿の様に震えが止まらない。お互いの胸倉を掴んだまま動けないでいる。 

 「まあ、良く来たな。そこは、誉めてやろう。」

 朔兵衛は、二人の肩を叩く。

 「ひっ!」

 朔兵衛に触れられた事と肩に響く衝撃が尋常ならざるものであった為、二人は同時に悲鳴を上げる。

 「まあ、そう怖がりなさんな。取って喰やしねえよ。今のところはな・・。」

 今のところと発した部分にドスが効いており、今後の身の危険を感じざるを得ない二人は、固まったままである。

 「それで、聞いてきたんだろ?ぜひ教えて欲しいんだが?」

 二人は、真っ赤な眼を見合わせて、口を開く決心がつかない。

 「おいおいどうした?ここまで来て、だんまりか!?俺たちを助けると思って、教えちゃくれねえか?」

 「助ける?」

 思わず、彦兵衛が口を開く。

 「おうよ。俺たちも里の者に攻められてから、泥水をすするような毎日を送って来てんだよ。この冬だってこの山から出られんねえ、冬を越せるかどうか・・。そんな俺たちにも希望が欲しい。なっ!?分かるだろう?」

 「それは・・。」

 朔兵衛の一方的で手前勝手な話しに、今度は保次郎が思わず発する。その様を見て、朔兵衛は続ける。

 「それによ。お前らが思っているようには、成んねえから心配すんな。」

 「えっ!?」

 「良く考えてみろ、正木の嫁を攫って、キズモノにしたら、それこそ俺らは里のもんに皆殺しになっちまうだろ?だからよ、ちょっと身代金を貰ったら、直ぐに嫁を返して、俺らはその金で他所に移りてえんだ。なっ?それを少し手伝ってくれって言ってるだけだ。」

 二人は、顔を見合わせているが先程とは表情がいささか変わっている。そして朔兵衛の方に始めて顔を向ける。

 「・・・それは、ホントけ?」

 震える声で、保次郎が聞く。

 「ああ。嘘は言わねえ。さっきも言ったが俺らは本当に困ってんだ。正木の嫁には指一本触れねえ。」

 「・・・。」

 二人は、また顔を見合わせる。

 「なっ?頼むよ。力を貸してくれ!」

 朔兵衛は、拝むように二人に手を合わせる。

 「・・・それなら。」

 彦兵衛は意を決して、朔兵衛の方を向く。

 「ほうかっ!分かってくれたか。ほいで、いつ輿入れだ?」

 「・・・日取りは、卯月の七日。」

 「ほうっ!後、二月か・・。それで何処を通るんだ?」

 「まっ、待ってくれ!なっ、なして輿入れの日に攫うんだ?何もそんな目出てえ日にしなくても・・」

 「あっ!?」

 「ひっ!すいません!」

 朔兵衛のイラついた返事に、彦兵衛は縮こまる。その様子に朔兵衛は、舌打ちをして、声を穏やかに戻して、

 「輿入れ前に攫ったら、正木家から身代金を取れんじゃろ?正木家に嫁ぐ途中で攫うから、正木家と交渉しやすくなるんじゃ。家名に傷付く事を嫌がるからの。それに目出てえ日だから、襲いやすいんじゃ。そんなとこを襲う奴は居ないからの。」

 「なっ、なるほど・・。」

 感心した保次郎が、思わず発する。

 「さっ、納得してくれたら、輿入れがどこを通るか教えてくれ。」

 「・・・一ノ瀬家を辰の刻に出て、真っ直ぐ正木家に向かわず、善通寺に向かうと・・。」

 「善通寺と?」

 「何でも、善通寺は、一ノ瀬家の代々の菩提寺。先祖に挨拶してから正木家に向かいたいとの事でさ。」

 「ほう。警護は?」

 「善通寺までが、一ノ瀬家でそこから正木家の家の者が合流すると。」

 「ほうほう。凄いぞお前ら!でかしたっ!」

 朔兵衛に誉められ、何故か喜ぶ二人。

 「そんな、出来るお前らにもう一つ、頼みたいことがあるんじゃが?」

 「えっ!?」

 二人は、同時に発する。

 「何、そんなに難しかねえ。さっきも言ったが、俺達はこの山を下りられん。金も底を尽きかけている。とてもひもじいんじゃ。そんな俺達に、飯を運んでくれんか?」

 「・・・それは。」

 彦兵衛が、返事に詰まっている。

 「頼む。俺達六人分で良いんじゃ。身代金が入ったら、お前らにも礼はする。なっ?」

 また、朔兵衛は、手を合わせる。その様を、心から困った表情で二人は見る。顔を合わせた後、彦兵衛が口を開く。

 「それで、終わりにしてくれるんけ?」

 「ああっ!約束する。飯さえもらえれば、後は何もいらん。やってくれるか?」

 二人は、顔を見合わせ、コクリと頷く。

 「いやあ。助かるっ!ほんに話の分かる奴らに会えて良かったわ」

 朔兵衛は、大げさに両手を広げて喜ぶ。

 「したら、飯を持ったら、ここにまた来てくれ。」

 二人は、頷く。

 「では、頼む。いやあ助かった。」

 言いながら、朔兵衛は二人に背を向けて元居た場所に戻って歩く。二人は、顔を見合わせ、安堵の溜息を吐く。


 「あっ、それからな。」

 朔兵衛が背中を向けたまま、二人に声を向ける。その刹那、風切り音が二人の耳を襲い、足元に衝撃が走る。

 二人が足元に目を落とすと、矢が地面に刺さっている。

 「ヒッ!」

 二人は、袖を掴み合いながら飛び退く。

 「絶対に、気取られるなよ。誰にも言うな。いつでも見張ってるからな。妙な事を考えたら・・・。」

 またも風切り音と共に足元に矢が刺さる。

 二人は、恐怖で声も出ない。

 「では、飯は、一週間分で頼むぞ。一週間毎に持ってこい。」

 朔兵衛は、笑い声を上げながら藪に消えていった。


 残された二人は、足元の二本の矢を見ながら、その場にへたり込む。


  鼓に合わせて、二人が舞っている。

 「そこは指先まで、集中する。」

 注意される小春の隣で凜が舞っている。凜の舞は、指の先々まで美しく、観るものを魅了する。現に、舞に集中するべき小春が見とれている。

 『ホントに何て綺麗な人・・』

 小春は、心から感心する。凜は、元々手足が細く白く長い。それに加え、姿勢も芯が通ってるかのように真っ直ぐで美しい。

 小春は、凜を見るたびに、自分が何もかも小さくまとまった身体だなと心をざわつかせる。

 「それまで。」

 イネの掛け声に舞を止め、二人はその場に座る。

 「小春様。何度も申し上ていますが、指先まで細やかに。頭を上下に揺らさない。もっと舞に集中なさいまし。隣の凜様に気を取られすぎです。」

 「すいません・・。」

 謝りながら、着物をギュッと握りしめる。

 「全く、小五郎様にも困りました。祝言までに花嫁として仕上げてくれと放り込まれましても、こうも・・」

 イネは、誰に言うでもなく発するが、小春、凜二人の耳にもはっきりと聞こえる。

 小春は、着物を握る手に力を入れる。

 「あ、あの。」

 「はいっ?」

 小春は、意を決して、イネに向かう。イネは少し驚いたように視線を返す。

 「毎日、毎日、舞やお茶、お華のお稽古をしていますが、これと花嫁修業と何が関係あるのですか?」

 凜は、その問いに思わず吹き出す。イネは、呆れたような表情で溜息をつく。

 「良いですか?正木家は、代々この里をお守りしてきた、由緒正しき家柄。そして今や、当主の小五郎様はご家老職。そんな正木家の御嫡男団十郎様に嫁いだからには、里の中だけでなく里の外の方々にもお会いする機会が多いのです。何処に出ても恥ずかしくない振る舞いが出来なければ、団十郎様だけでなく正木家全体の恥になります。舞、お茶、華は貴女の苦手な礼法、所作を正す為に必要なのです。良いですか?正木家に嫁ぐとはそういう事なのですよ。正木家をゆくゆく背負っていかれる団十郎様のお傍で生きていかれたいなら、御覚悟してくださいませ。」

 イネが一気にまくしたて、満足したように鼻息を吐く。

 小春は、下を俯き

 「私は、別に好きで正木家にお嫁に行きたいわけじゃない。」

 「なっ!?」

 凜は、小春のつぶやきに驚きと怒りの混じった視線をぶつける。

イネは、また大きく溜息を吐く。

 「今日は、ここまでに致しましょう。」

 諦めた様にイネが締めると、二人はイネに頭を下げる。


 「どういう事ですの?」

 イネが去った後、凜は小春に詰め寄る。

 「どうって・・・。そのままです。」

 小春は、疲れた表情で返す。

 「そのままって・・。貴女も武家の娘でしょう?家と家との繋がり、里の為の女の勤めも分かっていらっしゃらないの!?」

 「分かっています!だからここにこうして来て、やりたくもない舞やらお茶やらを怒られながらやっています。」

 瞳を濡らしながら小春が、凜に詰め寄る。

 凜は、そこから眼を逸らし、

 「全く、団十郎様は、こんなの何が良かったんだか・・。」

 「知らないわよ!そんな事。こっちが聞きたい!貴女こそ、何で、団十郎様を捕まえておかなかったのよ!?そんなに綺麗で舞だって・・・貴女の方がよっぽど正木家の嫁にピッタリなのに。」

 小春は、感情は爆発して一気にまくしたてるが言った後に『しまった』と後悔した。

 「・・・私だってそうしたかったわよ!その為に、今まで努力してきた!ずっとお傍で見てきた。団十郎様の好きなもの嫌いなもの、癖だって・・。それなのに団十郎様が選んだのは、貴女・・。何もしてこなかった貴女にずっとお慕いしてきた団十郎様を取られる私の気持ちが貴女に分かるの!?それをあんな言い草・・。私だって、私だって・・。」

 今度は、凜が爆発し、小春の袖を掴み引っ張りながら泣いている。その様を小春は、先ほどより強い後悔の念と凜の本音を聞き自分と全く違う生き物のように感じていた凜に対して親近感が湧いていた。

 「ごめんなさい・・。貴女の気持ち分かります。」

 小春が、凜に向かって静かに声を掛けると凜がキッと顔を上げる。凜の顔は涙と厳しい表情であるが、あくまで美しい。

 「貴女に何が分かるのよ?」

 「分かります。だって、私も・・・。」

 言いながら、小春は涙ぐみ俯く。その様を見た凜は、小春の袖の力を緩める。

 「・・・そう。貴女も・・。」

 下を向いた小春が頷く。小春の肩が震えている。凜は、小春の肩にそっと手を置く。それに驚いた小春が更に肩を震わせる。

 「全く、男ってどうして女の気持ちが分からない馬鹿ばっかりなのかしら?男なんて女がいなければ何もできないくせに・・。」

 凜が小春の震えた肩を見ながら勢いよく放つ。それに小春は、吹き出し、顔を上げる。

 「ホントに。」

 小春は、笑顔で返すが、その顔は涙で崩れている。その顔の涙を凜は、愛おしいものを触るように袖で拭ってあげた。

 「馬鹿な男達の為に、流す涙は無くてよ。」

 「ホントに。」

 二人は、言い合った後に顔を見合わせ、声を出して笑い合った。

二人の姿を午後の陽光が包む。

                               第十七幕【了】

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