第十六幕 それぞれの冬の日

第十六幕

 「ええいっ!」

 「やあっ!」

 「とおっ!」

 玄武流の道場は、今日も氣合いの入った掛け声が響いて居る。その中に、新之助の姿も混じっていた。剣術仕合が終わった後から良く顔を出しては、稽古に参加していた。最も、長岡との仕合(賭け)には勝って居るので、正式に入門している訳では無い。飽くまで、自由参加の扱いである。玄武流は、源右衛門の人柄もあってか、稽古に参加したい者を拒ない開放的な道場である。これは通常、剣術に限らず、兵法の類の道場ではありえない。まして、戦国の世において自分たちの技術を知られる事は、即死、滅亡を意味する。しかしこれには、戦や不意の戦闘において流派がどうとか気にしていられない、どんな相手が来ても生き残れない剣術は意味をなさいないとの源右衛門の哲学によるところが大きい。とにかく玄武流では、どんな者が門を叩いても技術の出し惜しみはしない。それを知られて尚そこを超えていくことこそ稽古の意味があるとしている。この玄武流の柔軟さこそが里の強さを支えている大きな柱となっている。

 「新之助、これへ。」上座で稽古を観ていた源右衛門が声を掛ける。源右衛門は、稽古着の上にもう一枚上着を袖を通さず羽織っている。新之助が、源右衛門の傍に駆け寄り座る。

 「新之助お前は、相手を打とう打とうとしすぎる。それが、速さに繋がると思うておるが、今の振りじゃぁ軽いだけじゃ。それじゃあ、切れんぞ。良えか?稽古は『切る』ためにやるんじゃぞ。『打つ』ためじゃ無い。それが、木刀の剣筋でも怖さを生むんじゃ。お前の振りは、速いが怖さが無いわい。木刀で切ってみよ。」

源右衛門は、言い終わると同時に手元にあった木刀をヒュッっと新之助の頭上に止める。真剣に耳を傾けていた新之助は、突然の事に身動きが出来なかったが本能的に切られたと感じ、目の前が一瞬真っ暗になった。

 「はっ、はっ、はっ。これが『切る』ということじゃ。ゴホッゴホッ・・。」

剣術仕合以降、源右衛門は体調がすぐれない。咳が止まらず、身体が鉛のように重い。以前は、あれだけ道場生と一緒に汗を流していたが、今は、座して稽古を観ていることが多い。それ故、上着を羽織って居る。それでも、剣筋は流石に鋭い。

 「源爺。あまり無理せん方が・・。」

咳の止まらない源右衛門の背中をさすりながら、新之助が心配する。弟子が、慌てて白湯を持って来る。

 「なんの。儂に切られておいて何を言う。まだまだ死なんわ。早よ稽古に戻れ。」

源右衛門は、白湯を一口すすり一息ついた。

 『これだけ悪態つければまだまだ大丈夫じゃな。』

背中をさすっていた新之助は、心配していた自分が馬鹿らしくなり、木刀を持ち稽古に戻っていった。

源右衛門は、新之助と弟子が去って行くのを見計らい口を抑えた掌に付いた血を誰にも気取られる様に拭き取った。身体が芯から冷えており白湯が喉を通り腹に落ちてゆくのが良く分かった。


 「だから、何度も申しますように指の動きが荒い。指は、隅々まで細やかになさいまし。」

 「はい、すいません・・。」

 正木の屋敷の一室。小春が、扇子を片手に舞を舞っている。その様は、たどたどしく、舞というより野良仕事をしているかの様な一つの動き毎に床が軋む音が響く。その度に、部屋の隅に座している教育係のイネの眉間に皺が寄る。小春はこの頃、毎日の様に通い花嫁修行に勤しんでいた。茶道、歌学、礼儀作法、正木家の仕来り、親族との関わり・・イネに叩き込まれる日々である。

イネは、小春を鋭い目つきにて射抜いて居る。その姿勢は、背筋に板でも入っているかのように真っ直ぐで、着物のしわ等無いかのようである。

 「もう一度、初めから。」

 「はい・・。」

 小春は、渋々返事をする。『まったく、何故?武家に嫁ぐのに芸事が必要なの?』心の中で溜息を漏らす。小春は、この家の侍女達が苦手であるが、中でもこの侍女頭のイネはとりわけ苦手であった。

小春は、小さく足を踏み鳴らし、片手に持った扇子を広げ前方に掲げくるりと身体を一回転させた。

 「動きが荒い。軸がぶれております。膝は柔らかく、頭はどんな動きをしても上下に揺れてはなりません。」

扇子を畳に叩きつけながら、イネの怒号が飛ぶ。その声に、

小春の動きが止まる。

 「はい・・。」

その時、部屋の襖がスっと開く。

 「イネ様。」

侍女が、イネに静かに促す。

 「もう、そんな刻ですか。今日は、この位に致しましょう。小春様、お稽古を怠らないように。」

 「はい。ありがとうございました・・。」

 イネが部屋を後にする。その姿勢は真っ直ぐで頭の上下の揺れは一切見られない。

一人部屋に残された小春は、持っている扇子を握り締め奥歯を噛み締める。

その時、小春の足元に何かが落ちた。それを拾い上げると竹とんぼであった。開け放った襖より中庭から入って来たようである。

小春は、拾い上げたものをくるくると回している。

 「あっ、あった。」

 声のする中庭に視線を向けるとそこには紺色の着物を着た男子が立っていた。その子は自分の手元にあるものに指を差している。

 「これ、貴方の?」

縁側に出て中庭に居る男子に屈んで竹とんぼを差し出す。男子は差し出された竹とんぼに手を伸ばし、じっと小春を見つめる。

 「何っ?一緒に遊ぶ?」

 自分を見つめている目に微笑み返す。男子は尚も小春をじっと見つめる。年の頃は五、六歳といったところか。

 「綺麗な目。」

 自分に向けられている目の輝きに思わず漏らす。その目は真っ直ぐ大きく外の世界を映し出している。

 「ここに居りましたか。仙千代様。」

 そこに高い声の女の声が中庭に届く。その後、桃色の着物を着た女子が小走りにやってくる。それに気付き男子は、小春から目を離し、桃色の女子に抱きつく。桃色の女子は、仙千代をか屈んで受け止め、頭を撫でる。その後、立ち上がり小春に目をやる。

 「貴女は、確か小春様・・?」

 見つめるその目に確かな敵意を感じる。

 「そうですが・・?」

 小春は、刺すような視線を真正面から受け止める。

 女は尚も小春を凝視している。無言の時がしばし流れる。

 「私は、町奉行綾部家が息女、凜と申します。」

 凜は、小春の目を射抜いたまま、名乗る。

 「私は・・・。」

 「存じております。侍大将一ノ瀬家がご息女、小春様。団十郎様に見初められ、婚礼の準備中。」

 「そう、ですけど・・・。」

 凜は、まくしたてる間、尚も小春の目を離さない。

 「綾部家と正木家は、近所通し古からお付き合いをさせて頂いています。だから、団十郎様とは、幼少の頃からのお付き合いですのよ。所謂、幼馴染。」

 「はあ・・。そうですか・・。」

 小春は、『聞いても居ないことをべらべらと』と心の中で吐き捨てる。そして、凜をまじまじと見つめる。

 

 「綺麗・・」小春は、思わず口にする。

 

 凜は、二重瞼で黒眼が大きく、唇は、薄紅色で頬は光る様に白く、里でも評判の美人である。

 「そうそう、正木様は、わたくしの作った、芋煮が好物でして、何かと言えば、作って欲しいとお願いされるんですのよ。作って差し上げるとそれはもう美味しそうに召し上がってくださるの。」

 『この人、話さなければ、良いのに』

 小春は、凜を見つめながら辟易する。

 「あら、いけない。仙千代様、参りましょうか。」

 尚もまくしたてそうな、凜の袖を仙千代が引っ張ていた。

 「では、ごきげんよう。」

 凜は、仙千代の手を握り、小春に頭を下げる。その眼は、何故だか勝ち誇っていた。

 

 小春は、凜達が立ち去った後、大きくため息を付き天を仰ぎ見る。

 「一体、私は何をやっているんだろう・・・?」

 一人つぶやいた途端、重たい雲がみるみる滲む。慌てて、袖で眼を拭い、自分の頬を両手で二度ほど叩く。

 「しっかりしろ。大丈夫・・・。」

 小春の上には小雪がちらついていた。


 「御免。拙者は正木家からの使いとして参った。」

 一人の武士が黒田家門前にて声を上げる。

 まもなく門が開き、下人が出てくる。

 「へい。これは正木様の。」

 腰の曲がった下人は、更に腰を曲げる。

 「ご当主は御在宅か?」

 「へい。それが生憎と、先ほどお出かけになり、本日は、夜まで戻られません。」

 「ほうか。それは困ったの・・。団十郎様の祝言の知らせに参ったのだが・・。」

 武士は、頭をかきながら、懐から書状を出し、所在なさげに見つめている。

 「そうですか。それは、わざわざ・・。」

 下人は更に腰を曲げる。 

「ご子息、権兵衛様なら いらっしゃいますが?」

  「権兵衛殿?あぁ、御前仕合で見事な仕合をされた方だったな。是非もなし、取り次いでくれるか?」

 「へい。では、こちらへ。」

 下人は、門の中へ武士を招き入れる。

その武士を凝視する者が居る。庭掃除をしている細田保次郎である。その視線に気付いた武士は気味悪げに

 「あそこの者は何者だ?某を先程から睨みつけておるが・・・。」

「あぁ・・。あれは権兵衛様の付き人の者です。どうもいつも何を考えているのか分からん者でして・・・。」

尋ねられた下人はバツが悪そうに頭を掻き、保次郎に向かって顎をしゃくり上げ保次郎に居ぬように促す。

促された保次郎は、尚も武士を凝視していたが、更に下人に促され渋々その場から離れる。 

 「ささっ、こちらで。」

 下人は、武士を玄関に招き入れる。

 「正木家の御使者の方が参っております。」

 「おう。今、行く。」

 奥から権兵衛の声が響く。それを聞いた下人は、武士に深々と礼をし出て行った。

 そこへ、奥から権兵衛が現れる。

 武士は、権兵衛に一礼し挨拶する。

 「某、正木家、組頭宇藤徳右衛門と申す。この度は突然の訪問ご無礼つかまつる。正木家、一ノ瀬家婚礼の知らせをお持ちしました。」

 権兵衛は、表情を変えず、それに応え。

 「黒田家、長子権兵衛と申す。この度は、わざわざご足労頂き痛みいります。家長が不在の為、某が代理を務める事ご容赦くだされ。」

 宇藤は、権兵衛の様子にほうと関心する。

 「ささっ。お上がりください。」

 「では、遠慮無く。」

 権兵衛の先導で、二人は奥座敷へ。黒田家は、正木家には劣るが、里でも屈指の名家であり屋敷は庭、離れ、下人小屋、馬小屋があるなどそれなりに広い。

 

 奥座敷に向かい合って座している権兵衛と宇藤。その真ん中には火鉢が置いてある。今日は天気が良いが、昼間でも良く冷えている。

 「失礼します。」

 「入れ。」

 侍女の声に権兵衛が応えるとゆっくりと襖が開く。

 「えっ?」

 急に権兵衛が、間抜けな声を上げる。

 「どうぞ」

 侍女は、淡々と所作良く二人にお茶を差し出す。その様子を権兵衛は、眼を見開いてただ眺めている。その様子は先ほどまでの堅実なものとはかけ離れていた。

 「どうしました?権兵衛殿?」

 先程の凛々しい青年とはかけ離れた様子の権兵衛に思わず声を掛ける。

 「えっ?いや、何でも。」

 権兵衛は、声を掛けられ慌てて我に返る。

 「そうですか。」

 言いながら宇藤は、お茶を一口。

 「これは。美味い。湯加減も丁度良い。」

 思わず、声を上げる宇藤。

 「お口に合われて、よろしゅうございました。」

 侍女が、深々と頭を下げる。

 「ほう。これはそなたが。」

 「はい。今日は冷えます故、熱めにしましたが、お身体が冷えた所に熱いものが入ると火傷する恐れがありますので、熱すぎず、それに合わせて、お茶の濃さも薄く致しました。」

 侍女は淡々と語る。しかしその口調は嫌味に聞こえない。侍女の口調の柔らかさによるものかもしれない。

 「これは。黒田家は安泰ですな。このような優秀な侍女が居るとは。」

 宇藤は、すっかりと感心している。

 その様子を、何とも言えない表情で権兵衛は見ていた。それもそのはず、侍女はお鈴であった。御前試合の後から、何かと理由を付けて、お鈴は黒田家に遊びに来ている。無論、父親の長岡次郎は黙認していた。

 お鈴は下を向いたまま、必死に笑いを堪えている。

 「では、失礼致します。」

 深々と頭を下げた後、権兵衛に目をやる。権兵衛とお鈴は目が合い、お鈴は微笑みゆっくりと下がっていった。その様子を権兵衛はただ眺めていた。

 「残念じゃのう。」

 宇藤が溜息交じりに放つ。それに驚いた、権兵衛は宇藤の方を向く。

 「はっ?」

 我ながら、間抜けな声を出したと思ったがもう遅い。

 「いや。あの侍女。もしよければ某の愚息の嫁にと思ったが、あの様子では、権兵衛殿に惚れておる。それでは流石に・・。あれだけの器量良し中々居るもんじゃありませんでな。」

 宇藤は、本当に残念そうに腕を組み天井を仰ぐ。

 「それが・・、あの者、当家の侍女では御座いません。」

 「何とっ!?それは失礼仕った。権兵衛殿の奥方か?」

 宇藤は、慌てて頭を下げる。

 「いやいやっ。それも違います。頭をお上げくだされ。」

 権兵衛も慌てて、手を振り、頭を上げさせる。

 「では?」

 「あの者は、長岡家の者で長岡次郎殿のご息女です。」

 「何とっ!?長岡とは、あの二岡の?」

 またも宇藤は驚く。

 「そうです。近頃良く当家に遊びに来ているのですが・・。大変失礼しました。」

 権兵衛は、居た堪れなく頭を下げる。

 「いやいやっ。頭をお上げください。美味い茶を飲ませてもらいました。どうか、本人を叱らないでやってください。それにしても・・・。ほうか、長岡殿の・・。益々残念じゃ。それでは、某の愚息では無理じゃのう・・。」

 「全くお恥ずかしい所を・・。」

 権兵衛はすっかり恐縮してしまっている。

 「しかし。やはり黒田家は安泰ですな。」

 宇藤は、真面目な表情になり膝を叩く。

 「はっ?」

 「権兵衛殿のところにあのご息女が嫁に来るなら安泰という事です。」

 それを聞いた権兵衛は、顔を鬼灯のように真っ赤に染める。

 「その顔は権兵衛殿もまんざらでは御座らんな。いや~目出度い。正木家に続いて、黒田家にも春が来ようとしている。里の未来は明るい。」

 「里の未来は、言い過ぎでは・・。それよりも婚礼の知らせとは・・。」

 「ややっ!これは失礼。すっかり興奮してしもうた。いやぁ年を取るといかんですな。しかし権兵衛殿、とにかくあのご息女、決して逃してはなりませんぞ。あれ程の器量の者はそうはいませんぞ。」

宇藤は、興奮冷めやらぬ口調で懐から、書状を出し、権兵衛に差し出す。

 「はあ。肝に銘じます。」

 受け取りながら、権兵衛はすっかり宇藤の勢いに飲まれている。しかし権兵衛も宇藤に言われなくてもお鈴の事は生涯守っていく、手放すまいと強く決心している。

「開けても?」

 権兵衛は受け取った書状を手に宇藤に問う。

「どうぞ。」

 権兵衛は書状を広げ、目を通す。

「・・・日取りは、卯月七日ですか。」

「左様。嫁入りの出発は、辰の刻です。」

「正木家までの道順は・・。」

 権兵衛は、書状の続きを読み進める。

 

 ガタッ

 突如床下から、物音がする。

 権兵衛は身構え、宇藤は、右側に置いた刀を手にする。

 二人は、身構えたまま床下の様子を伺う。先程までの和やかな雰囲気とは打って変わった、空気を切るような殺気を放ち次の動きを待つ。

 外からの風に襖が身体を揺らす。


「ミャー」

 甲高い猫の声が、床下から響く。

「ふっ。」

 宇藤は、刀から手を放し、元の位置に座り直す。

 「そういえば、最近良く庭に猫が入ってきてました。」

 権兵衛も構えを解き、座り直し、書状を手に取る。

 「そうでしたか。しかし、お互い長生きしそうですな。」

 「はっ?」

 宇藤の言に思わず権兵衛がまた間の抜けた声を上げる。

 「猫に怯える程の臆病者の我らですが、この時世、臆病者ほど長生きするのです。蛮勇を誇りになさいますな。」

 宇藤は、諭すように言った。宇藤の顔に笑みが浮かんでいる。その笑みには、自嘲と慈愛が混じる。

 「そうかもしれませんね。」

 権兵衛は、だんだんとこの深い笑みを浮かべている男の事が好きなっていた。この宇藤という男、一見勢いだけで生きているかのような男だが、その実、物事の本質を観る、観ようとする眼を持っている。そしてそれを裏付ける経験を積み重ねてきた強さ、深さを権兵衛は何となく感じていた。

                               第十六幕【了】

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