第十四幕 決着

第十四幕

 火の粉が松明から舞い、火が弾ける音がする。静かな部屋に音らしい音は無く、火の音が大きい。

 新之助の額には大粒の汗が浮かび、顔は苦悶の表情を浮かべうなされている。薬湯を飲み、程なくして新之助は、事切れたように眠り熱を出していた。その額に、伸びる白い手。その手には手ぬぐいが有り、額の汗を拭き取っている。

 小春は、新之助の傍で、心配そうな表情を浮かべている。


 不意に仕合場から歓声が聞こえる。

 「どうやら、決したようだな。」

 新之助、小春から少し離れた所で薬の整理をしていた、橘が歓声を聴き一人呟く。

 小春は、歓声が聴こえているのかいないのか、新之助の額の汗を拭き続けている。小春にとっては、最早誰が勝ち残ろうが興味が無かった。新之助の汗は次から次へと拭いたそばから吹き出していた。

 「新・・。」

 小春は、新之助の額を拭った後に頭を髪を撫でる。撫でる小春の眼差しは子供を慈しむ母親の様な、今生の別れを惜しむ恋人の様な複雑な色を浮かべていた。しかし、その手つきは唯々優しく新之助の苦しみを包むように撫でている。実際、新之助の苦悶の表情は徐々に和らいでいっていた。それを見ながら小春は、静かに撫で続ける。

 「新・・。」

 すると新之助の汗とは違う雫が、新之助の顔に降り注いでいる。

それは、小春が手ぬぐいで拭っても拭っても消えることは無く、むしろ拭えば拭う程多く降り注いだ。


 「新、私ね・・、この仕合会が終わって、年が明けたら婚礼の準備をしないといけないの・・。そして春には、祝言を挙げる。

正木家に嫁ぐ・・。」

 小春は、涙を流しながらポツリポツリ語り掛ける。

 「ホントはね・・怖いんよ。怖くてしょうがないんよ・・。逃げ出したい・・。」

 小春は、グシュグシュと鼻を鳴らす程泣いている。

 「・・・」

 新之助は、すうすうと安らかに寝息を立てていた。

 「思えば、いっつも一緒やったね・・。結局気づくと隣におったのは、新やった。あん時も・・。覚えてる?私が飼っていた犬が死んで落ち込んで、ご飯も喉を通らなかった時、新が連れて行ってくれた場所に一面の彼岸花が咲いてた。山奥に連れて行かれて、うんざりしてたら、薮を抜けた先に拡がってた・・。綺麗だった・・。真っ赤な敷物を地面に敷いたみたいで・・。それが、風に吹かれて波打って、気持ち良さそうに揺れてたね。私は、落ち込んだ事も、疲れてた事もすっかり忘れて、それをいつまでも眺めてた・・。それからなんよ、あの花が好きになったんは。」

 小春の頬に依然として涙が伝っているものの、自然に優しい表情に成っている。

 橘は、薬を整理しながら、背中から聞こえてくる小春の話を表情を変えずに聞いていた。

 「不器用な新が、何とか私を元気づけようとしてくれた。その気持ちが何より嬉しかった。だから、あの花を好きになったんよ。あの花を見るたんびに、あん時の風景と新の気持ちを感じられる・・。

いっつも、会えばお互い憎まれ口ばかり、喧嘩もいっぱいした。・・でも、それでも新の隣が、誰よりも落ち着くし楽しかった。・・・いつまでもこのままだと思ってた・・。」

 小春は、言い終わるか終わらない内に口を手で押さえ嗚咽をもらす。

 橘は、無言で作業を続けている。

 「・・こうやって、傍で心配できるのもきっと、これが最後・・。もう今までみたいに、逢えなくなる・・。」

 小春は、寝息を立てている新之助の頬にそっと触れる。

 「ホントは、私は・・、私は・・」

 小春の頬には大粒の涙がとめどなく伝う。にじんだ視界で小春は、新之助の顔を見続ける。

 「・・新と・・。」

 そこまで、言って小春は、再び嗚咽をもらす。部屋の明かりも悲しそうに小春を照らしている。


白雪舞う仕合場。


 正木、赤間は木刀を腰に納め御舘に礼をしている。正木の額には新しい包帯が右目まで覆う形で巻かれている。

 「両者、真にあっぱれであった。何より、正木団十郎。見事の一言に尽きる。この里随一のは、お主だと皆認めているじゃろう。」

御館は、最終仕合を行った二人を労い、勝者正木を祝った。

それに応えるように観衆が拍手万雷に沸く。

 それを手で制して観衆を鎮め又声を張る。

 「そして、本日仕合をした者達。皆、真に勇猛であった。里の未来は、安泰じゃとの確信を得た。本日出場した者達は皆、里の戦力として迎たいところじゃが、何分この里もまだまだ小さい。登用出来るのは、一部の者のみとなってしまうが勘弁して欲しい。しかしなるべく多くの者を取立てるつもりじゃ。取立てる者には、後日使者を送ろう。」

 御館の言葉に、観衆だけでなく、仕合場に残った参加者達が色めき立った。

 「はじめに言った言葉は嘘じゃなかったようじゃ。」

 「応っ。遂に、仕官の道が開けるやもしれん。」

 「あの御館に仕えるなら僥倖じゃ。」

 「ふむっ。まっことにその通りじゃのう。」

 登用が決まったわけでも無いが、参加者達の眼は輝いて居た。それほど、今日初めて披露された、新しく若い御館は光を放っていた。


 「そして、正木団十郎。」

 御館は、視線を正木に移し声を掛ける。

 「はっ。これに。」

 正木は、直ちに片膝を付き低頭する。

 「うむ。勝ち残った祝いとして、お主の願いを一つ叶えよう。何が望みじゃ?」

 「おぉう。噂は、本当っじゃったのじゃな。勝ち残った者が、何でも願いを聴いてもらえると。」

 「正木は、一体何を望むのじゃろうな?」

 観衆が御館の言で又沸く。


 「はっ。では・・。」

 正木は、低頭したまま応える。その後顔を上げ発する。

 「先ずは、この場をお借りして、皆様方に承知していただきたい儀がございます。」

 「うむ。申してみよ。」

 「はっ。某この度、一ノ瀬家のご息女、小春殿と婚礼を致す事に相なりました。付きましては、御館様を始め、本日ここにおわします、皆々様にその旨をご承認いただきたくお願い申し上げます。」

 「応っ!」

 大きな声にて一気に捲し立てる正木。それに応えたのは、小春の父、寛治である。正木の宣言に嬉しさの余り思わず応えてしまう。寛治としては、御館の御前でしかも城の重臣達、里の者達に正木が一ノ瀬家との婚姻を宣言してくれたことで、出世の基盤がより強固になったと喜び勇んだ。しかし、その隣では、妻、お妙が何とも言えない表情で下を向いている。

 『ほんに、この男は・・。』

 お妙は、心の底から寛治に呆れていた。

 「いやぁ。正木様ぁ・・。」

 「噂は、本当だったのね・・。」

 「一ノ瀬何て侍大将の家よ。私の家の方が遥かに名家なのに・・。」

 同時に正木贔屓の女子共から、悲嘆の声が上がっていた。

それと共に、寛治を疎ましく思っている、同僚らは、寛治に冷やかな視線をぶつけている。

 中庭は、正木の一言で、ある種異様な空気に包まれた。

その空気を切り裂くように御館が発する。

 「相分かった。それは、真に目出度い!一ノ瀬家と言えば、ここに座している。先代兵法指南役、赤鬼源右衛門の家。里一の強者の婚姻相手には、うってつけの家じゃのう。これで益々、我が里も安泰じゃ。どんどん強い子を産んでくれや。皆の者もこの婚姻を祝ってやってくれい。」

 「御館様。子の話は、まだ気が早い。」

 「そりゃ、そうじゃ。まだ、祝言も上げて無いのに。」

 「しかも、まだ昼間だで。子供らも居るっちゅうのに。」

 「そうじゃったのう。先ずは無事に祝言を上げてからじゃな。嬉しくてツイな。許せ。」

 御舘の言に、一気に沸く中庭。御館と観衆のやり取りに皆が笑う。先程とは打って変わり、場内が温かい空気となった。

ただ、寛治だけは、面白くなかった。

『また、親父じゃ。儂の話しなんぞ一切出ん。もうとっくと親父の時代は終わっとると言うに・・。』

 未だ、父源右衛門との確執を拭えない寛治に取っては、源右衛門の栄光は邪魔以外の何者でもない。それが、自分と源右衛門との実際の差を客観視出来なくしているとも気付かずに。


  「良しっ。目出度い報告が聞けた所で、正木。お主の望みは何じゃ?聞かせてもらおうか。」

 御館は、この話を打ち切るように、柏手を一つ打ち、正木に問い掛ける。

  「はっ。」

  正木は、再び低頭する。そして直ぐに頭を上げ真直ぐ御館を見る。

  「某の望みは、馬廻り衆の登用でございます。」

  「ふむ。馬廻衆の登用とな?」

  「はっ。某、馬廻頭を努めておりますが、馬廻衆は、元来武芸に秀でた者達が務めるもの。戦においても御館様の護衛を始め、決戦力としての役割も担いまする。馬廻衆の強さは、その国の強さといっても過言ではございませぬ。よって里の強化には馬廻衆の強化が必須であると存じます。御館様の望まれる里の姿にするには、更なる強者を馬廻衆に加える必要がございます。この仕合会にて目に止まるものは登用するとのお言葉でございましたが、馬廻衆の登用は是非とも某に一任くださいませぬか?」

 正木は、御館に真直ぐと勢い良く語る。その声は、良く通り中庭中に響き渡る。正木の声は、その性格のまま真直ぐにはっきりと低すぎず、相手にとって聞き取り易い。

  「流石に馬廻頭じゃのう。武芸だけでなく、里の事を考える大局を見据えるとは。正に文武両道。」

  「弁もすこぶる立つ。こりゃぁ近い将来、父上同様に里の重臣として里を盛り立ててくれそうじゃの。」

  「全く、天晴れな男じゃ。里の誉れじゃな。」

 正木の弁に、里の者たちは口々に感嘆の声を漏らす。


  「ふむっ。お主の言うこと一々尤も。儂もそう思う。元よりそれがお主の望みなら、断る理由は無い。正木団十郎、お主に馬廻衆の登用を一任する。どんな者であろうと、何人であろうとお主が欲しいと思った分だけ登用せい。」

  「はっ。有り難き幸せ。必ずや、最強の馬廻衆を作り上げてご覧に入れます。」

 御館の力強い承認を得、正木は同じく力強い返事を返す。

 「ふむっ、その意気や良し。皆の衆も良いな?ここに居るもの全てが証人じゃ。」

 「応よ。」

 「御意に。」

 御館の号令に城の者たちが返事をする。否定的な者は居ないようであった。


 御館は、ここに居る者達に正木の馬廻衆登用を承認させた。

これには里の者達を巻き込まずには居られないといった、性格も有る。しかし御館の護衛も務める、謂わば親衛隊の意味合いが強い馬廻衆は本来御館自身が選抜するものである。又、御館の近習の者になる事から、出自は武家が必須とされていた。それを無視する形で馬廻衆の登用を行おうとする正木の願いに反発の声を挙げさせないためといった理由が主であった。

 そういう細やかな配慮の出来る御館である。これは、先代の御館には、見られなかった事である。

 

 御館は、皆が納得した様子を眺め知って満足した面持ちで、仕合の立会人を勤めた者に視線を送り頷く。立会人は、承知しましたと言った表情で御館に頭を下げる。


ドン、ドドン

 終了の太鼓が、一際大きく鳴り響く。

太鼓の音が止むか止まないかの時に立会人は大きく腹に空気を送り込む。そして一気にそれを吐き出し大音量で発する。

 「これにて、御前刀術仕合を終了とする。」



 すっかり汗だくになっている、新之助は眼を覚まそうとするが瞼が重く思うように眼が開かなかった。それでも、何とか眼を開くが、視界が霞がかかったかの様にぼやけており、ハッキリ見えない。部屋の松明が、パチっと弾ける音は聞こえる。徐々に視覚が回復していった新之助の目に飛び込んできたのは、権兵衛が自分の顔を覗き込んで居るところであった。

 「ようやく、眼が覚めたか。橘様!新が眼を覚ましました!」

 権兵衛は、ホッとしたようだった。


 権兵衛に呼ばれた、橘が直ぐに新之助の許へ足音無くやってくる。

 「どれ・・。」

 橘は、新之助の脈を取ったり、下瞼をめくり診ている。

 「ふむ・・。大丈夫のようじゃな。頑丈に産んでくれた、母上に感謝するが良い。まっ、いま少し休んでいくが良い。」

 橘は、そう告げると腰を上げ二人の許を離れる。権兵衛は、橘の背中に頭を下げる。

 「つっ!」

 新之助は、上半身を起こそうとするが、打たれた腹に痛みが走り顔を歪める。

 「まだ、無理して起き上がるな。血ぃ吐いとったんじゃぞ。」

 頭を上げた権兵衛は言いながら、新之助の肩から背中に腕を回し、上半身を起こしてやる。

 「・・・。」

 起きた新之助は、額の汗を拭った後、不思議そうな表情で橘が去った方をじっと見ている。

 「どうした?気持ちが悪いか?」

 権兵衛は、新之助の様子に心配そうに声を掛ける。

 「いんや。ただ・・。」

 視線は、そのままに新之助は応える。

 「ただ、何じゃ?どうした?」

 「あの男。母上を知っているかの様な口ぶりじゃったなと。」

まだ視線は、橘が去った先を見ている。

 「橘様がお前の母上を?」

 「あぁ。そう言ってるじゃろ。」

 そこで、ようやく視線を権兵衛に向ける。

 「お前は、橘様とは会ったことないんじゃな!?」

 「無い。・・と思う。が、小さい時には。分からん。」

 自信なさげに新之助は応える。

 「何じゃそりゃぁ?じゃが、産まれる前は分からんじゃろ。もしやお前が産まれる前に母上と知り合いだったのかもしれんぞ。狭い里じゃからのう。」

 「・・ほうか。そうかも知れんな。」

 新之助は、また橘の去った先にぼうっと視線を移す。その感覚は、新之助の胸に何とも奇妙なものを宿している。自分の記憶には無いが、知っているような感覚。もしかしたら、自分の知らない自分を知る人物なのかもしれないと思った。


 「・・・そういえば、小春はどうした?」

 無言で橘の去った先を視ていた、新之助が徐ろに口を開く。

 「うん?あぁ。小春?何でも帰らなにゃいかんらしく、儂が来たら出て行ったぞ。」

 新之助同様ぼうっとしていた権兵衛は、不意に聞かれ少し驚き答える。

 「ほうか・・。何やら泣きながら言っとたようじゃったが・・。」

 新之助は、独り言の様に呟く。そして、小春が泣いていたのは夢だったのかもしれんと思った。

 「何じゃ?どうした?」

 その様子に権兵衛が、訝しがる。

 「いや、何でも無いわ。」

 新之助は、さっぱりと答える。

 「ほうか。相変わらず変な奴じゃのう。頭も打たれたんじゃなかろうか?」

新之助の様子に権兵衛は、呆れて返す。


 「そうじゃ。最後の仕合はどうなった?どっちが勝ったんじゃ?」

 急に思い出したのか、新之助は権兵衛の方へ向き勢い良く問う。

 「応!それが、またエライ仕合じゃった。先ずは・・。」

権兵衛が、鼻を鳴らしやや興奮しながら仕合の一部始終を話し始める。

新之助は、権兵衛の身振り手振りを見ながら熱心に聞いている。


 正木が、額から血で顔を朱に染めて、膝をやや屈めて体勢を崩したままで木刀を頭の高さに地面と水平に構えている。握られている木刀はやや震えており、今にも落としそうである。正に満身創痍といった正木の目の前に今にも木刀を振り降ろすとしている赤間が居る。

 赤間が、木刀を振り降ろす正にその時、仕合場に旋風が横切る。旋風は、両者を包む。赤間は、思わず眼を瞑りながら木刀を振り降ろす。赤間の木刀には、何も手応えが無い。正木は、旋風が吹いた刹那、左脚を軸に右脚を後方に勢い良く引き身体を後ろに右廻転する。そして、そのままの勢いにて一廻転し木刀を振り降ろした赤間の右斜め前方に位置し木刀を赤間の後頭部から頸部に突きつける。

 「ま、まいった。」

 その間、旋風が仕合場を通り過ぎた一瞬の出来事であった。風の通り道であった者は軒並み眼を閉ざされ、勝負を決した瞬間を目撃する事が出来なかったが、権兵衛は風上に居た為、一部始終を目にした。


 「・・・といった様じゃ。」

 話し終えた権兵衛は、興奮の為か動作を交えた為か、息が切れている。勝負が決した瞬間を目にした衝撃は強く、権兵衛には正木の最後の動きが人のそれとは思えなかった。それが、新之助に上手く伝わっているか権兵衛はやや心配になった。

 「・・・。」

 新之助の無言が権兵衛の不安をより一層強める。戸が揺れ、冷たい風が吹いている事を知らせる。

 「権兵衛。」

 「あっ?何じゃ?」

 またも不意に呼ばれ驚く権兵衛。

 「・・・強く、成りてえな・・。」

 「うん?」

 権兵衛は、新之助から意外な言葉が口に出た事でまた驚き思わず聞返す。だが、発した新之助の横顔を見て直ぐに返事を返す。

 「あぁ、強く成りてえな。もっともっと・・うんと強く成りてえ。」

 「そうじゃな。」

 権兵衛の、熱が入った返しに新之助も熱の入った返しをする。


 すっかり日が暮れた外では、熱の入った若者二人とは別に冷たい雪が深々と振り続けていた。

                               第十四幕【了】         

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