第十三幕 頂上
第十三幕
「両者、正面に礼。」
正木、赤間が御館、源右衛門が居る、正面に礼をする。御館がそれに応え礼をする。
「両者、互いに礼。」
両者は、向かい合い互いに礼をする。決して眼を合わさない
両者。
「構え。」
腰の木刀を抜き、構える。正木、赤間共正眼の構えである。
雪の振りしきる中庭は、白い静寂に包まれている。篝火の音を除
いては。
「始め。」
ドン
大きく太鼓を打ち鳴らし、仕合の始まりを告げる。
その瞬間、両者からの氣で、ピンと空気が張り詰める。観衆が一
気に二人の氣に呑まれる。
両者は、構えのまま動かず相手を見据えている。
風が吹き、静かに降りてくる雪を一斉に横に倒す。
「・・いよいよ、この里で一番強い男が決まるんか。」
「あぁ。一体どっちが強えのかの・・。」
「順当にいけば、正木だが・・。」
「しっかし、息苦しいのう。」
観衆が二人を見守りながら話し合う。独特の雰囲気に気圧されながら。
「いよいよか・・。赤鬼殿。どちらが勝つかの?」
御館が、乾いた咳をしている、源右衛門に尋ねる。
「さて・・。これまでの仕合を見る限りですと正木が堅いですが・・。赤間もそうとうな曲者。何より、底が知れませぬ。」
源右衛門が珍しく、熟考して応える。それほど二人の実力、特に赤間の実力が源右衛門をして読めない。
「赤鬼殿が底が知れんとな・・。やはりそれほどの者なんじゃな。」
「しかし、正木の力量も御存知だとは思われますが、相当なもの。おまけにあの男は、内にケモノを飼っておる。それが、出れば益々分かりませんな。」
「ふむ。とにかく、見届けるしかあるまいな。」
「左様。それしかありますまい。」
「しかし、どちらが勝つにせよ、これで里が大きく前に進むな。」
「そうですな。」
御館の言に源右衛門は、思わず御館の方を向くが、横顔を見るに付け微笑みながら、また二人に眼をやる。
「正木さま・・。」
「団十郎様・・。どうかご無事で。」
「馬鹿。あんた、正木様がどうにかなるわけないじゃないの。」
「・・そうだけど。何だか相手の赤間という男、怖い・・。」
「そうね・・。でも、とにかく正木様を信じましょう。」
観衆の娘達が、祈るように正木の無事を願う。いつもは、黄色い声援を送る娘達だが、二人の氣に圧されて、声が出ない。何より赤間の雰囲気に恐怖を覚えている。
「きゃっ!」
無事を祈っていた娘達が声を上げる。赤間が不意に正木に襲いかかったのである。木刀の音が響く。赤間の木刀は先の仕合で割れた正木の額を狙っていた。正木は、自身の木刀でそれを受け止める。両者、木刀を押し合って居るが、徐々に赤間の木刀が正木の額に近づいてくる。正木は、僅かに膝を抜き身体を若干沈める。圧していた赤間が一瞬手応えが無くなる。その瞬間に正木は、膝を一気に伸ばすのと同時に身体を左にずらす。完全に圧す対象を無くした赤間は前方へ重心が崩れる。その隙を正木は、受けていた木刀を逆に返し、赤間の右後方から左袈裟にて首を狙う。赤間は、前方重心のまま前転をしてその軌道を躱す。そればかりか、廻りながら右後方に居る正木目掛け木刀を横一閃に薙ぐ。正木は、それを察し、後方に飛び退く。
前転を終えた赤間が、直ちに後方へ身体ごと振り返り、構えを敷く。一方正木も後方に跳んだ後、正眼に戻る。再び両者に間合いが生じる。
「おぉ。」
「こりゃぁ、すげえ。」
「きゃー。正木様!」
「赤間様~!」
観衆からは、二人の一連の攻防に思い思いの歓声が上がる。最終仕合にふさわしい見事な打ち合いに中庭は熱を帯びている。
「流石じゃのう。ただのボンボンでは無いか。伊達に赤鯱狩りで先陣を切ってないのう。」
赤間は、感心した様に正木に話し掛けるでもなく呟く。しかしその声はあくまで大きい。正木は無言で構えている。
「なあお主。赤鯱狩りで、何人討ち取った?」
赤間は徐ろに正木に尋ねる。
「・・・。何故そんなことを聞く?」
正木は多少困惑したように返す。但し構えは崩さない。
「別段意味は無い。興味があるだけじゃ。それとも答えられんのか?硬い男じゃのう。」
「・・正直覚えておらん。十は討ち取った手応えはあるが・・。必死だった故。」
赤間の言葉に正木は少し眉を寄せたが、悟られまいと静かに応える。
「ふむ。馬廻りのお侍さまはいちいち賊如きの命の数など数えんわな。」
「そういう訳じゃ無い。ただ里を脅かす賊を一人でも多く打ち取りたいと必死に立ち回った結果、討ち取った数など覚えておらぬと言う事じゃ。」
正木は、先程からの赤間の突っかかる物の言いようをするのかが気になった。
「もしかして・・。お主。赤鯱だったのか?」
その正木の問に観衆がどよめく。観衆だけでなく、中庭に居る武士達は一気に殺気立つ。御館の廻りも直ちに近習の者達で固められる。仕合場が騒然となった。
渦中の中心に居る赤間といえば、相も変わらず飄々としている。まるで、この状況を楽しんでいるようでもあった。
「そうじゃ・・。」
赤間の答えに、場内が一層ざわめく。
「と言いたいところだが違う。俺は、確かに賊は賊だが、赤鯱とは違う賊じゃ。むしろ赤鯱に潰された賊の頭領であった。」
またも場内はざわめいたが、充満していた殺気は一気に消え失せていた。皆一様に緊張の表情が解け、胸をなでおろしている。
御舘の廻りも通常の警護に戻る。それほど、赤鯱はこの里にとっての驚異であり積年の大怨なのである。
「では、赤鯱狩りの首級の数を聞いたのは?」
「そう。憎っき赤鯱を何人討ち取ってくれたものかと聞きたくてのう。」
「済まぬが、覚えておらぬ。」
「それは、残念じゃが、赤鯱を狩ってくれただけで胸がすくわ!感謝申す。」
赤間は、正木に軽く頭を下げる。
「礼には及ばん。其れがしは里の為に戦ったまで。しかし、異な事も有る。赤鯱の
正木の返しに、観衆から笑いが起きる。
「いやいや言わせてくれ。奴らは、俺の手下どもを散々切って捨ててくれた。俺が留守の時を狙われたんじゃ・・。賊が何を言うかと思うかもしれんが、賊には賊の情と言うものがある。俺にとって手下は、家族みたいなもんじゃ。それをやつらは・・。」
苦々しく赤間は吐き捨てる。
「賊には賊の情とな・・。何とも手前勝手な理屈。お主ら賊の私利私欲の為に家族を殺された者達にとても聞かせられんな。」
「そうじゃ。そうじゃ!」
「勝手じゃぞ!」
観衆の中から、赤間に対して野次が飛ぶ。それが、木霊して中庭中が野次の嵐となる。
それを赤間は見渡してふっと笑う。そして、御館の方へ身体を向け、大きく息を吸う。直後、大きな声を発する。
「御館!実力があれば、出自は問わないとの由。間違いござらぬか!?」
あまりの通る声にて、野次が一斉に止まる。静かになった中庭中の視線が御館一点に集まる。御館も胸に大きく息を吸う。
「応よ!二言は無いぞ。但し、里に害を及ばさないと誓えるか!?」
「応!取り立てられた暁には、先ずこの里の脅威である、赤鯱残党を殲滅してくれようぞ!その後は身命を賭して里の為にこの腕を使おう。」
これには、観衆も沸く。
「なれば良し!」
御館も満足そうに頷く。この御館は、権謀術策の戦国の世において驚く程、透き通る器の持ち主である。この場に居合わせた里の者たちはそんな御館の人柄が分かるに付け、惹かれ益々好きになっていった。
「良し。御館のお墨付きも頂戴したし、気合を入れて続きをやろうか。」
赤間が、再び正木の方へ向き直し正眼に構えを敷く。その瞳には、輝きが増している。
それに合わせ正木も構えに氣を入れる。
「そうじゃ。これだけは、聞いておきたい。赤鯱の頭領はどうなった?」
構えを敷いていた赤間が、不意に口を開く。
「知らん。そもそも誰も赤鯱の頭領がどういう者なのか分かっておらん。名も顔も終ぞや明らかになっておらぬ。もしくは先の赤鯱狩りにて多くの者と同様に打ち取られてるやも知れん。」
「そうか。分からんのか・・。」
「そもそもお主の方が、賊の好で知らんのか?」
「いや、俺らも何処のどいつかも分からんかった。そもそも男なのか女なのかもすら知らん。頭領が存在していないのでは!?とも噂になっておった位じゃ。」
「赤鯱の頭領の事なんぞ知ってどうする?」
「勿論取り立てられたら、俺が打ち取るつもりじゃからな。」
「ふん。」
正木は、赤間の一貫した揺るぎない態度に思わず吹き出してしまう。
「さて、長く話過ぎた。そろそろ真に続きをしようか。」
赤間は、先程までとは打って変わり声も重く瞳に闘氣が宿っている。
「応。」
正木は、待ってましたと言わんばかりに静かに応える。
再び場内に両者の氣が充満し、空気が張り詰める。
ほどなく両者がぶつかる。
今度は、正木が先に仕掛けた。
鋭く伸びる突きを人中目掛け踏み込みながら放つが、赤間は、それを
正木の逆袈裟が赤間の股下から襲い掛かるのを思わず大きく仰け反り後方に崩れる。そこを正木は逃さなかった。逆袈裟を放った木刀をくるりと返し、袈裟斬りを稲妻の様に落とす。
カーン
一際大きな木刀の音が響き渡る。遂に、正木は赤間を捉えたのである。赤間は木刀で受けた。
「くっ。」
赤間は、木刀で受けながら苦い顔を見せる。悔しいというのも有るが、正木の鋭く重い斬撃を受け、手が痺れた事も要因である。
「なっ・・!」
その時、正木の足が地面からふわっと離れる。思わず正木が声を上げる。赤間が、受けた木刀で正木の木刀を押し上げたのである。自分の身体が、意思の離れた所で宙に浮くとはゆめにも思わなかった。正木は後方に五尺程飛ばされた。着地をした正木は、膝を曲げ衝撃を吸収しようとするが、地面に着いた足が滑り、身体が崩れる。仕合前に中庭の雪をかいたとはいえ、絶えず降り注ぐ雪に地面は滑りやすくなっていた。
赤間は、一気に間合いを詰め身体を崩した正木を逃がさなかった。赤間は、正木の顔に突きを放つ。正木は、身体を崩したまま木刀で突きをいなす。突きをいなされた赤間の木刀は、そのまま上に軌道を取り、正木の頭目掛け振り降ろされる。
「ひっ。」
赤間の振り降ろしに正木を応援している娘達から悲鳴が上がる。
カッ!
正木は、またも崩れたまま木刀で受ける。
「ぐっ。」
受けた衝撃にて自分の木刀が頭に勢い良くぶつかる。
正木の額に巻いていた包帯が紅く滲む。先の益岡から受けた額の傷が開いたのである。包帯に滲んだ血は、下に流れ出し正木の顔を下がる。その血が右眼を塞いだ。
「いやあ、正木様~!」
娘達から更なる悲鳴が上がる。
赤間は、更に激しく木刀を振り下ろす。受ける正木は、崩れた体勢を立て直すことが出来ない。両足を前後に大きく拡げ、膝を曲げる体勢で赤間の攻撃を受け続けている。
赤間は、続けて振り下ろす為に素早く木刀を振り上げる。
正木は、受けた木刀を戻さず次の振り下ろしに備えている。しかし正木の眼の前には草鞋の裏が飛んでくる。赤間は、木刀を振り下ろすと見せて、正木の顔面に前蹴りを放っていた。正木は木刀を下げ柄で受けるがうけた刹那、顔が歪む。柄を握っている指に赤間の蹴りが当たり、指が潰されたからである。正木は、痛みで柄を離しそうな所を、必死にこらえて握る。そして直ぐに木刀を上段受けに水平に構える。その刹那構えた木刀に激しい衝撃が走る。赤間は、蹴りを受けられた直後に木刀を振り下ろしたのである。正木は奥歯に思いっきり力を加えて木刀を離すまいとしている。
「おい。こりゃぁ、ひょっとすると・・!」
「ああ、ひょっとすっかもな。」
「流石に賊上がりだけあって、攻めがえげつないが、強え事に変わりはねえ・・。」
「赤間で決まりそうじゃの。しかしこれ程とはの・・。」
一部始終を見ていた観衆は、赤間の勝ちが近い事を畏怖が混じりながら予感していた。
「赤鬼殿・・。これは、予想出来たか?」
御館も一方的な仕合展開に驚きを隠せない感じで源右衛門に尋ねる。
「流石にここまでは・・。曲者とは申しましたが、ここまで正木に付け入る隙を与えないとは・・。いや、単純に強いですな赤間という男は。しかしこれ程の男が野に居たとは・・。面白い。」
源右衛門は、赤間の力量を測り切れなかった事に驚いているが、それ以上に自分の測り切れない人物の出現に興奮している。源右衛門の顔が紅潮している。
「ほうか。赤鬼殿でも測れない程の者か赤間は。こいつはエライことになってきたのう。」
御館は、赤間をこの里にとってどうゆう存在になるか、思いを巡らすと同時に、赤みを帯びている源右衛門の顔を見るにつけ、この男はやはり根っからの武人なのだと実感していた。
赤間は、受けられた木刀をまた振り上げる。正木は、受けたままの体勢で居る。額からの血は止まらず、額から右眼を縦断して顎下まで紅い道筋を描いている。心なしか、正木の持つ木刀が震えている。観衆には、正木に最早体勢を立て直す余力も残されておらず、次の一撃にて勝敗が決してしまうかのように見える。正木に執心の娘たちも余りの事態に声が出ず、唯々観るしかない。娘の中には、泣いているもの、直視出来ず顔を背けるものも居る。
仕合場全体が今起きている事の異様さに空気が張り詰めている。
間も無く決するであろう、勝敗の刻を見届けるしかない。
ただ雪は、空から次へと降りてくる。天地自然には、どちらが勝とうが関係ないと言っているかのように。
赤間が、非情に木刀をより鋭く振り下ろす。
「ひっ。」
娘達が悲鳴を上げ、顔を覆う。
「ま、まいった。」
「勝負あり!」
勝ち名乗りに、一気に仕合場の温度が跳ね上がる。観衆の歓声は、大きなうねりのようなに鳴り響いた。
第十三幕【了】
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