第十二幕 良薬は・・

第十二幕

 「赤鬼殿は、坂田と知り合いのようじゃが、心配か?看に行かんでもええんか?」

 御館は、火に当たりながら手を揉み源右衛門を気遣う。

 「仔細無いでしょう。孫娘と弟子が付いて行きました故。元来あやつは丈夫な奴。それに、加減されましたからの。」

のんびりと源右衛門が応える。ただし、最後の言葉には多少の棘が有り、苛立ちを感じさせる。

 「ほうか。ならええんじゃが。それにしても赤間が加減した事が気に入らん様子じゃが。」

 「うむ・・。」

 御館の突っ込みに、顎鬚をさすり考える源右衛門。それを悪戯っぽい眼を向けて答えを今かと待つ御舘。

 「加減した事が、気に入らんという訳ではござらん。ただ。」

 「ただ、何じゃ?勿体ぶらずに早う教えてくれ。」

 「いや。あの赤間という男。最後、新之助を殺そうと思えば殺せたところを既の所で踏みとどまった感じを受けましてな。ほんの少し力加減を間違えたら、確実に新之助はこの世には居りませんでしたな・・。そもそもあれだけの力量の差が有るならもっと早くに決着を着けれたモノを・・。」

 御館に返すつもりが、源右衛門は自問自答になってしまっていた。

 「儂もそれは感じた。儂から観ても力量の差は歴然じゃった。坂田も踏ん張ってはいたが・・。弄んでおったのかのう?」

 御館も自分の見解を展開する。

 「或いは、新之助を試していたのか・・。」

 「試す?何故、坂田を試す?何の必要が有る?」

 御館も自問自答が始まった。

 「いずれにしても、赤間という男、力量もさることながら、その思考も並みのモノではございませんな。最後の仕合、正木がどこまで、奴を引っ張りだせるか、見ものですぞ。」

 「うむ。そうじゃのう。全く楽しみじゃ。」

 御館の顔は紅潮していた。火に当たっている事もあるが、興奮していることも過分にある。

 源右衛門は、髭を弄りながら、遠くを見つめている。時折咳をしながら。

 権兵衛におぶられながら新之助は、一度口を開く。

 「・・・負けたんじゃな・・。ごほっ、ごふっ。」

 言ったあと、咳き込む新之助。

 権兵衛と小春は、それに驚いた。直ぐに権兵衛が返す。

 「今は、話さんで良い。内臓がやられておるかもしれん。救護所に向かっておるから。だまっておぶさっておれ。」

 小春は、黙って新之助の背中を摩る。


 三人は、中庭から少し離れた救護所に着いた。中に入ると、薄暗いが、火が部屋の四隅だけでなく所々に配置されており温かかった。新之助を指示された場所に横にする。救護所は板の間に人一人が横に成れる大きさの蓙が二十枚程等間隔で並べられていた。そこに、他の怪我人もちらほら手当を受けて横になっている。

中には、急な冷え込みで、体調を崩したと見える者も居り震えながら、湯呑で湯気の出ているものを啜っている。


 「この者のやられた場所はどこじゃ?」

 新之助を診察しに来た男は、権兵衛に質問をする。

 「胴を打たれました。血が混じった咳をしとります。」

 男は、うむと頷き、新之助の服を開き、腹を触診する。

開かれた新之助の腹には、横一文字に赤紫の痣が出来ている。

小春は、その痣に息を呑む。

 「ぐっ。」

 新之助の顔が触診のある部分で歪む。

 「小僧。ここが痛むか?」

 男の問に苦しそうに頷く新之助。

 「おそらく、肋骨が何本か折れとるの。それが少し内臓に当たってるやもしれん。それが血の咳を呼んどる。」

 男は、触診が終わり平然と権兵衛と小春に告げる。

 「そんな・・。橘様。どうにか成りませんか?」

 小春が、男に詰め寄る。男の名は、橘十兵衛宗重。現兵法指南役兼城の医術管理も行っている。この男、源右衛門が後任に推薦した者で強さは折り紙付きで、医術にも明るい。しかし、源右衛門が推薦するまでこれほどの男が何処で何をしていたかの情報は、誰も知らない。何処かの城主が国が滅んで流れ着いた、源右衛門の隠し子で密かに育て上げていた等。里の者の楽しい噂話の的になっている。兎に角、源右衛門が推薦したということも有り、小春は橘とは顔見知りなので有る。

 「ちぃと痛いが、整復するかね。何、お嬢、心配には及ばん。それより、こ奴が動かんようよう抑えてくれ。」

 橘は、真っ黒い無精髭をザラザラと触りながら応える。この男、髭も黒いが眉毛も黒い髪の毛も黒く齢四十を越えても白髪が混じらない。故に着いたあだ名が、黒鬼である。先代指南役の赤鬼から来てるのは言うまでも無いが、鬼と言われるほど橘の身体は筋骨隆々である。袖をまくっている腕も丸太のようである。


 整復の準備の為、新之助を仰向けにし小春と権兵衛は、両側から抑える。新之助は、依然として咳き込んでいる。

 「よーしっ。始めるか。良いかお嬢。」

 新之助を見下ろして居る橘は、小春に太い声を掛ける。

小春は、新之助を抑えながら、不安な表情で頷く。権兵衛は、眼をギュッと閉じている。


 「小僧。整復中は動くなよ。もし動くものなら、今は少し当たっている程度の肋骨が内臓に刺さり突き破るやもしれん。そうなっては、助からんからな。」

橘は、新之助に脅しを掛けてから、足元に屈んで鳩尾近くの右肋骨部に貫手様に手を入れる。

 「ぐっっ!」

 新之助の悲鳴に抑える二人の力が入る。一瞬、グッと新之助の身体から力が伝わったもののその後は、新之助の中で抑えているのか二人には、新之助の緊張のみが伝わってきた。

 「ほう。大した小僧だ。」

 大の男でも悶絶して、失神してもおかしく無い痛みの筈なのだが、この小僧はそれに黙って静かに耐えている事が橘を感心させたのである。

橘は、貫手を折れている肋骨部の下に入れてスっと持ち上げる。

又、新之助が悲鳴を上げ、身体の緊張が更に加速する。新之助の身体からは油汗が噴き出している。

 橘は、更に二本同じように右の肋骨を同じように整復する。その度に、新之助が悲鳴を上げる。小春と権兵衛は、ただ懸命に新之助を抑えていた。それが終わると、新之助を左側臥位にして脊柱から肋骨を下方にゆっくり圧を掛ける。橘も尋常では無い汗をかいている。顔は、真剣そのもので立ち会いの時のように眼が鋭い。

 「がはっ」

 新之助が、少量吐血をする。それを見た橘が、肋骨に掛けていた圧を緩める。小春は、新之助の口に着いた血を手ぬぐいで拭う。

 「良し。無事に整復出来たぞ。」

 橘は、完全に肋骨から手を離し、新之助を仰向けに戻し、額の大粒の汗を拭った。

 「重慶。三番を持って来い。」

 橘は、弟子の重慶というものに何やら指示を出す。重慶は、湯呑に湯気が立つものを持ち橘に手渡す。

 橘は、新之助の後頭部に大きな手を入れて少し頭を起こす。

 「さあ、少し飲め。苦いがこれで直に楽になる。」

 新之助は、促されるままに湯呑に入っているモノを啜る。新之助の顔が苦味で歪むが、必死に飲み込む。更に顔が歪む。

 「これは、何でしょう?橘様?」

 小春が堪らず聞く。

 「薬湯よ。内蔵の出血を止めるのに効果が有る。味は、まずいの一言に尽きるが。」

 橘は、ふふんと鼻を鳴らしながら応える。

 「それにしても小僧。良く我慢したな。名を何と申す。」

 橘は、もう一口飲ませる為、湯呑を新之助の口元に持っていきながら質問する。

 「・・坂田。・・坂田新之助・・。」

 新之助は、苦いものを啜った後にか細い声で応える。

 「坂田?・・坂田とな・・?」

 橘は、新之助の名前を聞いた途端、表情を硬くする。そして新之助の顔をまじまじと改めて見て、何かを察した様に真っ直ぐ新之助を見つめる。

 「お主の父親の名前は、もしや・・坂田一心か?」

 新之助は、驚きながらも小さく頷く。

 「そうか・・。やはり・・。あの時の子鬼がこんなに・・。」

 橘は、何とも言えない表情にて新之助を見つめながら独り言つ。

 「橘様?どうしました?」

 小春が、橘の様子が気になり声を掛ける。

 「いや。何でも無い。仔細ない。」

 橘は、かぶりを振って応える。

 「橘様は、新之助の父上をご存知なんですか?」

 「まあ、昔の知り合い程度じゃ。良くは知らん。」

 橘は、明らかに動揺しながらもハッキリ否定する。

小春は、それ以上追求しなかったが、何かを隠している事は気付いた。

 「とにかく。今は休んでいけ。熱が出るであろうが、二日三日もすれば、動けるように成る。」

 橘は、新之助にもう一口薬湯を飲ませる。その後、小春の方へ少し振り向く。

 「済まぬがお嬢、変わってくれぬか。そろそろ他の者を診てやらねばならん故。」

 小春は、それにはいと返事をして膝を進めて、橘と入れ替わる。

橘は、立ち去り際に背中越しに新之助を見る。権兵衛がそれに気づくが、部屋の暗さも有るのかその眼が何を思っているのか、読み取れなかった。


 無言で、薬湯を飲ませる小春、それをただ見守る権兵衛。他の怪我人を治療する者達の足音と近くの火の弾ける音が良く聞こえる。

ドンドドン

不意に仕合場である、中庭から太鼓の音が聞こえてくる。

 「仕合再開の合図じゃろか。いよいよこの里で今一番強い男が決まるんじゃな。正木か?新をこんなにした赤間か?」

 静寂を破り権兵衛が発する。その様子は、どことなくそわそわしている。それを見た小春が、少し噴き出して権兵衛に返す。

 「私が新を看てるから、権兵衛は、行ってきて良いよ。新の分まで仕合を見てきて。」

 「ほうか!そんなら、そうさせてもらうわ。俺が居ても何も出来んし。新に仕合の様を教えてやりてえし。」

 権兵衛は顔を輝かせて、膝を立てながら小春に返す。小春は頷きながらもまた噴き出す。権兵衛は、立ち上がるといそいそと部屋を後にし仕合場に向かって行った。


 再び静寂に包まれる二人。薬湯を飲ませ終えた小春は、ゆっくりと新之助の頭を降ろす。新之助の息遣いは、薬湯が効いたのか先程よりも落ち着いている。小春は、湯呑を床に置いて、手拭いで新之助の口元を拭う。まもなく新之助は、寝息を立て始めていた。部屋の火に薄く照らされている新之助の寝顔を見守る小春であった。


 息を切らして中庭の観衆席にもうすぐ着く権兵衛。仕合場には、正木、赤間両者が木刀を腰に差し向かい合っている。どうやら仕合には間に合ったらしい。走りながら、胸をなでおろすと、自分に手を振る者が見えた。お鈴が権兵衛の為に場所を取っていたようで手を大きく振り権兵衛に自分の場所を伝えている。権兵衛はそれに向かって走りながら、『お鈴は、あんな前に出る娘だったかのう?』と思いながら、自分の知っているお鈴は、ごく一部であった事を思い知り何故か胸は高鳴った。


 「権、こっちこっち。」

 お鈴は、権兵衛が観衆席の後方に来たので声を張る。権兵衛は、人をかき分け頭を下げつつお鈴の取る最前列に辿り着く。

 「あぁ、助かったお鈴・・・。間に合って良かったわ・・・。」

 権兵衛は、息を荒げて発する。

 「権、大丈夫?」

 お鈴の問に、膝に手を付いて頷く権兵衛。お鈴は、手拭いを渡し、権兵衛は礼を述べ、雪と汗を拭く。顔を拭いた手拭いには、お鈴の匂いが薫っていた。お鈴らしい、控えめで優しい匂いで権兵衛には、とても良い匂いに感じた。眼の前のお鈴が今までに無いほど眩しく写る。権兵衛の胸の鼓動は、走るのを止めたにも関わらず、早く大きく打っており収まる気配がない。権兵衛は、顔を拭く振りをして思わずもう一度匂いを嗅いでしまっていた。

 「新は、大丈夫?血を吐いていたようだけど・・。」

 「ん?あぁ、仔細ない。橘様に診てもろうたし、何より小春が付いておる。」

 「そう。それなら安心した。それより権兵衛、息が収まらんようだけど大丈夫?」

 「えっ?・・あぁ、だ、大丈夫じゃ。な、何せ仕合が始まってしまうと思ってそりゃあもう、急いできたからのう。」

 「そう。大分急いでたものね。でも、大分息が荒いから心配。」

 「だ、大丈夫じゃ、大丈夫。・・ほら、それより仕合が始まるみたいやぞ。」

 「うん。でも苦しかったら、言ってね。」

 お鈴は、言って仕合場に眼をやる。権兵衛は、息を整えながら、胸を撫で下ろす。

                               第十二幕【了】

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