第十九幕 朝霧

第十九幕

 日に日に春の息吹が里を包む。夜明けの里は、陽光が差すのを静かに待っている。まだまだ、朝晩の冷え込みは身を切るものがあるり、里の山からは、白い氣が昇り、これからの気温上昇を告げている。

 山では、まだ少しの雪が残るものの、山を流れる急流は、雪融けを得て、轟音を響かせている。

 その急流を上流に向かうと、一本の瀑布が急流に雪融けを絶え間なく注いでいる。その瀑布の下にずぶ濡れになりながら刀を振る新之助があった。

 新之助は、野良仕事が始まる前の早朝にここで長岡から譲り受けた、名刀「水切り」を振っていた。刀の通り名、水切りを信じ、水を切ろうと瀑布に向かって毎日振っている。

 勿論、水を切る事など出来る筈はなく、まして滝の水圧に当てられ、まともに振れた試しがない。それでも、新之助は、振り続ける。あるいは、この純粋さが新之助の新之助たるものかもしれない。

 今日も、水切りが成らず朝日が昇りきる前に帰ろうと刀を鞘に納め歩き出そうとしたところで、藪から出てくる二つの細長い影を先に見つける。新之助は二つの影に見覚えがあり、速足で追い着く。

 

 「おい。」

 「ひゃあっ!」

 突然声を掛けられ、二つの細長い影は飛び上がる。

 「やっぱり、お前らか。こんなところで何しとんじゃ?」

 細長い影達は黙っている。その眼は泳ぎ、落ち着きがない。

 「何じゃ?ほいだ兄弟。言葉を無くしたんか?」

 そんな二人の様子に面白くなってきた、新之助が詰め寄る。

 「どうした、ほいだ兄弟?」

 「ほいだじゃねえ!細田だ!」

 細長い影、細田彦兵衛、保次郎兄弟は声をそろえて返す。

 「で、何しとったんじゃ?」

 「そ、そりゃ・・・。」

 またも詰め寄られ、細田兄弟は言葉に詰まる。沈黙に、滝の音が重なる。

 

 「儂も聞ききてえな。」

 三人は、声のする方へ一斉に振り返る。

 「ご、権のアニキ・・。」

 そこには、権兵衛が近づいて来ていた。その表情は、柄にも無く硬く、厳しい。細田兄弟は、益々縮こまる。

 「最近、家の食糧が知らぬ間に減っちゅうって言うから、猫かと思い張っとったが、まさかお前らがな・・。」

 「そ、そりゃ・・。」

 新之助、権兵衛より頭二つ抜きんでて背の高い、細田兄弟が一番小さくなったように見える。

 「で、盗った食糧は、どうした?」

 権兵衛は、下から細田兄弟を覗き込む。

 「も、もう駄目じゃ、ヤス。」

 「ほ、ほいだな。ヒコ。話すべ・・。」

 細田兄弟は、意を決して顔を見合わせる。

 「なしてお前ら、儂に相談せんかった?」

 「す、すんません。」

 「言ったら、殺す言われて・・・。」

 「ホント、すんませんでした!」

 細田兄弟は、権兵衛に深々と頭を下げる。権兵衛は溜息を吐き二人の頭を眺める。

 「たくっ・・。赤鯱の残党かよ・・。よりによって今日だと来とる・・。」

 権兵衛は、腕を組んで独り言つ。

 「すんません!」

 細田兄弟の頭は、震えている。

 

 「奴ら、何人じゃった?」

 「へっ?」

 それまで黙って細田兄弟の話を聞いていた、新之助が口を開く。その不意の問いに、思わず下げた頭を上げる兄弟。

 「ろ、六人じゃが・・。」

 「ほうかっ。どんな奴らじゃ?」

 「イノシシやら熊の毛皮を被って、恐ろしい奴らじゃった。」

 「一人は、槍を持っていた。他にゃ、弓を射る奴も・・。」

 「そ、そうじゃ一人頭みてえな奴が居て・・。」

 「ああ。確か、朔兵衛って呼ばれてたな。」

 「一番、その男が恐ろしかった・・・。」

 「恐ろしい?」

 「ああ。恐ろしい・・。何ぞ恐ろしい獣を目の前にしてくかのような圧じゃった・・。」

 「ああ。あの男は、ただもんじゃねえ・・。」

 細田兄弟は、頷き合っている。

 「ほうか・・。」

 「新、まさかお前・・。」

 権兵衛は、唾を飲みこみ、新之助に詰め寄る。新之助は、二人の話しを聞いている間、ずっと刀を抜き放ちそうに両手に力を入れている。

 「奴らの棲家は、何処だ?」

 「おいっ、新!馬鹿な事考えるんじゃねえぞ。」

権兵衛は、新之助の両肩を掴む。

 「放せ、権兵衛。見てみい。もう陽があんなに高く昇っちょる。今直ぐ行かんと、間に合わなくなる。」

 新之助の言う通り、いつの間にか朝日は昇りきり、周りは、朝露で光輝いている。

 「じゃからって、お前が行ってもみすみす殺されるんがオチじゃぞ!?」

 「じゃあ、お前は、このまま小春が攫われてもええんか?」

 「そうは言っちょらん!ここは、急いで山を降りて、輿入れを中止するよう頼み、里の大人達に残党狩りを頼むんじゃ。」

 「そりゃダメじゃ。」

 「何がダメなんじゃ!?」

 二人の言い争いに口を挟むことも出来ず、細田兄弟は不安な面持ちでただ見ている。

 「先ず証が無い。小春が攫われるという話の証が。そもそも里では、赤鯱は全滅したことになっちょる。俺らが、言いに行った所で誰が信じる?しかも輿入れ当日じゃぞ?ガキのいたずらじゃと一蹴されるわ。下手すると、輿入れを邪魔した廉で斬られるかもしれん。」

 「それは・・。」

 権兵衛は、反論しようとするも、こんな時に良くこれほど冷静に判断できるもんだと、感心してしまい言葉が出てこない。

 「それにな・・。」

 「あん?」

 「小春の邪魔はいかん。」

 「はっ?」

 思いもよらない新之助の言葉に権兵衛は、声が上ずる。

 「小春は、あいつは、正木家に嫁ぐ事を覚悟してた。本気なんじゃ。あいつの本気を邪魔することは許せん。」

 新之助は、両手に力を込める。その瞳は、真っ直ぐ燃えている。 

 「・・・お前、やっぱり馬鹿じゃな。」

 権兵衛が呆れたように笑い、新之助を掴んでいた手を放す。

 「ああ馬鹿じゃ。」

 二人は、笑い合う。

 「して、奴らの棲家はどこじゃ?」

 新之助は、改めて細田兄弟に問う。細田兄弟は、不安気に権兵衛を見やる。頷く権兵衛。

 「この藪を入ると、細っい獣道があるんじゃ。それをしばらく登ると、笹が茂る開けた場所に出る。」

 「その少し先に奴らの棲む、洞窟が有る・・。」

 「新。本当に行くんか?」

 保次郎は道を教えてしまった後、急に怖くなり、新之助に尋ねる。

 「ああ。」

 新之助は、言いながら、藪の先を見ている。

 「儂も行くぞ。」

 新之助の横に、権兵衛が並ぶ。

 「なっ?」

 「アニキ?」

 「別にお前まで来ること無いんじゃぞ。無理すんな。震えとる。」

 刀に掛けた権兵衛の手は震えている。

 「なんの!こりゃ、お前。寒いからじゃ!早よ、動いてあったまりたいわ!」

 「お前も馬鹿じゃな・・。」

 「お前の馬鹿がったんじゃ。小春は儂にとっても大事な幼馴染じゃ。ここで何もせんかったら、黒田の名が廃るわ。」

 精一杯の強がりに新之助は、口元が緩むが、直ぐにきつく結ぶ。

 「斬り合いになるぞ?人を斬るし、斬られるかもしれんぞ?」

 「分かっちょる。お前だって覚悟はエエのか?人を斬った事無いじゃろ?」

 「ああ無い。もしかしたら死ぬかもしれんな。ただ・・。」

 「ただ、何じゃ?」

 「源爺のとこで、もまれてどこまで強くなったんか知りてえのも有る。」

 「新・・・お前、やっぱり馬鹿じゃな。」

 新之助は、権兵衛と話すことで全身の力が良い塩梅に抜けているのを感じた。初めての命のやり取りに向かう事で、強張っていた事に気づく。新之助は、権兵衛の存在に力強さを感じ、権兵衛を死なせる訳にはいかんと誓う。

 そして、権兵衛の震えも止まっていた。

 「・・・アニキ・・。」

 二人の背中を不安気に見つめる細田兄弟。

 「おう。お前らは、山を直ぐに降りて、一応父上に知らせておけ。儂と新が行っているとなれば、聞いてくれるじゃろ。ただもしもの時には、小春を守ってやれ。」

 権兵衛は、振り返らず、細田兄弟に指示を出す。

 「アニキ・・。」

 細田兄弟は、このまま権兵衛が帰ってこないのではと、怖くて

離れられない。

 「いいから、行け!刻が無い!」

 「へ、へいっ!」

 根が生えていた、細田兄弟の脚が動き出す。

 「アニキ・・、新・・。ご武運を。」

 「おう。お前らも頼んだぞ。」

 「へい。」

 走り出した、兄弟には二人の背中が大きく頼もしく残っていた。

その足音を背中で聞く二人は、遠ざかって行く音を聞いている。

 「行くかよ。新っ。」

 「おうっ。」

 二人は、藪に分け入った。


 朝靄に陽光が当たり、白く照らさられる一ノ瀬家。その奥座敷、白無垢に身を包む小春が座している。

 小春は、ただでさえ白い肌に白塗りを施されており、朝陽と相まって、白く輝いている。そして、静かに眼を瞑り紅をさされている。紅をさしているのは、母お妙。お妙の筆は白く輝く肌に花を生けるように唇をなぞっていく。

 「きれい・・・。」

 お妙の後ろから、思わず漏らすのは、手伝いに来ていた凜である。

 「ありがとう・・。」

 小春は、その言葉に微笑み返す。

 「そろそろ出ませんと・・。」

 凜は、お妙に輿入れの出発を告げる。お妙は、静かに頷き小春に眼を向ける。小春は、それに真っ直ぐ応える。

 「じゃあ、小春ちゃん。私は、正木家の手伝いに戻るから、また向こうで。」

 「うん。本当にありがとう凜ちゃん。」

 お妙に頭を下げ、凜は、座敷を離れていった。小春と凜は、あの日以来、お互いを支え合う良き友となっていた。


 「父上、母上・・。」

 寛治、お妙の前に小春が座す。

 「今まで、お世話になりました。」

 小春が、三つ指を付き頭を二人に下げる。その細い小さな指を見てお妙は、込み上げるものがあったが堪える。

 「うむ。良く正木家に尽くし、立派な世継ぎを産みなさい。お前は、儂らの誇りじゃ。」

 小春の花嫁姿に満足気に頷く寛治。

 「はい。ありがとうございます・・・。」

 頭を下げたまま震える声を抑え、小春は伝える。

 「・・・辛くなったら、いつでも帰ってきなさい。ここは、貴女の家なのだから。」

 お妙の優しい言葉がけに小春の指は震える。

 「泣いてはいけませんよ。。せっかくのお化粧がくずれます。それに今日は、お目出度い日。」

 「はい・・。」

 小春は、顔を上げ精一杯に笑顔をお妙に向ける。

 「何を言っておる。小春は、これより正木家の人間ぞ。辛くともここには帰らんつもりでな。それに小春なら問題あるまい。のう?」

 「はい。凜殿も居ますし。一ノ瀬家の名に恥じぬよう立派に勤め上げます。」

 「うむうむ。」

 寛治がまたも満足気に頷く。その様を、お妙は『ほんに人の気持ちの分からない男だ事』と心の中で大きく溜息を吐く。小春の手は、白無垢の裾を震える程握っていた。


 「寛治様、そろそろ出立の刻でございます。」

 「うむ。では、参ろうか。」

 下人の促しに、寛治がパンッと膝を打ち勢いよく立ち上がる。

 「いやいや。目出度い、目出度い。」

 上機嫌で出ていく寛治。それを溜息で見送るお妙。

 「小春・・。ほんに許しておくれ。」

 お妙は、小春に頭を下げる。

 「頭をお上げください母上、何も謝ることはございません。これは、私が決めた事。私なら大丈夫です。」

 「ほんに、ほんに許しておくれ・・。」

 口元を押さえ、その場に泣き崩れるお妙。小春は、お妙の震える肩をそっと抱きしめる。

 「・・・母上。先程目出度い日と仰ったのは母上ですよ?」

 「そうでしたね。」

 小春に諭され、お妙は涙を拭う。

 「さっ、参りましょう。」

 小春は、お妙を促し立ち上がる。お妙は促されるまま立ち上がり、小春の横顔を見ながら、いつの間にか娘がこんなに逞しくなった優しくなっていたのかと嬉しく感じ、またも涙が溢れそうになっていた。

                               第十九幕【了】


 

 


 




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