第52話 茨の道

   茨の道


 ハーロウの周りには、複数の死体が転がっていた。タマ、ルツ、リーン、シャビー、それにチャム……。みな心臓を一突きにされ、怯えることすらなく死んだ。ハーロウがそのまま押し倒したのだけれど、そうでなければ立ったまま、生きているかのような姿を保ったままだったろう。人族に恨みはあれど、猩族には何の恨みもない。殺したことは残念だけれど、哀れな躯を放置する気もなかった。

 時間を操作する能力は、やはり素晴らしい……。二倍ほどになった自分の重さには辟易するけれど、これだけのメリットは捨てがたい。このままロマを、ずっと腹に抱えたままでもいいのかもしれない……。

 彼の周りで生きているのは、ジェニファーだけだ。ご主人様ではあるけれど、それは力をもつから従っているだけ。むしろ彼女だって、前の世界で彼のことを無残にも殺した、同じ人族でもある。

 殺すか……。ふとそんな考えが脳裏を過ぎる。時間を操作できるこの能力をつかえば、自分は最強、この周りが遅くなった、スローな世界にいる限り、自分は攻撃されることもなく相手を殺せる。間違いなく無敵だ。

 ハーロウはジェニファーの胸を躊躇うことなく一突きする。これで積年の憂さを晴らすことができた。清々しいまでに気分は爽快……ハーロウはそう感じた。

「あ~ぁ。ご主人様まで殺しちゃったよ」

 そのとき聞こえた声に、ドキッとしてふり返る。そこには猩族の少女がいた。耳が小さく、シッポが太い。イタチの猩族……、奴らの仲間……か? ペロンの街では見かけなかったけれど、何よりこの時間操作された空間で、平然としていることが不自然だった。こいつも時間操作の魔法を……?

 でも、名前を聞くまでもない。近づいてきたので、胸を一突きにした。誰であっても殺してしまえばいい。無防備で近づいた相手が悪いのだ。

 ただ少女は胸を貫かれたはずなのに、まるで痛がる風も、血がにじむこともない。

「ムリだよ、おじさん。私は死なない」

 幽霊……? ジェニファーを殺してしまったことで、魔法キャンセルも解除されているはずなので、化けてでてきた、とでもいうのか?

「私はオバケでも、何でもないよ。おじさんは、私の世界に囚われたんだ」

「囚われた……だと?」

「そう。私が秘密兵器だったんだよ。きっと魔法キャンセルがつかわれる。おじさんがロマを飲みこもうとする。だから私は背後に隠れて、ずっとロマに手を触れていた。魔法キャンセルは空間に対するもの。肉体がつながっていれば、魔法をかけることだってできるからね。私の能力は、精神操作――。おじさんは、自分の妄想の世界に囚われているんだよ。ここは帰ることもできない、無間地獄さ」


「ハーロウ! ハーロウ! しっかりしなさいッ!」

「く、臭いですぅ~」

 大きな口を開けたハーロウが、ロマを咥えこもうとして彼女に向いたまま、固まっていた。ロマの背後にはテトがいて、ロマに手を当てている。真の秘密兵器はテトだったのだ。ジェニファーたちは、タマたちのパーティーを分析していた。でも、それは神聖ロバ帝国の後半の出来事だ。ジャンノとともに、海廻りの行程をとったルツとテトのことは知らない。精神操作を仕掛けるタイミングを探っていたのだ。

「よくやったわ、テト! ハーロウを無限迷宮に落としたのね」

 タマの言葉で、ジェニファーも自分が策にはまった、と知った。

「くっそ~! でも、魔法キャンセルがあれば、アンタたちなんて、私の剣技だけでやっつけてやるんだから!」

 確かに、リーン、シャビー、チャムの三人では敵うはずもない。これまではハーロウにロマを飲みこませ、トドメを刺せばいい、と考えていたので、あえて全力をだしていなかっただけだ。全力をだせば、こんな相手……ジェニファーはその剣を構えた。

 そのとき「漸次紅裙烈破!」という声がするのと同時に、槍による凄まじい突きをくりだしながら、つっこんできた猩族の女性がいた。

「ジャック⁉」タマが驚いたのもムリはない。カペリン国で、マッチョロードから逃げだしたとき、はぐれてしまった美瑯のジャックが現れたのだ。

 彼女は膂力もあり、また優秀な冒険者、槍使いでもある。魔法キャンセルがあってもスキルであれば使える。ジャックの鋭い突きの連弾がジェニファーを襲い、そのマスクを完全に砕いてしまった。ジェニファーもこれは堪らない、とばかりに「憶えておきなさいよ!」と、やっぱり悪党の去り際のような捨て台詞をのこし、つかえるようになった魔法でハーロウを抱えると、そのまま飛んで行ってしまった。


 激しい衝撃波が、ボクとアイの二人を包む――。

 だけど、ボクは気付く。「……あれ?」

 ふり返ると、魔王である父親との間に敢然と、立ち塞がっている姿が目に入った。小柄で、頭頂部からぴんと立ったアホ毛が……。

「アホ毛モン⁈」

「その名で呼ぶなっつぅーの! 助けた甲斐もないじゃん」

「ジャンノ……。ありがとう」

「礼を言われる憶えはねぇっつぅーの。私はこいつらの邪魔をする、前から気に食わないし、敵だからじゃん!」

 ジャンノが、魔王からの攻撃を消し飛ばしてくれたのだ。ただ、ジャンノも無事ではなかったらしい。左腕にひどい火傷を負い、その腕がだらんと垂れ下がった。

 いくらジャンノがすごい魔法使いとはいえ、相手はこの世界の創造主、皇教であり、また魔王でもあるのだ。

 アイが正気をとりもどしてくれないと……。「アイ、アイ!」

 アイは目覚める様子もない。ボクはその体をぐっと抱き寄せた。そして、爪を立てないよう指のお腹で、思いきり彼女のお尻の辺りを、がーっと掻きむしった。

「ひゃ、ひゃ、ひゃん❤」

 アイもやっと我を取りもどす。昔からここを掻いてあげると、腰砕けになるほど気持ちよくなり、また何度も「やって、やって❤」とおねだりして来たものだ。最初に会ったとき、思わず触ってしまったけれど、そのときの反応を憶えていた。

「気づいたかい? 魔法があるからって、死ぬことはない。むしろジャンノのように、長生きする者もいる。心配しなくていい。君は死なないんだ」

 死の恐怖をとり除いてあげれば、また戦線に復帰してくれる……そう思っていたけれど、アイは小さく首を横にふった。

「ちがうんです。私、死ぬことが怖いんじゃない。オニさんと離れることが怖いんです。私が死んだら……ううん、そうじゃなくても、オニさんが離れていってしまうって……。チャムみたいに可愛らしい、色気もある、魅力的な子の方がいいんじゃないかって……。私から離れていってしまうんじゃないかって……。

 だから、もし私が死んだら、きっとオニさんは私のことなんか忘れて、ちがう子の方に行ってしまうんだろうなって……」

 ここ最近、アイは不安そうにボクの体に身を寄せてきた。チャムの愛人宣言以来、アイは不安だったのだ。ボクが離れて行ってしまうことに。そこに、死というそこにあるリスクを感じたことで、気持ちが不安定になったのかもしれない。今も、魔王である父親からの攻撃がつづく。それをジャンノが回避してくれているが、早くアイの気持ちを落ち着かせないと、このままでは本当に死んでしまう……。

「アイ……。これまで言っていなかったけれど、ボクはアイが我が家にきてくれて、本当に良かったと思っている。あんな父親だから、ボクも家に帰るのが億劫で、離れていたいとずっと思っていた。でも、アイがいるから帰ろうって、アイのために、すぐにアイのいる家に帰ろうって、そう思うことができたんだよ」

「…………」

「ボクは、アイが思っている以上に、アイのことを考え、想っている。ありがとう、ボクの家に来てくれて……。ありがとう、ボクと出逢ってくれて……。ボクは、アイのことが大好きだよ。…………結婚しよう」

 アイの目は潤んでいた。人族と、猩族という違いはあるけれど、それこそボクたちはそれを乗り越えて、そのためにこの世界を変えていく、と決めた。そして、ここまで来たのだ。もう迷うことはない。ボクたちはこの大聖堂で誓いを捧げよう――。

 アイはゆっくりと目を閉じる、ボクはその可愛らしい唇に、唇を重ねた。震える彼女の目じりから涙がこぼれ落ちるのに気づいたけれど、ボクはそのまま彼女の体を抱き寄せた。

「お取込み中、悪いんだけど、こっちもお取込み中だっつぅーの!」

 ジャンノの言葉に、アイはすっと立ち上がった。その剣を抜き、高々と掲げて

「マリード・フォーチューンッ‼」

 そう叫ぶと、辺りをまばゆいばかりの光が包んでいく。

 魔王である父親も、その光をみて「うわ、やべッ!」と叫ぶものの、すぐにその姿が光によって見えなくなってしまった。


 ボクも目映さに閉じていた瞼をゆっくり開けると、そこには大聖堂どころか、オープンテラスのような空間が広がっていた。

「大したもんだっつぅーの。空間丸ごと、消し飛ばしたっつぅーの」

 ジャンノもそう感心してみせる。どうやら左腕の火傷も大したことないらしい。それを為したアイが剣をすらりと収める姿は、神々しいまでに美しかった。

 でもすぐ「オニさん!」と飛んできて、ボクに抱きついてくる。尻尾がぶるん、ぶるんとはち切れんばかりにふられ、最大限の喜びをみせるのが、これまでのことを成し遂げたのにいつもと変わらないので、ボクも思わず笑顔になってしまう。

「アイが魔法をつかうときの掛け声って、何か意味があるの?」

「特に意味はないんですけど……、言葉にした方がイメージできるかなって」

 うん、〝結婚した未来〟という名の魔法が、とんでもない力をもっていることは、よく憶えておこう……。

「ボクたちが誓いを上げた結婚式場が、なくなっちゃったね」

「あ……」

 アイもしまった、という顔をしているのが面白くて、ボクも「形になんて残っていなくていいよ。心の中に残っているからね」

「そうですよね❤」といって、アイも気にしていないようだ。

「やってくれたわね。ハリセンボンの街が、そのままなくなっちゃったわよ」

 大聖堂の外で戦っていたタマたちも合流する。見渡せば、本当に城壁まできれいに、辺り一帯が消し飛んでいた。

「あれ? ジャック……」

「マッチョロードから流される途中で、船に救われてね。しばらくケガを負って動くこともできなかったから、私はカナリア国にもどっていたんだよ。そうしたらお前たちがくるっていうんで、やっと合流できた」

 犬の……シェパードの猩族である彼女が合流したことで、魔族を撃退できたようだ。結局、マッチョロードからも全員無事、帰還できた。それだけでもホッとする。

「魔王は?」タマの問に、ボクも首を横にふる。

「多分、逃げた。もっとも、不死の呪いがかかっているだろうから、殺そうとしても難しいだろうけど……」

「仕方ないわよ。でも、ここをぶっ潰したんだから、これは私たちの勝利よ。これで宗教戦争も回避できるでしょう。テッペン方伯フィルとの約束も果たせたわ」

 前の世界では、内戦がそのまま三十年戦争という泥沼へと導くことになるのだが、それを止められただけでも御の字だ。

 一応、すべての説明をみんなにしておく。魔王が皇教と同一人物だったこと。それが前の世界で、ボクの父親だったこと、などだ。

「オニさんは、お父さんとケンカしても大丈夫なんですか?」

 これはルツが尋ねてくる。ジャンノと航海をする間、鍛えられるテトをみて、今回の戦法を考えついたのはルツだった。魔族相手だと、それこそ魔法キャンセルによってロマの時間操作の能力を封じられる可能性があり、そのときテトが秘密兵器になる、と。テトも不安定だった能力を、ジャンノから鍛えられることで安定して使えるようになった。少しの間、離れ離れになったけれど、成長できたのだ。ボクも笑顔で「大丈夫だよ」と応じる。

「アイがご機嫌ちゅうことは、報告することがあるんちゃう?」

「あ、えっと……。ボクたち、結婚することにしました」

 みんな歓迎してくれる中で、リーンが「ええん? オニさんが結婚しても?」と、チャムに確認する。すると「構わない、だよ~。だって私は愛人だもん」

「だ、ダメです!」

 アイがボクにしがみついてくる。心配性なところは、すぐには治らないのかもしれない。彼女が嫉妬深くなる前に、ちゃんと説明しておこう……と固く心に誓う。何しろ、その嫉妬の炎は町一つを消し飛ばすほどなのだから……。


 大陸をぐるりと一周してきて、へんてこだけれど、ボクたちにはパーティーができた。仲間ができた。

 とにかく明るい慧冠のシャビー、ボクの愛人宣言をする移動特化型の銑炎のチャム、仲間思いで気のいいお姉ちゃんという感じの白銀狂鬼のリーン、引きこもりだったけれど、その能力を開花させつつあるテト、人族の少女にしてパーティーの軍師に昇格しつつあるルツ、のんびり屋で時間操作という能力をもつ愚鈍のロマ、男勝りで優秀な冒険者である美瑯のジャック、魔法使いにしてこのパーティーのリーダーである流迅のタマ……。そして、伝説の魔法使いであるジャンノ……。

 ボクとアイとの出会いから、これだけの仲間ができた。そしてこの世界も少しずつだけど変わり始めている。

「結婚したら、お互いの呼び方も変わるッスか?」

 シャビーにそう尋ねられて、ボクとアイも思わず顔を見合わせた。アイはもじもじしながら「じゃあ、ご主人様で……❤」

 もしかしたら「オニさん」というのは、母親と妹からそう呼ばれていたから、照れ臭くてそう呼んでいただけで、アイは犬だったころから、ずっとボクのことを見上げて「ご主人様❤」と呼んでいたのかもしれない。それはボクのペットとして……ではなく、妻としてそう呼びたかったのだ。

 この世界で、逆にボクは彼女のペットになった。心ならずもそういう関係となり、アイも本当は呼びたかったその言葉を、封印してしまったのかもしれない。

 まだこの世界を変えよう、という目標にはほど遠い。無能転生には果てしない夢かもしれないけれど、まずボクたち二人は変わることができた。二人ならどこへでも行ける、どこまででも行ける。世界を変えよう……なんてイバラの道に思えるけれど、ボクたちにとってはそれが人族と猩族が一緒になるための、ヴァージンロードに見えるのだった。


                              完



 P.S ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。次回作についても鋭意準備中です。またお逢いする機会がありましたら……。

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無能転生 -なので元飼い犬だった彼女のペットになったボクー まさか☆ @masakasakasama

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