第50話 魔法使いと呪い

   魔法使いと呪い


 船は快適にすすむ。アゴヒゲ海は内海であり、波風もなく穏やかだ。船は帆船が主であるけれど、魔力を篭めた動力源もあり、海流に影響されずにすすむことも可能だ。そのままメデタ海へ至り、半島をぐるっと巡って北上する。

 ボクらの乗った船は、ヘベレケ川の河口へとやってくる。すでにここからロバの街の領域であり、何の苦もなく街へと入れたのは、ちょっと意外だった。

「ロバの街の中に、ハリセンボンという街が囲まれているって形なのよ」

 街の中に城壁で囲まれる形で、広いエリアが占有されている。その中がハリセンボンと呼ばれる街だ。普段はまったく人の交流もなく、中は宗教的儀式をするためだけにあるらしい。門は大きいけれど、開くことはなく、なので門番もいない。

「だから私たちが入るとしたら、それは不法侵入ってこと」

「何や、イタズラするみたいで、わくわくするな」

 リーンの強がりに、シャビーが「イタズラするんスか?」と間の抜けた返しをする。みんな緊張していたところでもあり、むしろホッと息をつけた。

「正面突破するの?」

 ルツの疑問に、タマも「さて……、忍び込めればいいんだけどね」

 誰も入ったことがないのだから、タマもお手上げという感じだ。十メートルはある城壁の、職員専用口のような小さな扉があるところまで来たけれど、当然鍵がかかっているし、小さくても分厚いその扉をぶっ壊して侵入すれば、目立って仕方ないところだ。よく剣士が刀で、木の扉を斬って中に侵入する、という場面もあるけれど、硬度の関係からいってよほどのファンタジーか、木自体が腐ってボロボロでない限り、間違いなく刃毀れするし、下手をすれば刀が折れているだろう。

「アッシなら飛び越せるッスよ」シャビーは事もなげにそう言った。アイも助走をつければいけそうではあるけれど、それだと街の中で目立ってしまう。忍びこむためには、目立たず超えないといけない。

「任して下さいッス」といって、シャビーは足にとりつけた刃を、ふだんは踵の方に向けているものを前に変えた。シャビーの手に忘れないよう、やることを書いて送りだすと、その刃を上手く城壁のすき間にひっかけながら、するすると身軽に上っていく。この辺りはニワトリの猩族の面目躍如といった感じだ。

 ただ上り切ったところで、三十歩に達してしまったらしく、何をするために上がったのかも忘れて、きょろきょろと辺りを見回している。みんな慌てて「手、手!」と、声を抑えつつ行動によって手をみろ、と示すと、やっとシャビーも自分の手をみて気づいたのか、サムアップをしてから、中へと飛び下りていった、しばらくして、内側から扉を開けてシャビーが顔をだしてくる。

「どうッスか? アッシも役に立つでしょ? こんな扉に牛刀を用いる必要ないッスよ」

「それ、ニワトリを割くときの例えだけどね」

「コケッ!」

 三十歩すすむと忘れてしまうシャビーだけは、緊張と無縁かもしれない。みんなも安全にハリセンボンの街へと入った。そこは古い中世の街並みがつづくけれど、驚くのは人影がまったくなく、ゴーストタウンのようなことだった。

「かつてこの辺りは、ロバの街の人の墓地だった、とされるけれど、その広大な敷地を教会が買収し、教会をつくって信仰の対象とした。やがて周りに塀をめぐらし、そのうち高い城壁を築いて、要塞化したって言われているけれど……何コレ?」

 確かに広場があって、教会があって……という宗教施設もあるけれど、そこに人っ子一人見かけないのだ。

「大聖堂に行ってみましょう」というタマの提案に従って、ボクたちはゴーストタウンを、身を隠すようにしてすすむ。

 そのとき、不意に現れたのは白に緑の模様が描かれたマスクをつけた金髪の魔族の少女であった。彼女はテッペン州でボクたちを襲ってきて、ボクたちの攻撃でマスクを割られているけれど、そこにはしっかりとテープが貼られている。彼女の傍らには、ペロンの街でボクたちを試すようなことをしてきた白くて長い髪をもつ猩族、ハーロウが控えており、どうやらボクたちを待ち伏せしていたようだ。

「ついてきて」金髪の少女は先に立って歩きだす。どうやら攻撃するつもりはないようだけれど、こちらに拒否権はないようだ。大聖堂の前までくると、ふり返って「アンタと、アンタは中に入りなさい」

 そう指名されたのは、ボクとアイだ。なぜ? とも思うけれど、薄々感じていた。タマも頷いてみせたので、二人で中に入る。そこは礼拝所であり、天井にはフレスコ画が描かれているけれど、前の世界のそれを知っていると、どこかユーモラスに見える。絵画の技術がまだそこまで洗練されていないのだ。

 そこは広くて、体育館いくつ分だろうか……。正面の、ふつうの教会なら祭壇があるはずの場所に椅子が置かれ、そこに誰かがすわっていた。足を組み、こちらが近づくのを待っているその姿をみて、ボクも思わずつぶやいた。

「父……さん」


「久しぶり。よく生きてここまで来たな」

「……もしかして、父さんが魔王……なのか?」

「そう呼ぶ者もいる。もっとも、自ら名乗ったことはないけれどね」

 メガネをかけ、落ち着いた雰囲気であるけれど、キレると厄介な面ももつ。それに、ボクが小学生ぐらいだったころの、若かりし姿にも見える。もっともこの世界のどのタイミングで、しかもどれぐらいの年齢で転生してくるかはランダムでもあって、彼がいつ、どのタイミングで転生してきたかは不明だ。

「そもそも、魔族と名乗ったこともないんだよ。都合がいいときは使わせてもらうけど、この世界で色々とやるためには、そういう存在がいた方がいい面もあってね」

「もしかして、皇教でもあるのか?」

「そう呼ばれることもあるね」

「なるほど、救いを与える教会と、恐怖を与える魔王とを使い分けることによって、この世界を統治している、ということか……」

「悪魔という架空の存在をつくり上げるまで、この世界の宗教は、成熟がすすんでいないからね。現実的な恐怖の対象となる〝魔王〟が必要なんだよ。そして、そういう恐怖の対象がいれば献金も集まる」

「そんな経済的な利潤のために、オマエはこんなことをしているわけじゃないだろ?」

 父親はニヤッと笑う。「自分の父親を『オマエ』呼ばわりか……。昔からそういうところがあったよな、お前は」

「尊敬して欲しいのか? それとも崇め奉って欲しいのか?」

「父親への信愛の情もなし、か……。やれやれだ」

「信愛? そうして欲しかったら、行動で示すべきだろ」

「おやおや。オレがそうしていないって?」

「アイを……蹴り殺したんだろ?」アイがボクの腕をぎゅっと、強く握ってくる。

「説明しただろ、交通事故に遭ったって……。父親のいうことが信じられないのか?」

 ボクは肩をすくめてみせた。「信じられないよ。だって、アイは慎重だ。特に、両親と一緒のときにそんな軽率な行動、とるはずがない」

「ふ……。犬の方を信じるって? とんだ親不孝に育てちまったもんだ。だが、こう考えることはできないかい? その犬から、オレが虐待をしていたことも聞いたんだろう。なら、オレから蹴られそうになって、逃げだそうと飛びだしたって。それだと原因がオレにあっても、主犯じゃないだろ。この世界にくる者は多くが自分の死んだときの状況を知らない。知っていたとしたら、生きることさえ嫌になるだろうからね。もしそれを憶えている、なんて者がいたとしても、それが妄想、空想によって現実のように錯覚している可能性だってある……とは考えられないか?」

 ボクはゆっくりとアイをふり返った。怯えた様子で、じっとボクを見上げてくる姿は、あのころのまま……。ボクの家に初めて連れてこられたときと、同じだ。

「可能性……ね。オマエがよく使うロジックだけど、ボクの預かり知らないところで起こったことなら、いくらでも可能性という言葉で誤魔化せる。ボクにはそのシュレーディンガーの猫がどうなったか、知りようもないのだから。でも、オマエは山のように嘘をついてきたが、アイはボクに対して嘘をついたことはない。そして、真実と誤認してしまうだけの材料をオマエがつくってきたのなら、それはオマエの罪だ」

「やれやれ、父親の威厳もなし……か。驚いた様子もなかったけれど、いつからオレが魔王だって気づいていたんだい?」

「マリアが大人しく従っていたからだよ。感情の壊れたところはあっても、マリアは肉親に対して逆らったことはない」

「ホント、素直ないい子だよね、マリアは」

「違うだろ。アンタはマリアに期待し、マリアのために色々と手を尽くした。マリアにとっては居心地が悪くなかったから、それに従っている。この世界で魔族なんて呼ばれて、街を一つぶっ潰したのだって、やりたくてやった……というより、誰かに命じられたからやった。マリアに動機を与えたヤツがいる。それがオマエだ」

「今度は『ヤツ』呼ばわりかい? 父親のこと、何だと思っているんだ?」

「ボクの財布からお金を抜きとって遊びに行ってしまうような奴を、父親と思えるか? 飼い犬を虐待するような奴のことを、人として認められるか? オマエがしてきたことは、父親だとか、人だとか、そういう以前の問題だよ。マリアには期待するから愛情をそそぎ、ボクやアイは役立たずだから、自分が期待した通りのことをしないから、蔑ろにした。そんな相手をヤツと呼ぶんだよ」

「それは仕方ない。人はメリット、デメリット、様々な評価の下で相手との付き合い方を変えている。オレにとってメリットのない相手を遠ざけたり、ちょっとストレスの捌け口にしたりしたところで、何が悪い?」

 こういうヤツなのだ。あくまで自分にとってメリットがあるかどうか、で相手のことを判断する。家族でも、ただの同居人となり下がったボクは、養っていることさえ疎ましく、ボクのものは自分のもの、ボクの財布からお金を抜いて、自分の遊びにつかったところで罪悪感すらもたない。

 そんな事実もあり、ボクも疎遠となった。父親とは目すら合わせなくなった。

 そんなとき、アイがやってきた。能力は高いものの、感情が希薄すぎる妹に対して、少しでも好影響があれば……ということだったのだろう。でも、その思惑は外れた。アイは父親にとって不要な存在となった。そんな空気を感じたのか、アイはボクにだけ心を許すようになっていった……。


「ボクのことはいい。お前たちはこの世界で、何をしようとしているんだ?」

 そう尋ねた後、ボクは眉を寄せた。「もしかして、実験……しているのか?」

「実験、じゃない。実証だよ」

「歴史で起きたことを、この世界で実証してみせるってことか……。だから土地の名前とか、人々の名前とか、ボクが知っている世界で起きたことと酷似する。でも、少しずつずれている部分もあるけど……」

「あの女が色々とちょっかいかけてくるからだよ。お蔭で、オレたちの実証が台無しにされかねなかった」

 苦々し気にそう語るのは、ジャンノのことだ。彼女は強大な魔法をもち、歴史にも介入してきた。きっとそれは魔王として、この世界を牛耳っている父親にとって、迷惑なことだったに違いない。

「そもそも、どうしてオマエたち魔族は魔法なんてものが使えるんだ? 人族は無能転生じゃないのか?」

「むしろ逆だよ。本来、誰にでも魔法はつかえる。でも、誰もその使い方を教えてくれない。だから扱い方も分からない。でも、そのオモチャの使い方が分かってくると、副作用があることも分かってきた。だから教えることはない。その結果、使える者が限られるようになっているってことさ」

「副作用……ボクにもつかえるのか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。車の運転を習ったって、上手い人と下手な人がいるだろ」

 ジャンノは呪い、と言っていたけれど、やはり副作用があるのだ。

「じゃあ、何で猩族は魔法をつかえるんだ?」

「副作用があっても、別に構わないだろ。動物なんだから」

 アイが総毛立っていく……。彼女は魔法剣士、魔法による副作用があると宣告されたようなものだ。

「本当は、猩族だけでこの世界を構築し、人類の歴史を丁寧になぞることによって、それは必然として起こることだと証明するために、この世界をつくった。ただ、それが起こるまでの進化、文化の発展を待っていたら、いつまで経っても結果が見えてこない。だから少々の魔法をつかえるようにして、歴史のすすみを早くしているのさ。お蔭で、もう少しで産業革命が起きるところまで来た」

「ちょっと待て。オマエがこの世界をつくったのか? 動物が亡くなって、この世界に送りこまれてくるようなシステムをつくったのか?」

「正確にいえば、間借りしているだけだけれどね。異世界転生ものでは定番、ありがちだろ。『あなたを異世界に転生させるけれど、何か一つ望みはありますか?』ってね。オレはそのとき、こうお願いした。『世界を下さい。自由にできる世界を一つ』ってね。だが、何をトチ狂ったのか、たまに別の世界に転生させるはずの人族が雑じってくる。ま、どうせ何もできやしないからいいんだけど……」

 ボクたちは、ちょっとした間違い、手違いでコイツがつくったこの世界に連れてこられたのか……。

「だから、人族が虐げられても放置か……。オマエらしい。しかし歴史の実証をするんだったら、誰もが暮らしやすい世界をつくることだってできたはずだろ?」

「それじゃあ、実証にならないだろ。中世まで奴隷は当たり前だったんだ。ここでは人族にその役を担ってもらわないと……」

 こういうヤツだ。自己中心的で、自分がいいと思うことで、他人がどれだけ迷惑を蒙っても気にしない。そんな奴に『世界を創れる』という権利を与えてしまったのだから、この世界は最初から不幸になるような仕組みを内包しているのだ。

「オマエは、この世界にどこまで関わっているんだ? ボクが転生した場所や、アイと巡り会えたのも、オマエの仕業か?」

「一々、そんなところまで調整しているわけ、ないだろ。大体、動物がこの世界に転生してきたとき、人化するのだって、人間みたいになりたい、という動物が多いからさ。誰かに飼われていたり、人間のことを見かけたり、動機は様々だろうが、その結果どの動物が人化して、人化しないか、なんて一々オレは知らないよ。どうもその想いが強いと、こっちでより強い魔法をつかえたりもするみたいだけれどね」

「さっき、魔法には副作用……みたいな話をしていたけれど、アイもそうなのか?」

「誰にどんな副作用があるか、なんて決まったものはないが、すごい魔法をつかえるみたいだな。すぐ死ぬんじゃないか?」


 ボクとアイを大聖堂に送り出した後、タマたちは魔族と向き合っていた。

「あの二人には何もするなって言われていたけど、アンタたちは別……だからね」

 金髪の魔族の少女は、そういってマスク越しにこちらを睨んでくる。主力であるアイと引き離され、魔族と対峙する。残されたメンバーも絶体絶命のピンチに陥っていた。

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