第46話 コマ送りのとき

   コマ送りのとき


 ペロンの街――。夕刻ぐらいに到着したので、そのまま宿に泊まることになった。この辺りはかなり標高も高く、宿には暖炉が常備されていて、夏の終わりのこの時期でも赤々と炭が燃えており、暖をとれるようになっている。それぐらい、夜は冷えこむのだそうだ。お蔭で建物全体が暖かい。

 ボクはやっと暖炉のそばで、背負ってきたロマを下ろすことができた。ナマケモノの猩属で変温動物であるため、ずっとボクの背中で眠っていて、暖かくて気持ちいいのか、起きる気配もない。食事はどうするのかと、シャビーがからかって口の前に食べ物をもっていくと、眠りながら口をもごもごさせ、それを食べている

「面白いッス!」

 シャビーはそう言いながら、どんどん食べ物を口にはこぶ。しかも、嫌いなものは食べないらしく、口の前に差しだしてもぎゅっとつぐんで開こうとしない。

「起きとるんちゃうか、これ?」

 リーンも呆れるぐらいだけれど、どうやら眠りながら行動するのは、元々ロマがもつ能力らしい。多くの動物でも、冬眠するものは浅い眠りをくり返す、とされるように、決してずっと眠っているわけではない。動物は浅い眠りにある状態でも起きているかのように動き回ったりもできるのだ。

「ここで寝かせておいて、私たちは部屋で休みましょ」

 タマとシャビー、それにロマが起きたらその部屋で、ボクとアイとリーンは別の部屋だ。ボクはあくまでアイのペットなので、ベッドではなく、傍らにマットレスを床に敷いただけの簡素なものだ。この国もペットには厳しくないけれど、あくまでペットはペット。アイはボクと一緒に寝たかったようだけれど、別々で寝ることにした。

 ここは東にアルパカ山脈からつづく丘陵地帯があり、朝は遅いのが基本らしい。朝寝坊しないように示し合わせて、ボクたちは寝た。しかし夜中、ボクは目を覚ましてしまう。やはり夜の冷えこみは厳しいのか……。ボクは寝息すら聞こえない、アイとリーンの二人を起こさないように気をつけながら、毛布一枚をもって、暖炉のあるリビングに向かう。

 すると、そこにロマの姿はなく、白くて長い髪をした高齢の人物がすわっていた。暖炉の火は消えているようだけれど、まだリビングは暖かく、ボクも「よろしいですか?」と声をかけながら、暖炉をかこむようにすわる。ここは宿なので、他の宿泊客もいるだろうし、出ていくのも失礼に感じたからだ。

「構いませんよ。私も暖炉に当たりにきただけですから」

 落ち着いた声音で、人族であることも気にしていないようだ。

「旅行者の方ですか?」

「ええ。あなたは冒険者ですか?」

「よく分かりますね」「眠っているのに、盾を装備していますからね」

「あぁ、これは外すのが大変で……。それに、ボクにこれをくれた人が『守り神です』と言ってくれたので……」

「盾が守り神ですか?」そういって相手は笑う。どうやら悪い人ではないらしい。

「旅行者は珍しいのでは?」

「私は吟遊詩人……とでも申しましょうか。各地を旅して、その土地土地で見聞きしたこと、面白い物語などを、語って歩いております」

 前時代的ではあるけれど、魔獣によって自由に移動することが難しいこの世界では、そうした職業も必要とされるのか……。

「では、あなたが興味をもちそうな話を一つ……」

 相手は背中からバンジョーをとりだし、それを奏でながら語りだした。

「万象の船~♪ ゆらり、ゆらり~、舳先そろわず~♪ そぞろ、そぞろ~……」

 不思議なリズムで、歌うような語り口だ。

「独り流離う、昧爽に~、濫觴つどう、数え歌~……」

 難しい言葉をつかうので説明しておくと、〝昧爽〟とは明け方のこと。〝濫觴〟とは物事のはじまりのこと。

「一つ、人影絶えて久しき、二つ、不辜の民草路頭に迷い、三つ、未踏の玉響ゆらゆらと、四つ、夜長は永劫に、五つ、巌は苔生すまで、六つ、夢幻は終わりなき、七つ、名無しの尋ね火に、八つ、矢羽根も折れ尽きて、九つ、この世を捨て去らん……」

「何だか、淋しい歌ですね。人影もなく、この世を捨て去るって……」

 相手はゆっくりと顔を上げて「その通りです。ここがそうなのですから」

「……え?」

「ここは時間すら止まった世界――。いいえ、時間という概念がプランク長さでまとめられ、私たちは十のマイナス44乗分の一、という単位に一枚一枚、描きこまれた絵を動かしているのと同じ。私たちは、これまでの一秒が永遠であり、わずかな時の流れしかない世界にいるのですよ」

 時間は常に滑らかに流れているように見えるけれど、光がプランク長さをすすむ距離にまとめられ、それが時間の最小単位であり、細切れになっているのだ。ボクらはその最小単位で、パラパラ漫画やアニメと同じで一枚、一枚に描かれた絵として繋がって動いたように感じているけれど、周りはほとんど時間がすすんでいない……。

 こんなことができる相手……、思い当たるフシもあった。

 ロマだ。さっきまでここで眠っていたはずだけれど、彼女以外でこんなことができる者を、ボクは知らない。イタズラでないとしても、彼女が何らか関わって、こんなことが起きていると想像できた。

「ここから抜けださないと……」

「そうですね。あなたは戻りたいでしょう」

 他人事のようにそう応じる白髪の老人に「アナタは一体……?」

「私は、元々この世界の住人なんですよ」


 さすがに驚いた。「もしかして、こんな世界にずっといるのですか?」

「だって面白いじゃないですか。私が歩いても、土埃も立ちません。きっと現実の世界では、一瞬ふわっと巻き上がるのでしょうが、そのころには私はもうその場にはいません。クッションを押しても、作用はあっても反作用はない。だから沈みっ放しです。手にしている毛布をもち上げてみてください」

 言われて毛布を上げると、空中にとどまったままだ。

「重力が毛布を落とすまでは、まだずっと先。私たちが作用を与えてモノを動かすことはできても、反作用がないので、モノはそこに留まりつづける。ちなみに、先ほど私が奏でていた音楽も、同じ時間空間にいるアナタには聞こえますが、元の時間にいる者にとっては、音が鳴ったことすら気づかないでしょう」

 声だったり、音だったりは聞こえるので、こちらが発するものは、こちらと同じ時間間隔で動いてくれるらしい。

「もどる方法はないのですか?」

「原因を突き止めれば、恐らくはもどれるでしょう」

 ロマをみつけろ、ということか。「ここに女の子がいませんでしたか? ナマケモノの猩族なんですけど……」

「私は知りませんね。この世界で『来る』ことは期待できませんから、心当たりがあるのなら探しに行った方がいいですよ」

 その通りだと気づいて、歩きだそうとしたが、ふり返って「あなたのお名前を聞いてもよいですか?」

「私は吟遊詩人のハーロウ。永遠の時を生きる者です」

 色々と聞きたいこともあるけれど、まずはロマをみつけよう。もしかしたら、そこから分かることもあるかもしれない。

 まずはタマとシャビーの寝ている部屋へ向かう。そこはロマの眠るベッドがあるけれど、その姿はなかった。

 タマは丸まって、シャビーはうつ伏せで寝ている。まるで静止画のように、二人とも動く気配がない。こういうときエロ系の作品だったら、胸を揉んでみよう……とか、色々とエッチないたずらを思いつくのかもしれない。しかし、これは〝時間が止まる〟作品すべてで同じことも言えるのだけれど、胸を揉んだところで柔らかくない。反作用がないので、弾力があるわけではないのだ。もしこちらが作用を与えて凹んだとしてもそのままで、ましてや胸が揺れるといったこともない。つまり時間が止まっている限り、どんなイタズラをしようと、快楽を得ることは難しいだろう。例えば見るだけ、で満足するならそれでもいいかもしれないけれど、相手を裸に剥く、ということすら難しくて大変なのだから、時間を操作する能力があるのだったら、もっとマシなことにつかった方がいい。

 次に、アイとリーンの部屋に向かった。ボクが出て行ったときと同じ、アイとリーンはそのままの姿で眠っていた。むしろ、ボクの眠っていたマットレスが、ボクの寝ていた姿のまま沈んでいた。ボクがこの部屋にいるときから、すでに時間は止まっていた……。

 もしかしたら、ボクは寒くて起きたのではなく、しっかりと眠ったことで起きた。そう思わざるを得ない。

 ボクはアイの寝ている姿を見下ろした。ここでボクがキスをしても、きっと彼女は目覚めてくれない。お姫様に問題があるのではなく、ボクに問題があるのだから、

 ロマの能力は、周りの者から時間を奪って、それを付け替えるというものだ。ボクがこれだけの速さで動けている、ということは、周りにいる者はそれだけ時間を遅くさせられている、ということ。むしろ彼女たちが起きられないのかもしれない。

 ボクは自分のつけている盾に目を落とす。そう、ボクには『守り神』がついているのだ。そして、ボクはそれを与えてくれたアイを守る、そう決めてここにいる。ボクが彼女を守るためにも、時間をもどす。この盾に、改めてそう誓った。


 ボクはリビングにもどってきた。そこにはまだハーロウがいて、バンジョーを奏でつつ、寛いでいる。

「多分、その楽器の音色を聞く者はいないのでしょうね……」

 ハーロウはにっこりと笑って「見つかりましたか?」

「いいえ。でも、この世界のことが何となくですが、分かってきましたよ」

「ほう、それはどういうことです?」

「恐らく、この事態を引き起こしているのはロマなので、ロマを探さないといけない……と思っていましたが、ちがいます。だって、ロマをみつけたところで、ボクが何かを働きかけたとしても、彼女がそれに気づくことはないでしょう。なぜなら彼女だって元の時間で生きているのですから。ボクが見つけるべきは、あなたが『この世界の住人である』といった、その意味です」

「私の言葉の意味、ですか?」

「あなたは自分の力でこの世界に来て、自分の力でこの世界から出ていくことができる……ということですよね?」

「そうではありませんよ。私はあくまでこの世界の住人です」

「なるほど……。でも、その言葉は通用しないのですよ。だって、この世界にいたら食べるものもない。草木は育たない、実をつけない。水は流れないから、溜まっているものを掬い上げて飲むしかない。この世界では食糧問題だけでも、生きていくのは厳しいんです」

 ハーロウは「ふふ……」と、含み笑いのようなものをみせた。「中々、変わった推理ですね。そういう切り口できましたか」

「最初におかしい、と気づいたのは、あなたが『吟遊詩人』を名乗ったことです。こんな誰もいない世界で、一体それを誰に聞かせる、というのです? あなたが詩人であり、その曲を誰かに聞かせるのなら、元の世界にもどらないといけない。そうでなければ、吟遊詩人なんて名乗っていないでしょう?」

 ハーロウは応じない。ただ、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見つめてくる。

「あなたはロマのことをとりこみ、その力をつかって、自分とボクを、この世界に引きずりこんだ。だからそうして余裕でいられる、でしょう? あなたは魔法使いですか? ロマを返してください」

 ハーロウは高笑いをしてみせた。「はーっはっはっは! なるほど、あなたのような無能な人族に、あの方たちが注目しているのか? 分かった気がします」

「あの方たち?」

「いずれ分かりますよ」

 そういうと、ハーロウの口の端がめりめりと割れて、首から胸の辺りにかけて、ぱっくりと開いた。その奥にロマがいるのがみえ、ボクはその見えている腕をつかんで、ぐっと引っ張った。ぬるぬるのその体がぬるっと出てきて、ボクはその体をうけとめたけれど、思わず顔を背けてしまった。

「あなたはシロナガスクジラ……いや、スナメリの猩族ですか?」

「ほう、そこまで見抜きますか。興味深いですね。私もあなたに興味を抱きました。あなたとはいずれまた……」

 そういって立ち上がったハーロウは、バンジョーに隠していた剣を抜き、ボクへ向かって突きだしてくる。ボクは盾でそれを受け止める。相手はそれ以上攻撃するつもりもないらしく、にこっと笑って「それでは」と告げ、ゆっくりと歩き去っていく。

 追いかけることもできたけれど、ボクは諦めた。実力差は歴然としており、敵うとも思えなかったし、何よりロマが臭かった。

「う、う~ん……。もう食べられませぇん」ボクはそんなロマの呑気な寝言に、思わず吹き出してしまった。


「そんな事件があったんや……。通りであまり寝た気がせんわけや。ふわ~……」

 翌朝、昨晩おきたことを説明すると、みんな眠そうな顔をしながら聞いている。やはり時間のすすみが遅くなっていて、寝不足になっているようだ。

「しかし、そのハーロウって奴、何者なの?」

「分からないですけど、魔族のマリアに、チュン助――、ムクが協力していたように、魔族に協力する猩族が、他にもいるのかもしれません」

 ロマを一呑みにし、その力を乗っ取ってしまうなど、絶大な力を感じさせるものだった。でもそんな冒険者のことは知らない、という。つまり彼は本当に吟遊詩人であるかどうかは別にして、あれだけの力をもちながら冒険者でない、ということは何らかの陰に隠れている存在、ということだ。

「私、もしオニさんが口づけしてくれたら、絶対に起きました!」

 アイはそう主張してくる。恐らく、時間軸がまったく異なるので、仮に起きたとしても、ずっと未来のことになったのかもしれない……。

「ロマはぬるぬるだった……というのに、全然そんな感じはないッスね?」

 シャビーのこの言葉が、すべての失敗の元だった。

「オニさん。もしかして……?」

「お風呂に入れたよ。だって、ぬるぬるだったし、臭かったし……」

「当然、服も脱がせましたよね?」

「ぬ……脱がせました。はい」

「もう知りません!」

 アイがぷりぷりと怒って、ぷいっと横を向いてしまった。でも、ボク一人たっぷり眠っていたことになり、周りを起こすのも気が引けたのだ。

「行きますよ、みなさん」

 馭者のモモが迎えにきてくれて、事なきをえた。ボクたちはペロンの街を一日で旅立ったのだった。

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