第44話 オオカミとキツネ

   オオカミとキツネ


 テッペン州、ダックスフントの街――。

 そこはテッペン州を治めるテッペン方伯がいる街であり、ボクたちはその居城に来ていた。白鳥の猩族であるテッペン方伯フィルは、見目麗しい容姿をもち、白くて美しい髪、ガラス細工のような白い肌、見る者すべてを魅了するだけのものをもっている。同性だけれど、フィルに会ったことをアイが嫉妬するぐらい、少女漫画からとびだしてきた美男子、というと想像がつくかもしれない。

 ただ生憎と、猩族というのはそれこそ発情期でないと異性を意識しないし、また哺乳類、鳥類など、元の動物によっても好みが大きく変わるらしい。それこそ元の種が近い方が子供もできやすいとされるので、誰もがフィルに惹かれ……というのでもないらしい。アイなど逆に、異性であっても惹かれることなく、嫉妬心もあるのか、ボクの近くにじっと控えて。会話すらかわそうとしない。

 今はリーンもシャビーも合流している。このダックスフントに残って魔獣退治をしていた二人だったけれど、まだ冒険初級者のリーンと、足技オンリーというシャビーなので、中々大変だったはずだ。ただ、ボクらが到着した初日にあらかたアイが退治していたこと。またこの街でフィルの護衛の任に当たる、冒険者のフラムが協力してくれたのが大きい。

 フラムはその初日、一緒に魔獣を討伐したときにみせた技がある。それは流水剣(ストリーム・ソード)という不思議なもので、彼女が手にする細身の剣に、ずっと水がまとわりついて、彼女が剣を振るうとその水が細く、鋭くなって伸びて魔獣を切り裂くことができたり、ムチのように使ったり、と自由自在にその水をあつかえるものだった。あくまでそれはスキルで、魔法ではないようだけれど、その強力なスキルによって三大冒険者に数えられる。もっとも、彼女はフィルの護衛という任に携わっており、今は冒険者というより騎士のようで、皇教派との対立が激しくなったことでフィルから要請される形で任につき、今もフィルの傍らにはフィルが立って、警戒の目を光らせる。

 ボクらは反皇教派の旗幟を鮮明にしてここに来ているので、フィルとも会えているけれど、内戦が始まっている今、ふつうなら会うこともできない立場なのが、反皇教派のトップであるテッペン方伯フィル、という相手だ。

「この辺りの魔獣を一掃していだたき、ありがとうございます。これで後顧の憂いなく、ペクチンに攻めこみ、一気にドリフ王を虜囚としたいと思います。そのときは……」

 ボクたちパーティーも一緒に……ということを言外に示している。ただ、タマは渋い表情を浮かべて応じた。

「でも、魔獣が増える。こんなことがこれまでありましたか? しかも、テッペン州の兵を、ここに縛りつけようとするかのような、このタイミングで……?」

「私の知る限り、これほどの魔獣に襲われたのは、今回が初めてです」

「魔族が近くにいると、魔獣が増える……といったアノマリーもあります。この辺りに魔族がいるのかもしれません」

 タマは脅しをかけるようなことを言う。それを言ったら、ボクたちがますますウグイス国に行きにくくなるはずだけど……。

「魔族……いるのですか?」

「それは分かりません。ですが、魔族が皇教と結託していたら……。テッペン州の兵をくぎ付けにするため、魔族を派遣した可能性はあります」

「う~ん……」これは戦争であり、兵を動かすのはトップの決断次第だ。しかし魔族という強大な敵を前にすれば、その決断にもためらいを生じるはずだった。

 タマは考えこむフィルに向けて、いきなりこう尋ねた。

「狼と狐の話を知っていますか?」


 不意の質問に、フィルも「あぁ、知っていますよ。この地方で伝わる寓話の一つですね」と応じる。

 それはこんな話だ。体の大きな狼が、小さな体の狐を子分としていた。狐は渋々と従っていたが、狼から「食べ物をもってこい」と命じられるとそれを果たした。ただ、狼は意地汚く、狐がもってきただけでは足りず、狐がとってきたところに行って自分も食べ物をとろうとするけれど、酷い目に遭う。

 ある日、狼と狐は一緒に農家の藏にある塩漬けの肉を食べにいく。狐は用心深く、自分たちが通りぬけた穴を、もう一度通れるか、試しながら食べるが、狼はそんなことお構いなしで食べ続ける。やがて農家にみつかり、狐は穴をくぐって逃げだすが、食べ過ぎた狼はつっかえ、逃げられずに農家に打ち殺された。

 狐はやっと自由になり、喜んだ――という内容である。

 フィルは「我々も、狐のように狡猾に立ち回れ、ということですか?」と尋ねた。

 ただ、タマは軽く頭を横にふった。

「この話の基本コンセプトは、欲をかいたら失敗する、強者に対しても上手く立ち回ろう、というところでしょう」

「その通りです。テッペン州はスカンク国や、かつて存在したロバ帝国により蹂躙されてきた歴史があり、恐らくそうした事実を元に、この寓話は生まれたのでしょう。だから我々も神聖ロバ帝国に対して……」

「いいえ。それではダメなのです、フィル殿。狼も狐も、結局は悪党の輩です。これは巨悪が倒れても、小悪党が残った、と読み解くべきなのです」

 タマはビシッと言った。「そしてこの話のおかしなところは、体の小さな狐が、狼が通れたぐらいの大きな穴を、ちょっと食べ過ぎたぐらいで通れるか、確認している点です。これは用心深さ、というか、病的な警戒心とさえいえるでしょう。偶々、狼が通れなかったのでめでたしめでたし、となりましたが、たらふく食べた狼と比べて、狐は警戒しすぎて少ない量しか食べられなかったマヌケ、となるでしょう。そして、これはそんな悪党同士のいざこざ、大胆な狼と、小心者の狐がいて、偶々狐の方が助かった、上手くいった、という説話でしかないのです」

 タマの言いたいことが分からず、フィルも顰を寄せた。

「いいですか? これは大胆な皇教と、小心者の神聖ロバ帝国、という構図なのです。そのどちらかを倒したところで、悪党がこの世界に残ってしまい、苦しみは残ってしまうでしょう。そしてこの構図の中に魔族もいる。利益なのか、何かの目的のためかは分かりませんが、魔族も協力している。だから、狼と狐、同時に倒さないと意味がないのです。私たちは、カナリア国のハリセンボンに向かいます。そこで、私たちが皇教と直接対峙してきます」

 タマははっきりとそう言い切った。かなり強引な理屈にも思えるけれど、確かに今回、彼らは皇教と掛け合って、自分たちの要求を通さなければ、勝利とはいえない。皇教派である皇帝カール五世と対決し、懲らしめたところで、問題が解決するわけではない。皇教を何とか懐柔しない限り、勝利といえないのだ。

「しかし、ハリセンボンを攻略できるのですか? 鉄壁の防御力をほこる、要塞ですぞ」

「何も、戦って攻略するばかりが勝利ではありません。私たちは話し合いに行ってくる。それこそ実績のある、冒険者アイのパーティーとして」

 フィルも気づく。冒険者アイのパーティーは、もうカナリア国に向かうことを決めているのだ、と……。そして、それは自分たちにもメリットがある、と訴えている。この辺りの勘は、やはり政治家であり、貴族社会でもまれてきたフィルであろう。彼はにこやかに笑みを浮かべながら

「なるほど、確かに皇教に直接訴えかけるのも必要かもしれません。我々は軍を動かせませんが、お願いしてよろしいですか?」

 タマも「私たちも微力ながら、お力を添えます」と告げた。

 狼と狐――。そんな寓話により、何とか神聖ロバ帝国の内紛に、深くのめりこむこともなく立ち去ることもできそうだけれど、それこそ二人のやりとりはタヌキとキツネの化かし合い、にしか見えなかった。


「話の途中、何度殺意が芽生えたか分かりません」

「ちょっと! 怖いこと言わないでよ」

 フラムは笑った。冗談とは思うけれど、フィルのことを護衛する立場であり、彼女にとってはフィルに逆らうタマに、殺意ではなく敵意ぐらいは抱いたのかもしれない。

「あんたがこの国に残っているのなら何とかなるでしょ。私たちは冒険者、国同士の戦争には関わりたくないのよ」

 フラムも冒険者だったのであり、それは共有できたようだ。

「アンタは、あのフィルをご主人様に択んだのでしょ。うまくやりなさいよ」

 タマはそういって船に乗り込む。ボクたちはマロン川を下って、ラーメン川に至り、そのラーメン川を遡上してウグイス国に向かう。ここでフラムとはお別れとなった。

「今の言葉、どういうこと?」

 ボクがタマに尋ねると、タマも肩をすくめつつ教えてくれた。

「冒険者にはメスがなる……。能力とか、度胸とか……。でも、いつまでも冒険者をやっているわけじゃない。いつかその旅を終え、家庭に入ろうと考える者もいる。彼女はフィルを自らの伴侶とさだめて、彼からの依頼をうけて護衛となったのよ。三大冒険者とされるほどの実力をもつ彼女が、そんな依頼、うけるはずないでしょ」

 そういう事情があったのか……。そんな甘いムードは一切感じられなかったけれど、常に傍らにいられる、そんな立場を彼女が選択した理由に結婚を考えているのだとしたら、それは冒険者としての潮時を考えたのだろうか……。

「せっかくお友達になれたのにぃ、残念ですぅ」

 ロマも神聖ロバ帝国に残る、というので、この船でラーメン川まで下って、ウィッスバーテンでお別れすることになっている。彼女の場合、アルパカ山脈を超えることができない、というので、これは仕方ない。

「でもオニさんの背中ぁ、あったかかったですよぉ。お蔭で三日間、ぬくぬくさせてもらっちゃいましたぁ」

「……もしかして、本当はくっついていなくても能力をつかえた?」

「はいぃ。寒かったので、誰かにくっついていたかったんですぅ」

 それでボクがおんぶさせられていたのか……。トレーニングだったと思って、納得するしかなさそうだ。

「でも、本当に惜しいわね。その能力」

「そない凄かったんか? 見た目からは想像できんわ……」

「私ぃ、本当はすごいんですよぉ」

 ボクは心の中で「別の意味でもね……」とつぶやく。

「本当にアナタ、背負って山ぐらい越えられない? ロマだって南の国に行きたいって言っているし」

 タマはボクのことをせっついてくる。これだけの戦力、手放すのが惜しくて仕方ないのだ。ただ、これまで体験したことのない三千メートル級の山々でもあって……。カペリン国では二千メートル級のイケイコ山を越えたけれど、迂回路をつかったため、千メートルぐらいの標高だった。つまり一気に二千メートルも限界を超えてくるので、大丈夫です、と気軽に答えられるものでもなかった。

「それぐらい簡単じゃないッスか」

「じゃあ、シャビーが背負えば……」

「アッシは足技をつかうッスから、背負ったら戦えないッス!」

 リーンの方をみると、手を振って「うちはアカン! ただでなくとも重い甲冑やし、背中には大刀を背負っとるからな」

 やはり、ボクが背負えば連れていけるけれど、そうでないなら無理、となる。そこは諦めてもらおう……そう思った矢先――。


「魔族が現れたぞ‼」

 船の上が一気に慌ただしくなった。ボクたちもとびだすと、舳先には頭からマントをかぶった、白いマスクに緑の模様が描かれた、魔族らしき者が立っていた。

 ボクたちに目を留めると「アンタたち、よくもやってくれたわね!」と、可愛らしい声が響く。ボクはすぐ気づいたが、どうやら妹のマリアではないようだ。魔族は『族』というように複数いるだろうから、マリア以外の魔族がいても、不思議ではない。アイもその声から、すぐにマリアでないと気づいたようだ。

 ボクとアイが前にでた。多分、それ以外のメンバーでは魔族に敵うはずもなく、しかも恐怖から身動きすることすら叶わないだろう。

「何の用だ⁉」

 ボクがそう呼びかけると、相手もボクを見すえて「アンタが、あの……」と呟く。どうやらマリアから話ぐらいは聞いているのかもしれない。

「せっかく、ここで魔獣を暴れさせ、兵を釘付けにしようとしていたのにィ~‼ まさかこの短期間で退治されるなんて、思いもしなかったわよ!」

 魔族は明らかにイライラし、癇癪を起しているようで、その様子から幼女のようでもある。ただ幼女だからといって油断することはできない。何しろその強大な魔力により、一個師団ぐらいでは太刀打ちできず、冒険者が束になってかかったとて勝てる見込みはまずない、といえるほどの力量差だ。アイはボクを守るために立ち塞がり、ボクは何とか対話でこの場を切り抜けようと、こうして前に出ている。

「それは悪かったね。でも、どうしてここの兵を釘付けにしようとしたんだい?」

「うっさいわねぇ。関係ないでしょ! でも、私はアンタたちのこと、どうするかって命令も受けていないから、どうするつもりもないけれど、今度、私のことを邪魔したら、どうするか見ていらっしゃい!」

 魔族が手を上げようとした。多分、それが魔法をかける予備動作――。ただ、その動きが遅くなっているのを感じた。

 これは……。ボクはすぐに気づいて、魔族へむけて突進する。多分、魔族は急にボクが素早く動いて近づいてくるので、無詠唱で簡単な魔法に切り替えたらしく、火の玉がボクへと襲ってくる。ただ、ボクには攻撃の威力を殺し、ある程度吸収してくれる盾があった。魔族の魔法なので威力は強いけれど、意表をつかれただけに慌てていたのだろう。ボクの盾でも耐えられるぐらいだ。

 ボクの手にする剣、中距離ぐらいの槍を突きだした。魔族は慌てて飛び上がって避ける。だが、そこを狙っていた者がいた。アイだ。アイはボクの後ろからとびだすと、真っ向からその剣を振り下ろす。魔族は堪らず体をひねってかわす……が、頭のフードの部分が裂け、つけているマスクにも亀裂が入ったけれど、致命傷にもならず、魔族は大きく飛び退いた。

「ち、畜生! 憶えていろよッ‼」

 魔族の少女は、裂けたマスクを気にするよう、ちらりと見えた金髪を隠し、悪党が退散するときに吐く捨て台詞を叫んで、高く飛んで消えてしまった。

 船の舳先で、ボクは安心したようにすわりこむ。恐らくあのタイミングでロマの能力が発動したのだ。ロマを抱えていなかったボクは、それに気づいて素早く動けた。三日間の特訓の成果がでた、といった感じだ。

「た、助かったよ……」

「こっちこそビックリですぅ。魔族に勝っちゃいましたぁ」

「勝ってはいないよ。でも、心胆を寒からしめただろう。きっとボクのスキルだと勘違いしただろうから、その点でもよかったかもしれない……」

 下手にロマが時間操作の能力使いだと知れると、危険なことになるかもしれない。ただ、一番驚いたのはアイだ。きっとロマの能力がかかっていないはずなのに、ボクの背後にぴたりとくっついて、しかも敵の動きを読んで、先回りしてみせた。ボクの動きに合わせたのだとしても、やはり優秀な剣士なのだ。

「見事だわ! やっぱり一緒に行きましょう。アンタ、おんぶでも抱っこでも、何でもしなさい。カナリア国に行きたいわよね? 行きましょう!」

 タマのキラキラした目が、ボクとロマの間を行き来している。ボクも捨て台詞を残してここから逃げたかったけれど、どうやらそれも赦されないようだった……。

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