第39話 恐怖に駆られて

   恐怖に駆られて


 夢を憶えている人は多いだろう。けれど、それは目覚める前の数秒、長くても数分のことでしかなく、長いストーリー性のあるものとして憶えている人は少ないはずだ。

 でもボクは、いくつか長い夢を憶えている。いくつか紹介すると、家で料理しようとトマトを手にとったとき、産地がどこ……? と気になると、次の場面はそのトマトの産地らしき場所にとぶ。葉物野菜を手にとって、前に虫がついていた……などと考えると、今度は虫についてのストーリーが始まる、といった感じだ。それはまるで神の手のように、ボクの気になったこと、考えたことによってストーリーがころころ変わる。決して一貫性のある物語になることはない。

 ちなみに、映像も行ったことのない場所、見たことのない風景でも平気でつくりだす。記憶にのこっている映像ばかりでない。似たような景色を参照することはあっても、そもそも映像自体を正しく記憶していることはなく、全体の印象は残っていても細かいところは補完されていることが多い。なので、例えば何度か行ったことのある祖母の家など、実際にはないはずの屋内駐車場などを夢の中ではつくりだしてしまうのだ。そこは大きな木があって、暗いトンネルのようになった場所であり、その印象から屋根のある屋内駐車場になってしまう。そういう転換はかなり頻繁に起きてくる。

 脳はあくまで断片として映像を記憶するだけ。一連の映像ではないため、場面、場面でそのときにふさわしい映像を当てはめる。そのため滅多にいかない公園での出来事を夢で再生したとしても、その公園の映像とは限らず、似たような公園の映像になっていることも多い。よほど強い記憶として映像と、出来事をむすびつけるものでないと、どこの公園だったっけ? などとなるのと、これは同じだ。夢だからそれを正しく思いだせる、といったこともなく、思い出そうとする力は起きているときと変わらないものだ。ただ夢の中ではすぐに代用してしまうので、行ったことのない場所、見たことのない風景、そういうものを一瞬にしてつくり上げてしまうのだ。


 チャムの精神世界――。

 ずっとどんよりと曇っているような、見通しの悪い状態がつづき、それはまるでブリテリ島の気候のようだ。

 彼女の中で断片的にみえる映像を整理してみると、彼女は生まれてすぐ、ペットショップのゲージに入れられた。扱いがよくなかったのか、あまりよい印象はなく、彼女の中では忘れたい記憶のようだ。

 そこに両親と娘、という白人の一家が現れる。娘はチャムを気に入ったらしく、おねだりによって、その一家の仲間として加わった。ただあまり裕福な一家ではないのか、彼女に与えられるのは専ら摘んできた草だ。

 一家が住んでいるのも、海外の集合住宅か……。日本でいうとアパートや賃貸のマンションとなるけれど、海外では百年近くたった建物でもリフォームして暮らすのが当たり前。古ぼけていて、所々に壊れたり、朽ちたりした箇所もあり、それほど豊かでないのは暮らしぶりからも明らかだった。

 両親の仲は悪いらしく、耳のいい彼女に、ケンカするときの怒声が残る。娘の前でみせることは少ないけれど、父親は働いておらず、また酒を飲んで暴れる性質のようだ。娘がウサギを飼いたがったのも、両親の愛情の希薄さも影響するのか……。娘はせっせと雑草を摘んで運んでくれるので、彼女の不満は少ないようだ。

 ある日、娘のいないときに父親から、耳をつかんでもち上げられる。暴れてもまったく敵わない。やがて木の板におしつけられ、激しい衝撃とともに、彼女の意識はそこでぷつん、と途切れた……。

 恐らく父親は、娘の育てていた大切なウサギを殺して食べたのだ。多分、チャムにそこまでの認識はない。ただ途絶した意識は、確かにその世界での終わりを告げていた。


 この世界にきてから、かなり意識が散らかっていて、取り留めがない。それは人化したことで、考えることが増えたためか……。そこに何らかのストーリーを見出すことすら難しいことのように思えた。

 ただ一貫するのは、魔獣への恐怖――。断片から推測すると、この世界にきて、すぐに魔獣と遭遇し、ひたすら逃げた……そんな映像が、時おりフラッシュバックのように差しこまれてくる。映像ばかりでなく、彼女の中で魔獣への恐怖と、そこから逃れたい、というのは常に意識されていた。

 迷子になる……確かにその通りだ。様々な感情、それは楽しいことばかりでなく、哀しいとき、辛いとき、そのときどきの感情の洪水に流されそうになり、意識を共有しているボクまで漂流しそうになる。

 その中で、彼女があるぴょんの諜報員になる出来事をみつけた。

 恐怖に震えて、怯える彼女に近づく人物……それはカーナーブンの領主、モデレイトのようだ。彼女はかつて軍に属し、その功績によって一代限りの卿としてカーナーブンの領主に任じられた、いわば勲功爵であり、そのときも魔獣に襲われて、追いこまれているチャムを魔法で救ってみせた。そのときからチャムの中で、国への依存とモデレイトへの信頼が高まっていくのを感じる。

「国のために尽くしなさい。仮にあなたが倒れても、それが多くを救い、多くを生かす。あなたが礎になるのです」

 モデレイトは何度もそういって、チャムに言い聞かせる場面があった。モデレイトのような軍人にとって、その言葉が命を賭けて任務を果たすことを正当化するものだ。その言葉がチャムの心を軽くし、この世界で生きる理由となっていく。彼女は死ぬことへの恐怖を、自己犠牲で書き換えたのだ。国のため、この世界で生きる者のために自分が死んでもいい、それが彼女の行動原理となった。

 モデレイトによって仕立てられた諜報員――。チャムの立場が大体分かった。これを知ることができたら、何とか説得できそうだ。

 ただその断片に、不自然なノイズが時おり雑じる。モデレイトへの信頼と同時に、魔獣から襲われる恐怖とが入り混じるのだ。彼女にとって、信頼と畏怖とが同時に去来するような、そんな不思議な感覚だった。この世界で生きる者は、どうしても魔獣への脅威に怯えないといけないけれど、それが彼女は過度であり、諜報員になった後もくり返し心的圧迫をうけているのが不思議でもある。

 魔獣に襲われる映像――。魔獣に襲われる映像――。魔獣に襲われる映像――。

 何だ、このフラッシュバックしてくる、それぞれにちがう映像は……。彼女は走力特化型の冒険者――、魔獣がいたって容易に逃げ切れるはずだ。ナゼ、こうして度々魔獣に襲われているんだろう?


「いやぁーッ! 開けて、出して‼」

「ど、どないなっとんねん⁈」

 リーンは船室のドアを抑えながら、そう叫ぶ。中からチャムが体当たりしてくるのを必死で押さえているのだ。

「だ、大丈夫なの……?」

 テトも不安そうにつぶやく。彼女は両手で横たわるオニさんの頭を挟みこむようにホールドしており、彼女の後ろにはジャンノがいて、その両肩に手を乗せている。

「集中しろっつぅーの! 今は心がかき乱されて、暴れている。ここで退けばこいつは帰ってこないっつぅーの!」

 ボクの手をぎゅっとにぎっているアイは「オニさん……」と呟き、祈るようにそのおでこに手をもっていくと、さらに強くその手をにぎった。


 どんよりと曇っている世界に、一筋の光明すらない。ただ時おり、魔獣に襲い掛かられる映像がフラッシュバックしてくるのが、唯一の光だ。彼女の中に、何も希望はない。ただ、そこに響くのがモデレイトの言葉――。

「国のために尽くしなさい。仮にあなたが倒れても、それが多くを救い、多くを生かす。あなたが礎になるのです」

 そのたび、闇のようにかかった靄が少し晴れるけれど、彼女の中でふたたび霞がかかってきて、その心を暗く閉ざす。

 どうやらボクも迷子になったようだ。チャムの心が整わず、出口というか、答えがない。ここで堂々巡りをするだけだ。彼女が心を外に向けてくれない限り、ボクにここを脱出する術はない。心の迷子――。

 そのとき、魔獣に襲われる彼女の背後に檻のようなものが見えた。そうか……。彼女は閉じこめられているのだ。だから、どんなに脚力、走力のある彼女でも、魔獣の脅威に怯えないといけない。

 その光景はよく憶えている。だって、そこはアンツブシー島でボクらが散々に探索しまくった、シルコ鉱山なのだから。その入り口に檻をたて、彼女は逃げ回っているのだ。何でそんなことに……。考えるまでもない。そこは初心者用の坑道、そこをつかうのは、初心者の冒険者を鍛えるためだ。

 彼女はそうやって鍛えられた……いや、心に深い闇を負った。この闇を晴らさないと、ボクはここから脱出できない。魔獣への恐怖を払拭できるもの……何だ?

 ボクらと旅をする場面をみつけた。それは彼女の中で、数少ない楽しいものだったようだ。諜報員という立場上、常に警戒している様子もあるけれど、ブサイクメンでの爆弾騒ぎなど、緊迫した場面ではあるけれど、彼女の中では楽しい思い出に代わっている。ただ、愉しさでは恐怖をぬぐえない。それは一時的に恐怖を忘れさせてくれるだけだ。

 でも……見つけた! ボクはその光明に手を伸ばした。


 ふと目を覚ます。すると、涙ぐんでボクの顔を覗きこんでいたアイが、すぐにとびついてきた。そのシッポをはち切れんばかりに振りながら……。

「よかった~……」

 テトもドッと疲れた様子で、そこに崩れ落ちる。

「帰ってきたってことは、何か見つけたっつぅーの」

 ジャンノの言葉に、ボクはしっかりと頷く。すぐにチャムの隔離されている部屋へと向かった。すでに大人しくなっているけれど、ボクの顔をみてやや怯えた表情になった。目を覚ましている彼女の意識の中に、ボクがもぐりこんでいたのだ。

「チャム……。君がどうして諜報員になったのか、理解できたよ。魔獣に襲われていた君を助けてくれた、モデレイトに鍛えられたんだね」

 チャムは部屋の隅で丸くなっている。この部屋にきたのはボクと、ボクを心配するアイだけだ。ボクは断ったけれど、アイが「絶対一緒に行きます!」と言って聞かなかったので、ついてきている。

「でも、君は勘違いしているよ。君を鍛える、といって彼女は君のことをシルコ鉱山に閉じこめて、君を恐怖で支配したんだ。恐怖と救い……多くの宗教でも、そうやって信徒を集めている、その手法でね」

 世界はいつか終わる、という恐怖――。そこに救いを与える神の恵み――。誰だって、不安やストレスを抱え、心が弱ることもあるだろう。そこに巧みにつけこんでくる。心が弱っていない者には、あえて苦痛を与える。修行や鍛錬などという言葉で、それをさせる行為がまさにそうだ。誰もがストレスから解放され、そこに安心感を得るとその教えを信じ、心を委ねてしまう。

 彼女は時おりそうやってストレスをかけられ、逃れられないようにされていた。それはあの言葉「国のために尽くしなさい。仮にあなたが倒れても、それが多くを救い、多くを生かす。あなたが礎になるのです」を実践するために……。

 だからボクの言葉はとどかないだろう。信仰によって裏付けられた心の形は、それこそ変えるのが難しい。でも……。

「君も気づいているだろ。ボクは君の意識の中にもぐっていた。そこにあったのは魔獣への恐怖と、そこからの救いとしてのモデレイトへの信頼だ。でも、本当にそうかな? 君を犠牲にすることで、あるぴょんという連合王国を保つことが、本当に正しいことなのかな? ボクはそう思っていない。ボクと、ここにいるアイは、この世界を変えようとしている。ボクたちが目指すのは、魔獣の脅威もなく、人族と猩族とが仲良く暮らせる世界――。

 君もアイと二人きりで冒険に行ったとき、気づいたんだろ? この冒険者アイは、魔獣などモノともしない。魔獣を駆逐することも可能なんだって。君が恐怖しない、国のために尽くすなんて馬鹿なことをしなくてもいい世界をつくれるんだって」

 それは有名となったアイが冒険をしていないとおかしい……ということで、二人で組まされて行った、魔獣退治のことを指す。

「君が頼るべきはあるぴょんという国じゃない。ボクと、アイと、そしてこのパーティーで成し遂げようとしている、新しい世界なんだよ」

 一度でとどくとは思っていない。でも彼女の中で、ボクはみつけた。アイに対する羨望と、希望を……。魔獣をあっさりと倒してしまう、その圧倒的な力――。だから彼女は恐れた。その力が、あるぴょんにとって脅威となるのかも……と。しかしボクたちに協力し、仲間となればそれは圧倒的な安心感につながる。彼女がそれに気づいてくれるまで、待つしかないのかもしれなかった……。


「オニさん、お疲れ様でした……」

 アイがボクのことをねぎらってくれる。

「ボクを導いてくれたのは、アイだよ」ボクの言葉に、アイも小首を傾げている。

「彼女の意識の中で迷子になっていたボクは、たった一つの道標をみつけた。魔獣を苦もなく倒してしまうアイのことをみつめる、その視線……。それは閉ざされていた彼女の心に、一筋さした光明、希望の光だったんだよ。それを辿ってボクはもどってこられた。それがなかったら、ずっと迷子だったよ」

 ボクがそういうと、アイがちょっと怒っているのに気づく。

「どうしたの?」

「だって。それってチャムの認識の中でのことじゃないですか。私と手をつないでいたからって言ってくれると思ったのに~」

 どちらもアイのお陰であるのだけれど、手をにぎる、という直接的な行為の方を重視したいらしい。女心は難しい……。

「アイと組んで冒険にだしたのは、正解だったということね……」

 タマも少し安心した様子だ。今はタマの寝ていた部屋に来ている。と言っても、ここはジャンノのプライベート船の上であり、広いわけではなく、ベッドの上にタマ、ボクとアイとルツが入れば、窮屈に感じるぐらいだ。

「これから、ボクたちはどうするかを決めなくちゃいけない」

「私は、もう……」

「このパーティーのリーダーはタマだ。それは経験だけじゃない。タマほど信頼のある冒険者はいないからだよ。今回は失敗したかもしれないけれど、毎回成功することなんてない。ブサイクメンでみせた見事な手腕を、また発揮してくれればいい」

 タマは立ち上がると、ボクのほっぺたをぐっと掴んできた。

「タマって呼ぶな! どうする、こいつ。お世辞までつかいだして、女ったらしに育っているわよ。アイも油断していると、私がとっちゃおうかしら」

「ダ、ダメ!」

 慌ててボクにしがみつくアイに、ルツは「あ~ぁ。またラブラブしてぇ~」と呆れたように呟く。神聖ロバ帝国で軍に追われたボクたちも、少しは平穏をとりもどせたかもしれないけれど、ボクには気になることがあった。それはこの世界にいる者たち、転生者は必ず死を経験している、ということだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る