第35話 寛大侯

   寛大侯


 神聖ロバ帝国――。

「この国が〝神聖〟を唱えるのは、この大陸でごく一般的となっているキリギリス教の皇教様から、直々に王統を継ぐ、としてみとめられるからよ。もっとも、その有りがたいはずの皇教様は、お布施さえしっかりと積めば、そのあり難い権利を与えてくれる、すばらしい考えをお持ちだけどね」

 タマは苦々し気にそう語るので、ボクも「嫌っている?」と尋ねた。

「別に。冒険者はあまりその教えを信じていない。キリギリス教は神と、その神の子である救世主の存在とを語り、その救世主によって世界は救われる、と説く。つまり王侯、貴族にとっては救世主から民を救うよう命じられた、民はそれに従わねばならない、という権利、権力の正統性を証明するシステムなのよ。民に世界は救われる、自分たちは報われる、という幻想を与えつつ、支配するためにある。

 冒険者はもっと現実的。名誉や名声のために冒険者を志す者もいるけれど、基本はお金稼ぎのため。神に無事を祈りつつ、魔獣を狩ってm、金を儲ける? 罰当たりも甚だしいし、そんな何でもかんでも救っちゃう神様なんてご利益もへったくれもない。だから私たち冒険者は、神なんて信じない。救って欲しいとか、救われたい、なんて思っている点で、冒険者を諦めるべきってね」

 なるほど、現実的である。神頼みするヒマがあったら剣をとって戦う、というのが基本戦術だ。だから冒険者は宗教を信じないし、信じたところで深くのめりこむ、といったこともないのかもしれない。

「なら、この国の住民も信徒?」

「そうよ。というか、この大陸の住民は大体そう。そうじゃないと、異端とか言われて暮らしにくくなるから、そうならざるを得ないのね。社会システムが信徒を優遇するよう構築されているって感じかしら」

 冒険者になるような者は、最初から異端の考えをもつ。そしてそれは転生者という立場でも同じ。前の世界で動物だった者はそもそも宗教的な考えなどもたないのだから、冒険者適性をもってここに来る。

 こうしてタマがボクに、この世界のことを色々と教えるのは、要するにこの世界の仕組みを知って、少しでも役に立て、ということだ。講義はまだつづく。

「特にそれがこの国では顕著。何しろ王様が、皇教権から王統を継ぐとみとめられることで成り立つのだからね。肝心のキリギリス教をしっかりと布教しておかないと、自分たちの正当性すら揺らぎかねない。ブサイクメンやハンバーグは、パンサー同盟という都市間の自由貿易組織をつくっていたように、現実的な考えも多かったけれど、これからはそうした宗教的なものを意識しないといけない。

 この国での立ち居振る舞いを憶えて、戦略を立てることも必要になるってことよ」

 前の世界のキリスト教のようなもの。ただし、そこに創世神話に当たる、この世界を構築した神話がない、とハンバーグの博物館でも指摘されている。それは新約聖書があるけれど、旧約聖書はない、という状態なのだろう。神の存在をみとめつつ、その神が何ゆえそう呼ばれるかも分からないまま、その神性にすがる。この世界の矛盾でもあり、それを戦略に組みこむのはかなり厄介とも思えた。


 この神聖ロバ帝国の首都、ペクチンにも軍隊が存在する。そしてそれが街中を行きかっていた。今はスカンク国とカペリン国が戦争状態にあり、スカンク国の隣国である、この神聖ロバ帝国でも臨戦態勢が布かれているからだ。

 ただこのペクチンは神聖ロバ帝国の東にあり、西で接するスカンク国とは遠く、まだ軍靴の足音は聞こえない。それでも経済も緊縮的となり、人々にとってもひしひしと高まる緊張を感じている。

 ボクたちは連合王国あるぴょんの都市、カーナーブンの領主モデレイトから、この神聖ロバ帝国を偵察するよう依頼をうけ、ここに来ている。その情勢をさぐり、戦争に対する神聖ロバ帝国の動きを伝える役目を負っていた。

「ここは首都だから、政治にも敏感で、街にも色々と噂はあるんだけど……」

「まだ政治の中枢の情報が得られていない?」ボクが尋ねた。

「そういうこと。だから、アイに名を売らせた。ここの貴族様に取り入るためには、名のある冒険者って体裁が必要だったからね」

「それで、コネクトできたの?」

「一応。貴族様は色々と裏ではつながりもあるからね。そのコネを辿って、やっと冒険者アイの仲間って体で、話を聞けることになっている」

 ハンバーグで一週間、冒険させた効果がここにきて出てきた、ということだ。

「私はテトと一緒に、貴族と会ってくる。アイとチャムは、この街から依頼をうけて、冒険をしてきなさい。簡単なものでいいわ。むしろ有名なアイが、冒険もせずにうろうろしていたら目についてしょうがない。アナタとシャビー、そしてリーンとルツはそれぞれ、私が指示するところにいって情報収集よ」

「何や、うちらは裏方か?」

「裏方どころか、本線よ。それはモデレイトから依頼されたから、わざわざこんなところまで来たわけじゃない。もし神聖ロバ帝国が参戦するとすれば、スカンク国は周辺の国に助けを求めるでしょう。そうなると、ここだって戦場となる」

「こ、怖いこといいなや……」

「本当のことよ。王家の血の盟約によって、神聖ロバ帝国とカペリン、それにヌートリアは同盟をくむのが確実。そしてスカンク国は、恐らくそうした帝国同盟を快く思わないカナリア国や、ネズミー国、オランウータン国を巻きこむ。

 そこに、スカンク国と遺恨のあるあるぴょんが帝国側として加わるのかどうか……。そしてカラカル同盟はどう動くのか……?」

「カラカル同盟?」

「北の四国と、ユトリランド半島の全シャーク国が組んでいる同盟よ。かつては共同統治って感じで、互いに争ったりもしていたけれど、有事には共同でコトにあたるし、神聖ロバ帝国の都市共同体であるパンサー同盟とは商売敵。ここが戦時に乗じて、神聖ロバ帝国にちょっかいをだすようだと、戦局は読めなくなる」

「複雑なんだね……」

「元が、この大陸に点在する小さな部族からはじまって、それぞれが肥大化し、国としてまとまりをもつ過程で武力を行使したり、陰謀を駆使したりして、離合集散をくり返してきた。歴史的な問題と、宗教的な問題、そこに血統や何やらがからんでくる。そうした諸々の情報をつかんで、さらにその先を読まないと、私たちも戦火に巻きこまれることになる」

「つまり、情報が大事ってこと」

 これはまだ小学生ぐらいの人族の少女、ルツが付け足した。どうやら弟子として、親方の意図をしっかりと理解しているようだ。

「アイはちょっと有名になりすぎて、その一挙手一投足が注目されるから、密会には連れていけない。チャムもあるぴょん臭が強すぎて……」

「え~。私、臭くない、だよ~」

「比喩よ。有名なアイがこの街に来て、冒険をうけないっていうのも角が立つ。だからチャムとともに街の外にだしておく。その間にアンタとルツで、とにかく街の情報をかき集めてきなさい。人族が一人でうろうろしていると問題もあるから、リーン、シャビーの二人は護衛、分かったわね」

「もしかして、タマはここで情報収集するって決めていた?」

「モデレイトから依頼をうけるまでもなく、戦争がはじまったのなら、前線に近いところで情報収集をするつもりだった。カペリン国にいた冒険者のように、その国にいるだけで否応なく戦争に巻きこまれたくはないでしょ。

 基本、戦争は軍がするものだけれど、冒険者だって戦力になるから、戦力不足を補うために依頼されることが常。断ってもいいけれど、国が危急存亡の秋、知らぬ存ぜぬ、で突っ張っていたら遺恨をのこすからね。事前に情報をつかみ、自分たちがどう行動するか決める。それがこの大陸で生きる冒険者の鉄則よ。……タマって呼ぶな!」

 偵察なんて難しい依頼を、よくあっさりとうけたものだ、と思っていたけれど、深謀遠慮の上だったようだ。こうした心構えが、タマを十年以上も冒険者として生き残らせてきた所以かもしれない。


 ボクはシャビーとコンビを組む。「手下とコンビなんて、正直不安ッス」

 シャビーはニワトリの猩族であり、赤い鶏冠のモヒカンスタイルだ。鳥の猩族は羽のシッポ以外で人族との違いが分かりにくいケースもあるけれど、シャビーをみて人族と思う者はまずいないだろう。

 やっぱり人族が単独で動いていると、色々と差し障りのある世界だから、シャビーがいると心強くもあるのだけれど……。

「あれ? 何でアッシはここに来たんでしたっけ?」

 三十歩すすむと直前に憶えたことを忘れてしまう、というのは何とも厄介なものだ。そのたびに説明し、納得してもらわないといけない。

「タマから命じられただろ。ここは貴族が集まる社交場。サロンだよ。聞き耳を立てて、ここで情報を得てくる、だろ」

 サロンというとかしこまった場所のように感じるけれど、前の世界でいうならは立食パーティー、もしくは立ち飲みの喫茶店という感じだ。中世の時代ではメディアがまだ発達しておらず、こうしたサロンが情報交換の場であり、国際的な情勢をつかむ上でも、大切なことでもあったのだ。通常はこうした場に一般人が入ることもできないけれど、そこは有名な冒険者アイのいるパーティーのメンバー、ということで参加を許された。タマが周到に根回しを行った結果、ということでもある。

「貴族様なんて、アッシには畏れ多いッス」

「そうだろうね……。とりあえずボクが話をするから、シャビーは後ろにいてよ」

 社会人を経験しているボクにとって、社交辞令を守ることなんて簡単だ。ただし、人族を殊更に忌避するような相手だと、それも通じない。それに、どういう相手に話しかけるか、という選択が大事となってくる。

「ちなみに、偉そうな人はフュルストっていうッスよ」

「どういう意味?」

「広い土地をもっている、不動産屋って意味ッス」

「ははは。フュルストは侯爵という意味ですよ」

 そういって話しかけてきたのは、恐らくヒツジの猩族で、紳士然とした男性だ。側頭部の上の方から、下向きの、渦巻き状の角が生えている。

「侯爵というと、領地を治める方ですか?」

「そういうことです。王から領地を与えられた、私はマニンゲン侯、マルティン」

「私は冒険者アイのペットです。こちらは冒険者シャビー。アイと同じパーティーで、人族ですが、私もサポートとして加わっています」

「おぉ、あなた方があの……」

 どうやらアイの名声はこの街まで轟いているようだ。それはそうかもしれない。ベロンチュトリュフ侯は、フュルストではなく土地の有力者としての侯爵家であったが、それでも侯爵としてのつながり、情報は共有されているはずだから。船で一日もあれば行き来できてしまう距離にあり、また鳩による伝書も一般的なここでは、情報の伝搬は前の世界と引けもとらないほどであった。

 ヴォートスルゼ城の解放と、その後の手際で誰一人処刑することもなく、丸く収めた手腕とが評価されている。もっとも、アイの寸劇が注目された面もあるが……。

「おぉ、テッペン方伯がいらっしゃったぞ」

 そういう声が聞こえ、歓声が上がる。そちらをみると、サロンの衆目を一手に集めるほどの者が、扉を開けてサロンに入ってくるのが見えた。

 それは恐らく白鳥の猩族であり、純白の髪をした眉目秀麗な男性だった。


「このサロンの中心人物ですよ。テッペン方伯、フィル様です」

「サロンの中心人物? まだお若い方ですよね?」

「父のテッペン方伯、フィリップ様から継いだのですよ。でも、父の代からの方針を引き継いで、我々をまとめている。優秀な方ですよ」

 マルティンがべた褒めするほどだが、すらりと背が高く、見目麗しい美男子でもあって、確かにその容姿だけで周囲を納得させるほどのものをもっていた。

 テッペン方伯のフィルは、こちらに気づいて近づいてくる。

「マルティン様、こちらは?」

「冒険者アイのお仲間の方々です。ハンバーグのベロンチュトリュフ侯からもご推挙いただきましたが、私からもこのサロンにお誘いしました」

 なるほど、このマニンゲン侯マルティンが、タマがコンタクトをとった相手だったのかもしれない。だから場違いなボクたちにも話しかけてきた。

「冒険者アイというのは、稀有な力の持ち主らしいですね」

 優し気な笑みを湛えつつ、フィルはそう語りかけてくる。もしボクが初心な女の子だったら一発でオチてしまいそうなほどの美形……、爽やかフェイスだ。生憎と、同性なので……と言いたいところだけれど、同性でもオチてしまいそうになる。

「稀有、といっていいのか分かりませんが、この世界でも少ない魔法剣士であり、魔法と剣士の二つとも高い実力をもっています」

「それは素晴らしい。しばらくここに逗留するのですか?」

「まだ決めていません。今のところ、スカンク国とカペリン国が戦争状態にあり、私たち冒険者も、行き場にあぐねていて……」

「なるほど。では、ここでお仕事を請けるつもりもある、と……?」

 来た、来た……。そう、ボクたちはテッペン方伯フィルと話をするために、このサロンを訪ねて来たのだ。それは彼が中心人物として、不穏な動きがある、という情報に基づいており、それを確かめるつもりだった。

「そうですね。むろん、報酬と内容次第ですが、よい依頼であれば……」

「今度、私の屋敷でお話ししましょう。そのときはアイも一緒で……」

 それだけを告げると、忙しそうにフィルは別の人物らに、挨拶をして回っている。

「フィル様は寛大侯とも呼ばれており、人々から慕われておいでです。こちらに声をかけてきたのは、十分に脈あり、ということですよ」

 マルティンはそういって、うっとりとその姿を眺めている。同性でもメロメロにしてしまうらしい。

「慕われているッスか? あれで?」

 シャビーはそんな失礼なことを言う。「かっこよかっただろ? シャビーは年中発情期とか言って、惹かれなかったのか?」

「興味ないッス。アッシも同じ鳥の猩族。ちょっとは惹かれるかと思ったッスけど、まったく何も感じないッス」

 美形に興味なし? シャビーは女性であり、どうもフィルは異性より、同性の方が強く響くタイプなのかもしれない。

 ただそれ以上に、テッペン方伯のどこか目つきにも鋭さを感じる、決意が見え隠れすることが気になった。それは神聖ロバ帝国が激動していることの証左でもあり、世界が動きだそうとすることを意味するのかもしれなかった。

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