第34話 眠り姫の起床

   眠り姫の起床


 船が着岸し、ボクらが船から下りるとそこにルツが待っていた。

「ご苦労様、ルツ」

 アイがそういって頭を撫でてあげる。一応、ルツはアイのペットという位置づけなのだけれど、最近ではタマの手伝いをすることが多くなっている。タマも色々と教えており、それは師匠と弟子、という関係にも見えた。

「親びんはどこッス?」

 ニワトリの猩族であるシャビーがそう尋ねる。こちらはタマのことを親びんと呼ぶが、私情と丁稚という感じだ。

「後で案内する……って、誰?」

 ボクに背負われて船を下りてきた少女をみて、ルツも目を丸くする。

「ハンバーグの街にいられなくなったんで連れてきたんだけど……」

 そう、それはテトである。船酔いをしたらしく、ぐったりとしているので、仕方なくボクが背負っているのだ。どうやら船べりで丸くなっていたのも、船が嫌だったらしい。

「ハンバーグでの出来事は、こっちの街にも伝わっているよ。タマさんは『やり過ぎ!』って怒っていた」

「知名度を上げるって、その匙加減が一番難しいんだよな……」

 ボクも苦笑いを浮かべる。アイの知名度はこの神聖ロバ帝国でもうなぎ上りで、目立ち過ぎというのはその通り。それは隠密行動をさせにくくさせる。

「大きな街やなぁ~。マッチョロードとは、またちがった威容をほこっとる」

 リーンはお上りさんのように、辺りを見回している。彼女はカペリン国と、オクトパス国しか知らないので、見るものすべてが新鮮、という感じだろう。確かに、このペクチンは神聖ロバ帝国の首都というだけに、その繁栄は目を見張るものがあった。古い街並みに、新しい技術が融合した形であり、中心部と思しき場所には巨大な塔が立っている。それはパセリーナでみた未完成の塔のような、芸術的、文化的なものではなく、実用的な避雷針、もしくは電波塔として用いることもできる形状そしている。

 ルツの案内で宿屋にむかう。そこにはタマが待っていた。

「誰が寸劇を演じろって言ったのよ。お蔭で、ペクチンまでアイの噂が轟いているわよ」

 そう指摘されたアイだけれど、眠そうに目をこすりながら「オニさん、横になってもいいですか……?」とボクにすりすりするので、ボクが頷くと、ベッドの上に座っていたボクの太ももに頭を乗せて、すぐに眠ってしまった。

 昔からボクに体をくっつけていると、すぐに眠ってしまったが、今は止める間もなかったほどだ。

「このメンバーの中で魔法をつかえるのは一人だから、ずっと気を張っていたんでしょ。いいから寝かしておきなさい」

 タマはそういう。彼女は魔法使いであり、魔力の流れがみえるのでバトンを渡した、という感じだろう。そのタマは、ボクが背負ってきたテトを見下ろす。

「それにしても、マインド操作系の魔法使いなんて驚きだわ」

「この世界でも珍しいの?」

「実感をともなうほどの幻影をみせる……なんて、そこまで強力なマインド操作魔法は聞いたことないわよ。

 船酔いをしているテトは、布団にもぐってじっとしている。

「もしかしてこの花が関係するんじゃないかって、アイが疑っているんだけど……」

 ハンバーグでベロンチュトリュフ侯に渡した花の、残りをタマに渡す。

「見たことないわねぇ。ルツ、図書館に行って調べてきて」

「ラジャー」

「それとシャビー。ルツの護衛と、この街の案内をしてもらいなさい。三十歩すすむとすべて忘れちゃう、なんて言っていたら、単独行動もさせられないからね」

「りょ、了解ッス」

 やっぱりルツが弟子で、シャビーは丁稚という感じで、二人はでていった。

「あんた、学校に行っていたの?」

 タマはテトに話しかけるが、彼女は答えない。

「この世界にも学校があるの?」

「あるに決まっとるやないか!」

 ボクの間の抜けた質問に、リーンが応じた。この世界で世代を重ねる猩族もおり、学校があって然るべきなのだけれど、完全に失念していた。ただ、転生してきた猩族はあまり通うことがないのだそうだ。それは前の世界でも、ある程度の年齢を重ねてきたこともあって、動物にある子育て期間を経ているケースも多いから、だそうだ。

 しかしテトはあれだけの魔法が使えるのだから、転生者と考えられるけれど、学校に通っていたという。

 それはこの世界に現れたとき、彼女はまだ小さかったことを意味するのかもしれない。そしてそれは、世代を重ねると能力が消えていく、とされるこの世界で、チート的な能力をもつ異端として周りに映った。いじめの原因はそんなところか……。

 ボクが布団にもぐっているテトの足をポンと叩くと、やっと顔をだした。

「私、この力のせいで虐められて……。それはそうよね。友達になるのだって、私に操作されているせいかも……って思ったら、もう友達じゃいられない。そのうち薄気味悪い、近づかないでって……。それがエスカレートして、反撃のために禁止されていた魔法をつかったら、学校も追いだされて……。もう、こんな世界は嫌!」

「それであの屋敷に引きこもった? でも、あそこに行くのも大変だったろ?」

「私、魔獣からも無視されるし……。あそこにいたら、何だか知らないけど、魔獣も近づいてこないし、引きこもるにはちょうどいいな……って思った。でも、もう魔法なんてこりごり。使いたくもない」

「どうだか……。魔法は強大な力、物事の道理を変えてしまう力、その誘惑に耐えきれなくなるのも道理。だからアンタも、禁止されていた学校でつかったのでしょ? 子どもみたいだけれど、その分別もつかないうちは、アンタのことを信用できないわ」

 タマは屹然とそう言い放った。ただ、すぐに言葉をつづける。

「だから、私たちと一緒にいなさい! アンタもこの子の魔法をうけたから分かるでしょ。この子は世界を変えてくれる……かもしれない。力の使い方を覚えて、アンタもこの子に協力しなさい」

「…………へ?」

 テトも驚いた顔をしている。ボクたちも驚いて、タマの顔をみた。

「私たち、世直しの旅をしているの。この子はこれまで、目標をもっていなかった。なのに、今はこの世界を変えたいって目標をもっている。アンタも社会が嫌になって、世捨て人になったのでしょ。なら、そんな引きこもっていないで、私たちの世直しに協力しなさい。そうすれば社会そのものが変わってくれるわ」

 タマは前もそんなことを言っていたけれど、一度死に掛けたことで、それを隠すことなく語るようになったらしい。今はボクの太ももを枕にしてスヤスヤと眠るアイだけれど、知らずに祀り上げられているようだった。


 アイはゆっくりと目を開ける。黄昏時の淡いオレンジの光が射しこんできて、彼女のゴールドといってもいいほどの赤毛を美しく染め上げる。

 夢うつつなのか、ふと顔を横に向けて、そこにいつものオニさんの優しい笑顔をみつけ、安心したように軽く微笑む。寝ぼけ眼で体を起こし、腕を前に伸ばしてぐっと体を前かがみにして逸らせ、今度は上半身を後ろに逸らせてエビ反りにし、下半身をグッと伸ばす。犬はよく丸まって眠った後で、こういう体の伸ばし方をする。多分寝ぼけて、ボクの姿をみたことで前の世界でしていたことを踏襲している感じだ。

 でも少しずつ意識がはっきりしてきたのか、不意にハッとして、辺りを見回す。

「あの……みんなは?」

「観光にでかけたよ。テトも仲間になってくれるっていうし、リーンはこの街が初めてだっていうしね。それと、テトが暮らしていた屋敷の外に咲いていたあの花は、どうもよく分からないそうだ。植物図鑑にも載っていなかったって」

 アイが眠っていた間の出来事を、かいつまんでそう伝える。

「もしかして、オニさんは私のために……?」

「太ももが占領されちゃったからね。それによく寝ていたから、起こすのも可哀想だったし」

「あわわ、ゴメンなさい」

「気にしなくていいよ。タマも言っていたけれど、魔法使いは自分一人だから、テトにマインド操作系の魔法をつかわれないよう、ずっと気を張っていたんだろ? 昔からボクの太ももに体をくっつけていると、よく眠れたみたいだし……」

「でも、オニさんも観光したいですよね。今から……」

「タマたちが夕方にはもどってきて、アイが起きたら夕飯にしようって言っていたから、ここで待っていよう」

 アイは申し訳ない、と思ったときは耳が後ろに倒れて、目を細くする。よくこの表情を犬の笑顔、という人もいるけれど、笑っていないことは間違いない。だから、ボクは頭をぽん、ぽんとしてあげる。申し訳なく思う必要なんてないんだよ、ということを伝えるために。今では言葉が通じるけれど、当時はそれで会話となった。

「何か、あのころのことを思い出します。オニさんが家の外にいると、私は気になって、気になって……」

 アイは自分で玄関のドアを開けられた。鍵さえかけていなかったら、いつでも外に行けたのだ。ただ、ボクが「開けたらダメだよ」と言っていたので開けなかった。それでも、ボクが庭にいると、アイが外に出てきてしまうこともあった。そのとき、みせたのが今の顔だ。やってはダメ、ということをしてしまって、困っている顔――。しかしボクは、いきなり怒ることはなく、ダメ、というのをくり返したり、続けたりしたときだけ、ビシッと言うぐらいだ。大抵は一度でアイも止めたので、そこで終わった。そのときボクが「ダメだよ」と言いながら、困り顔のアイの頭を優しくポン、ポンとしたものだ。ちゃんと止めてくれたから、ボクはもう怒っていないよ、と。

 ボクはアイのことを一度だけ、怒ったことがある。それは外にいるとき、呼んでももどってこなかったときだ。危ないことだってあるかもしれない。普段、散歩のときにも制約することはなかったけれど、きちんと指示をだしたとき、それに従ってもらえないと、アイを守れなくなるから怒ったのだ。

「ボクが怒ったときのこと、憶えている?」

「憶えています、憶えています。私はそのとき、まだ子供で、もう少し遊びたいって気持ちが押さえられなくて……。呼ばれたのを無視したんですよね」

「怒っている意味、分かった?」

「オニさんはどうして怒っているか、きちんと説明してくれましたから。言葉は通じなかったですけど、ちゃんと分かりました。外は危ないから、外にいるときは指示をだしたときに従うようにって」

「やっぱり理解してもらえたんだ。それ以降、絶対にアイは『おいで』というと、飛んでくるようになったもんな」

「でも、オニさんはリードをほとんど外さなかったじゃないですか。私は、それが嬉しかったんですよね」

 アイは少し遠くをみるよう、窓の外に目をむけた。

「オニさん。これぐらいの暗さのとき、金網をくぐって入った、あの広場のことを憶えていますか?」

「広場? どこだろう……?」

「その日は人がほとんどいなくて……」

「あぁ、お正月の、学校のグラウンドに入ったときだね」

 アイはそういう広場のようなところに行ってもマーキングすることはなかったので、その点は心配なかったけれど、普段は教師が残っているので、校庭に入ることはなかった。お正月だから誰もいない、とこっそりと忍びこんだのだ。

「オニさんと追いかけっこして……」

「追いかけっこになっていたのかな? ボクは必死でアイを追いかけたけど、全力で走られたら、絶対に追いつけないよ」

「私だって、全力では走りつづけられませんから。でも、オニさんはリードを握ったまま、私の走りにもついてきてくれて、すごい楽しかったんです。逆に、リードは絶対に放して欲しくなかったです」

 自分がやることに相手もついてきてくれる……、それは嬉しいはずだった。だからアイは常にボクをチラッ、チラッと見てきた。ボクがちゃんとみている、リードを握っていてくれるから、やっぱり遊んでいても楽しいのだ。それは小さい子供でも同じ、一人で遊ぶのではなく、みていて欲しい。そして共有したい。リードでつながれたボクたちは、まさにそうやって遊びを共有していたのだ。

「一度、オニさんから怒られて、そのとき気づいたんです。遊びっていうのは、私一人でするものじゃない。やっぱりオニさんがいて、一緒に遊びたいって」

 アイは小さい頃、ペットショップのゲージにずっと一人でいたためか、ボールを与えても一人で遊ぼうとしかしなかった。でも、ボクがそれを奪って壁にぶつけ、それを追いかけるようになり、少しずつボクとの遊びを憶えていった。そんな経緯もある。リードから離れたときもちょうど、そんな端境期にあった。

「オニさんが真剣に怒ってくれて、外には危険もあるから、ちゃんとオニさんの目のとどくところに居ようって……。でも、そのうちオニさんと一緒の方が楽しいって。絶対にリードを放して欲しくないって」

「だから、散歩もボクとしか行きたがらなかった?」

「そうです。他の人は威張り散らすのに、全然走ってくれないし……。いつも走ったら私の方が速いって。オニさんはボールをみつけたら、それで遊んでくれるし、走ってもくれる。それにオニさんは『散歩に行きたい!』と私が言っても、全然怒らなかったし……。もうオニさんがいないときは、全然楽しくなかったです。オニさんが家にいて、夕方になったときはもうそわそわして……。いつ言おう、いつ『散歩に行こう』って言おうって」

 それでも、アイはちゃんとボクの時間があるとき、大丈夫そうなときに声をかけてきた。彼女なりの気遣いもあったのだ。

「他の家族は、自分が気に喰わないと怒りだしたもんな」

「オニさんは、怒ったときもちゃんと仲直りするチャンスをくれた。最後はゆるしてくれた。だから、私は近づいていけるんですよ」

 さっきの困り顔を浮かべても、ボクからは離れていかない。むしろ困ったときこそボクには近づいてくる。何があっても、ちゃんと言おう、隠し事はなしにしよう、として何でも話してくれる。

 だからボクも、アイとは心を通わせることもできた。アイがボクの言うことを理解してくれるように、ボクもアイが何を求めているか、気づくこともできた。

「オニさんは、私の中で理想の人――。強くて、頼もしくて、優しくて、こんな人についていきたいなって……。だから私はついていきます!」

 そのとき、ドアがバンと開いて、ボクとアイは驚いて思わず抱き合ってしまった。

「ほら、この子は特殊でしょ? 世の中、変えそうでしょ?」

 タマの言葉に、周りにいるリーンやチャム、シャビーやテトもうんうんと肯く。

 最後にルツから「ラブラブなんだよ」とトドメを刺され、ボクとアイはもう落日して暗くなっているのに、真っ赤になったことを隠すため、布団にもぐりこんでしまった。

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