第32話 ヴォートスルゼ城

   ヴォートスルゼ城


 ヴォートスルゼ城――。かつてはそこまでハンバーグの街の敷地だった。かつてハンバーグの街を治めた領主が建てた城であり、郊外にあることから、魔獣が現れて危険が高まるとこの辺りは放棄された。今では魔獣の巣窟であり、それを退治するためにボクらはここまでやって来た。

「魔獣がいるっちゅう割に、建物は随分としっかり建っとるやないか」

 リーンが洋館を見上げてそう呟く。敷地は鉄柵で仕切られており、そこから百メートルぐらい先に建物がみえる。石組みの、中世以前に建てられたお城、というより木造で所々に漆喰や煉瓦をつんで補強しており、防御目的ではなく、あくまで人が暮らすために建てられたもののようだ。当時としては珍しい三階建てであり、郊外にこんな建物があったら、さぞかし威容を誇ったことだろう。今では人がおらず、それだけ建物は朽ちやすいとされるけれど、外観からみる限り、傷みも少なそうだ。

「何か……臭い」

 アイはそういって、眉を顰める。どうやらアイの嗅覚は格別によいらしく、逆にその敏感さによって海アタリを起こしたぐらいだ。建物の周辺には、見たこともない可憐な花も咲いており、その匂いかもしれない。

 敷地に入るときも、金属製のドアが錆びついていて、苦労してそれをずらし、くぐるようにする。ただ建物の前までくると、使われていないという割にドアも壊れておらず、カギはかかっていないので、リーンが押し開けた。

「雨漏りしたり、床が抜けていたりせん分、探索はし易そうやな」

「子分はただでなくとも重いんスから、落ちても引っ張り上げられないッスよ」

 一言多いシャビーを無視して、リーンは一歩中に踏みこむ。埃も溜まっておらず、まるで昨日までふつうに誰かが暮らしていたような、そんな美観をたもっている。目につくところには魔獣もおらず、ホールとなったそこは、社交場でもあったのだろう。正面に左右へと別れる階段があって、洋館と呼ぶにふさわしい造りだった。

「魔獣、おらんやないか!」

 緊張していたのにはぐらかされ、拍子抜けしたようにリーンも呟く。

「そんなビクビクしてぇ。饅頭怖いッスか?」

「なんで饅頭やねん! 饅頭なんて、怖ないわッ!」

 それは落語、怖いものを問われた男が「饅頭怖い」といい、豪胆なその男の心胆を寒からしめようと饅頭を食べさせる、という話だ。その男、実は饅頭が好物で、まんまとタダで饅頭を食べることに成功する、というのが話のミソである。

「高難度のダンジョンなんやから、魔獣に警戒して当然やろ。探索するで」

 リーンを先頭に、シャビーを前衛に、ボクが中盤、アイが後衛という陣形をとって、屋敷の一階を探索する。アイを最後尾にするのは、やはり後ろから襲われるケースがもっとも危険だからだ。それにアイは魔法剣士。通常の戦闘でも、魔法使いを後方におくように、魔法という遠隔攻撃を可能とするアイだから、後方からでも前衛のサポートがし易い。しかし、やはり魔獣はおらず、むしろ静寂がそこを支配する。

「魔獣、いないッスね。お出掛け中ッスか?」

 アイたち猩族は、聴覚や嗅覚などが格段にすぐれている。そんな彼女たちが何も感じない、というぐらい、ここには気配すらなかった。

「最近、ここを冒険する者もいなかった、というから、いつの間にか魔獣もいなくなっていたのかな……?」

 ボクも首をかしげる。しかし魔獣がいないことには、冒険をすることもできない。ふたたび入り口のホールにもどってきた。

「魔獣はじっとしとらんはずやから、こんだけ歩いて探し回ってもみつからんかったら、ここに魔獣はおらんわ」

 この敷地を隔てる柵ぐらいなら、魔獣は簡単に飛び越えてみせるだろう。きちんとドアが閉まっているし、窓一つ割られていない。それはもう、ここには魔獣の脅威がないことを示していた。

「魔獣なんて怖くなかったッスけど、いなかったら仕方ないッスね。ここは涙を呑んで、帰ることにしようッス!」

 シャビーがそういった刹那、ホールの床がぐらぐらと大きく揺れ始めた。それは地震……ではない。床そのものが、自らバラバラになろうとして動いている、という感じだ。実際、そこにあったタイルが崩れ、そのまま床全体が奈落へと墜ちる。あっという間にボクらは全員、暗く深い穴に飲みこまれてしまった……。


 目が覚めると、そこは大きな立坑の底、という感じだった。

「ボクは助かった……のか?」

 その声に答える者はいなかった。何しろ、目の前には巨大な二足のドラゴンが立ち、まるで肉食恐竜のような、大きなアゴをこちらに向け、その向こうにある、つぶらとは言えない目でじっとこちらを睨むからだ。

 まさか、奈落の底にいるこの魔獣が、お城に巣食う、退治すべき対象か? そうだとしたらとんでもない。何しろ魔獣というレベルですらなく、まるで別の世界の生物がここにまぎれてしまったような、そんな印象すらうけるからだ。

 辺りを見回すと、リーンもアイもいない。ただ遠くで、シャビーが仰向けにひっくり返っているのが見えた。

 このT・REX似のドラゴンに喰われてしまったのか? ボクぐらい一飲みするぐらい巨大で、ここの主だ。どれぐらい落下したのかも分からないけれど、気を失っていたら冒険者といえど、一溜りもなかっただろう。

 今はとにかく、この窮地をいかに乗り切るか? そしてそこに倒れているシャビーをどう助けるか? を考えないといけない。盾と小ぶりの剣一本で、たった一人でここを乗り切らないといけないのだ。

 ドラゴンは大きな頭をぶるんと振ってきた。その顎で吹き飛ばされるだけでも大怪我だ。ボクは慌てて避けたのだが、ぐるんと体を一回転させて、その長いシッポが今度は飛んできた。ぎりぎりのところで盾をかざし、直撃を避けられたが、大きく壁まで吹き飛ばされて、そこに叩きつけられた。

 痛いけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。ドラゴンはそこに仰向けで倒れているシャビーには気付かないのか、ボクだけを狙ってくる。

 左の上腕に固定されている盾も、魔石を付加した魔装具だ。今の一撃で死んでいてもおかしくなかったけれど、威力をだいぶ下げてくれたらしい。アイがボクのために造ってくれた盾であり、一緒に戦っていると感じる。今はどこにいるかも分からないけれど、きっとどこかで戦っていると信じ、今は自分がこの苦境を切り抜ける策を考える。

 しかしいくら魔装具をまとうとはいえ、手にする武器は刃の部分が短く、柄の部分が長くなった、剣と槍の中間というものであり、ドラゴンに致命傷を与えるのは難しそうだ。図体がでかいだけに動き自体は鈍いけれど、大きなアゴと長いシッポをつかった攻撃は、射程も長くて近づくこともできないし、逃げ回っているだけでは展望も開けない。どこか隠れるところでもあればいいが、ここはまるでコロッセオの闘技場のように、待避所もなければ、観客のいないそこは高い壁だ。

 冒険をしたいと思っていたが、最初の相手がドラゴン……運が悪いのか、それともこうなる運命だったのか……。ふたたびドラゴンのシッポに跳ね飛ばされた。ただ、今度は壁までいかずに踏みとどまる。魔装具の使い方もだいぶ憶えてきた。この魔装具の盾は、衝撃を一点からややずらす効果をもたせているのだ。盾自体は平板だけれど、円錐状のシールドがかけられている。しかもそれは固くなく、柔軟であるため、ぶつかったものを吸収しつつ威力がまっすぐボクに伝わらないようにされているのだ。アイの頭のよさと、戦闘にかけての能力に改めて驚嘆しつつ、反撃の機会をうかがうことにした。


 目覚めると、そこは円錐状の底だった。リーンは辺りを見回す。すると、自分よりだいぶ上のところにシャビーが仰向けに倒れている。そこまで上がっていきたいけれど、傾斜も急であり、また自分の装備の重さもあって、中々上がれそうもない。

 これでも本来の重さからは半分以上、軽減されている。魔装具として軽量化が為されているからで、強固さとスピードを重視するよう、考えられたものだ。大剣もそうで、背中に負うのも、両手でもって戦うのも。軽くないと何かと不便だろうと、アイがリーンの戦い方をみてえらんでくれたものであり、リーンもこの装備により、やっと冒険者として一人前になった、と感じている。

 今はとにかくシャビーのところに行かないと……。そう思って上り始めたのだが、ふとみると、円錐状の上のところから、無数の何かがこちらを見下ろしてくるのに気づく。それはここまでくる間も、散々に悩まされたハクビシンの魔獣であり、動きが素早く、また目標が小さいために、重装兵であるリーンがもっとも苦手とするところだ。それが百体以上、こちらを見降ろしてくる。

 魔獣たちが一斉にわっと襲ってきた。もう上がるどころではない。どうやら魔獣たちは、倒れているシャビーのことは無視するらしく、リーンのみを襲ってくる。剣を大きく振るって薙ぎ払うけれど、まったく手ごたえがない。相手が一瞬、周りから離れるぐらいで、すぐにふたたび群がってくる。しかも自分が円錐の底にいることで、どんなに追い払っても相手はその底をめがけて飛んでくればいいので、集中攻撃をうける構図なのだ。

 これまでも散々に悩まされ、いい加減リーンも頭に来ていた。相手は身軽ですばしっこく、ヒット・アンド・アウェイを仕掛けてくる。分厚い装備なので、軽量のこうした相手だと、まず致命傷をうけることはない。ただ、少しずつ牙をあててくる嫌な戦い方は、本気で腹立たしくもあった。

 リーンは大きな剣を、持ち歩くときのように背中に負う。敵が頭上から襲ってくると、そいつらめがけてリーンは拳を振るった。昔からリーンのケンカは拳だった。今ではだいぶ丸くなったけれど、昔から血の気が多く、ケンカばかりしていた。それは発情期でなければメスを意識しない猩族の中で、オス相手でも本気でケンカをするのが当たり前だったからでもある。そして昔は体も大きく、リーンは無敵をほこっていた。

 冒険者になりたい……と漠然と思いだしたのも、そのころだった。祖父がカペリン国でクーデターを起こし、民政を促したことが自慢でもあった。魔獣を討伐する、冒険者という職業に憧れ、自分も世のため、人のためになりたいと思った。ただ、冒険者には凄い力をつかえる者がおり、自分の限界を知ったとき、少しずつその熱も冷めていった。カペリン国からオクトパス国にもどり、人々のためになる宅配という仕事をえらんだのも、人のためになりたいといった理由だった。それがアイたちと出会い、ふたたび冒険者への憧憬が湧いてしまう。自分と因縁のあったサラ家の残党との問題をさくっと解決してくれたことも大きかった。この人たちについていこう、と決めた。

 ここで負けるわけにはいかない。剣のような、長さも威力もあるけれど、当たりにくい武器より、拳なら小回りも利き、また手元に近いので当てやすい。

 やっと戦えるようになった。ただしその数が多く、何体か倒したぐらいでは焼け石に水、自棄になりそうなぐらいの終わりの見えない戦いを、リーンは強いられていた。


 アイは辺りを見回して、すぐに気づく。そこにオニさんがいない、と……。

 遠くにシャビーが仰向けで倒れているけれど、リーンもオニさんもいない。ナゼか昏く、自分とシャビーのところだけ照らされている。

 何だろう、凄い違和感がある……。この匂いもそう。微かだけれど、とても不快にさせる。例えていうなら、頭の中を直接つかんでくるような匂い……。

 もう一つのスポットライトが当たる。そこに現れたのは、マッチョロードでみた、ハンバーグの街にも現れた、あの魔族だった。マスクをして、マントをかぶっており、それがアイの方に近づいてくる。

 ちがう……。匂いがそもそもしない。ずっとこの嫌な匂いに苛まれているからよく分かる。それ以外の匂いがしないのだ。

人族にはそれぞれ匂いがある。それはオニさんも変わらない。オニさんの匂いはとても落ち着く。そしてそれは魔族も同じ。ハンバーグの街で会ったとき、懐かしい匂いを感じた。最初は思い出せなかったけれど、それは思いだしたくない、と深層心理で思っていたためだろう。マスクを外したとき、その匂いが何を意味するか、脳裏にこびりついた記憶を改めて掘り起こされた。嫌いな人の匂い……。でも、それが今、目の前にいる相手からは感じない。

 ここは違う。オニさんの匂いをさがすんだ。どれだけ微かでも、遠くにいても、その匂いだけは嗅ぎ分けてみせる。オニさん……、オニさん……。見つけた!


「……さん、…………オニさん! オニさん!」

 何度もドラゴンに倒され、瀕死のボクだったけれど、微かに聞こえるその声に気づく。アイだ。アイがボクをみつけてくれたんだ……。

「アイ、どこだ⁈」

「オニさん、シャビーのところに行って、早く」

 小さく、遠くから、微かに聞こえるその声に、隙をついて仰向けに倒れているシャビーのところに行く。「うつ伏せにひっくり返しますよ。せ~の!」

「コケッ!」

 シャビーが目を覚ますのと同時に、ボクも目覚めた。ハッとして起き上がると、そこはお城の玄関ホールであり、アイとリーンもちょうど起き上がったところだった。

「もしかして今のは……、夢?」

「夢というより、幻影をみせられていたんです、私たち。多分、この微かにただよう匂いが誘い水になって、催眠術にかけられていた。リーンに状況を尋ねたら、私たちの中でシャビーだけが共通する存在でもあったので、シャビーを目覚めさせると、きっと私たちも目覚めるだろう、と……」

 先にボクの存在に気づいたけれど、聴覚のよくないボクだから、中々声がとどかずに、先にきづいたリーンと状況を確認し合い、対策を考えたようだ。

「でも、何でシャビーやねん!」

「シャビーは仰向けにされると意識がとんじゃうから、催眠術とは無縁でただ倒れていただけか……。それで、ボクたちと現実とをつないでくれていた……」

「何っスか? 何が起きたッスか⁈」

 シャビーはただ白目を剥いて倒れていただけなので、何が起きたかもわかっていない。恐らく他の三人はコントロールされ、意識がバラバラにされており、シャビーだけがコントロールを逃れていたのだ。だからみんなの意識から切り離されることもなく、ただそこにいる存在として、三人から認知されていたのだ。

「催眠術ってことは、ここにそれをつかう者がいるってことか……」

 ボクの呟きに、アイは立ち上がって「ライトニング・シャックル!」

 これはアイがたびたびみせる、周囲にいる敵を一瞬にして麻痺させ、動きを止めてしまう技だ。相手が魔獣でも効果があるけれど、猩族相手ならほぼ確実だ。

 階段の上からバタッと倒れる音がして、そこに向かうと、小柄な猩族の少女が痙攣して倒れていた。

「彼女がマインド系の魔法をつかって、ここに来た冒険者に、魔獣の巣窟という幻想を抱かせていたのか……」

 アイの指示に従って、建物の周りに咲いていた、恐らく催眠術を効果的にするための草花を切りとり、ヴォートスルゼ城の探索を完了した。

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