第31話 魔族と魔獣

   魔族と魔獣


 アイがボクのことを「オニさん」と呼ぶのは、母親の「お兄ちゃん」と、妹の「兄さん」が雑じったもの――。そう説明したけれど、ここまで妹に関する言及はその一度だけ。二話目の一ヶ所だけだ。アイとの思い出を語るときでさえ、妹がでてきた験しはない。その理由については追々語ることにしよう。

「マリアも死んで、こっちの世界に来たのか……。でも、高校生なんだな」

 ここでは前の世界にいたときと年齢も変わるし、それこそ時間軸は同じでないため、どのタイミングで現れるかも一様でない。ボクより後で死んだとしても、先にこの世界で転生する、ということもあるのだ。これだけの研究をしているのなら、こちらの世界で相当の時間を重ねていると思われた。ただジャンノがそうだったように、歳をとらない呪いに罹っている可能性もあって、どれぐらいをこの世界で過ごしたか? それは見た目だけでは判然としない。ボクと同い年ぐらいに見える、という事実だけが今そこにあった。

「すわったらどうだ。積もる話もあるだろ?」

 ボクがそう促すと、マリアは渋々といった感じでふたたび席につく。

「まさか、肉親だから魔族に誘ってくれた、というわけじゃないだろ?」

 マリアがそんな判断をするわけがない、それはボクがよく知っていた。彼女は生まれてから一度も笑顔をみせたことがない。くすりと笑う、愛想笑いをする、といったこともない。感情の壊れたマシーン――。それが家族からのマリア評だ。そしてそれは表情だけでなく、あらゆる物事を判断するときでもそう。冷静で、冷徹で、そんな彼女が、家族だからボクを仲間に誘う、といったことをするはずもない。合理的で、極めて現実的な判断をするのが、彼女ということだ。

 マリアはまるで、ぽっかりと開いた穴――。そこに手をつっこんでも、何にもふれることがない。何もとりだせない。一方で、そこに何かを抛りこんでも底に到達することはない。どこまでも飲みこんでいき、その前に立った者でさえ飲みこまれてしまうような、そんな恐怖にすら駆られる。

 感情の希薄さは、動物に対してもそうだった。アイは怯えて近づかず、マリアもじっと見下ろすぐらいで、特に意識することがなさそうだった。両親はマリアのことを考え、少しでも感情をとりもどして欲しいと思って、柴犬のアイを連れてきたのだけれど、そんな両親の思惑など無関係に、ボクになついてしまった、というのが顛末だ。両親のように、アイを虐めてケタケタ笑うということはなおけれど、マリアとアイ、二人に関する思い出、イベントは皆無に等しい。今もアイが恐怖するのはあのころの冷たい眼光、彼女のもつ雰囲気がそうさせているものと推測された。

「お前はこの世界にきて、何年だ?」

 無表情のまま、マリアは言葉を返してこない。ムクの方を向いて「ムクは、マリアと出逢って何年?」と尋ねた。

「一年になる……かな」

 ムクもマリアのことを気にしつつ、そう応じる。ムクはムクドリの猩族であり、彼女が害獣として駆除するための研究のために飼われていたとすれば、前の世界でボクたちとそう違いのない時代に生きていたのだろう。何しろムクドリは益鳥として大切にされていたのであり、害獣になったのは都心の高い樹木に集団で営巣するようになってから。騒音とフン害に人が悩まされるようになってからだ。

 少なくとも一年以上はこの世界にいるなら、ボクより半年以上、早くここに来ていることになる。昔から頭のいい妹だった。小学生にして教師でさえ舌を巻くほどで、両親からも「突然変異」とされた。父親は研究職だったけれど、その血を濃縮した、などと自虐的に語っていたぐらいである。

 一年ぐらいあれば、この博物館に展示するぐらいの研究を、マリアなら成し遂げるだろう。ただそれ以上に気になることもあった。

「マリアは魔族の王、魔王に従っているのか?」

 個人的に、それは考えにくいことだと思っていた。マリアが誰かに従って行動する、そんなことは想像もできない。彼女は孤高であり、唯我独尊であり、独立独歩であり、感情の壊れたマシーンであり、合理的かつ能動的にそれを受け入れるだけのメリットがないと、誰の指示にも従わないはずだった。

「魔王に従う? ちがう、魔王の目的に同意している」

「同意……だから、自分たちの目的を明かせない、と? それは少なくとも人族や、猩族を殺してでも、この世界を滅ぼしてでも達成したいことなのかい?」

 マリアは静かに頷く。どうやらその決意は固く、翻意は難しそうだった。何より理論や理屈では到底敵いそうもないのだから。

「マリアが何を目的とし、どうしたいのかは分からないが、ボクは人族と、猩族とが仲良く暮らせる世界にすることを目指している。それとちがう方向性なら、やっぱり魔族の仲間になることはできないし、協力することもない。むしろ、ボクの目的にマリアが協力してくれると有難いけど……」

 マリアが立ち上がった。もう話をすることもない、ということだ。ただ、去り際に「諦めてないから」と冷たい声で告げる。ムクも「じゃあね、オニィさん」とだけ告げて、その後に従って出ていく。

 二人の姿が消えると、ボクの腕にぎゅっと抱きついていたアイが、ボクの肩にそっと頭を乗せてきた。これまでずっと恐怖に耐えてきたのは、彼女のにぎってくる手の強さと、若干の汗ばんだ感じでもよく分かる。ボクがその頭をぽん、ぽんと優しく叩くと、ふり返らなくても、その巻きシッポをぶんぶんと振っているのが分かった。どんなに怖いことがあっても、ボクと一緒なら大丈夫……改めてそれを感じているのかもしれなかった。


 宿に戻ったボクたちは、タマとリーンに今日のことを説明する。

「ま、魔族やて⁈」

「しッ! 大声をださない」

 タマはそう諫めつつも、自分でもその話を斟酌しかねているようだった。

「マッチョロードに現れた魔族はアンタの妹で、アンタのことを魔族の仲間に誘ってきた。ということは、これからもアンタと一緒にいると、魔族と遭遇するってことよね?」

 それは同じパーティーを組む者として、決断を強いることでもある。

「う、うちはアンタらと一緒に行く。装備までもろうて、ここで引いたらメスが廃る!」

 リーンは身につけている装備を叩いてみせた。彼女のそれはカーナーブンでアイがダンジョンを探索し、集めた鉱物でつくられている。

「私は一度、死んでいる身だからね。別に今さら、命を惜しんで魔族から逃げるつもりもないわよ。むしろ、ぎゃふんと言わせてやりたいぐらいね」

 タマもそういって、話がまとまった。でも、今はパーティーにいるチャムとシャビーには教えないこととした。何より彼女たちはすぐに逃げだせばいいし、パーティーのメンバーと呼んでいいのか、微妙なところでもあるからだ。

「ただ問題は、魔族がこの街に現れたのなら、この街の周辺にいる魔獣が活発化する恐れがあるってこと。そのとき、冒険者パーティーがそれをスルーしてペクチンに行くっていう行動が怪しまれないかってことね……」

 タマは翌日、チャムとシャビーを集めて言った。

「これから、パーティーを二つに分けるわ。私とチャムは先行してペクチンに向かう。残りはここで一週間、ギルドからの依頼をうけて仕事をすること。その際、重視するのは三点。1、名を売ること。2、報酬高めの依頼をうけること。3、そうはいっても、まだまだリーンもアンタも素人に毛の生えたようなものだし、シャビーの力量も分からない。アイがその辺りをサポートして、決して無理はしないこと。経験を積ませ、この国にいる魔獣がどんなものか、というのを確認するためのものだと考えて。戦略や、どんな依頼をうけるか、その辺りはアンタが考えなさい……て、何でまた涙ぐんでいるのよ?」

「いや、カーナーブンでもそうだったけれど、ここに来て冒険者らしいことができて、やっぱり感慨深いな、と……」

「人族で冒険者は珍しいけど、逆にいえば、アンタの活躍次第では人族にそういう道が開けるかもしれないんだから、簡単に死ぬんじゃないわよ」

 タマの意見ももっともだ。人族は無能転生、冒険には適さないとされ、産業用動物として使い捨てられたり、それこそペットにされたり、という扱いが一般的だった。タマがボクに期待する役目、それは重くて大変だけれど、今はやりがいすら感じていた。


「じゃあ、行ってきます、だよ~」

 チャムは船の上から手をふる。薄い布をまとうだけであり、かつぴょんぴょんと飛び跳ねると、その豊かな胸が激しく揺れて、それが船全体を揺らすのではないかと心配するぐらいだ。猩族は、それこそ発情期でないと男女が一緒にお風呂に入るぐらいで、そういう格好でも恥ずかしくないらしいが、みているこっちが恥ずかしくなる。

 タマとチャムは船に乗って、先発した。ここからケツマル川を遡上し、その支流であるハーフケツ川へ入り、ペクチンに辿りつく。思慮のいきとどいたタマと、元々が諜報員であるチャムであるから、この二人が先に神聖ロバ帝国の首都であるペクチンに先行するのは、合理的ともいえた。

 問題は残されたボクたちだ。

「シャビーは声が大きい、言葉が武器になる、と言っていたけれど、他に何か特技みたいなものはないのかい?」

「ないッス!」

 彼女はニワトリの猩族であり、頭には鶏冠のような赤い毛が生えるので、まるで田舎のヤンキーか、パンクロッカーのようだが、頽廃というより大概だ。

「でも冒険者として登録しているんだろ? 武器は?」

 彼女は前髪から頭頂部にかけてある赤い毛とは別に、そこから下の髪は茶色であり、白いTシャツに白のホットパンツ、という出で立ちで、足にはヒザまである編み上げのブーツを履くけれど、これといった武器らしいものは持っていない。

「アッシの武器はこれッス」

 シャビーが踵をぽんと地面に突くと、踵の辺りから鎌のような刃が、足首から生えるようにさっと飛びだしてきた。それは切断面が靴底にむかっており、攻撃するのにどうするのかと見ていると、身軽に回し蹴りをしてみせた。なるほど、蹴りは相手に靴底を向けて攻撃することが多く、ふつうに立つと刃が地面をむくのだ。それは自分を傷つけないためでもあり、彼女は足技をつかって戦う冒険者のようだ。

「足技……足は速いの?」

「速いッスよ。ただ体力ないッス。三十メートルが限界ッス」

「それは三十歩すすむと直前のことを忘れちゃうから、逃げている理由も忘れるってことじゃないの?」

「失礼ッスね。親びんの弟子。そんなことあるわけないじゃないッスか」

「ボクはタマの弟子って目でみられているんだ……」

 シャビーはタマに命を救われた、と感じているので、タマのことしか尊敬していない。リーンはタマの子分で、ボクは弟子と思っているようだ。

「その足技をつかって戦える?」

「戦えるッスけど、大して強くないッスよ」

「リーンとボクも戦闘に関してはまだ初心者だよ。タマが言っていたように、シャビーの実力を知るのもここで冒険をする理由の一つなんだから、戦ってもらうよ。でもそうなると、前衛かな……?」

「じゃあ、アッシは濡れ前衛ってことで」

「何で濡れ煎餅みたいな感じだよ! ていうか、濡れているの!」

 ニワトリはそれこそ、一年で三百個近い卵を産むのだ。それは毎日が発情期であり、彼女のその言葉は気になるところでもあった。


 カーナーブンでは坑道というダンジョン特有の事情もあって、魔獣も無機物系や、エレメント系などが多く、特殊といえるものだった。カナリア国やカペリン国のような南方ではオオカミや牛など、比較的大きな魔獣が多かったけれど、ハンバーグの街の外は低地で、かつ水辺ということもあるのか、小型のキツネやハクビシン、鳩が魔獣となったものも多く、動きが素早くて苦労する。

 リーンは重装の防具と大ぶりの両刃の剣、ボクも小型の槍のような武器で、どちらも大型の魔獣を想定した装備だ。そこに魔石を付加しており、軽量の相手ではケガをすることもないので練習にはうってつけでも、速度勝負ではかなり分が悪い。

 しかしそんな中、異色の戦いをみせるのがシャビーだ。ふわりと宙をとんで魔獣を攻撃したり、逆立ちして上空から飛来する魔獣に対処したり、モチはモチ屋で、神聖ロバ帝国の冒険者というだけに、この辺りにいる魔獣への対処は完璧らしい。

「子分も弟子も、大したことないッスね」

「子分言うなや!」「弟子じゃない!」

 二人同時にツッコミを入れたが、戦い方を見直す必要に迫られていた。

 連日、魔獣討伐の依頼をうけていたが、ギルドの受付嬢が「こういう依頼もあるよ」と教えてくれたのが〝ヴォートスルゼ城の奪還〟だった。

「ここから東に、ヴォートスルゼ城っていうのがあるんだけど、今では魔獣の巣窟でね。ここからだと、少し距離もあるし、中々に手強いらしくて、今では誰も近づかないんだよ。その代わり、報酬も別格だよ」

「でも、この辺りの魔獣のレベルはそう大したことないですよね? お城に巣食うのは高レベルの魔獣なんですか?」

「何でかねぇ? 私にもさっぱり分からないけれど、もどってきた冒険者は口々に大変だったというし、戻ってこなかった連中もいる。今じゃあ、アンタッチャブルさ」

「行きましょう!」

 そのとき、急に前向きな発言をしたのは、アイだった。

 報酬と名声と、その二つが手に入るのだから、タマからの指示をこなす上でも、それは最適解といえる。アイがいれば、かなりの強敵でも何とかなりそう……と考えた部分もあった。それに、動きの速い敵に辟易していた、というのも大きかった。

「奪還しなくても、ある程度の魔獣を退治してくれれば、報酬はでるよ」

 小型の魔獣では、ほとんど魔石がドロップしないけれど、ヴォートスルゼ城の魔獣は、魔石のドロップ率も高いそうで、それを見せると報酬がでる、というのだ。そのおいしさに多くの冒険者が挑み、失敗してきた。一部の者からは〝ヴォートスルゼ城の呪い〟や〝ヴォートスルゼ城には巨大な頭をした魔女が棲む〟などと言われているそうだ。

 往復で二日、ダンジョン探索に二日の日程をくみ、ボクたち四人はハンバーグの街をでた。当然、荷物持ちはボクであり、四人分の荷物をリュックに入れて、いざ出発だ。

「うちらからはぐれて、一緒にいた仲間は誰やったっけ? なんてことになるなや」

「リーンこそ、ダンジョンにつく前に、動きの速い魔獣にやられないようにするッス」

 どうやらリーンとシャビーは水と油、ダンジョンに入る前から問題山積みである。ボクはそっとアイに「どうしてダンジョン攻略を決めたの?」と尋ねる。

「パーティーの連携を高める上で必要なことは、ややレベルが高く、連携を必要とするような敵との遭遇だと思ったんです。それには高難度のダンジョンが最適というのと……」

 アイは恥ずかしそうに「オニさんと、お城巡りをしてみたくて……」

 だいぶ私的な事情が入っていたようだけれど、そのときはただの笑い話で終わった。ただ、このダンジョン攻略は困難を伴うものになることを、このときはまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る