第30話 魔族の化生

   魔族の化生


 マッチョロードの軍隊を軽くあしらい、壊滅させ、たった一夜にしてマッチョロードの街を破壊しつくした魔族――。それが今、ボクらの目の前にいる。頭からマントを被り、顔につけた白いマスクには黒い波状の模様をえがく。マッチョロードで遠目にみたときより、はっきりとその姿を認識できた。

 アイはぱっとボクの前にでて、身構える。しかし強大な魔力を感じるのだろう。アイも魔法剣士であり、相手の力量を推し量れることができるだけに緊張しているらしく、いつもはピンと立った耳も寝ており、きりっとした巻きシッポにも力がない。ボクを守ろうとしてくれているが、そうでなければすぐにでも逃げだしたいぐらいの緊張、恐怖に苛まれているはずだ。

 アイの緊張など、どこ吹く風とばかりに魔族はゆっくりとボクたちのいるテーブルに近づいてくる。そしてムクの近くまでくると、ぴたりと立ち止まった。ムクが恐れていないところをみると、どうやら二人は仲間であり、魔族はボクとアイのことを等分に眺めつつ「私に敵意はない。今のところ……」

 顔をマスクで覆っているため、くぐもった声で、魔族はそう語った。体はそれほど大きくなく、むしろ子供のそれに近い。ただしマントで全身が覆われており、声質からも特徴といったものは感じられなかった。マッチョロードでみたときは、軽装の防具のようなものをまとっていたのであり、マントの中はそうした装備をまとっているのだろう。ただ、街に入るときはこうしてマントで隠し、自分の姿をみせないようにするものと推測された。冒険者にまぎれ、移動しているから通常はその動向をうかがい知れないし、その姿について巷間語られることもないのだ。

 ボクは背後からアイの手をそっとつかみ「落ち着いて。こうして姿を現したってことは、話をしに来た、だろ?」と魔族に尋ねる。

 魔族はしばらくマスク越しに、じっとボクを見下ろしていたが「殺すつもりなら、とっくにやっている」と物騒なことを告げてきた。背後から襲われなかった、今はその言葉を信じるしかない。

 アイを落ち着かせて、すわらせようとしたが、彼女は自分の椅子をボクに近づけて、体を寄せるようにしてすわった。犬のころもそうだったように、彼女は何か怖いことがあると、ボクに体をくっつけてきて、眠ることが多かった。多分、今も魔族の脅威から少しでも心の安寧を得ようとしているのだろう。ボクはテーブルの下でアイの手をにぎり、彼女を鎮める。そうしないと、恐怖でアイがどうにかなってしまいそう……。それだけのプレッシャーを眼前にいる魔族から感じているのだ。

「君はマッチョロードを壊滅させた魔族と、同一人物?」

 ボクの方から尋ねる。魔族はゆったりとした動作で、同じテーブルについた。ここは四人席で、これまではボクをはさむようにアイとムクがすわっていた。なので、魔族はボクと対面する席にすわる。

「そうだ」

 はっきりと相手はそう告げた。これは死を覚悟する場面――か。生憎と魔力なんてもっていないので、アイとちがって力量を推し量ることなんてできないけれど、強大な力を有する相手だというのは、発する空気感みたいなものでヒシヒシと感じる。こういうとき、多くの人は何もできなくなってしまうに違いない。恐怖に慄き、思考すら停止し、体は硬直して身動きもとれない。しかしボクはずっと考える。どうすればいいか? この苦境を乗り切るための最善とは何か? 緊張を強いられる場面であればあるほどボクは考え、行動するタイプであり、今もそうだった。

「話、とは?」

 魔族は値踏みするようにこちらをじっと見つめてくる。アイは確かに稀有な力をもつ冒険者であるけれど、ボクは何の力ももたない、ただの人族だ。

「仲間になりそうな人族が、この世界に転生してきた……と感知し、探していた」

 それは意外なことだった。「仲間? ……ボクが?」

 魔族は小さく頷く。

「ちょっと待って。ボクは無能転生、何の力ももたず、この世界に来た。自分でもそんな力をもっていないと感じるけれど、それを君たちは与えられるのか……?」

 ボクにも魔族のような、チートな力が……と考えたのだが、魔族ははっきりと首を横にふってみせた。

「力は関係ない。我々からみて仲間になりそうかどうか、それだけだ」

「力じゃない? なら、人族なら誰でもいいのか?」

 魔族は小さく首を横にふった。どうやら、仲間にするための何らかの選定基準、彼らなりの何かがありそうだが、それを明かす気はなさそうだ。ただそうなると、益々ボクをピンポイントでえらぶ理由が分からず、当惑するしかない。

 ボクは魔族の隣にすわっているムクに尋ねた。

「チュン助……じゃない。ムクがカペリン国のパセリーナの街からついてきたのも、魔族からの指示だったのか?」

 ムクは小さく頷く。どうやら、先にボクを見つけたムクが、ボクを監視するために旅についてきた、ということで間違いないらしい。

「カペリン国の南方で魔族が出現した……との噂を耳にしたけれど、もしかしてカペリン国でボクをさがしていた?」

 これは魔族が頷く。

「感知することはできても、場所の特定までは難しい。カペリン中を探しているとき、恐らく私の噂が立ったものだろう」

 ボクらは密航のような状態で、カナリア国から船でカペリン国に渡った。それはまったくの偶然であり、異なる国を探して彼らと出会わなかった可能性もある、ということだ。運命のイタズラか、必然だったのか……?

 ただそうしてムクは、カシテヨンの街からマメドンに向かうとき、山賊に襲われたときも「オニィさんを虐げる奴はゆるさない」として、率先して山賊を退治する側に回っていた。「もしかして、山賊から助けてくれたのも……」

「オニィさんが山賊なんかにやられたら、大変だからね」

 ムクはさらっとそう言った。

「マッチョロードで別れたのも、合流するから?」

 ムクは頷く。そのとき、ボクにキスをしてきたことはアイにも教えていない。でも、少しだけ特別な感情を抱いてくれていた……と感じたのだけれど……。

「マッチョロードを壊滅させたのは、ナゼ?」

 これは魔族に尋ねた。

「君の力を試すため」

 その言葉を聞いたとき、ボクは頭を殴られるような、もっとも強い衝撃をうけた。あれは単純に、魔族が自分の力を誇示するため、為されたものだと勝手に考えていた。しかし魔族の仲間になりそうなボクが、何かの力をもっているかどうかを確認するためだったとすれば、すべてボクのせいだった、となる。

「もしかして、街を壊滅的なまでに破壊すれば、ボクが力に目覚める……とでも考えて、あれだけの犠牲を……?」

 体が震える。力に目覚めなければ死んでもいい……嫌、ボク一人のために、そこまでの犠牲を強いても構わない、と考える魔族に戦慄した。

「魔族の目的は?」

「それは教えられない」

「でも、ボクは何の力もない無能転生――。それはマッチョロードでも証明されたはずだろ。偶々、運よく逃げだすことができて、こうして今も生きているけれど、力のないことが分かったのだから、もうボクを魔族の仲間に誘う理由もないだろ?」

 魔族は何も答えない。こうしてスカウトに来ているのだから、それが全てだ、と言わんばかりだった。

 もしかしたら、あれからずっと監視されていたのか? それともブリテリ島に渡ったことで一時、彼らから目を晦ますこともできたのだろうか? ふたたびこうして現れたのだから、ボクに執着していることだけは間違いなさそうだ。

 でも、何でボクなんだ……?

「君たちは、猩族なんて死んでも構わない、と思っているのか?」

 魔族は答えない。

「マッチョロードの下層には人族もいた。それも死んでも構わない?」

 魔族は答えない。

「なるほど、君たちの目的は分からないけれど、めざす方向性は分かったよ。自分たちの目的のためなら躊躇なくその強大な力をつかう。例えそれによって、周りの者が死のうとも……ということだね」

 魔族はやっぱり答えない。しかし行動がすべてを物語っていた。

「結論はでているよ。ボクは君たちの仲間になるつもりはない。それだけだ」


 ボクの決断に、もっとも驚き、強い反応をみせたのはムクだった。

「オニィさん、絶対に仲間になっておくのがいいって! だって、魔族はすごい力をもっているんだよ。猩族だって敵わない、この世界を変えてしまう力を有するの。もし、今は少し方向性がちがったとしても、オニィさんが考えていること、やろうとしていることをするにも役に立つことすらあれ、損になることは絶対にないって。逆に魔族と対立したら、きっと酷いことになるんだよ」

「誘ってくれるのは有り難いけど、ボクが目指すのは、人族と猩族がともに手をとり、仲良く暮らせる世界。マッチョロードで君がとった行動は、ボクの考えと相反し、対極にあるとすらいえるものだ」

 ボクは魔族をキッと見返した。

「例え、君たちと敵対することでボクのめざすことが達成されないとしても、そのことで君たちに殺されることになったとしても、自分の行く道を違えてまで、君たちにヒザを屈し、媚を売ることはない!」

 ボクはそう断言してみせた。魔族がどう反応するかと思ったが、目立った反応をみせることもない。緊張が高まるかとも思ったけれど、むしろ予想通りの答え、ということか……。逆に無反応すぎて恐いぐらいだ。

「オニィさん、考え直してみない? オニィさんは無能転生、何の力もないんだよ。この世界でやりたいことだってできないんだよ。でも、力のある魔族と組んだら、他力本願になるかもしれないけれど、自分のやりたいことが叶うかもしれないんだよ。仲間になった方が、絶対に得だって……」

 ムクは尚もそう誘ってくる。確かにその通りだ。やりたくないことをさせられるかもしれない。でもそれが、もっとも自分の目指すことを達成する、近道であることも分かっている。ただやっぱり、マッチョロードの阿鼻叫喚を憶えている。あれ以来、ジャックとも離れ離れになってしまった。遺恨がない、といったらウソになる。

 それでも折り合いをつけるのが、大人なのかもしれない。ボクだって前の世界では社会人として暮らしていた。やりたくないことをして、お金を稼いで、それで何となく自分を納得させていた。でも、この異世界に来て、それではダメなんだと思った。妥協は、誰かの犠牲の上で成り立たせるものじゃない。

「ボクは、君たちの仲間にはならない」

 魔族は徐に立ち上がった。アイが緊張したのか、ギュッとボクの手をにぎってくる。多分、相手の発する殺気を敏感にうけとったのだろう。でも、ボクはまったく怯むことなく、魔族を見上げつつ言った。

「待てよ。まだ話は残っている。この博物館は、君の研究を展示したものか?」

 魔族はしばらくじっと見下ろしていたが、やがて小さくだけれど頷く。

「この世界は、生者の世界と、死者の世界との中間にある。ここは神が、生前の行いを改めて選別するためにある、という説をとっているようだね」

「…………」

 無言はいつにも増して、今は肯定を意味するだろう。

「だとすれば、君たちが殺した猩族、人族は救われたのかな? 何も分からないまま、不意にその命を絶たれて、彼らは救われるのかな? それとも、君が殺したらそれは救いになる、とでも? 神にでもなったつもりか?」

「オニィさん!」

 ボクの言葉が鋭くなったことで、ムクがそういって言葉をはさんできた。ボクはムクの方を向いた。

「ずっと気になっていた……、チュン助……もとい、ムクがボクのことをどうして『オニィさん』と呼ぶのかって……」

「どういうこと? アイも『オニさん』って……」

 確かに、小さな『ィ』しか加わっていない。でも、尚もボクは尋ねた。

「ムクはどうして『オニィさん』と呼ぶの?」

「だって、そう呼ばれていたじゃない。お母さんから『お兄ちゃん』で、妹さんからは『兄さん』で、私は『オニィさん』って呼ぶようにした」

 アイも同じ理由で、ボクを『オニさん』と呼ぶけれど……。

「それはおかしいんだよ。だって、チュン助がボクの家にきたころは、ボクは小学生だった。母さんからは『お兄ちゃん』と呼ばれていたけれど、まだ保育園にも通っていない妹が、そのころボクのことを『兄さん』と呼ぶことはないんだ」

 アイがボクの家に来たのは、ボクが高校生のころ。もう妹も小学校の高学年であって、ボクを『兄さん』と呼んでいた。だからアイがその二つを混在させ、ボクのことを『オニさん』と呼んでも不自然ではない。でもチュン助……ムクが、敬称を『さん』と変換することはまずないはずなのだ。

「ボクしか知らないはずの『チュン助』を名乗っていたのもそうだ。少なくとも両親には名前を教えていない。ケガが治るまで、という約束で面倒をみていたからで、名前をつけたりすれば愛着がわき、離れがたくなるからつけるな、と指示をうけた。だからこっそりとそう呼んでいただけなんだ。君が『チュン助』なら、それを知っていても不思議はないけど、そうじゃないのなら、他にその名を知っているのはただ一人……」

 ボクはゆっくりと視線を魔族にもどす。

「ムクが、君から指示を受けていたと聞いて、そのときから疑っていた。まさか、そんなことがあるはずないって思っていたけれど、これだけの状況証拠がそろったのなら、もうそれを信じるしかない。

 …………君なんだろ? マリア」

 ボクがそう呼びかけると、魔族がゆっくりと頭からかぶっているマントをとり、顔に手をもっていき、そのマスクを外した。

 アイはさらに緊張した様子で、ボクへぎゅっと体を押しつけ、握った手にしがみつくようにしてくる。ボクはそんなアイのことをふり返らず、にぎっている手をぽん、ぽんと優しく宥めるように叩いて、落ち着かせようとする。

 相手から視線を外せるはずもない。マスクの下から現れたのは見間違えるはずもなく、ボクの妹、マリアだった。

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