第18話 水に流れて
水に流れて
ボクはタホ川の畔で目覚めた。流れに翻弄され、時おり何かも分からない障害物にぶつかって、やっと泳ぎ着いた岸は葦で覆われ、人の姿を隠してくれる。ただそれ以上に無事だったのは、周りに何体かの死体が流れ着いていることだったのかもしれない。ここは川の澱みとなる場所で、マッチョロードの街で死んだ者が流れ着く。ここは魔獣がおり、人が襲われる世界だ。周りに死体があり、ボクも死んでいると思われたからこそ、生きていることができたのかもしれない。
焼け焦げた木材なども流れてきて、それはマッチョロードの被害の大きさを示していた。カペリン国の首都として威容をほこってきたが、たった一人の魔族によって、壊滅させられたのだ。噂には聞いていたけれど、魔族というのは尋常ならざる強さをもつ、恐るべき敵ということを改めて痛感した。
立ち上がろうとして、足に鋭い痛みを感じる。みれば、太ももには大きな傷があり、泳いでいる途中で木材でもぶつかったのか……。もしかしたらこの衝撃もあって、ここで倒れてしまったのかもしれない。泳いでいるときは必死で気づかなかっただけ、か……。
周りにはアイも、タマも、ジャックも、ルツもいない。ボクは一人、この世界にきて初めて一人になった。みんなは無事だったのだろうか……? ボクが傷んでいるように、水中も決して安全とは言えなかった。今も焼け焦げた木材などが流れていくが、恐らく泳いでいる最中に直撃されたら、いくら泳ぎが得意なアイやジャックといえど、一溜りもなかっただろう。ボクたちは離れ離れになってしまった。水の冷たさと、足の痛みとを感じながら、強烈な寂しさを覚える。
水に飛びこむ前、タマが「ホレドに集合!」と言っていたのが聞こえた。ホレド? が何かはよく分からないけれど、恐らく街の名前だと推測する。この川を下っていけば、恐らく辿りつける街なのだろう。
とにかく、川下に向かって歩くことにする。本当は泳いで下りたいが、今でも大きな木材が流れてくるなど、かなり危険を伴うものであった。ただ魔獣が現れると、水に飛びこんでやり過ごさないといけない。水の中に魔獣は入ってこないため、戦う力のないボクにとっての唯一の避難場所だ。そしてそれは度々起こり、服が渇く暇もないほどである。夜になると冷えこみも厳しく、濡れた服をきたボクの体力を否応なく奪っていく。リュックを背負っていてもすでに食べ物はなく、冷えた体を温めるためにも動きつづけるしかないけれど、そのエネルギーさえ削られてしまう。足の痛みは一歩すすむごとにハンマーで殴るほどの衝撃を伝え、久しぶりに泳いだことで全身に走る激痛は、筋肉痛以上に体の上げる悲鳴となった。それに、眠れば魔獣の襲撃に気づけないので、寝てもいられない。休みをとることもできず、ホレドをめざしてすすむしかない。
三日目、ボクは倒れた。もう限界だった。草むらに入って、そのまま眠った。
「死んでいる?」
「……いや、息がある。だが人族だぞ。助けるのか?」
「私たちが猩族とか、人族とか、こだわっていられるの?」
そんな声が聞こえた気もしたが、またすぐに意識が遠のいていった。
次に目を覚ましたとき、ボクは驚かされた。恐らく木の上の枝に板をわたして、そこを住居としているのだろう。やたら景色がよく、まるで天空にいるようだが、それは壁もないためでもある。葉っぱを敷いており、簡易的なベッドに寝かされていた。
「起きたかい?」そこに現れた少女をみて、もっと驚いた。服を着ていないからだ。ただ胸は露わだけれど、下半身は毛に覆われているので、微妙にパンツっぽくもある。人化の程度はそれぞれであり、比較的それが動物寄りなっていることが考えられた。また猩族は発情期以外で男女を意識することはないので、羞恥心そのものが希薄なのかもしれない。というより、ターザンにしろ未開拓人にしろ、腰布を巻いているのは何のため? 見られる心配もなく、意識することもないのに、なぜか発見されたときはすでに文明人らしく腰布を巻いている。全裸で不都合なことでもあったかのように……。
少女はケモノ耳が横についていて、またケモノ尻尾は細くて長く、またしっかりとした筋肉をもつ。つまりそれは、こうした木の上での活動を容易とするためであり、まさにサルの猩族ということだ。首元にも毛が生え、かなり動物に近い印象をうける。胸もそれほど大きくないので、露わといってもまるで子供のそれを見るようだ。
「ここは一体……?」
「河原で倒れていたんだよ。だから、ここに連れてきた。木の上なら、一先ず魔獣には襲われにくいからね」
少女はそういったが、すぐに「起きてくれたならあり難い。私たちはすぐにここを去る。アンタは勝手に、どこにでも行くがいい」
「それはどういう……?」
「私たちは、日によって住む場所を変える。とどまっていたら、いくら安全とされる木の上でも、魔獣に襲われるからね。アンタは連れていけないし、悪いが、食糧も与えられない。生憎と人族が何を食べるか、なんて知らないからね。この辺りもマッチョロードの奴らが木を伐り過ぎて、私たちのいられる場所は少ない。少し行けば、アンタが倒れていた川がある。もどるならもどればいい」
「モモ、行くぞ」
遠くからそう声をかけられ、モモと呼ばれた少女は細長い手足をつかって、巧みに枝から枝へと伝い、ボクの前から去ってしまった。
街で暮らさず、こういうところで自分たちの暮らしをする猩族もいるのか……。お礼も言えなかったが、複数の、彼女と同じような姿をした者が木を伝いながら去っていく後ろ姿を、感謝しつつ見送った。
十メートルぐらいの高さにいて、ここでの置いてきぼりは辛いところもある。ただ見晴らしもよく、確かに川も見えるので、恐る恐るその木を下りた。地上に降りたってホッとすると、そこに木の実がいくつか枝についたまま落ちている。もしかしたら、仲間がいる手前、あぁは言ったけれど、食べ物を残しておいてくれたのか……と、黒くて丸い木の実らしきそれを、そっと齧ってみる。口が点、もしくは×で描かれるほどの酸っぱさであるが、眠れたこととも相まって、疲労が回復するのを感じる。クエン酸効果を信じ、改めて川岸にもどって、ボクは川下に向かって旅をつづけることにした。
歩き続けて、ふたたび二日が経った。時おり、魔獣の姿が見えて川にとびこむので、中々前へとすすめない。魔獣は水の中に入ると、しばらくうろうろしているが、すぐに諦めてどこかへ行ってしまう。相当、水にぬれるのが嫌らしく、魔獣にそうした性質がある以上、川沿いを歩いていても安心することができた。
ここはかなり川を下ったせいか、流れも緩やかとなり、水も濁っている。しかも死体や木材がその行く手を遮っており、所々の澱みでそれが溜まっていると、かなりの腐臭すら漂わすなど、川は未だに地獄絵図がつづく。
そのとき、川上から船がすすんできた。助けを求めてよいものか……。ここは人族が虐げられる存在であり、助けてくれるかどうかも分からない。むしろこんな緊急時に、期待するだけ虚しいことかもしれない。しかも、これは川上から来たのだ。それこそ魔族だったら……そう考えて、葦の中に慌てて身を隠した。
船底が浅い、ドラゴンボートのような船がやってくる。船の舳先、そこに仁王立ちする人物がいる。鼻をひくつかせ、わずかな匂いも漏らさないとばかりにくんくんと嗅いでいたが、急にその顔がパッと輝いた。「オニさ~んッ‼」
アイだ。思わずボクもとびだした。「アイ~ッ!」
アイはすぐに気づいて、船の短い看板で助走をとると、十メートルはありそうな距離を飛んできた。文字通り飛んできたので、ボクも必死で受け止めるが、一緒に倒れてしまう。でも、久しぶりにお互いの体温を感じあえて、どちらともなくぎゅっと抱き合った。
アイはぎゅっとしがみつきながら「オニさん……オニさん……」と涙声で、ボクの耳の辺りから首にかけて、ぺろぺろと舐めてくる。きっとそれは親犬がそうするように、仔犬の体を舐めてあげようとするものか、その辺りからボク特有のフェロモンでもでているのか……。いずれにしてもボクの生存を確認するため、盛んにそれをするのだが、周りからみれば絶世の美女でもある彼女から首の辺りを舐められるなんて、照れ臭くて仕方ない。でも、シッポがぶるんぶるんと振られているので、しばらくそのままにした。
船に乗せてもらって、そのまま下流へとすすむ。しばらくすると、ホレドの街が見えてくるが、マッチョロードのような巨大なものではなく、石組みの壁でかこまれた、それほど大きくない街だ。
アイに連れられて宿屋にいくと、そこでさらに驚くことがあった。タマがケガをしているらしく床に伏せっていて、ルツが看病をしている。そこにジャックはいなかった。
「アンタも生き残っていたようね」
タマもやっと……という感じで体を起こす。
「ジャックは?」ボクの問に、タマも首を横にふる。
「私は、この街の船着き場に流れ着いていたんだけど、そのときジャックはいなかったって。途中までは一緒だったんだけど、流れてきた大きな木材にぶつかって、離れ離れになって、それからは……」
夜の川だ。しかも大きなマッチョロードの街が崩れ、その廃材が流れてくる中を泳いでいたのだから、何があってもおかしくない。ボクが右足だけの怪我で済んだのも、奇跡という他ないだろう。
「私はここまで泳いできたので、みんなを待っていたんですけど……」
アイはどうやら無傷のようだ。アイが連れていたルツも無事、ケガもなくここまで辿りついた。みんな、こうして魔族から逃げ切れたのだ。
「アンタが来ないから、マッチョロードの様子をみてくるっていう船に、この子を乗せてもらったのよ。何かと役に立つからって言ってね」
「マッチョロードは酷い状況でした。壁の多くが崩れ落ちて、見る影もありませんでした。生きている猩族がいたら、連れて帰るという話でしたが、川から見る分には、誰も残っていなかったんです……」
まだ魔族がのこっているかもしれないのだ。アイのような冒険者がいる方が、心強くもあっただろう。上りの船でボクが見つからなかったのは、恐らくあのモモが木の上に連れていった間に通過したためだ。ボクが隠れていたのに、匂いだけでアイが見つけたように、倒れていても見つけてくれていたはずなのだから。
動けないタマをのこして、ボクとアイ、それにルツの三人でジャックを探す。何名か、川に流されてきた者を助けたという話だが、そこにジャックはいなかった。タマがここまで流されてきたことをみても、ジャックもここまでは流れてきた、とみられるが、アイとホレドの街の川下をさがしても、その姿はみつからなかった。
魔族の動向は気になるところだけれど、あれだけの圧倒的な力をもちながら、魔族は人族や猩族を滅ぼすことまでは考えておらず、次々と街を襲う、ということはないらしい。安心はできないけれど、そのアノマリーに賭けて、しばらくこの街で過ごすことにする。何よりタマが傷んでいて、長旅もできない状況だ。
アイは冒険者として、街のギルドから依頼をうけて仕事をしている。ボクはジャックの捜索に費やし、ルツにはタマの世話をしてもらった。ルツを街に出ないようにしたのは、カペリン国はそれほど人族に厳しくない、とされるが、その流れが少しずつ変わってもいたからだ。それは首都であるマッチョロードが魔族によって壊滅し、今もそこから逃げてきた、という猩族がやってくる状況である。物資の調達も厳しくなり、物資不足も深刻となることが確実だ。また船による川の交通さえ、しばらく流木の障害物との戦いとなるだろう。
人々の心がすさんでいるのも問題だ。食糧不足ともなれば、ペットや最下層の人族にしわ寄せがくるのは確実だった。街を歩いていても石を投げられたり、木の棒をもって追いかけ回されたり、厳しい状況となっていく。まさに野良犬を追い立てるかのようで、それはペットであるボクも同じだった。
その日、ボクはタマと話をした。タマは「ジャックのことだから、死ぬことはない……と考えているけど、さらに川下へと流されていったことも考えられる。ここから先、カペリン国には主要な街もないから、先といったらオクトパス国に行くしかないけど……」と言った。
「ここも日々刻々と治安が悪化しています。ジャックさんのためにも、行くなら早い方がいいかもしれません」
ボクは早く岸に上がってしまったため、徒歩の距離が長くなったが、アイやジャックならここまで泳ぎ切ることもできたはずで、だからタマもこの街まで辿りついたのだ。途中で引っかかっている可能性より、先をさがした方がいい。
「ここまでなら、オクトパス国との船もでているから、便がとれたら行きましょう」
「タマはもう大丈夫なの?」
「ここで寝ていたって、船に乗ったって、同じことよ。これだけ待って、探してもみつからないんだから、先に行った方がいい。そこにもいなければ……諦める。それと……タマって呼ぶな!」
それは苦渋の選択かもしれない。でも、冒険者であればダンジョンではぐれた仲間を、いつまで待つか? その決断が一番難しいはずだ。
「タマ……さんは、チュン助のことを知っていた? ボクが助けたスズメじゃないって」
「知っていたというより気づいた、という感じかしら。山賊との戦いでみせたあれば、スズメのそれじゃない。そうなると、何で身分を偽っているのかってね」
チュン助がいなくなったとき、タマだけは動じてなかったので、知っていたとは思っていたが、こういうことに気が回るからこそ、彼女はこの世界でもやってこられたのだ。
「正体は……?」
「分からない……。九郎定兼の手下でもないっていうし、何かの組織の下にいることは確かみたいだけれど、それが何でカペリン国初心者の私たちに? 何の目的で? その辺りはまるっきり分からないわ」
そもそも、どうしてパセリーナの街からボクたちの旅に加わったのか? その段階でボクらが目をつけられる理由も、想像がつかなかった。
そのとき、アイとルツがもどってくる。宿の中でも人族を見る目が厳しくなり、アイが飼い主としてルツを伴ってお風呂に入れていたのだ。
「さ、今度はオニさんの番ですよ」
「え? ボクは別に、一日ぐらいお風呂に入らなくとも……」
「ダメです。清潔は大事です。私はオニさんの飼い主として、きちんと清潔に保つ責任があるんです。一緒にお風呂に入りましょ❤」
ここではヘジャの街でもそうだったが、猩族は基本、お風呂は男女が一緒なのだ。発情期以外で男女を意識しない、猩族にとってそれはふつうなのだろうが、いつも盛っている、とされる人族のボクは気にする。これまで余裕のあるときは、時間をずらしたりもしていたが、人族に厳しくなった今はそれも難しい。
「さ、いきましょ、オニさん❤」
言い逃れもできず、ボクは首根っこをつかまれ、お風呂場にひきずられていく。お風呂を嫌がっている犬が、無理やり連れていかれる様を、ボクは思いだしていた。そういえば、アイも母親にお風呂に連れていかれるとき、切ない表情を浮かべていたが、それの仕返しではないけれど、意趣返しをされているのかもしれない……。
超絶の美形で、スタイルも抜群のアイと一緒にお風呂に入ることができるのは、とても嬉しいことなのだけれど、恥ずかしさと照れが先に立って、立つ瀬も失い、できればお風呂に流して欲しいぐらいだった。
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