第16話 二人の誓い

   二人の誓い


「オニィさん、今日はデートしましょ❤」

 チュン助は朝食の席で、いきなりそう言った。ここはマメドン、観光地、別荘地であるだけに見るべき場所、デートに適したところだ。

 ちらりとアイをみると、我関せずを装いながら、スープをすくう手がどこかぎこちない。

「ポスト・メリディエムには船に乗るから、その前にもどってきなさいよ」

 なぜかタマは、PMと略される午後のことを、わざわざラテン語の通りに言った。ちなみにAMはアンテ・メリディエム。メリディエムが正午、その前、後という分け方をする。ここでは朝食が遅く、今は十時ぐらいなので、午後までは二時間ぐらいしかない。

 マッチョロードとの間を周遊する船は、3~4日で到着する。一昨日、このマメドンに到着したボクらは、今日の船への搭乗を予約していた。

「ここって、そんな見るところないし、船が到着するまでにはもどるからぁ。ねぇ、いいでしょ~❤」

 チュン助は、ボクが命をすくったスズメの猩族。一ヶ月ぐらい面倒をみた関係であるが、それを恩義に感じているのか、ボクにこうしてラブラブしてくる。

「ま、いいんじゃない。二時間ぐらいなら、おイタもできないでしょ」

 タマのそんな理解(?)、物分かりのよさで、ボクの意思とは無関係に、チュン助とデートをすることになった。

 マメドンには別荘が多く、変わった建物が多い。ただし奇を衒ったものではなく、個性があるといった形で、建物探訪をするのも面白い。キントレメニュース湖の美しい眺めと、緑を多く取り入れた景観、そして変わった建物ぐらいしか見るべき点はないけれど、散策をするには気持ちいい場所だ。ただ気になるのは、その別荘に人影がほとんどないこと。引きこもっているのか、すれちがう者はまったくいない。今は真昼ぐらいしか水遊びもできず、シーズンオフでもあるのか……。

 チュン助はボクの腕にぶら下がるようにして、街を歩く。彼女はあまり背が高くなく、シッポも短めだ。ぎゅっとすると胸の膨らみを感じるし、スポーツブラのようなものしか身につけていないので、それは程よくその弾力を伝えてくるけれど、ふつうに接している分には女性というより、妹のようにしか感じないだろう。

「チュン助は、前の世界のこと、どこまで憶えているの?」

「前の世界? う~ん、あんまり……」

 そう言った後で、すぐに「でも、オニィさんのことは憶えているよ。だって、すごく、すごく嬉しかったんだもん❤」

 カラスに襲われていたところを助けてもらったのだ。それはそうかもしれない。

「でも、もう飛べるとなって、窓を開けたら、しばらく部屋の中で旋回していたけど、すぐにでていったよね。それ以来、もうもどってこなかったし……。あれからどうしていたの?」

「そこの記憶が曖昧なんだよねぇ……。もしかしたら、飛びだしてすぐに殺されちゃったのかもしれないんだよねぇ」

 ボクもそうだけど、ここに転生する者は、前の世界の記憶をある程度はひきずっている。それでも、死んだときの状況については曖昧なことも多い。それは死ぬほどの衝撃、苦痛なんて憶えていたら、生きることすら嫌になるかもしれない。確かに、まだやっと飛べるぐらいで飛びだしていったので、襲われたら一溜まりもなかっただろう。食事だってまともにとれたかどうか、分からない。その日、ずっと窓を開けたまま、ボクは待っていた。でも帰ってこなかった。せっかく助けたけれど、それっきりになったチュン助との出会いは、ボクにとってほろ苦いものとなった。

「でも、少なくとも私はオニィさんといる間は、生き延びた。それでいいんだよ」

 チュン助はさらにぐっと力をこめて、ボクの腕をその体に抱き寄せた。

「私の人生、その前で終わっていてもおかしくなかった。でも、オニィさんと出会えて、もう少しだけ生きられた。それで十分なんだよ……」

 チュン助にとっては、親に育てられていた間も幸せだったのかもしれないが、ボクと出会って、世話をしてもらえる間も幸せでいてくれたのか……。少しだけ、ほろ苦かったものが食べて飲みこめるぐらい、甘いものになったようにも感じられた。


 船が到着する。遊覧船としてはやや小ぶりだが、これは川底の浅いところも通らなければいけないため、だろう。

 魔獣の襲来に備えて、城壁が湖の中まで入りこむ形となっており、そこが船着き場になっている。ここに物資を輸送するための船でもあるが、その荷をみて、ボクも驚愕した。船からは人が並んで下りてくる。でもそれは荷運びのためではない。縄で結わえられ、生気のない顔を浮かべていて、それは犠牲にするための、魔獣を呼び寄せるエサにするためにここに連れてこられたことを悟った。

 憤るボクを遮ったのは、ジャックだった。

「ここは耐えろ。これがこの世界では当たり前のことなんだ」

 乳牛だって、子供をつくり、乳をだす間は世話をしてくれるが、でなくなったらお払い箱となり、肉として売られるか、殺処分される。決して余生を安寧に過ごさせてはくれない。ここでは人族がその立場だ。役に立たなくなったら、殺処分されるか、こうして肉として利用される。魔獣を呼び寄せる肉として……。

 遠くでみていたボクのことを、その中の一人がチラッとみてくる。羨ましく、恨めしく、また疎ましそうに……。港町ニャコミで知り合ったあの船乗りたちも「船に乗っていれば自由を得られる」といっていたが、働けなくなったら、同じようにこうして処分される身の上だ。ボクらペットになった者は、その分まだマシかもしれない。飼い主次第とはいえ、最後まで面倒をみてもらえるかもしれないのだから……。

「ところで、ジャックさんはヴィエンケの街に『居たくない』といって、すぐにでていきましたよね? 何かあったんですか?」

「あぁ、単にあの街の匂いが嫌いだったのさ。悪いことをしている、何か不正な臭いがするけど、頭の悪い私では、タマのようにそれが何か……ということまでは分からない。そういう状況にイライラするんだよ」

「ジャックさんは正義の味方?」

「そんなこともないが、悪い奴に手を貸すのは気分が悪い。そんなことでうける仕事も選んできた。だから当然、金はない!」

 なぜか最後は自信満々に、自慢げにそう言い放った。ちなみに、船に乗りこむのを待っている状況であるが、アイが船に乗る前に「お花を摘みに……」というと、タマとチュン助、それにルツまでがぞろぞろと連れションにいき、今はジャックと二人っきりだ。

「まさか、私が人族のことをこんなに気にするようになる、なんて思いもしていなかったよ。どちらかといえば、周りの風潮に流され、人族を忌避していたんだけどな」

 最初に会ったとき、簀巻きにされていたボクを槍先にひっかけて持ち運んだことなどを思いだす。要するに、そのころは人族をモノとみなしていた、ということだ。

「私たち、カナリア国の冒険者の中でも孤高の存在として有名だったアイが『人族を飼う』というのも驚いたが、お前にもたびたび、驚かされたよ。ま、あのアイが『飼いたい』という人族だから、ふつうじゃないと思ったが……」

 ボクがそんな特別なことをしただろうか……? 足手まといにしかなっていないはずだが……。

「ふつうの人族は、魔獣をみると泣き叫んだり、命乞いをしたり、慌てふためいて動揺するものさ。でも、魔獣に襲われても悲鳴を上げないし、みてもまったく動じない。現状をうけいれて、それをどう乗り切るか? だけを考えている。その肝の太さをアイも気に入っているんだろうな」

 アイには以前「現状を受け入れすぎ」と怒られたこともある。物事に動じないのは昔からのことで、雷が鳴っても平然としていたので、逆に親から気持ち悪がられたぐらいだ。

 そしてあのときも……。

「聞いていい? ボクとアイが散歩しているとき、出会ったシェパードの名前も『ジャック』だったんだけど……。もしかして……?」

 そのとき、アイは恐怖ですくみ、動けなくなっていたので、ボクが間に割って入り、シェパードと対峙した。しばらくにらみ合った後、シェパードはゆっくりと歩き去っていった。それがあって、アイのボクをみる目が格段によくなったのだ。それは自分のことを守ってくれる、という絶対の信頼を得た一事でもあった。

「さぁてね。私は知らないよ。でも、あのときの震えていた仔犬と、こうして旅をすることになるなんて……」

 やっぱりジャックは、あのとき出会ったシェパードだったようだ。そうなると、ボクと前の世界で関わりのある動物たちが、この世界では身近に三人もいることになる。この世界って一体……? また分からなくなってきた。

「ところで、美瑯っていう飾り名は、何で?」

「あぁ、オスの名前だから、本当は『美しい野郎』って意味で美郎とつけようとしたら、その飾り名はすでに使用済みですって言われて、美瑯として登録しただけさ。野郎の王様って感じで、いいだろ?」

 ジャックらしいテキトーさだけれど、想像通りであり、思わず笑ってしまった。


 周遊船はゆっくりと川をすすむ。キントレメニュース湖もそうだが、時おり貯水池にくるとダムのように閉ざされたところでもあり、しばしば停泊した。ゲートを開けるため、しばらく時間をかける必要があり、そのため時間がかかるのだ。これとよく似たシステムは運河などを想像すると分かり易いかもしれない。ゲートを閉めて、水を抜いたり、入れたりして水位を調節した後、次のゲートにすすむ。それをくり返すことで、貯水池として溜めた水の水位と、そこから放出された先の川の水位がちがっても、船はそのまますすむことができる。運河もそうやって高低差があるところでも、船を行き来させることができるのだ。

 川を下る方向でも、そうして貯水池をたびたび通るので、三日もかかってマッチョロードまで辿りつく。ただ、接近する前からその異様さに驚かされた。まるで進撃したがりの巨人でも埋めたかのような巨大な壁、それがぐるりとかなり広い土地を覆っているのだ。それを貫くよう川が流れており、船もその壁にすいこまれるようにすすんでいく。

 船が壁に入ると、そこはすぐに港であって、船も横付けする。パッションにあふれ、暑苦しいといったカペリン国の印象、パセリーナの港でも感じたように、高らかに陽気な音楽を奏でつつ、船の到着を歓迎してくれる。この街は頻繁に船で物資をやりとりしたり、旅をしたりするので、船の到着、出発に際しても特別な感情を抱いているようだ。

 ただし、ここは建物の地下なのか、明るいのは迎えてくれる猩族の者たちだけで、辺りはかなり仄暗い。魔法を篭めたランプを灯しているので、暗くて見えないほどではないが、天井を覆う屋根のようなものがあり、地下鉄の駅にでも入ったかのようだ。

「ここは階層構造なのよ」とタマに説明され、チュン助も「上層階に行きましょ」と、二人して階段を上がる。ボクらもその後につづく。

 そろそろ息の上がるぐらいの段数を上って、やっと太陽の光のとどく場所についた。そこは天国かと思うような、明るく快適な空間だった。畑もあるし、公園は緑にあふれ、人々がその中で楽しそうに暮らしている。魔獣の襲来に怯えることもなく、人々が陽気に歌い、踊り、そこでの生活を謳歌する。

 どうやら聳えるばかりの高い壁から、ずっとこの高層階はつづくようで、そこが地上かと錯覚するけれど、所々に木でつくられた床がみえる。あの壁も、ここからみるとそれほど高くは見えず、圧迫感もない。むしろこの高層階をつくるため、あれだけの高い壁が必要だった、そう思った方がいいのかもしれない。

「すごい……。これだけの広さの街を、地上から嵩上げしたってことか」

 タマに『驚く』と宣言されていたが、確かにその通りだ。この世界の技術力、文化水準からみると、それはまるで天を目指して造られたバベルの塔のように、想像もつかないほどの見事さでもあった。

「あれだけの高い壁があるから、魔獣に怯えることもなく、防衛力も必要ない。だから冒険者もいない。でも、この街には軍隊がいる。なぜかしら?」

 タマに問われても、首を傾げるばかりだ。

「正解はね、木材を調達するため。この街を維持するため、大量の木材がいる。すでにこの周辺は切りとってしまって、遠くまで出かけないといけない。そのために軍隊がいる」

 高床式なので、その床を支える木材の寿命が、ここでは重要なのだ。未来の世界は空中都市などと想像されることも多いが、それを裏切らない出来栄えであり、まさに楽園だ。ただ一つ気になることがあった。

「街の地下はどうなっているの?」

 これにはチュン助が応じた。「あまりお勧めしないな。だって、分かるよね……?」

 貧困層の棲む世界――。そこには人族もいるだろうし、猩族でも貧しい者は、こうして日の光が当たるところには住めないだろう。地下は環境も悪く、生活するにも厳しいことが想像され、ボクも言葉を失ってしまう。


 その日の夜、ボクはアイと一緒に地下へと下りてみた。

 そこには巨大な闘技場があり、そこで猩族であったり、人族同士が戦ったりして、ショーとして、また賭けの対象としているようだ。パセリーナでも闘技場はあったが、ここはその数倍の規模があり、それこそ人族と猩族、また人族と魔獣、といった特別対戦も組まれていて、観客を飽きさせないよう、様々な異種対戦カードも組まれている。人族が死んでも、猩族が死んでも、ここでは倫理観などもなく、法的に禁止されてもいないので、むしろ殺し合いまでさせるのが特徴でもあった。

 後で知ることでもあるが、そこで戦うのは古代ローマの闘技場、コロッセオで行われていたそれと同じように、戦うのはグラディエーターとして、勝てば富と名声を得ることもできるのだそうだ。ここでは木材を調達するため、遠くまで軍隊に守られて出掛けるが、作業をするのは人族だ。木を伐り、運び、そうして街を支える役を担いながら、地位は低く、また貧困に喘いでいる。だから死を賭したこの闘技場の戦いに身を投じ、一獲千金を狙う者も多いのだそうだ。人族はずっと盛っていて、大量の子供をつくるなど、労働力は次々に供給されることもあって、ここでは人族が産業用動物、だから使えなくなったら、マメドンに送られ、魔獣を呼び寄せるエサとして最期を迎える。

 人間だって、同じ人間を奴隷として使役していた時代もあるのだ。今だって、富を貯えた者たちが、貧困層から搾取するのを見ることができる。殊更に、猩族を責めることなんてできない。これは生物が生まれたときから、他者を貶めて自分たちがよい目をみられるよう、それが幸福である、という価値観にもとづく宿命ともいえるのだ。

「ボクはこの世界の、こういう状況を変えたい……。人族と、猩族とが仲良く、お互いが理解し合える世界にしたい。どちらが上とか、下とかない、平等に、誰もが幸せに暮らせる世界にしたい……」

 きれいごとだって分かっている。でも、この世界をずっと歩いてきて、ずっと感じていたことでもあった。

 アイはボクにすっと体を寄せてきた。

「私はこの世界にきたとき、オニさんと離れ離れになって、一人になって絶望しました。生きる意味も、希望もなく、刹那的にただこの世界にいただけでした。でも、オニさんとまた出逢えて、私は意味をみつけた、オニさんと生きていくんだって……。オニさんがやりたいことを見つけたなら、それは私にとっても目標です。私はもっとオニさんと一緒にいたい。そのために、人族と猩族に溝があるなら、私もそれを取り払いたいです」

 ボクもアイの肩を抱き寄せた。二人ならできる! というより、ボクたちが幸せになるために、絶対にそれをするんだと固く誓い合った。

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