第15話 犬がお腹をみせること
犬がお腹をみせること
ボクは体をぶるっと震わせ、目覚めた。ここは山の尾根といっても標高千メートルを超え、夜になると厳しい冷えこみに凍える状況だ。そこでみんな団子になって眠るのだが、人族であるボクとルツは毛布を巻くように、動物が人化した猩族とは基礎体温も異なり、また寒さの耐性も大きくちがっていた。
まだ辺りは暗く、ふと目を上げると、見張りをしているアイの姿が目に入った。彼女は夕食の煮炊きにつかった焚火、燃えさしとなったそれをじっと見つめ、火種を絶やさぬよういじりながら、ぴんと立ったケモノ耳が辺りをうかがうよう、油断なく左右にふられる。燃えさしのわずかな明かりに照らされ、奇跡のように整ったその顔立ちをそこに浮かび上がらせる。金色にちかい赤髪も、仄かに紅色を増したようで、炎に浮かぶ彼女の姿はとても美しく映えるものであった。
ボクは起きて、彼女の隣に並んですわる。
こちらを見なくとも、気配と足音でボクに気付いていたのだろう。並んですわったボクの肩に、すっと頭を乗せるよう寄り添ってきた。ボクも巻いていた毛布を彼女にもかけ、二人で毛布にくるまりながら、焚火をみつめる。
「見張り、ご苦労様」
「私たち冒険者は、旅をしたり、ダンジョンを攻略したりするときは、一ヶ月ぐらいこうして交替で見張りをすることもあるので、大丈夫です。慣れていますから」
冒険者とは大変な職業だ。RPGの裏の部分、食事や睡眠、それこそ生理的な部分に関することも、実際の冒険では重要である。彼女たちの方が生理的な現象をコントロールしやすいのは、犬が散歩に行くまでトイレを我慢できる点をみても明らかだ。何日も食事をとらずに動くこともできるし、こうした寒さ、暑さにも強い。生物学的にみると、明らかに彼女たちの方が上であり、この世界でボクが彼女のペットになっているのも必然と思えてくる。
「一つ聞いていいかい? アイはよく寝転がってお腹をみせてきたけど、あれってどういう意味があったの? 二人きりのときはしないのに、他の家族がいるときは見せてきたよね? 一般的には服従の意思表示とされるけど……」
「服従……そういうのはないです。強いていうなら〝私はあなたのことを、無防備な姿をさらしてみせるほど信頼しています〟という意味ですね」
「じゃあ、ボクもアイに向かってやった方がよかった?」
「それはダメです。私たちにとって、群れの上にいる者は、下の者を守るのが責務なんです。それは信頼ではないから、そういうことをしてはダメなんですよ」
下の者は信頼をみせることで、上の者からの責務を果たしてもらう、という関係にあるようだ。服従というより、もっとゆるい上下関係の結果として、彼女たちがつくりだしてきたルールなのだろう。
「家族がいるときしかやらなかったのは?」
「それを群れのメンバーにみせるため、です。二人きりのとき、オニさんはフランクに私と接してくれたじゃないですか。私が悪ふざけをしても笑ってゆるしてくれて……。上下関係を気にせず、オニさんとは一緒にいられました。でも、他の人がいるときは嫌でも上下関係を意識しますから、それを明確にしておく必要があったんです。それに他の人がいて緊張しているとき、オニさんにマッサージしてもらうと、それだけで緊張もほぐれて、とても気持ちよくなって……」
アイはちょっとはずかしげに俯いてしまう。アイがお腹をみせてくると、ボクはマッサージをしてあげた。マッサージといっても、優しくさすってあげたり、軽くつまむようにしたりして前足、後ろ足などにかけて、ゆっくりと固くなった筋肉をほぐしてあげるのだ。すると、気持ちよさげに目を閉じ、うっとりとしていたので、彼女が満足するまでやってあげると、そのまま寝てしまうことすらあったぐらいだ。信頼というなら、お腹をみせたまま寝てしまうぐらいのものを得ていた、といえる。
「そういえば、二人きりのときはよくボクに乗っかってきたよね」
「構って欲しかったんですもん❤」
そういって、ボクの肩に頭を乗せたまま、うるんだ瞳で見上げてくる。今も構って欲しいのだろうか? でも今は、その構い方がちがってくる。二人で焚火にあたり、毛布にくるまっていて、顔も近い。これって……。
「何が『構って欲しかった』よ」
そのとき、不意に背後から声が聞こえてきて、アイも「ひゃん❤」と驚く。そこに立っていたのはタマだった。タマも並んで焚火の前にすわりながら
「見張りがその任をほったらかしで、ラブラブしているから、起きちゃったわよ」
この辺りはケモノ耳をもつタマとジャックも、聴力は人の数倍もよいのだ。それでもジャックが寝ているのは、見張りは自分の番じゃない、という緊張感のなさ。チュン助の場合、ケモノ耳がない……という以上にスズメにとっては視力を重視する、その能力の差といえる。
「明日にはマメドンよ。気を引きしめておきなさい」
「危ないところなの?」照れ隠しもかねて、ボクが尋ねた。
「これだけ魔獣の襲来が多いってことは、街の周辺は魔獣の数も多いはず。多分、街に入るときが一番、大変よ」
「タマはマメドンに行ったことはあるの?」
「話に聞いただけだけど、マッチョロードの避暑地、別荘地ってところね。船で行き来できるから安全に移動できる場所ってことで、発展したって話よ。……タマって呼ぶな!」
水の上は、魔獣の襲来もなく安全だ。川でつながるのなら、高い山岳地帯に別荘をつくることもできる。
「私は目が冴えちゃって眠れないから、見張りは交替でいいわ。アイはたっぷり眠っておきなさい。明日はいっぱい、働いてもらうんだから」
タマはじろっとボクをにらんで「アンタは別にどうでもいいんだけど、あんたとくっついているとこの子がよく眠れるみたいだから、一緒に寝なさい! ほら、さっさと!」
タマからそうせっつかれ、ボクとアイは団子にもどった。タマはそんな二人を遠目にながめて「本当に、明日は大変なんだから……」と呟いた。
マメドンの街が見えてくると、そこは魔獣に取り囲まれていた。
「うわ! 何だ、あれ……襲われているのか?」
ジャックのそんな呟きに、チュン助が応じた。
「襲われているって感じじゃないね。魔獣の動物園?」
チュン助がそういったのもムリはない。魔獣に取り囲まれているが、決して襲われているわけではない。むしろその高い城壁の外、その周りには柵が築かれ、その柵の中にたくさんの魔獣がいるのだ。
「聞いていた通りね……。あの街に、城門はない」
「どういうことだ?」ジャックも首を傾げている。
「外から人を入れる必要がないからよ。あの街は、水でつながっていればいい。つまり陸路でくる来訪者を受け入れないのよ。だから、あの街に城門はない」
「じゃあ、あの魔獣は?」
「さあ……。飼っているんじゃない? 要するに来訪者除けよ。来るんじゃないってね」
「魔獣なんて、一度魔の力がとり憑いたケモノは、後は腐っていくだけ。早ければ三日、遅くとも一週間で動けなくなり、肉体は朽ちるだけだろ? なのに、何であんな多くの魔獣を囲っておけるんだ?」
ジャックのその言葉を待っていたように、城壁の上に人影があらわれると、そこから突き落とされた。悲鳴を上げながら逃げまどう彼らを、魔獣たちが襲う。するとその悲鳴に呼応したように、柵の外にいた魔獣たちも柵を乗り越え、彼らを襲う側にまわった。そうやって魔獣を呼び寄せ、柵の中に入れる。当然、生贄にされた者たちは無残な死体となった。しかし魔獣たちは決してその肉を喰らうために襲っているのではない。死んだら追いかけっこも終わり、魔獣たちは大人しくなり、積極的に柵を飛び越す理由も失って、そこにとどまっている。
「あの犠牲にされているのって……人族?」
呆然として、おもわず呟くボクに、タマが応じた。
「人族……でしょうね。老いたり、病に罹って使いものにならなくなったりした人族を、魔獣をよびよせるエサにしている。そうやって魔獣を城壁の外に置いておけば、近づく者もいなくなるって寸法でしょうね」
人間だって、獲物をつかまえるとき、エサをぶら下げるだろう。ここでは、そのエサの立場が人なのだ。分かっていたことだけれど、その現実を突きつけられ、実際に犠牲になった者をみると愕然としてしまう。
人の血の匂いがしているせいか、魔獣たちがそこに集まってくるが、柵を超すのは人が落とされたときだけのようだ。つまり、柵の外であっても街に近づくのは大変そうだ。
そして、その街の向こうには大きな湖がみえる。水辺に建つのがマメドンだ。
「泳いで渡るっていうのは?」
ジャックの言葉に、タマは周りを見回して「泳げるのは?」と尋ねたが、手を上げたのはアイとジャック、それにボクが遠慮がちにそうしただけだ。
「通過する船に乗せてもらう、というのは?」
「そんなことができるぐらいなら、ここに来てないわよ。船をつくる、という案も却下。とにかくあの魔獣の囲みを突破し、城壁を超えて街に入るしかないわね」
タマはそういった。実際、それ以外の手はなさそうだ。
「いきなり街に飛びこんで、大丈夫なのか?」
「どうせこの街には軍隊も、冒険者もいないから抵抗する力もない。一先ず大丈夫でしょ。それより問題なのは、こっちよ」
タマがボクとルツをふり返った。そう、人の能力では五メートル近い城壁を飛び越えるなんて、とてもムリだ。
「私とアイで魔獣たちを引き付けるから、ジャックとチュン助で、二人を抱えて城壁を飛び越えて」
タマがそう言いだしたので、ジャックも驚いて「引き付ける役なら、私がやる。タマは遠隔攻撃しかできないだろ?」
「こいつを抱えて城壁を飛び越せるのは、アイとジャックだけ。私もチュン助も、ルツぐらいなら何とかなっても、それ以上はムリだからね。それに城壁を超えた後だって、人族であるこいつらを守らないと、何が起きるか分からないわ。みんなが飛び越えたのを確認したら、すぐに私たちも行く。それまで、アンタが踏ん張りなさい」
「ウチがオニィさんを抱えたいなぁ」
チュン助の言葉に、タマも「できるならすれば。でも、自分の体重より重い相手を抱えて、飛べるの、アンタ?」
「う~~~……」
ボクとルツの顔を行ったり来たりしていたが、やがてチュン助もため息をつく。
「分かった。仕方ないわねぇ」
「行くわよ」タマはそういって歩きながら詠唱する。彼女の使う魔法は、かなり特殊といえるだろう。「轟きは刹那、導け、大気の鳴動を、雷鳴の嘶き(ロール・オブ・サンダー)!」
轟音がとどろくと同時に、数体の魔獣が焼け焦げた様子で倒れてしまう。それを待ってアイが飛びだし。次々に魔獣を倒していく。恐らくジャックでなく、アイにしたのは奔放な殲滅戦を展開するのは、アイの方が得意だからだろう。魔法剣士として、剣技だけでなく魔法も駆使するアイの戦い方は、スキルしかもたないジャックよりも大多数を相手にするのに適する。
魔獣たちがアイやタマに引き付けられているうちに、ボクたちは城壁に近づき、ジャックはボクを抱えてすぐに飛び越えた。しかしここでトラブルが起きる。チュン助がルツをもち上げられないのだ。何度か試すも、三、四メートルぐらいしか飛べない。
魔獣を全滅させる必要はないので、アイとタマはボクらが飛び越えたことをみて、すぐに切り上げて城壁へと駆けてくる。魔獣に追いかけられながら、アイは「ルツ!」と呼びかけ、ルツも「アイさんッ!」と手を伸ばす。駆けてきた勢いそのまま、アイはルツを抱えて城壁を飛び越えた。
しかし先に城壁を超えていたボクとジャックは、ポカンとしていた。そこは一時の楽園のような光景が広がっていたからだ。
キントレメニュース湖――。マメドンの街に隣接する、大きな貯水池である。そのため水量は豊富で、湖の周辺は遊泳場として整備されていた。
「イヤッホーッ‼」ジャックとチュン助が、真っ先に水へと飛びこんでいく。
昨晩はマメドンの街で一泊した。ここは観光地としても整備されており、ホテルもある。徒歩でやってくる冒険者を受け入れないのかと思いきや、中に入ってしまえば拒否されるということもなく、ふつうに泊めてくれた。そして今日は、みんなで水遊びしようと、水着に着替えて湖畔に広がる砂浜まで出てきたのである。ちなみにこの砂浜は人工で、リゾート地とするために造られたのだそうだ。
ボクとしては人族を犠牲にして、周りに魔族を集めて防衛するようなこの街の在り方に納得はできないが、それがこの世界と諦めるしかない。ここで何かを変えるには、圧倒的にボクは非力に過ぎた。
ジャックとチュン助は、ルツを誘って水辺に行ってはしゃいでいる。ルツも初めての水遊びらしく、恐る恐る水と戯れている。ボクはそんな三人を眺め、浜辺にいた。アイとタマは少し遅れるらしく、ほとんど貸し切りのような浜辺だが、ここで荷物の番だ。
しかし水着姿はまたいい。ジャックはちょっと大胆な黒のスリングショット、筋肉質の体によく似合う。チュン助はモノキニとよばれる、背中が大胆に開いた水着であるが、これは背中の羽を水で洗うため、要するに行水用だ。この二人の裸はみたことあるけれど、直視はできなかった。こうして遠目でもみていられる水着になってくれた方が、目の保養になってよい。
「オニさん……、どうですか?」
そのとき背後から声をかけられ、ふり返ると、ビキニ姿のアイがいた。白のビキニに、腰には赤の強いオレンジ色のパレオを巻く。元々、超絶の美形であり、かつスタイルも抜群ときているので、保養どころか補強というぐらい、しばし見惚れてしまう。するとアイは、ボクの傍らで仰向けになり、恥ずかしそうに手で顔を隠しながら「どうぞ……❤」
「え? 何? どういうこと?」
「この前、オニさんが『私がお腹をみせてきた』と話題にしたじゃないですか。オニさん、またあの頃みたいに、マッサージをしてくれるのかなって……」
「いや、あのころと同じことをしたら、完全にまずいだろ。優しく全身を撫でまわす……みたいな感じになるから!」
ハッとふり返ると、そこにはタマが笑いを堪えながら、こちらを見ている。二人の話を聞いていたのは彼女だけだ。きっと面白がってアイをけしかけたのだろう。
「わ、私はそれでも……❤」アイが恥ずかしそうにそういうのがまたツボで、こちらの方が赤くなってしまう。
しかしそのとき、水辺から慌てて駆けてきたのはチュン助だ。「何をしているのよッ! オニィさん、私も、私も!」
そういって、アイの隣に寝転がる。近づいてきたタマが、さらに面白がって「オイルでも塗ってあげればいいじゃない。合法的に、体を揉み揉みできるわよ」
「合法的って何だよ! オイルを塗るのに、体を揉み揉みする必要ないだろ。それにマッサージをそういう風にいうな!」
ジャックも面白がって、チュン助の隣に寝転んで「オニさ~ん❤」
その隣にルツも並ばせて「オニさ~ん❤」
からかわれているのが分かっているので、ボクも「全員分、つっこまないからな!」
一週間以上、緊張を強いられる旅をしてきたため、久しぶりに街に入って、気も緩んでいるのだろう。こんな穏やかな日々がいつまでも続かないかと、そのときのボクはそんなことを考えていたのだった。
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