第11話 ご主人様のいない一週間

   ご主人様のいない一週間


 ここは異世界――。文明はまだ発展しておらず、中世の趣をのこす。

 人だけでなく、動物も転生してくるが、そのとき体が人化して、ケモノ耳、ケモノ尻尾をもつ〝猩族〟とされる存在になることがあった。猩族には特殊な能力が与えられ、魔王の影響によって生まれる〝魔獣〟と戦うことができる。一方、人には何も与えられず、〝無能転生〟と呼ばれていた。

 この世界で、人はただの役立たず――。辛い仕事に従事するか、猩族に飼われるペットとして生きるしかない。だから、ボクは元飼い犬だった、今は猩族として生きる彼女のペットになった。


 カペリン国の港町、パセリーナはいつでも、どこでも音楽が奏でられ、陽気な声が響く、明るく情熱的な街だ。人々は陽気に語らい、港には多くの船が往来することで活気に満ちあふれている。その娯楽施設の一つ、闘技場にボクらは来ていた。

 直径三十メートルほどの円形の空間で、すり鉢状となった数段低いところにあった。魔法によるシールドがかけられ、観客はそこで繰り広げられる冒険者たちの戦いを安全に、安心して観戦することができる。

「タダで見てもいいんですか?」

 ボクがそう尋ねると、黒ハットをかぶった魔法使い、ネコの人化である流迅のタマは「見るだけならタダよ。ここに集まるのは、何も見るためだけではないしね。ほら」

 タマが指さす先、天井付近にはモニタがあり、そこに数字が表示され、めまぐるしい速度でその数字が変化していた。

「冒険者同士の戦いは賭けの対象、娯楽なのよ。だから条件を決め、互角になるようハンデもつく。その辺りが運営の腕のみせどころってね」

「タマは出場しないんですか?」

「私は遠距離攻撃を得意とする魔法使い。こんな狭い空間では戦えないわ。……ていうか、タマって呼ぶな!」

 敬称をつけないと、こうしてツッコミを入れてくるのがおもしろくて、ついやってしまう。

「あ、出てきましたよ」

「一騎千殺。美瑯のジャック~ッ‼」

 そうコールされて出てきたのは、黒に所々金色のブリーチが入った髪に、ピンとたったケモノ耳、ふさふさの尻尾をもった背の高い女性猩族、ジャックだ。

「……見えない」

 ボクのズボンの裾を引っ張ってくるのは、人族の少女であるルツ。まだ小学生ぐらいの大きさなので、肩車をしてあげることにした。今日はタマとともに、闘技場に参加する、一緒に旅をしたこともあるジャックの応援に来ていた。

「スキルの使用もなし。純粋な剣と槍の勝負か……。マズイわね」

 タマもそう呟く。「相手はこの街でも屈指の剣使いなのよ」

 反対のコーナーから、黒い兜と甲冑、という出で立ちをした女性がでてきた。「パセリーナの華、風華のロゼ~ッ‼」

 剣と槍の戦い――。それは間合いのとれる槍使い、接近戦をねらう剣士との戦いであり、幅広で、両刃の剣をもつロゼは、どうやら力で押すタイプのようだ。アイとジャックが戦ったときは、軽い剣のアイが捨て身の攻撃をしかけることで、間合いを殺して勝利した。ボクを守ろうとしたアイの必死さが勝敗を分けた、といえる。

 槍は剣先が手元からはなれる分、打撃力は弱い。剣先を自由につかえる突きの有効な範囲がジャックの主戦場で、それをかいくぐれればロゼが有利。屈指の好カード、ジャックとロゼの戦いが今、始まろうとしていた。


 憮然とした表情で、ジャックは酒場のテーブルにすわっている。その前にすわるボクとルツは、なるべく目を合わせないようにしていた。

 そこに、タマに連れられてやって来たのは、ジャックと闘技場で戦ったロゼだ。黒一色の兜と甲冑をみにつけ、肌も日焼けしていて浅黒いが、虹彩は金色だ。背の高いジャックほどではないけれど、体格もいいし、それは大ぶりの剣をふり回せるほどの膂力を備えている、という証拠でもあった。

「ジャックに勝利した、ロゼよ。よろしく~」

 わざと平板な言い方をしており、ジャックもいきり立って「くっそ~‼ あそこで足をすべらせなければ~」

 悔しがるジャックに、涼しい顔をするロゼ。それにタマが加わった。

「足をすべらせたんじゃなく、口をすべらせたんでしょ。どうして、自分がこれからやろうとすることを、わざわざ説明しちゃうかなぁ~」

「だって、その方が観客も喜ぶじゃないか。ショーマンシップに徹したんだよ」

「アンタに賭けていた側からすれば、こう思ったでしょうね。あぁ、こいつがバカだっていうのを忘れていた……ってね」

 闘技場での戦いは一進一退だったが、やがて重い甲冑をつけたロゼに疲れが見えはじめる。優勢になったジャックは、そこでわざわざ自分がこれからする技を開陳、見事にかわされ、踏ん張ろうとした足をすべらせて、勝負あり。会場中から「あ~あ……」というため息が漏れたことは、言うまでもない。

「私もカペリン国のことは、北のいくつかの街しか知らなくてね。これからのことも考えて、この国の冒険者である彼女に、色々と聞いておこうと思って……」

 ナゼ、それをジャックが今一番会いたくない相手に……?

「本当は対価が欲しいところだけど、今回はいいわ。烈炙のアイに貸しをつくっておく方が、何かと都合よさそうだから……」

 ロゼはそういった。ここは「アイを守る」といったボクが文句をいうべきだと、ペットの身分ながら「どういう意味ですか?」

「カナリア国がどうだったか、なんて知らないけど、ここは冒険者同士がライバル、競争相手であって、闘技場では直接戦ったりもする。優劣がつけられるのよ。仕事をとるのも、実力のある者から。弱い者に回ってくるのは、ろくな仕事じゃない。冒険者は仲良しこよしっていう関係じゃない。

 情報だって、タダで渡すようなお人好しはいないわ。対価をもらって嘘をつく人もいるぐらい。相手を蹴落とす、貶めるためなら何だってする……。それが、カペリン国で冒険をする者の鉄則よ」

 その言葉をひきとって、タマが言った。

「こんな国だからね。他の冒険者が行きたい、といっても私は『来るな』と言っていたのよ」

 アイは「この国に来たことはない。文化がちがうから」と言っていたが、それはタマの忠告だったのかもしれない。

「生き馬の目をぬく、こんな街に純粋な子が来たら、ぶち切れるだけだし……」

 なるほど、タマはよく観察しているらしい。騙されて失意の下で去るか、ぶち切れて大暴れするか、どちらにしろアイにとってよくないことになりそうだ。

「なるほどね。あれだけの冒険者が、この国に来ることなく、噂にもなっていなかったのは、アンタの仕業だったか……」

 ロゼに睨まれたが、タマはどこ吹く風とばかり「そんな力、私にはない。あの子をカペリン国に近づけなかっただけ。大体、この国のこういう体質が問題で、冒険者の交流が少なかっただけでしょ」

 タマが飄々としているので、ロゼもこれ以上、追及しても無駄だと悟ったようだ。嘘やハッタリが通用する国で、タマが行き来できていたのも、この肝の太さとしたたかさがあったためであろう。

「次に会ったとき、ぶち切れられたくなかったら、正しい情報をちょうだい」

「言われるまでもない。何しろ『貸し』にするって言っているんだから、会うこともなく死んでもらっても困るし……」

 なるほど、これがタマの狙い、ロゼを連れてきた理由らしい。

「カペリン国の南の街の情勢は?」

「あっちに行きたいのか? やめておいた方がいい。魔族がいる、という噂がある」

「魔族って?」これはボクが尋ねた。話の腰を折りかねず、タマにぎろりと睨まれたが、渋々答えてくれる。

「生まれもって魔の力をもつ者。魔王の眷属――よ。動物に魔の力がとり憑いて、魔獣になるときは、すでに死んでいるでしょ。だから脳も死んでいて、本能で動くゾンビとなる。でも、魔族には知識があり、知恵をもっていて、それをどう使ったらいいのか、も知っている。極めて厄介な相手よ」

「まだ街に被害はでていないが、その噂で戦々恐々さ。だから私もこの街に来たんだよ」

「でも、魔族は戦略的に動く。何のために、カペリン国の南に?」

「あいつらの事情なんて知らないよ。でも私たち冒険者は、魔王や魔族と遭遇することは極力避けないとね」

「そういうもの……?」ボクがそう疑問をもったのも、アイの魔法剣士としての戦い方を見ている限り、無双としか感じなかったからだ。冒険者が遭遇することさえ嫌う相手がいる……なんて、俄かに信じられなかった。

「敵わないから、だよ」

 ジャックがぼそっと応じる。タマはニヤリと笑って付け足す。

「一国の軍隊が、束でかかっても勝てるかどうか……。攻撃する前に、自分の手口を明かしてしまうようでは勝てる見込みすらないわね」

「ムキーーーッ!」

 地団駄をふむジャックを涼しい顔で眺めつつ、タマは「そうなると、南には行けない。マッチョロードに行くか……」

 名前だけで行く気を失せさせるほどのインパクトだが、ロゼも「アンタ、本気? 南に行けない、スカンク国からも離れたい、となったら、あそこしかないけど……」

「冒険者がまとまって戦うことはないんですか?」

「ないわね」ボクの疑問に、即座にそうロゼは否定した。

「どうして……? だって軍隊が勝てるなら、冒険者だって……」

 そのとき、背後から殺気を感じた……と思ったら、首元に冷たい刃が光っていた。

「ロゼ様の言うことに反論することは赦さない」

 ボクの背後に立つ人物は、冷たくそう言い放った。このまま刃を横に引けば、首を切り落とされかねない。だが、その人物もまた、喉元に槍先が突き立てられていた。

「おいおい。ペットの躾はきちんとしておいてくれよ。ロゼ。少しでも動いたら、先に私がアンタのペットを殺しちまう」

 ジャックは腕を組んだまま、またロゼの方を向いたまま、片手で槍を向けている。その言葉は恐らく本気……。ロゼが合図を送ると、ボクの背後から刃をもった人物が離れていった。ロゼのペットにして、忍者のような風体をし、彼女のことをサポートする者――。それが今、ボクを殺そうとした相手だ。ペット……それは人族であり、彼は役に立つ道をえらんだ。彼女を守る存在になっていた。

「カナリア国では、冒険者が仲良くしていたみたいね……。まさか、あなたが人族を守るとは思わなかったわ。ま、ここでは通用しない。魔族とは関わらないことだね」

 ロゼはそういってテーブルを離れた。ジャックを倒すほどの実力をもつロゼでさえ、忌避する相手……。魔族――、まだまだこの世界には知らないことが多かった。


 この街に来てから、ボクはルツに勉強を教えていた。人族であるボクたちではつける仕事もなく、また人族が虐げられる世界では、少しでも知識を得ておいた方が、何かと役に立つこともあるだろう。

 ここでは転生前の年齢はあまり関係ないらしく、社会人だったボクも高校生ぐらいの年齢にもどされている。ルツの身の上についてはよく分かっていないが、小学校で習うレベルのことも知らないようなので、算数から教えている。ちなみに、ここでは日本語が通用するし、表記もほぼ日本語だ。ただしそれは古文書のような筆記体であって、象形文字に近く、ふつうの現代人ではとても読めるレベルの代物ではない。それに変体仮名もふくんでおり、余計に複雑となっていた。

 そのとき「先遣部隊がもどってきたぞ!」という声が街に響く。ボクはルツと二人、城門の上にある見張り台へと向かう。

 地上からは十メートルぐらいの高さがあり、とても見通しがいい。そこから街の外を眺めると、遠くにゴマ粒のようなものが点々と見えた。

「あ、アイさんがいる」

 ボクにはまったく見えないが、ルツには見えるようだ。「あ、アイさんが走ってきた」

 すると、何百メートルはありそうな距離を、猛然と駆けてくる姿を、やっととらえることができた。

「…………ん! ……オ~ニ~さ~んッ! オ~ニ~さ~んッ! オニ、さんッ‼」

 その全力疾走のまま、城門のところで一気に飛び上がる。まさか、十メートル以上を飛び上がるつもりか? と思っていたら、壁で一歩踏みこんで、さらに高く上がってきた。でも、とても届きそうにない、それでも、そこに浮かべる満面の笑みは、ボクが受け止めてくれる、と信じて疑っていないそれだ。ボクも見張り台から身をのりだして「アイッ⁉」

 その伸ばしてくる手をつかみ、グッと引き上げた。アイはその勢いのままボクに飛びついてきたので、思わず仰け反ってしまうが、何とか踏ん張った。

「オニさんッ、オニさんッ、オニさんッ!」

 首筋に抱きついたまま、ぴょんぴょんと跳ねるようにするので、彼女についている二つの豊かな膨らみが、甲冑という硬いものを通してだけど、ぐいぐいと押しつけられてくる。むしろその弾力がなかったら、甲冑でダメージを負っていたのはボクかもしれない。それぐらいの激しさで喜び、その凛々しい巻きシッポをぶんぶんと、はち切れんばかりに振っている。嬉しさ爆発、といった感じだ。

 これからの旅に必要――というタマの指示に従って、軍資金を稼ぐために、アイは先遣部隊に参加していた。先遣部隊とは、魔獣が巣食うところをめぐって、利用できそうな鉱物をさがしたり、食べられそうな植物をみつけたり、といったことをする部隊だ。非常に危険で、かつ重要な役目であり、アイの実力をみとめられた上での指名だった。

 当然、一週間もボクと離れ離れになることを渋っていたが、タマからきつく命じられてアイも従事することにした。一週間分の逢えなかった気持ちが、今の途方もなく喜ぶ、そんな姿にも滲みでていた。

「ルツも、いい子にしていた?」

 アイもそういって、ルツの頭を撫でてあげる。ボクとは少しちがう関係だけど、やっとアイにもルツを飼っている、という自覚もでてきたようだ。

「やっと戻ってきたわね。それで、首尾は?」

 見張り台に上ってきたタマに気づいて、アイも「色々とみつけてきたけど……」

 ふり返ったが、まだ先遣部隊の本隊は豆粒ぐらいの大きさである。

「成功してくれて良かったわ。これで、バンバン『烈炙のアイ』の名を売っていけるからね」

 もしかしたら、アイに仕事をさせたのも、お金を稼ぐためではなく、名を売るため? 旅道都市ヘジャでふんだくったお金はまだ潤沢で、これからの旅でどれだけかかるのか……と思っていたが、それもアイをけしかけるための口実だったとすれば、流迅のタマ、恐るべし……である。

「これで、めでたくマッチョロードにレッツゴー‼」

 タマは勇ましくそう言ったが、ボクの行きたくない気持ちが伝わったのか、これから大問題に巻きこまれることに、このときはまだ気づくことすらできていなかった。

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